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ぽかぽか春庭「出発前のボリショイサーカスやら納涼会やら」

2015-08-01 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150801
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2015十五夜満月日記8月(1)出発前のボリショイサーカスやら納涼会やら」

 未知の国に出かける前というのに、何も準備することなく、買えるものは現地で買う、買えないものは2ヶ月間不自由をしのんで、10月11月の一時帰国のときに買えばいい。12月からの本格赴任からが、勝負なんだから、と、いいかげんな月日をすごしました。

 7月12日、講談社野間美術館で「近代日本の洋画展」をみたあと、姑宅にお盆のご仏前を持って行きました。
 毎年お盆の舅供養は、8月の旧盆にお参りに行っていたのですが、今年はお盆に日本にいないので、東京式の新暦お盆に切り替えてお参り。姑は娘といっしょに徒歩10分ほどの隣町のスーパーに行って買い物を済ませてかえってきたところでした。「店頭のワゴン販売で安売りしてたから」と、夏用の下着を買ってきて買い物好きの気分を満足させていました。
 娘は「お父さんがまだ一人歩きさせちゃダメって言っているから内緒なんだけれど、昨日もひとりで買い物してきたんだって」と、こっそり教えてくれました。姑、日に日に元気になってきて、デイサービスの活動だけでは物足りないらしい。

 7月16日に、ヤンゴンで担当する仕事の最終打ち合わせ会に出席。
 7月20日に、姑風邪で倒れ救急入院。火曜日娘、水曜日息子、木曜日私、金曜日娘と息子、土曜日息子、日曜日娘というローテーションで病院つきそい。風邪以外の症状は出ていないけれど、90歳という年齢から、医者はいろいろ検査をしたがり、入院は1週間ほど、という診断です。

 7月24日。娘息子と「出発前の壮行会ランチ」と、ボリショイサーカス見物。
 娘息子が幼かった頃、毎年夏に、一家の「無料の夏」のお楽しみとして、区主催の蛍見学会、招待券をもらってのボリショイサーカス見物、無料の土手席での花火見物。を楽しんでいました。東京都や企業の「無料イベント」にせっせと応募して、「神津島一泊旅行」とか、「秋川渓谷川遊び」「千葉の牧場乳搾り」など、なんらかの夏のイベントを獲得して、夏休みの宿題「夏の思い出」のネタ作りをしてきたのです。

 娘息子の成長後、ボリショイサーカスの招待券応募もしなくなっていたのですが、今年は「ヤンゴン行き壮行会がわりのお楽しみ会」として、いっしょにボリショイサーカス見物をすることにしました。むろん、招待券ゲットです。
 自由席招待券をS席アップグレードするのに1枚2000円。サーカスの前にランチを食べるくらいの行楽費はかろうじて確保しました。海外旅行だホテルのサマー宿泊サービスだというような高額行楽とはなかなか縁がないですが、格安ランチ程度のぜいたくをして、「がんばれ!母!!しっかり出稼ぎしてきて、パラサイトイブ&イブ弟を食わせてやりなさい」という壮行会です。

 久しぶりに見たボリショイサーカス。熊のサーカス犬のサーカス、どちらも芸達者でかわいかったのですが、猫のサーカスは、「かわいかったけど、これをS席でなく招待券のB席で見ていたら猫が遠くに小さく見えて何かやってる、くらいにしかわからなかったかも」
 定番の空中ブランコもピエロの芸も、これまで通り楽しかった。

 ランチは、千駄ヶ谷東京体育館のすぐ近くのステーキ屋で。1kgステーキというのを頼みたかったのだけれど、それは夜のディナーのみだというので、ふつうのステーキランチを注文しました。

 24日金曜日夜は、ジャズダンスサークルの納涼会兼発表会打ち合わせ兼イナちゃん壮行会。
 「ヤンゴン出発前に、壮行会としていっしょに飲みましょう」というありがたい申し出のさまざまなおつきあいも、「すみません、準備がととのっていないので」と、あらかた断りました。
 唯一、「毎年恒例の、ジャズダンス練習後の納涼会」のみ参加。これは、今年の発表会の打ち合わせ会も兼ねている会になっており、しかも、来年のダンス納涼会はないかも、という予想から参加したのです。
 今年いっぱいで、ダンスサークルが「一時休部」という名の閉会になるかも知れないのです。高齢化による怪我や病気で、会員が減りつづけ、会を維持できるのは、今年いっぱいが限度だろうと、会計係からの報告。

 指導を続けてくださっていたダンス講師の先生が、昨年癌手術を受け、体調が完璧復活ということにはなっていない、という事情もあります。サークルの発足メンバーでもあるミサイルママが、来年の3月からは、パートナーさんの住む逗子に生活の基盤を移すことが決まっている、という事情もあります。ミサイルママは「彼と別れたらまた戻ってくるから」というのですが、来年は当分ダンス練習には参加できない、とのこと。

 パスタ屋でピザやスパゲッティを食べながらおしゃべり。5人に減ってしまったメンバーと、今後の運営打ち合わせをしながら、ピザ2皿スパゲティ3皿、サラダ1皿、パンケーキ1皿が5人のおなかに。

 7月27日、出講先の学部長への挨拶。
 来年は私がヤンゴン赴任のため授業を担当できず、再来年は、学部再編で今授業を行っている学部が閉鎖されて新学部になり、担当授業が閉鎖される、ということで、私の出講は7月27日が最終日となりました。学部長から「これまでのお礼を申し上げたい」という申し出があったので、ご挨拶しなければなりません。

 2003年から12年間日本語教師養成コースの授業を担当してきました。残念ではありますが、私立大学は生き残りをかけて、より就職率のよさを見込めそうな学部学科に再編をしています。トップ私立は大学の名前だけで就活できますが、トップ以下の大学は、学生確保のため、どこもわけのわからない学部学科再編をやっています。
 文科省は「文科系学部はいらない」とまで言ってきたのです。

 学部長からは、A4用紙にぺらっと印字された「これまでの授業担当において本学の教育に寄与され~うんぬんかんぬん」の形式的な挨拶文。まあ、これまでご苦労さんでした、という学部長の挨拶をうけて、この日かぎりにこの大学とは縁が切れます。やむなし。
 実は、学部長の挨拶、早くおわれ、と胸のなかでつぶやいていました。姑の病院へ行く予定だったからです。

 最寄り駅から直通で横浜中華街行きに乗れるはずだったのに、3回も乗り換えしなければならなかったけれど、姑入院中の病院へ。昼ご飯食べずに電車に乗ったので、駅前の吉野家で腹ごしらえしてから姑の病室へ。
 姑は4人部屋に不満。いくつかの病室に共同のトイレがひとつしかないのが不満。病院食のおかずの種類が少ないのに不満。不満とグチを並べて「早く家に帰りたい」と、訴えます。

 娘も「毎日グチ言ってるんだけれど、退院のミーティングは木曜日に決まったから、それまではがまんしてもらわなくちゃ」と、言います。
 娘が入院させたときには、ぐったりして「いつ入院したのかわからない」というくらいの状態だったので、不満がでるってことは、元気になってきた証拠。

 姑、8月1日土曜日に退院。娘と夫が病院へ迎えに行き、息子は姑宅で出迎え。私は出発準備のため、出迎え免除。

 7月最終週は、今期の成績提出の週です。レポートの内容、出席率、授業内発表などの活動、あれこれまとめて評価を出し、これで、やり残したことないでしょうね。
 3月まで担当していた日本語教科書も、いよいよ出版社に最終稿が渡ったそうで、夏休み中に印刷。後期の学生には製本されたものを使ってもらえます。2期1年使ってみて、さらに誤植誤記をなおして、市販されるのは2年後か3年後か。

 8月2日日曜日には、姪の結婚式があるし、ヤンゴン出発準備はまだまだです。スーツケースの鍵がみつからない。3月にたくさん買った南京錠がどこにしまったのか思い出せない。やれやれ。

<つづく>
コメント (6)
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