春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「昔の名前で出ています」

2015-01-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150127
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(36)昔の名前で出ています。

2003年春庭カフェ日記の再録。昨日の「身勢打鈴シンセタリョン」の続きです。
~~~~~~~~~~~~

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.46
(り)李 恢成『砧をうつ女』

 李恢成は、文壇デビュー時は、「り かいせい」と名乗っていたが、現在では「い ふぇそん」これも、アイデンティティのための大事なことだ。

 李恢成は1970年『伽耶子のために 』で注目され、1971年『砧をうつ女』で芥川賞を受賞した。

 最初に「砧」という言葉をきいたとき、「み吉野の 山の秋風 さ夜更けて ふるさと寒く 衣打つなり」が頭にあったから、木のつちで布地をうってつやを出す、織物の作業が思い浮かんだ。

 砧は、この作業に使う台、きぬ板の転とあるので、この「砧をうつ女」も、織り上がった布地を打って柔らかくツヤ出しているのだろうというイメージが先行した。

 だが、李恢成の「砧うつ」は、織物作業ではない。もっと日常的な洗濯ものの始末。洗濯物のしわ伸ばしをするために、火のしを使わず、重ねた服の上に布地をかぶせて、上から砧で打つ。そうするとしわが伸びる。いわばアイロンかけに当たる家事労働であった。

 また、先日みた『おばあちゃんの家』で、おばあちゃんが川で洗濯をするシーン。おばあちゃんはつちで洗濯物を打つ。あ、砧をうつ女の砧とは、このように洗濯のために水につけた布を打つこともあるのか、と思った。

 砧をうつのは、織った布を仕上げるにも行うが、それよりももっと日常的に、毎日毎日の洗濯のために打つことなのだ。

 炊事と洗濯。もっとも日常的な「家事」。女達は、洗濯をしながら、炊事をしながら、物思いにふける。過去の思い出にひたり、明日を思い煩う。

 もうひとつ、女が打ちつける物音。「身勢打鈴」は身の上話という意味。我が身を手で打ちリズムをとりながら、おのれの一生を語り続ける。

 『砧をうつ女』は、終戦直前の少年の目をとおして、朝鮮半島から日本にやってきて結婚し、子供を産み育てた母親の姿を描いている。

 少年はじっと母を見つめる。母は砧をうつ手を止めない。リズミカルに砧は動き、来し方の自分の半生を打ち出すかのように、布を打つ。

  張述伊(スエ)が没したのは、戦争が終わる十カ月前だった。「僕」はそのとき9歳だった。三十三歳で短い女の一生を終えたスエ。

 「僕」の祖母は娘の追憶にふけり、娘のことを語った。それは身勢打鈴(シンセタリヨン)という鎮魂歌。祖母は身勢打鈴を歌い続けることによって「僕」を母にまつわる伝説の継承者に育て上げた。祖母から母の身の上を聞き、「僕」が引継ぎ語っていく

 娘時代からスエは気性の勝った女だった。砧を打って一生を過ごす村の娘達とは違っていた。両親を説得し、娘は川を素足で渡った。ひとり前見て日本へ向かった。約束した三年がすぎても、両親の家に帰らなかった。炭鉱で知り合った男と所帯を持った。

 北海道へ、また樺太へ。帰郷したのは1931年、十年ぶりのふるさとだった。スエは6歳の「僕」をつれ、パラソルをさし和服を着ていた。

 スエは流れ者の夫を、安住させたいと思っていた。「どこまで流されて行くの」と言いながら、衣服を砧で気長に打っていた。

 砧を打ちながら、何を考えていたのだろう。スエは夫と喧嘩のあと、「こんな生き方耐えられない」と、家を出て行こうとした。
 「僕」は母の前に立ちはだかり、出ていこうとする母を押しとどめた。母が死んだのはそれから十カ月経ってからだ。

 スエは「砧をうつ女」などになりたくなかった。だから日本へ渡ったのだ。
 だが、娘として、母として、妻として、「砧をうつ女」にならざるを得なかった。

 親を思う娘、6人の子どもの母として。スエは結局砧を打った。流されていく夫を嘆き、結局トントン砧を打った。

 平凡な村の女になりたくない、夢や希望をもっていたい。だが、日本でもスエは夢を得られなかった。「砧をうつ女」として生きるしかなかった。

 日本で、流されるままに生きることもできただろう。しかし、スエは村を選んだ。「砧をうつ女」として生きた。

 小さな村をでることもなく、一生「砧をうつ女」として暮らすのは、村や家族のしがらみの中で生きること。自分らしい生き方を求めることなく、毎日を平凡に暮らす生き方。

 安定していて安全で、共同体に守られて。スエはそれを望まなかった。望んでいぬのに、砧を打った。とんとん打って夫を思った。トントン打ち付け子供を思った。

 茫として流されていく日常を、押しとどめようとトントン打った。力強い女の意志で、洗濯物をトントン打った。

 新屋英子ひとり芝居「身世打鈴」 は、 八十歳になる朝鮮人オモニ申英淑の身の上話。
 済州島から日本へやってきて、強制労働や屑拾いなど、過酷な人生を歩んできた在日のオモニ申英淑。80年の過酷な一生にくらべれば、春庭などはまだひよっこ。

 春庭の「笈の小文」も身勢打鈴。
 身の上話をする価値もないが、いま、私には語ることが必要なのだ。ぶっ壊れそうな日常の中、私はとんとんキーボード打つ。

 愚痴やぼやきやうらみやつらみ。女がひとりどう生きたか。「身勢打鈴」で語ってうたう。申英淑には及びもないが、上州女のひとり芝居。さあさ、語るよ。聞いておくれな。
 キーボードをば、とんとんとん。昔の名前はちえのわです。
~~~~~~~~~~

20150127
 ブログ名やIDをいくつか使い分けています。mixyで「ちえのわ」と名乗っているのは、私が蜜柑と呼んでいる姪が、mixyでは「ハルさん」を名乗っているので、ハルがかぶらないようにするため。その他のネットでは、ほとんどが「春庭、HAL-niwa haruniwa」です。co-HALという名乗りは、アントニオJr.ziziさんのサイト専用。大阪の方なので、坂田三吉おつれあいに敬意を表して小春と。

 名前はアイデンティティの基本。春庭を騙ることで少しは本居春庭のことばへの緻密な論考と根気を分けてもらおうと思っているのですが、それはなかなか。ただ、ことばへの情熱は受け継いでいけそうな気がします。

<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする