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ぽかぽか春庭「愛人でいいのと歌う歌手がいて」

2015-01-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
2015122
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(33)愛人でいいのと歌う歌手がいて

 2003年カフェ日記再録「あ~ん」著者名でたどる自分語り。本の紹介「ら:頼山陽」は土曜日24日の掲載といたします。
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愛人でいいのと歌う歌手がいて
at 2003 11/12 13:25 編集

 足跡を辿っていくと、カフェの中には、俳句や短歌を趣味とする人が多い。春庭も駄句戯れ歌が好きなので、短歌や俳句が好きな方へは、できるだけ歌や句の足跡をつけるようにしている。いつも、オバカな句や歌でごめんなさい。

 11/07の「シニア海外協力隊」の「外国語は恋人に教わろう」という話には、「海外ミステリー」さんから
2003/11/09 21:16 mysteries 恋人相手じゃ他のお勉強のほうがもっぱらになりそう・笑
という足跡感想をいただいたので、
2003/11/09 23:45 haruniwa 恋人に英語を教わる気だったが、48手を習う毎日
という足跡レスを返歌。おりかえしのお返事は、「やってられねぇ」でした。すみませんね。ヨタばかりで。

 でも、笑っていただけることが一番の励み。文のお笑い芸人をめざして修行中なのに、いつもスベッてばかりで、壺をはずしっぱなし。

 冬にむかって、これ以上の寒~いギャクは顰蹙を買いそうですが、どうぞ皆様、春庭に顰蹙売ってください。高価買い入れ中。(ネットオークション)

 賛否両論はあろうが、『サラダ記念日』出現は、日本の短詩文芸の歴史にひとつの画期的な事件となった。

 「この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日」筒井康隆パロディ「この柄がいいねとスケが言ったから七月六日はカラダ記念日」(ヤクザがいれずみを女に誉められて、のココロ)

 春庭パロディ「この縮れいいねとレヴィくん言ったから七月六日はソバージュ記念日」(レヴィ・ストロースのパンセソバージュ「野生の思考」と、何にも考えていそうもない、原宿野生の山姥娘のソバージュパーマネントウェイブの掛詞なんですよぅ。下手な戯れ歌、いつも自分ひとりで受けているハメになるので、自作パロディを自分で解説する春庭でした。)

 こんなふうにいくらでも増殖。無限にパロディが生み出されてしまう、口語短歌。われもわれもとサラダ短歌が続出した。

 「嫁さんになれよだなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの」と、詠んだマチちゃんも、今や40歳。まもなく未婚の母になる予定。(10/21報道)

 私としては、勝手な言いぐさですが、駆け込みできちゃった婚とかはしないでほうがいいと思うよ。できちゃった婚の末路を、ようく知っているある人からのご忠告。(ちなみに、あむろちゃんからじゃありません)

 ここはひとつツッパッて、未婚の母で突き進んで欲しい。まちちゃんの短歌にあるように「愛人でいいのと歌う歌手がいて、言ってくれるじゃないのと思う」あれを貫いて欲しいなあ。「言ってくれるじゃないの」と人様に思われることを言わなくちゃね。一般人じゃなくて、文部省国語審議委員だったんだから、万智先生は。

 かって女性文芸者にとって、結婚は決してよい制度ではなかった。
 結婚が自分の文学を作り上げるためにプラスになった人も勿論いる。ただし、本当に夫の存在がおのれの文学の助けになったかというと、それは本人に聞いてみないとわからない。

 林芙美子のように不幸な結婚生活をばねにして文学を大成させた人もいるし。
 宇野千代のように、何度も結婚相手を変え、男の持つ教養すべてを吸い取り、自分の文学の糧にした人もいる。しかも離婚後も元夫を自分の崇拝者として侍らせておいて、99歳で「私、なんだか死なないような気がするんです」と、のたまう。もって見習うべし。

 文壇で夫婦仲良く文芸大成のカップルは、津村節子吉村昭夫妻くらいだろうか。曾野綾子三浦朱門は、妻の文学はともかく、夫のほうは大成したのかどうか。文化庁長官をやってからどうもね。
 牧羊子開高健夫妻。う~ん、妻は小説家じゃないしな。現代では、小池真理子藤田宜永は夫婦で直木賞受賞。

 女性作家にとって、理想の夫婦関係は三浦綾子光世夫妻だろうか。夫は妻を支え妻が作品を生み出すことを生き甲斐として尽くした。
 
 結婚制度に足をとられ、文学への夢を断った女性作家も多い。そして、文学への夢断たれるのみならず、心を病むひと、命断たざるを得ないまでに追いつめられた人も。

 独身を貫いた一葉に「結婚できてうらやましい」と、日記に書かしめた明治の女流作家、田沢稲舟。
 作品を発表しはじめたときは、樋口一葉以上の評価を得ながら、結婚によって死へと向かった。一葉の高名に比べ、今では明治女性文学史研究者でもなければ作品を読まず、その存在を知っているのは、地元の郷土文芸愛好家くらい。

 明治文壇随一の美男、山田美妙(硯友社、言文一致仕掛け人のひとり)の夫人となったが、幸福の絶頂にいたのは、ほんの短い期間。すぐに美妙の女癖の悪さに泣かされ、ぼろぼろになった。
 実家に逃げ戻って自殺。代表作『五大堂』は、青空文庫で読めます。

 江口きちも結婚制度を乗り越えられなかった。
 愛した人は結婚の約束を口にしながら、「息子が中学校に入学するには親がそろっていないと」「息子が卒業するまでは」と、約束を踏みにじり続けた。きちは不実な愛人をなげきつつ、知的障害のある兄をかかえながら、必死で働き短歌を作り続けた。
 
 自分が死んだら誰が兄の世話をするのかと、迷っていた江口きち、最後は兄を道連れにして自殺。

 江口きちも、地元の人にしか知られていない。
(群馬県立土屋文明記念館で2001年に江口きち特集の催しを行ったので、資料が必要な人は記念館へ)

 金子みすずも、結婚生活の不幸から自殺を選んだ。しかし、みすずは今や全国区となり、地元ではみすずを「町おこし」にさえ利用している。

 女性文芸者にとって、結婚制度の中でおのれの人生と文学をまっとうするのはかくも難しい。結婚制度の枠外で「愛人でいいのと歌う」ことができるとしたら、幸福なことだ。

 愛人のまま、己の文芸を昇華させ、結婚はしないまま愛する人の執筆をも大成させた文芸者も存在した。江戸時代の漢詩詩人江馬細香。

 細香について知るには、南條範夫の小説『細香日記』を読むのが、一番てっとり早い方法。

 ただし、私は南條が描いた細香には不満がある。南條は細香を「結婚できなかった女」「頼山陽の子を身ごもり死産、という不幸にもあいながら、他の女に妻の座をとられた女」として描いているからだ。

 結婚制度の幸福を信じていた南條にとっては、細香は「妻の座を得ることができなかったかわいそうな才女」かもしれない。だが、本当に細香は妻の座がほしかったのか。結婚を望んだのか。

 残された漢詩作品を見る限りでは、私には細香が「結婚をのぞみながら妻の座を得ることができなかった女」には思えない。

 たしかに、山陽は、山陽以上に才気にあふれ、江戸の漢詩人中、第一の才能と謳われた美人の細香を愛人のままに遇した。妻には、元女中として召し使っていた女を選んだ。夫のためにこまごまと世話をする妻としては、凡庸ではあっても気のいい女がよかったのだ。

 もし、細香が山陽の妻となっていたら、どうだったか。
 日本の文芸者夫妻の中にたとえれば、高村光太郎智恵子夫妻のようになったのではないか。

 智恵子はあふれる才能を結婚生活の中に押し殺し、萎縮し摩滅させた。
 夫、光太郎は妻の精神が異常をきたすまで、家事雑事いっさいを智恵子に押しつけ、自分は詩や彫刻の制作にはげむ生活を疑ってみることもなかった。

 妻は家事をして当然と思っており、妻にも、表現の意欲や才能を発揮したいという欲望があることなど、まったく念頭になかった。

 結婚前の長沼智恵子は、平塚らいてうの「青鞜」の表紙を描いていた才能ある画家だった。(平塚らいてうについては、10/24参照)

 結婚前光太郎は、智恵子の美しさとともに彼女の才気を愛したはずだ。しかし、芸術家の妻にとって、夫の制作を助けることを喜びとし、「夫が作品を仕上げること」が最優先とされた。

 自分がどんなにスケッチをしたくなっても、夫が「お茶!」と一声叫べば、七輪に火をおこし、やかんに水を汲まなければならない。智恵子はしだいに精神の平衡を失っていった。

 天才詩人にして彫刻家である芸術家光太郎。
 妻が健康なときは女中として扱い、心を病んでからは「美しい無垢の人形」のように扱って、病む智恵子の美と愛らしさを賛美する詩を残した。

 智恵子は、人形としてかわいがられたかったのではない。自分のもつ絵の才能を、思う存分生かしたかっただろうに。

 私は『智恵子抄』の詩が大好きだ。レモン哀歌も、東京にはほんたうの空がないといふ、、、も繰り返し読む。

 だが、病室で訪れる夫を待ちながら切り絵をして過ごすしかなかった智恵子の姿を思うと、思う存分絵を描かせてやりたかったと、考えてしまうのだ。

 江馬細香は、みごもった山陽の子を不幸にも死産してしまう。だが、細香が子をなしていたとしても、凛としてひとりで育てていったような気がする。

 山陽の妻として、家事に没頭し、山陽の世話にあけくれるよりは、実家で子を育てながら、漢詩文芸を大成させる方を選んだような気がする。

 現代において、法律上の結婚と事実婚の差は縮まりつつある。事実婚が昔ほどの差別を受けることが少なくなり、相続などで法的に事実婚の妻を遇する判例も出てきた。

 法的結婚をなぜ守らなければならないか。近代国家の諸制度を守るためである。なぜ近代国家の諸制度を守らなければならないか。近代産業社会の共同体は、これらの制度によって成立しているからである。

 近年の女性史研究によって、江戸時代の女性のほうが、はるかに結婚離婚の自由があったことが明らかにされている。三行半(みくだりはん)とは、「正式に夫から離別されたことを認め、再婚の自由を得る」ための保証書であった。

 留学生と家族の話をするとき、姑のことを「I have a step mother in low. 」と紹介する。「法律上の義理の母」である。
 次に夫の紹介。「Also I have a step husband in low. I am a workholick widow」と紹介すると、受ける。我が法律上の夫は、仕事と事実婚しています。

 妻の座は法的に守られているが、「座」なんてあっても仕方がない。見捨てられたまま、法律上の妻は歌い続ける。

 北の宿の冷え座布団に静座して読んでもらえぬラブレター書く

 この「座」、お尻が冷えんのよ!ほらほら、座布団一枚!(毎度おなじみのギャグです、、、)

 どうせ読んでもらえないんだし、これからは「♪着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます」でも、やろうか。
 昔は手編みのセーター編んでプレゼントしたこともあったのよ!あれ?あのセーターは夫にではなく、その前の、、、いや前の前の、、、はい、どれも着てはもらえぬセーターでした。

 と、冬支度。ここのところ急に寒くなったのは、春庭のサブ~イギャグのせいだったかも。ごめんなさいね。自分だけ心も頭もぽかぽかで。。
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20150122
 回を追うごとに、一回分の長さが長くなり、ついに、「読んでもらえぬブンショーを寒さこらえて書いてます」状態になったため、1回分を半分ずつにわけて掲載します。後半の本紹介は「ら:頼山陽『日本外史』」を選びましたが、「ら」の著者が頼山陽しか見つからなかったための一冊選定で、内容は、江馬細香についてです。
コメント (2)
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