20150110
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十五夜満月日記1月年始(3)走り続けてセカンドライフ
毎年正月2,3日は、娘息子とあれこれ話しながら、箱根駅伝を見てすごします。
箱根の山を駆け上った今井正人や柏原竜二続く「新・山の神」のニックネームはどうなるのか。本名が「神野大地」だから「箱根の山の神の大地」か、などとたわいのない会話ですごす。正月早々、金はないが、家族なごやか、ありがたいことです。
娘は母校が久しぶりに優勝候補になったというので、復路も、気合いを入れて見ていますが、在籍校がそもそも駅伝と縁のない息子は、居眠りしながら見ているし、私もまあ、シード守れればいいや、くらいのテンションなので、それほど身を入れて見ていない。新聞の漢字クイズを解きながら見ていました。
漢字五文字の列、「○閣○辞職」は、すぐに「内閣総辞職」とわかるし、「征夷○○軍」は、「征夷大将軍」。「○舞○○墳」は、「石舞台古墳」、「○浪○○男」は、「白浪五人男」と推理する。しかし、次なる五文字の列、前半三つに「曾根崎」と入ったので、すかさず後半二字を「心中」と入れてしまった。ここから、調子が狂います。通常はすらすらと運ぶ漢字クイズが、うまくいきません。
正月早々漢字でつまずいたのでは、今年のウンも逃げてしまうと思い、娘に助け船を求めました。私は辞書は1度もひかずにクイズを解くのがポリシーですけれど、娘は遠慮なしにケータイの辞書機能を使います。
娘は「曾根崎のうしろには、心中でなくて天神を入れるんじゃないの」と、教えてくれました。私は「曾根崎」とくれば「心中」と思い込んでしまい、そのほかの語を考えてもみませんでした。脳が硬直しています。曽根崎心中とお初天神が分離していました。
熟語を作っていって、納得できない四文字ができました。「干将莫邪」という語を「こんな言葉、知らない」と私がいうと、娘はまたケータイの辞書をひいて「中国古代の名剣の銘。干将と莫邪という夫婦が作った刀剣のなまえ」と教えてくれました。「日本の刀剣名でも村正くらいしか知らないのに、中国の刀の名前までは思い及ばなかった」
近頃のケータイは便利ですねぇ。
調べてみれば、「干将莫邪」という中国の刀剣の銘は、今昔物語や太平記にもその名が登場する名剣なので、今まで知らなかったのは、古典をしっかり学んでいない証拠。「たかがクイズ」ですが、勉強になりました。
娘のヘルプのおかげで、67文字の漢字がすべてわかって、箱根駅伝大手町のゴールは、夫の母校も娘の母校も「残念、また来年に挑戦」となり、私の出身校は、「まあ、シードはとれたんだから、いいんじゃネ」という成績でした。
テレビの実況中継では、レポーターが「4年生、これがラストランになります。この選手は、卒業後は公務員になるそうです」など、選手の動向を放送しています。
箱根出場選手20校200人の選手のうち、実業団などで選手生活を続けられるのはほんの一握り。これは甲子園出場の野球選手のうち、プロ野球選手になれるのがほんの一握りであるのと同じこと。
学生時代の花形スポーツ選手も、卒業後の生活はさまざまです。
学習院大学時代に関東学連選抜の選手として箱根駅伝に2度出場した川内優輝さん。卒業後は埼玉県立高校職員として働いています。実業団からのオファーもたびたびあったということですが、仕事をしながら、市民ランナーとして活躍しています。しかし、川内さんのような選手はまれな存在です。
その点、ソチオリンピックで5位入賞そのあとの世界選手権では銀メダルを獲得し、今後も活躍していくものと思っていた町田樹選手が、フィギュアスケート全日本選手権を最後に選手生活から引退すると宣言したことは、驚きではあったものの、見事な決断と思いました。もともと本を読むことが好きで、愛読書は、ドイツ哲学者ヘーゲルの『美学講義』。 スポーツ選手のインタビューコメントからすると一風変わった発言を聞いて、「また、町田がおもしろいこと言った」と、家族で楽しみにしていました。将来は研究者になって、「スポーツ選手のセカンドキャリアについて研究したい」という町田樹、応援したいと思います。
私も、同年齢の人々のように、現役の職業生活を引退して、悠々年金生活といきたい年齢になりました。
しかし、残念ながら、私には余生を送るに足る年金がありません。現役で働き続ける選択肢しかありません。
気力はあるけれど、体は確実に年をとりました。老骨にムチ打って、国立大学雇い止めになる3月以後の仕事を探しているところです。
しかし、探し始めてみると、私にはなんの取り柄もないことが、よくわかりました。1988年に日本語教師になって以来、大学で20年間教えてきたことも、博士号をとったことも、何の評価にもなりません。研究者としての業績もなし。授業の実践研究をばりばり発表してきたわけでもなし。
受け持った授業は誠心誠意、学生のためにとがんばってきたつもりでしたが、そんなことはなんの評価にもならない現実。
今頃こんなことを言うのは自分が悪い。何本論文がジャーナルに掲載されたか、学会で発表を何度やったか、その数だけが業績として評価される業界にいたのです。「教育」は片手間にして、学生のことなど脇道において、論文本数を稼ぐことが正解だとわかっていながら、そうしないできた報いですから、しかたなし。
「
今まで教師として使ってもらえたこと、実はラッキーなだけで、この年になって仕事を探そうとしても、なんの目当てもないことがよくわかりました。
2015年、どうやら我が家には暗い1年になりそうな気がします。でも、きっと道はあると信じて、箱根への往復を走り抜いた選手達に勇気をもらいながら、歩き続けることとします。
仕事、いっしょうけんめい探します。
<おわり>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十五夜満月日記1月年始(3)走り続けてセカンドライフ
毎年正月2,3日は、娘息子とあれこれ話しながら、箱根駅伝を見てすごします。
箱根の山を駆け上った今井正人や柏原竜二続く「新・山の神」のニックネームはどうなるのか。本名が「神野大地」だから「箱根の山の神の大地」か、などとたわいのない会話ですごす。正月早々、金はないが、家族なごやか、ありがたいことです。
娘は母校が久しぶりに優勝候補になったというので、復路も、気合いを入れて見ていますが、在籍校がそもそも駅伝と縁のない息子は、居眠りしながら見ているし、私もまあ、シード守れればいいや、くらいのテンションなので、それほど身を入れて見ていない。新聞の漢字クイズを解きながら見ていました。
漢字五文字の列、「○閣○辞職」は、すぐに「内閣総辞職」とわかるし、「征夷○○軍」は、「征夷大将軍」。「○舞○○墳」は、「石舞台古墳」、「○浪○○男」は、「白浪五人男」と推理する。しかし、次なる五文字の列、前半三つに「曾根崎」と入ったので、すかさず後半二字を「心中」と入れてしまった。ここから、調子が狂います。通常はすらすらと運ぶ漢字クイズが、うまくいきません。
正月早々漢字でつまずいたのでは、今年のウンも逃げてしまうと思い、娘に助け船を求めました。私は辞書は1度もひかずにクイズを解くのがポリシーですけれど、娘は遠慮なしにケータイの辞書機能を使います。
娘は「曾根崎のうしろには、心中でなくて天神を入れるんじゃないの」と、教えてくれました。私は「曾根崎」とくれば「心中」と思い込んでしまい、そのほかの語を考えてもみませんでした。脳が硬直しています。曽根崎心中とお初天神が分離していました。
熟語を作っていって、納得できない四文字ができました。「干将莫邪」という語を「こんな言葉、知らない」と私がいうと、娘はまたケータイの辞書をひいて「中国古代の名剣の銘。干将と莫邪という夫婦が作った刀剣のなまえ」と教えてくれました。「日本の刀剣名でも村正くらいしか知らないのに、中国の刀の名前までは思い及ばなかった」
近頃のケータイは便利ですねぇ。
調べてみれば、「干将莫邪」という中国の刀剣の銘は、今昔物語や太平記にもその名が登場する名剣なので、今まで知らなかったのは、古典をしっかり学んでいない証拠。「たかがクイズ」ですが、勉強になりました。
娘のヘルプのおかげで、67文字の漢字がすべてわかって、箱根駅伝大手町のゴールは、夫の母校も娘の母校も「残念、また来年に挑戦」となり、私の出身校は、「まあ、シードはとれたんだから、いいんじゃネ」という成績でした。
テレビの実況中継では、レポーターが「4年生、これがラストランになります。この選手は、卒業後は公務員になるそうです」など、選手の動向を放送しています。
箱根出場選手20校200人の選手のうち、実業団などで選手生活を続けられるのはほんの一握り。これは甲子園出場の野球選手のうち、プロ野球選手になれるのがほんの一握りであるのと同じこと。
学生時代の花形スポーツ選手も、卒業後の生活はさまざまです。
学習院大学時代に関東学連選抜の選手として箱根駅伝に2度出場した川内優輝さん。卒業後は埼玉県立高校職員として働いています。実業団からのオファーもたびたびあったということですが、仕事をしながら、市民ランナーとして活躍しています。しかし、川内さんのような選手はまれな存在です。
その点、ソチオリンピックで5位入賞そのあとの世界選手権では銀メダルを獲得し、今後も活躍していくものと思っていた町田樹選手が、フィギュアスケート全日本選手権を最後に選手生活から引退すると宣言したことは、驚きではあったものの、見事な決断と思いました。もともと本を読むことが好きで、愛読書は、ドイツ哲学者ヘーゲルの『美学講義』。 スポーツ選手のインタビューコメントからすると一風変わった発言を聞いて、「また、町田がおもしろいこと言った」と、家族で楽しみにしていました。将来は研究者になって、「スポーツ選手のセカンドキャリアについて研究したい」という町田樹、応援したいと思います。
私も、同年齢の人々のように、現役の職業生活を引退して、悠々年金生活といきたい年齢になりました。
しかし、残念ながら、私には余生を送るに足る年金がありません。現役で働き続ける選択肢しかありません。
気力はあるけれど、体は確実に年をとりました。老骨にムチ打って、国立大学雇い止めになる3月以後の仕事を探しているところです。
しかし、探し始めてみると、私にはなんの取り柄もないことが、よくわかりました。1988年に日本語教師になって以来、大学で20年間教えてきたことも、博士号をとったことも、何の評価にもなりません。研究者としての業績もなし。授業の実践研究をばりばり発表してきたわけでもなし。
受け持った授業は誠心誠意、学生のためにとがんばってきたつもりでしたが、そんなことはなんの評価にもならない現実。
今頃こんなことを言うのは自分が悪い。何本論文がジャーナルに掲載されたか、学会で発表を何度やったか、その数だけが業績として評価される業界にいたのです。「教育」は片手間にして、学生のことなど脇道において、論文本数を稼ぐことが正解だとわかっていながら、そうしないできた報いですから、しかたなし。
「
今まで教師として使ってもらえたこと、実はラッキーなだけで、この年になって仕事を探そうとしても、なんの目当てもないことがよくわかりました。
2015年、どうやら我が家には暗い1年になりそうな気がします。でも、きっと道はあると信じて、箱根への往復を走り抜いた選手達に勇気をもらいながら、歩き続けることとします。
仕事、いっしょうけんめい探します。
<おわり>