20150124
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(34)手紙(てがみ)
と手紙(シューシー)の間
☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.45
(ら)頼山陽『日本外史』
阿~吽で、著者名を一巡し、また一巡を繰り返そうと思ったが、好きな著者がたくさんいる行もあるし、ラ行のように、見つけるのに苦労する行もある。
次の「リ」も、昔、李 恢成は、「り かいせい」と名乗っていたが、現在では「い ふぇそん」、リの項がなくなっちゃうから、昔の名前で出ています。(あ、これ、明日のタイトル)
あいうえお順でとばした名前、「ぬ」の項「沼正三」はヤプー読んでないし、「ね」ねじめ正一は、1977以後に読んだのだし。あいうえお順を続けるのは難しいことがわかった。次は別のシリーズを考えることにした。
ラ行の発音を語頭に持つ単語は、古代日本語には存在しなかった。
辞書をひくと、語頭に「ら」があるラ行のことばは、ほとんどが外来語であることがわかるだろう。
喇叭(らっぱ)も、羅紗(らしゃ)も外来語。「駱駝らくだ」も「海獺らっこ」も海の外から。ラ行に和語(古来からの日本の言葉)はありません。全部漢語(中国から来た語)と外来語。
従って、人名にも、ラではじまる氏姓はほとんどない。頼のように、音読みで中国っぽくした名字になる。
頼山陽(久太郎)の最大の著作『日本外史』原文は漢文である。全22巻。原文で全巻読んだ人がいたら、表彰してしかるべきだ。
日本史で受験する高校生には書名暗記必需の本だし、ちょっと詳しい日本の歴史書、思想史、文学史なら、たいてい頼の名がのっている。しかし、高名でありながら、現代ではだれも原文を読まない本のひとつ。
これを研究者、評論者としてではなく、一般読者として全文読んだと書いている人、私は松岡正剛しか知らない。もっとも、正剛も漢文をそのまま読んだのではなく、書き下し文のほうである。書き下し文だって相当なしろもの。
私には、とても読む気になれない。はい、今回のラ行、読んだことのある「ラ」の著者がみつからなかったから、ちょっと、違反。私は正剛の書評を読んで、「読んだつもり」になっただけ。
今年の夏休みに、ちょっとした必要があって、黄門様の水戸史観が幕末の知識人や草もうの志士たちにどのように影響を与えたか調べてみたことがある。それで、山陽の日本外史についての概略も知った。(ちょっとした必要ってね、三谷幸喜作、香取慎吾主演の関係です。単なるミーハー趣味)
今回の話題は、だから、日本外史の中味についてではなく、外見、すなわち漢文についてである。
中国人に言わせると、頼の漢文も含めて、日本の漢詩文はきわめて日本的であり、中国人なら絶対に書かない漢文だという。
読んで意味はわかるが、日本人が中国人の日本語発音を「そうじゃないのことあるよ。タメタメ。パカあるよ」と、ステレオタイプに表現するような、そういう漢文だという。
つまり、日本人の漢文は、中国人からみると、日本的に訛っている。
すなわち、千年の間にほとんど中国的ではなくなり、日本化したということだ。
明治の文豪、逍遥、露伴、大正の漱石鴎外はいわずもがな、昭和の荷風、戦後に下っても石川淳あたりまで、漢文教育の命脈は蕩々とながれていた。
戦後教育も進んで、東京オリンピック前後になると、「漢文など古くさい、それより英語をなんとかせん」というかけ声は日増しに大きくなった。猫も杓子も英語えいご。
結果、どうなったか。英語もろくろくしゃべれもせず、日本語言語文化における漢文教育の貢献はきれいさっぱり消えてなくなった。
やっと最近、日本語にとって、漢字漢語の存在がどれほど大きなものだったかが、叫ばれるようになってきた。朱鷺があと「キン」と「ミドリ」の二羽だけになったとき、人々が「ニッポニアニッポン朱鷺を守れ」と、叫びだしたのと同じことである。
まもなく、日本の言語文化から漢語漢文脈のエキスが消えてしまうだろう。ニッポニアニッポンがついに消滅したように。(2003/10月、最後の日本朱鷺キン死す)
私が自分の「言語文化ワークショップ」を「ニッポニアニッポンことばと文化ワークショップ」と名のっているのは、ニッポニアニッポンの消滅、そして日本の言語文化の消滅をうれえる気持ちを表現している。
春庭も、きちんとした漢文教育は受けていない。
高校の国語の時間、週5時間のうち、3時間が現代文、1時間が古文、1時間が漢文だった。それでも週に1時間程度の漢文教育で、論語の初歩、李白杜甫くらいは読んだ。
返り点だの黙字だのに判じ物のように頭をひねりながら読むのは苦手だったし、白文はまるで読めなかったが、書き下し文ならかろうじて意味がわかった。
現在では、この書き下し文すら読めず、四書五経どころか、孔孟老荘から四字熟語までが、風前の灯火になっている。
「弱肉強食」の四字熟語を知らなければ、「四字熟語というと焼肉定食しか思い浮かばない高校生」と、言っても誰も笑わない。実際に焼肉定食しか知らないからだ。
「中年肥えやすくダイエットなりがたし」と言っても、「少年老いやすく学なりがたし」を知らない。サッカー敗戦のあと、「国破れてサントスあり」と言っても、パロディが成立しなくなってしまった。
ニッポニアニッポンの消滅が必至のことになってから、あわてて中国から同種の朱鷺を輸入したように、日本の漢字文化が消滅したら、現代中国語でも導入するかね。
だけど、ご注意!現代中国語では「手紙シューシー」はトイレットペーパーのことですからね。ラブレターのつもりで、うっかり美しい中国娘に「愛の手紙をください」なんていうと、同衾後必要なティッシュペーパーのことかと思われ、頬をはり倒されたりする。
現代中国語で、愛人(アイレン)は正妻のこと。「私の愛人になってください」は、結婚申し込みだから、女性たちよ、申し込まれても怒らないように。
さて、頼山陽の愛人に話が戻る。江馬細香は女流詩人の中で、というより、江戸時代最高の漢詩人である。その繊細な感受性を味わうことが、漢文の素養のないわれわれには、難しい。
漢文教育をおろそかにされた私たちにとって、千年の伝統をもつ言語文化が馴染みないものになってしまったことを惜しみつつ、だからと言って、ご隠居から「どれ、ひとつ漢文訓読の手ほどきをしてあげましょう」などと、申し込まれても、あ、またの機会に、、、、。
私にはできそうもないが、どうせ、英語ものにならないなら、あなた、ひとつ漢文へ趣味を移行しちゃどうでしょうか。
ほら、英語やるには恋人作るのが一番と、私、言ったでしょ。あなた、どうも見ても、横文字の恋人作れそうもなさそうだし。
江馬細香の漢詩 「冬夜」
人静寒閨月廊転
了来書課漏声長
撥炉喜見紅猶在
又剔残灯読幾行
<読み方> 冬夜(トウヤ)
ヒト、シズかにして カンケイ ツキはロウにテンず
ショカを リョウライすれば ロウセイ ナガし
ロを カキタて ヨロコびてミる コウナオ アるを
マタ、ザントウをケズりて ヨむこと イクギョウならん。
語 釈
寒々とした婦人の部屋。 月が廊下を照らすようになった。
割り当てられた本を読む課業を続け、長い時間が経った。
炉に火種がまだ残っていた。ろうそくの芯を切る。
いったいどれほど読み続けたことであろうか。
冬の夜、ひとり静かに書に読みふける江馬細香のほそいうなじが見える。ろうそくの芯をけずって、火をつけるまで、世の愛憎も、こまごまとした日常茶飯事もわすれて、ひとり本に没頭する。
このように冬の夜を本に読みふけってすごした江馬細香は、「ろうそくの火を夜、長々とつけておくと、もったいないから、夜なべで繕い物をせずに、ろうそくのいらない明るいうちにすませなさい」などと、妻に小言を言ったかもしれない山陽の妻として暮らして、幸福になれたか。
更級日記の菅原孝標女のように、本を読むことが無上の喜びだった女は、千年の昔も、江戸の大垣藩にもいたし、現代の東京にも、いるのである。
夫にこまごまと尽くし、夫の世話を焼くことが無上の喜びである女も、それはそれで、幸福な人生であろう。お幸せなこととお喜び申し上げます。
でも、夫の世話を焼くより本を読んでいた方が幸福だ、という女を「いやおまえは不幸な女だ」と、断じなくてもよろしくてよ。
以上は、(何度も書いてしつこいが)、不在のパートナーへの「愛の手紙」でした。
あなたへ。愛人より。
あっ!同衾していないのだから手紙(シューシー)は、必要がなかった。(また、下ネタオチだよ)
<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(34)手紙(てがみ)
と手紙(シューシー)の間
☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.45
(ら)頼山陽『日本外史』
阿~吽で、著者名を一巡し、また一巡を繰り返そうと思ったが、好きな著者がたくさんいる行もあるし、ラ行のように、見つけるのに苦労する行もある。
次の「リ」も、昔、李 恢成は、「り かいせい」と名乗っていたが、現在では「い ふぇそん」、リの項がなくなっちゃうから、昔の名前で出ています。(あ、これ、明日のタイトル)
あいうえお順でとばした名前、「ぬ」の項「沼正三」はヤプー読んでないし、「ね」ねじめ正一は、1977以後に読んだのだし。あいうえお順を続けるのは難しいことがわかった。次は別のシリーズを考えることにした。
ラ行の発音を語頭に持つ単語は、古代日本語には存在しなかった。
辞書をひくと、語頭に「ら」があるラ行のことばは、ほとんどが外来語であることがわかるだろう。
喇叭(らっぱ)も、羅紗(らしゃ)も外来語。「駱駝らくだ」も「海獺らっこ」も海の外から。ラ行に和語(古来からの日本の言葉)はありません。全部漢語(中国から来た語)と外来語。
従って、人名にも、ラではじまる氏姓はほとんどない。頼のように、音読みで中国っぽくした名字になる。
頼山陽(久太郎)の最大の著作『日本外史』原文は漢文である。全22巻。原文で全巻読んだ人がいたら、表彰してしかるべきだ。
日本史で受験する高校生には書名暗記必需の本だし、ちょっと詳しい日本の歴史書、思想史、文学史なら、たいてい頼の名がのっている。しかし、高名でありながら、現代ではだれも原文を読まない本のひとつ。
これを研究者、評論者としてではなく、一般読者として全文読んだと書いている人、私は松岡正剛しか知らない。もっとも、正剛も漢文をそのまま読んだのではなく、書き下し文のほうである。書き下し文だって相当なしろもの。
私には、とても読む気になれない。はい、今回のラ行、読んだことのある「ラ」の著者がみつからなかったから、ちょっと、違反。私は正剛の書評を読んで、「読んだつもり」になっただけ。
今年の夏休みに、ちょっとした必要があって、黄門様の水戸史観が幕末の知識人や草もうの志士たちにどのように影響を与えたか調べてみたことがある。それで、山陽の日本外史についての概略も知った。(ちょっとした必要ってね、三谷幸喜作、香取慎吾主演の関係です。単なるミーハー趣味)
今回の話題は、だから、日本外史の中味についてではなく、外見、すなわち漢文についてである。
中国人に言わせると、頼の漢文も含めて、日本の漢詩文はきわめて日本的であり、中国人なら絶対に書かない漢文だという。
読んで意味はわかるが、日本人が中国人の日本語発音を「そうじゃないのことあるよ。タメタメ。パカあるよ」と、ステレオタイプに表現するような、そういう漢文だという。
つまり、日本人の漢文は、中国人からみると、日本的に訛っている。
すなわち、千年の間にほとんど中国的ではなくなり、日本化したということだ。
明治の文豪、逍遥、露伴、大正の漱石鴎外はいわずもがな、昭和の荷風、戦後に下っても石川淳あたりまで、漢文教育の命脈は蕩々とながれていた。
戦後教育も進んで、東京オリンピック前後になると、「漢文など古くさい、それより英語をなんとかせん」というかけ声は日増しに大きくなった。猫も杓子も英語えいご。
結果、どうなったか。英語もろくろくしゃべれもせず、日本語言語文化における漢文教育の貢献はきれいさっぱり消えてなくなった。
やっと最近、日本語にとって、漢字漢語の存在がどれほど大きなものだったかが、叫ばれるようになってきた。朱鷺があと「キン」と「ミドリ」の二羽だけになったとき、人々が「ニッポニアニッポン朱鷺を守れ」と、叫びだしたのと同じことである。
まもなく、日本の言語文化から漢語漢文脈のエキスが消えてしまうだろう。ニッポニアニッポンがついに消滅したように。(2003/10月、最後の日本朱鷺キン死す)
私が自分の「言語文化ワークショップ」を「ニッポニアニッポンことばと文化ワークショップ」と名のっているのは、ニッポニアニッポンの消滅、そして日本の言語文化の消滅をうれえる気持ちを表現している。
春庭も、きちんとした漢文教育は受けていない。
高校の国語の時間、週5時間のうち、3時間が現代文、1時間が古文、1時間が漢文だった。それでも週に1時間程度の漢文教育で、論語の初歩、李白杜甫くらいは読んだ。
返り点だの黙字だのに判じ物のように頭をひねりながら読むのは苦手だったし、白文はまるで読めなかったが、書き下し文ならかろうじて意味がわかった。
現在では、この書き下し文すら読めず、四書五経どころか、孔孟老荘から四字熟語までが、風前の灯火になっている。
「弱肉強食」の四字熟語を知らなければ、「四字熟語というと焼肉定食しか思い浮かばない高校生」と、言っても誰も笑わない。実際に焼肉定食しか知らないからだ。
「中年肥えやすくダイエットなりがたし」と言っても、「少年老いやすく学なりがたし」を知らない。サッカー敗戦のあと、「国破れてサントスあり」と言っても、パロディが成立しなくなってしまった。
ニッポニアニッポンの消滅が必至のことになってから、あわてて中国から同種の朱鷺を輸入したように、日本の漢字文化が消滅したら、現代中国語でも導入するかね。
だけど、ご注意!現代中国語では「手紙シューシー」はトイレットペーパーのことですからね。ラブレターのつもりで、うっかり美しい中国娘に「愛の手紙をください」なんていうと、同衾後必要なティッシュペーパーのことかと思われ、頬をはり倒されたりする。
現代中国語で、愛人(アイレン)は正妻のこと。「私の愛人になってください」は、結婚申し込みだから、女性たちよ、申し込まれても怒らないように。
さて、頼山陽の愛人に話が戻る。江馬細香は女流詩人の中で、というより、江戸時代最高の漢詩人である。その繊細な感受性を味わうことが、漢文の素養のないわれわれには、難しい。
漢文教育をおろそかにされた私たちにとって、千年の伝統をもつ言語文化が馴染みないものになってしまったことを惜しみつつ、だからと言って、ご隠居から「どれ、ひとつ漢文訓読の手ほどきをしてあげましょう」などと、申し込まれても、あ、またの機会に、、、、。
私にはできそうもないが、どうせ、英語ものにならないなら、あなた、ひとつ漢文へ趣味を移行しちゃどうでしょうか。
ほら、英語やるには恋人作るのが一番と、私、言ったでしょ。あなた、どうも見ても、横文字の恋人作れそうもなさそうだし。
江馬細香の漢詩 「冬夜」
人静寒閨月廊転
了来書課漏声長
撥炉喜見紅猶在
又剔残灯読幾行
<読み方> 冬夜(トウヤ)
ヒト、シズかにして カンケイ ツキはロウにテンず
ショカを リョウライすれば ロウセイ ナガし
ロを カキタて ヨロコびてミる コウナオ アるを
マタ、ザントウをケズりて ヨむこと イクギョウならん。
語 釈
寒々とした婦人の部屋。 月が廊下を照らすようになった。
割り当てられた本を読む課業を続け、長い時間が経った。
炉に火種がまだ残っていた。ろうそくの芯を切る。
いったいどれほど読み続けたことであろうか。
冬の夜、ひとり静かに書に読みふける江馬細香のほそいうなじが見える。ろうそくの芯をけずって、火をつけるまで、世の愛憎も、こまごまとした日常茶飯事もわすれて、ひとり本に没頭する。
このように冬の夜を本に読みふけってすごした江馬細香は、「ろうそくの火を夜、長々とつけておくと、もったいないから、夜なべで繕い物をせずに、ろうそくのいらない明るいうちにすませなさい」などと、妻に小言を言ったかもしれない山陽の妻として暮らして、幸福になれたか。
更級日記の菅原孝標女のように、本を読むことが無上の喜びだった女は、千年の昔も、江戸の大垣藩にもいたし、現代の東京にも、いるのである。
夫にこまごまと尽くし、夫の世話を焼くことが無上の喜びである女も、それはそれで、幸福な人生であろう。お幸せなこととお喜び申し上げます。
でも、夫の世話を焼くより本を読んでいた方が幸福だ、という女を「いやおまえは不幸な女だ」と、断じなくてもよろしくてよ。
以上は、(何度も書いてしつこいが)、不在のパートナーへの「愛の手紙」でした。
あなたへ。愛人より。
あっ!同衾していないのだから手紙(シューシー)は、必要がなかった。(また、下ネタオチだよ)
<つづく>