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ぽかぽか春庭「山姥」

2015-01-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150117
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(29)山姥

山姥!おばあさんと呼ばれる日
at 2003 11/06 21:24 編集

 子供時代、おばあさんの膝に抱かれていたころは、自分もやがてはおばあさんになるのだなんて、とうてい思えなかった。しかし、もう「おばあさん」は目前。
 息子はまだ中学生だし、自分の孫から「おばあさん」と呼ばれる日は、もう少しあとのことになるだろう。
 が、日本語では親族を呼ぶ「おばあさん」「おばさん」「お姉さん」などが、他人に呼びかける言葉としても使われている。

 八百屋の店先では「お姉さん、大根安いよ」なんて呼び止められている私も、やがては電車の中で若者に「おばあさん、ここどうぞ」と席を譲られて、きっとなり「わたくし、あなたのような孫を持った覚えがございませんので、あなた様からおばあさんと呼ばれる筋合いはございません」とかなんとか言いながら、ずうずうしくも座席にどっしり腰を据える、イヤミな婆あになるに違いない。

 女性には2度の年齢ショックがある。最初は30歳前後のとき。
 見知らぬよその子供から「おばさん」と呼び止められて、ショック!
 「あたしがオバサンだってえ。ちょっと、そこのガキ!いったいどこ見てあたしをオバサン呼ばわりするのよ!こんなに若くて美しいのに」

 2度目は、見知らぬ他人から「おばあさん」と呼びかけられたとき。
 「ちょっとぉ、いったいどこ見て私を~以下同文」

 25歳のとき姪が誕生して、めでたく私は叔母さんになったのだが、ガンとして姪には叔母さんと呼ばせなかった。「おねえちゃん」と呼ばせていたのだ。
 自分が母親になってから、ようよう姪から叔母ちゃんと呼ばれても気にならなくなった。

 息子が遅く生まれて、まだ中学生であるのをいいことに、何かの集まりで年齢さぐり出しトークになると「中学生の息子がいるんですが、これが少しも勉強しませんで、、、」などと言うことにしている。

 すると敵は「中学生を持つ母親ならだいたい、40代、いや22歳で生んで中学1年生の母親なら、13を足して35歳くらいか」なんて勘定しているのがわかる。

 フッフッフ。公称35歳。
 ところが、第2番目のショック!がついに来た。

 11/03に、息子の学校文化祭へ行ってクラスで上演した演劇を見た話を書いた。
 三谷幸喜の脚本が実にうまくて、とにかく笑いっぱなし。ほんとにうまい喜劇作家だ。

 マクベスを演じる一座をめぐるシチュエーションコメディなのだが、セリフのくすぐりやパロディに大ウケ。

 息子は「役をおろされた大根役者」の役なので、自分の出番のほかは奥へはいってしまう。息子が出ていない場面が退屈になるんじゃないかという心配はふっとんだ。

 他の観客は笑わず、私だけが笑い出すこともある。たぶん、中学生には昔のギャグやパロディはわからないし、「軽井沢夫人」なんてセリフで笑えるのは、むかし日活ロマンポルノを見たか、現在クドカンドラマ「マンハッタンラブ」を見ているかだ。

 マクベスがパロディで「もしも明日があるのなら、思いのすべてを言葉にして、君に届けることだろう」なんて、セリフを言ったとき、西田敏行の「♪もしもピアノが弾けたなら、思いのすべてを歌にして~」というのが思い出されてクスクスッ。でも、中学生達にはこの歌わからない。うまれる前の歌だもの。

 私が笑い出すと、他の人もつられて笑うっていうこともあった。中学生の稚拙な演技でもこれほど笑えるってことは、三谷幸喜は天才だ。

 誰よりも大笑いをして帰宅した。笑うのが大好き。笑うと免疫力が高まり、寿命が延びる。笑いは長寿の元である。
 役者は観客に支えられ、観客は役者の演技で寿命を延ばす。

 劇が終わって帰宅した息子に、「どうだった、うまく演じられた?」と、感想を聞く。
 「うん、僕はね。うまくいった。ぼくのセリフ客によくうけてたし。ぼくは裏にひっこんじゃうから、他の人がでているときのことわからないけど、ソンチョーの話だとね。ひとりよく笑ってくれる観客がいて、笑いの起爆剤になってありがたかったけど、おばあさんだから、笑いのテンポが半テンポずれるんだって。そいでもって他の観客がおばあさんにつられて笑うから、観客が笑うころには次のセリフがかぶってしまって、やりずらいったらありゃしない、って言ってた」

 ちょっと待ったあぁぁ!そのおばあさんってのは、まさかまさか、私のことじゃあるまいか?

 村長がうちに遊びに来たとき、私は家にいなかった。
 私は息子の親友村長の顔をよく知っているが、村長は私を知らない。村長は大笑いをしている私を見て、「なんだい、このおばあさんの大笑い」と思いながら演技していたのだ。

 おばあさんだってぇえええ!いったい私のどこ見て、おばあさん呼ばわり、、、と鏡をみれば、皺白髪、、、、そりゃねぇ、見たままを口にする心正しき中学生の感想!

 年齢からいえば、確かにクラスメートのお母さんの中で、私が一番年寄りだ。村長のママなんて、すごく若くてきれい。自分のママから見たら、私がおばあさんに見えたのは、仕方があるまい。私は息子を39歳で生んだのだ。
 私の中学生のときのクラスメートの一人は、39歳のとき、孫が誕生していた。

 というわけで、11/03文化の日は、「春庭、はじめて人様からおばあさんと呼ばれた日、記念日」になったのでした。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.41
(や)山崎正和『世阿弥』

 10/26に、姑と『わらびのこう』を見た話を書いた。
 この映画の中で、市原悦子演じるれんが、山中で生き別れの義妹に出会う。義妹は婚家を出されたあと、里に帰るに帰れず、山の中にひそんで山姥となって生きる。

 山は里に生きられぬ女をそのふところに迎え入れ、山の幸をめぐんでくれたのだ。左時枝演じる山姥は、絵本の中でみた山姥さながらの迫力。
 娘が幼かったとき、山姥がでてくる「日本昔話」を見て大泣きし、夜泣きが続いたことなど思い出した。
 山姥は、各地の伝説に残る山の中に住む老婆。

 世阿弥の能『山姥』は、今の新潟県青海町大字上路を舞台にしている。

 前場。ツレは百万という名の遊女。曲舞(くせまい)の名人で「山姥の山巡り」の舞で評判をとっている。

 百万とお供の一行が善光寺詣のため上路を通る。けわしい山道に都会ものが難儀しているうち日が暮れるが、山の女が宿を貸す。山の女(前シテ)は、自分こそが真の山姥であり、百万が自分を題材にした曲舞で名を上げながら、山姥の心を解していないと恨みを述べる。

 後場では、百万山姥一行が待つうちに、山の女の真の姿、山姥が現れる。その姿は、自然の力を越えたおそろしくおどろおどろしいもの。山姥は山巡りのようすを一行に見せ、自然の秘めた深く壮大な哲理を知らせて山の奥深く姿を消す。

 各地の民話では山姥は私の娘が泣き出したような「人や牛をとって喰う」恐ろしい存在として描かれることが多い。
 だが、世阿弥の描き出した山姥は、もっと深いものを感じさせる。人の世の善悪正邪を越えた、超自然の存在、山野に普遍し季節の巡航の中で巡り来るマレビトの仲間。

 能の詞章である謡曲は、流派に伝えられるうち、上演台本として改変が加えられたり、他の作品、ときには他の作者の作品と組み合わされたりして、元の作者がはっきりわかっていないものも多い。

 能といえば「観阿弥世阿弥」と並び讃えられていながら、世阿弥元清の作だとはっきりしているものは数少ない。『山姥』は、世阿弥の作品であることがはっきりしているもののひとつだ。

 足利将軍義満の愛顧を得た世阿弥、義満没後はあとを継いだ義嗣にうとまれ、佐渡に流される。佐渡でどのように長い配流の生活をおくったのか、などもはっきりわかる資料が少ない。

 それだけに世阿弥の生涯は作家の創作意欲をかき立てる。世阿弥を描いた作品で私が好きなのは杉本苑子の小説『華の碑文・世阿弥元清』だ。

 戯曲では、山崎正和の『世阿弥』。「見られる側の人間」「演じる側の人間」として、権力者の影の存在にあまんじつつ、己の人間存在を大成させる芸能者を描いている。

 ラストシーン、義満の影として演じることをいさぎよしとせず、己を光りの存在としたかった元雅の亡霊、世阿弥をうとんじた義嗣の亡霊が現れる。

 義嗣は「そなたが影法師である限り、そなたに写されてとどまる限り、光りたる者に眠りはない」とうめく。

 いつの世も、光と影は反転する。聖と賤、正と邪、善と悪、清と汚、、、、。人は皆、二面の体と心を持ち、二面が反転し、一転二転、また三転。ころころと、こけつまろびつ生きていくのである。

 生き続けて、聖者のごとき清らかな肉体と心を示す者もいようし、汚濁汚辱のなかにのたうち回るような者もいる。

 むろん、私は猥雑汚濁のごみための中ではい回り、パソコンのごみ箱処理も満足にできないで、「パソコンわかんないんですぅ」と、嘆きつつ、ひとりぬる夜のあくる間はいかに久しき今夜も、「春庭今日も一日中、心も頭もポカポカです」なんぞという足跡をつけてまわるのである。

 今夜もポカポカ。ほっかほかカイロがそろそろ恋しい季節ですね。温ったまったところで、本日はこれでおしまい。
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20150117
 さて、2003年に「おばあさん」と呼ばれた日からはや暦は十二支ひとまわり。私はもうまごうことなき「おばあさん」になりました。パラサイトシングルの娘も息子も結婚できそうにないので、孫からおばあさんと呼ばれることはないでしょうが、孫がいない私でも、ちゃんとおばあさんにはなった。
電車の中で、席をゆずられることもしばしば、おまけに、去年は駅のホームで、新年早々には自転車でころぶし、ほほぅ、老いの実感とはこういうものかと、これから先の老化加速度を前に気をひきしめております。

 16日夜は、ジャズダンスの先生から、アンチエイジングによいというローズマリー入りの石けんをバリみやげにもらいました。アンチにはならなくてもよいと思うものの、まあ、おいおいと我が身の老いを受け入れていきたいと思います。

 「おい老い笈の小文」のコピー、「著者名あ~んの本をめぐる自分語り」残すところ、ゆ、よ、ラ行ワ行となりました。

<つづく>
コメント (6)
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