20150805
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記8月(1)2003年の夏の庭
2003年三色七味日記8月の日記は、すでに2013年8月に再録しています。今回再々録です。同じ日記を何度も再録して気がひけるけれど、8月4日ヤンゴンへ出発で、余裕なし。ヤンゴン日記は8月下旬ころからUPしていきたいと思っています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
2003/08/金 曇りときどき小雨
日常茶飯事典>夏の庭
5時すぎ、車で迎えに来てもらい、よう子さん宅へ。
よう子さんのお父さんは東京から移り住んで畑を開いたが、事業の失敗で土地はほとんど人手に渡ってしまった。今では、お母さんが住む母家、よう子さんの仕事用離れと、家庭菜園と果樹の庭だけが残された。仕事用離れと言っても、洋室2室にキッチンがあり、団地2DKの我が家と同じくらいの広さがある。
いつもジャムを分けてもらう庭の木々。ゆず、みかん、キウイ、柿、いちじくなど、木を見たり、タイム、ローズマリー、フェンネル、オレガノなどのハーブについて教わったり。私には、ローズマリーとタイムの区別もよくわからないのだが、野菜や果物やハーブに囲まれている生活、いいなあ。
よう子さんが夕食の準備をしてくれている間、一人で庭を眺めながら、なんだか子どものころを思い出して、胸いっぱいになる。
子どもの頃の庭。縁側のぶどう棚、玄関脇の柿の木、裏庭のいちじく。 口いっぱいにほうばった坪山のユスラゴ。はたんきょうの木は、アメリカシロヒトリがたかるようになり、お父さんが切ってしまったっけ。
あんずの木は父が子どものころ食べて育った木を接ぎ木した。ついに実がならないままだったが、切ろうとはしなかったのは、子どもの頃の思い出が実となって、父の目に見えていたからだろう。いま、よう子さんの庭を見て、私がこどものころを思い出したように、父は杏の木を見て、自分の子ども時代を思い出していたのだ。
子どものころはうちの庭が不満だった。絵本の中にでてくる、天使像のラッパの先から噴水があふれ、白い大理石の泉にそそぐような、珍しい花々の間をお姫様が散歩をするような、洋風の庭のある家だったらどんなにいいだろうか、と我が家の雑草半分の庭を見ていたのだった。
私が幼稚園小学校の頃、庭の西側は夏になるとダリアの花でいっぱいになった。庭の手入れなどしていないが、球根から毎年花が咲いた。ままごとにダリアをつかうときは「花粉に毒があるから、手につけないように気をつけて」と、注意を受けた。ダリアの花は、夏のままごとのごちそうだった。私たちがままごとをしなくなったら、いつのまにか、ダリアは庭から姿を消してしまった。球根にも寿命があったのかもしれない。
夏の庭。お母さんが洗濯物を干している。姉が「料理やさん」で、お料理を作る。私は「やおやさん」で、庭から花や葉っぱを集めて、料理やさんに売る。まだ幼い妹スモモはお店やさんになれないから「しんよきんこ」になってお金をあずかる。
料理屋さんが開店すると、私と妹が食べに行く。何回か食べるうちに、最初に均等にわけたはずのお金は、いつのまにか料理屋の独占になって、お店やさんごっこは終わりになる。
野菜の値段より料理の値段の方が高くなるのは納得できたが、信用金庫はお金を預かって、利子を付けて返したら絶対損をするとおもうのに、なぜお金を集めにくるのか、さっぱりわからなかった。
スクーターで「きんこおじさん」がやってくる。今月の預金を集めに来たのだ。母は洗濯物を干し終えて、信用金庫勤めの弟に麦茶を出す。私たちはままごとをやめて、止めてあるおじさんのスクーターにまたがり、運転ごっこをはじめる。姉と私と妹を乗せて、スクーターは夏の庭から飛び出し、お日様の向こうまで走り回る。夏の陽は、そろそろ西に傾いてくる。
長じて料理好きの姉、柿実さんが開いたレストランは借金を残してたちまちつぶれてしまった。ままごとではいつも一番お金持ちになるのに、実際の経営ではつけを回収することができなかった。食材や内装にお金をかけ、料金設定は低くしたから、少しも儲からない店だった。料理上手だったけど、金儲けの才能が欠如している我が一族のわくを越えることはなかった。
坂下の土地は木も全部切り倒し、庭はコンクリートで固めたアパートにしてしまった。新しく建てた自宅のローンとアパートのローン両方をかかえて、スモモはずっと、ヒィヒィ言っている。
お母さんが死んで30年、母の弟きんこおじさんが死んで2年。姉が死んで1年3ヶ月。夏の庭は瞼の中に遠い。
よう子さんのお母さん丹精の野菜を使ったトマトサラダとグリーンサラダ(ルッコラがおいしい)。自家栽培のジャガイモやハーブを使ったカレーをごちそうになり、最後は「今年のはよくできた」というスイカ。朝収穫して、冷やしておいたのだって。
カレーもスイカも野菜もとてもおいしかったし、お母さんもとてもいい人。1924年の生まれというから、1925年生まれの姑より1歳年上の79歳。足が弱くなって、犬の散歩ができなくなったというが、ほとんどひとりで畑の世話をしていて、お元気。畑や果樹の世話も健康法のひとつなのだろう。野菜をご近所に分けてあげて「おいしかった」と言われるのが楽しみ、と言う。
夏野菜のおみやげまでいただいて、駅行きのバスに乗る。家に10時半についた。
さっそくトマトを冷やして食べた。とてもおいしいので、トマトぎらいの娘にも「すごくおいしいから、トマトじゃないと思ってたべてごらん」と勧めたら、「おいしい、おかわり食べる」と言い、もうひとつ食べた。
「わたしは、トマト嫌いじゃなかったんだ、まずいトマトが嫌いなだけだった」という娘の感想。
本日のねたみ:うらやましいぞ広いお庭
~~~~~~~~~
20150805
本日より、ヤンゴン生活はじめます。
4日夜から13日夜まではホテル宿泊。そのあと外国人教員宿舎に入る予定です。
大学は、英国植民地時代に建てられた伝統ある建築物です。伝統ある建物、近代建築めぐりが趣味の私には、見て回るには楽しいですが、大学の教室にはエアコンなし。マイケル・サンデル白熱教室のむこうを張って、春庭の灼熱教室開始です。熱中症教室になるかも。
<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記8月(1)2003年の夏の庭
2003年三色七味日記8月の日記は、すでに2013年8月に再録しています。今回再々録です。同じ日記を何度も再録して気がひけるけれど、8月4日ヤンゴンへ出発で、余裕なし。ヤンゴン日記は8月下旬ころからUPしていきたいと思っています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
2003/08/金 曇りときどき小雨
日常茶飯事典>夏の庭
5時すぎ、車で迎えに来てもらい、よう子さん宅へ。
よう子さんのお父さんは東京から移り住んで畑を開いたが、事業の失敗で土地はほとんど人手に渡ってしまった。今では、お母さんが住む母家、よう子さんの仕事用離れと、家庭菜園と果樹の庭だけが残された。仕事用離れと言っても、洋室2室にキッチンがあり、団地2DKの我が家と同じくらいの広さがある。
いつもジャムを分けてもらう庭の木々。ゆず、みかん、キウイ、柿、いちじくなど、木を見たり、タイム、ローズマリー、フェンネル、オレガノなどのハーブについて教わったり。私には、ローズマリーとタイムの区別もよくわからないのだが、野菜や果物やハーブに囲まれている生活、いいなあ。
よう子さんが夕食の準備をしてくれている間、一人で庭を眺めながら、なんだか子どものころを思い出して、胸いっぱいになる。
子どもの頃の庭。縁側のぶどう棚、玄関脇の柿の木、裏庭のいちじく。 口いっぱいにほうばった坪山のユスラゴ。はたんきょうの木は、アメリカシロヒトリがたかるようになり、お父さんが切ってしまったっけ。
あんずの木は父が子どものころ食べて育った木を接ぎ木した。ついに実がならないままだったが、切ろうとはしなかったのは、子どもの頃の思い出が実となって、父の目に見えていたからだろう。いま、よう子さんの庭を見て、私がこどものころを思い出したように、父は杏の木を見て、自分の子ども時代を思い出していたのだ。
子どものころはうちの庭が不満だった。絵本の中にでてくる、天使像のラッパの先から噴水があふれ、白い大理石の泉にそそぐような、珍しい花々の間をお姫様が散歩をするような、洋風の庭のある家だったらどんなにいいだろうか、と我が家の雑草半分の庭を見ていたのだった。
私が幼稚園小学校の頃、庭の西側は夏になるとダリアの花でいっぱいになった。庭の手入れなどしていないが、球根から毎年花が咲いた。ままごとにダリアをつかうときは「花粉に毒があるから、手につけないように気をつけて」と、注意を受けた。ダリアの花は、夏のままごとのごちそうだった。私たちがままごとをしなくなったら、いつのまにか、ダリアは庭から姿を消してしまった。球根にも寿命があったのかもしれない。
夏の庭。お母さんが洗濯物を干している。姉が「料理やさん」で、お料理を作る。私は「やおやさん」で、庭から花や葉っぱを集めて、料理やさんに売る。まだ幼い妹スモモはお店やさんになれないから「しんよきんこ」になってお金をあずかる。
料理屋さんが開店すると、私と妹が食べに行く。何回か食べるうちに、最初に均等にわけたはずのお金は、いつのまにか料理屋の独占になって、お店やさんごっこは終わりになる。
野菜の値段より料理の値段の方が高くなるのは納得できたが、信用金庫はお金を預かって、利子を付けて返したら絶対損をするとおもうのに、なぜお金を集めにくるのか、さっぱりわからなかった。
スクーターで「きんこおじさん」がやってくる。今月の預金を集めに来たのだ。母は洗濯物を干し終えて、信用金庫勤めの弟に麦茶を出す。私たちはままごとをやめて、止めてあるおじさんのスクーターにまたがり、運転ごっこをはじめる。姉と私と妹を乗せて、スクーターは夏の庭から飛び出し、お日様の向こうまで走り回る。夏の陽は、そろそろ西に傾いてくる。
長じて料理好きの姉、柿実さんが開いたレストランは借金を残してたちまちつぶれてしまった。ままごとではいつも一番お金持ちになるのに、実際の経営ではつけを回収することができなかった。食材や内装にお金をかけ、料金設定は低くしたから、少しも儲からない店だった。料理上手だったけど、金儲けの才能が欠如している我が一族のわくを越えることはなかった。
坂下の土地は木も全部切り倒し、庭はコンクリートで固めたアパートにしてしまった。新しく建てた自宅のローンとアパートのローン両方をかかえて、スモモはずっと、ヒィヒィ言っている。
お母さんが死んで30年、母の弟きんこおじさんが死んで2年。姉が死んで1年3ヶ月。夏の庭は瞼の中に遠い。
よう子さんのお母さん丹精の野菜を使ったトマトサラダとグリーンサラダ(ルッコラがおいしい)。自家栽培のジャガイモやハーブを使ったカレーをごちそうになり、最後は「今年のはよくできた」というスイカ。朝収穫して、冷やしておいたのだって。
カレーもスイカも野菜もとてもおいしかったし、お母さんもとてもいい人。1924年の生まれというから、1925年生まれの姑より1歳年上の79歳。足が弱くなって、犬の散歩ができなくなったというが、ほとんどひとりで畑の世話をしていて、お元気。畑や果樹の世話も健康法のひとつなのだろう。野菜をご近所に分けてあげて「おいしかった」と言われるのが楽しみ、と言う。
夏野菜のおみやげまでいただいて、駅行きのバスに乗る。家に10時半についた。
さっそくトマトを冷やして食べた。とてもおいしいので、トマトぎらいの娘にも「すごくおいしいから、トマトじゃないと思ってたべてごらん」と勧めたら、「おいしい、おかわり食べる」と言い、もうひとつ食べた。
「わたしは、トマト嫌いじゃなかったんだ、まずいトマトが嫌いなだけだった」という娘の感想。
本日のねたみ:うらやましいぞ広いお庭
~~~~~~~~~
20150805
本日より、ヤンゴン生活はじめます。
4日夜から13日夜まではホテル宿泊。そのあと外国人教員宿舎に入る予定です。
大学は、英国植民地時代に建てられた伝統ある建築物です。伝統ある建物、近代建築めぐりが趣味の私には、見て回るには楽しいですが、大学の教室にはエアコンなし。マイケル・サンデル白熱教室のむこうを張って、春庭の灼熱教室開始です。熱中症教室になるかも。
<つづく>