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ぽかぽか春庭「2003年の火星大接近」

2015-08-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150820
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記(11)2003年の火星大接近

 2003年8月の日記再録を続けています。
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2003/08/27 水 朝雨、午後晴れ
日常茶飯事典>火星大接近

  午前中Aダンス練習。午後、HPビルダー。
  夜、息子と火星を見た。次の小接近は17年後、今回のような大接近は6万年後、といっても、小接近と大接近の差なんて肉眼や倍率の低い双眼鏡で覗いただけでは区別がつかない。それでも、どうして天文ショウは、ハーレー彗星接近とか流星群とかが人をひきつけるのだろうか。
  自分という存在もまた、宇宙の永遠の輪廻の中のひとつと確認するためなのだろうか。

本日の負け惜しみ:6万年後は無理ですが、17年後に会おうね、マーズ


2003/08/28 木 曇り972
日常茶飯事典>HPビルダーその3 日記公開理念

  ネット上に日記サイトは星の数ほどあるとしても、ひとりの女の数十年にわたる日記を全公開しているサイトは、まだ見ていない。少なくとも私の網にはひっかかっていない。だから、還暦までに、10歳から60歳までの50年間の日記すべてを公開するという計画は、少しは意義があるかもしれない。質は悪いが量で勝負、みたいな。

  全集第二期29巻のほとんどが日記という野上弥生子とか、小説作品以上に日記が文学作品である一葉とか、文学者の日記は出版もされる。一般人の日記でも、戦争とか、震災とか、歴史的な出来事を記録した日記には資料的な価値がある。戦争中の個人記録を残そうとする自分史資料収集の会やサイトも出てきた。だが、今のところ、市井一般の女の平凡な日記など、文学的にも歴史資料にも、省みられることはない。

  しかし、20世紀と21世紀を生きたひとりの平凡な女が、日常をどう過ごし、毎日どんなよしなしごとが胸に去来したのか、ということを記録しておくことが、もしかしたら何らかの役にたたないとも限らない。
  将来、日本学研究者のなかに、「日本語教師自己形成史」なんてのをテーマにしてみよう、という奇特な留学生がでるかもしれない。そのときに、ひとりの教師が小学生の時から、どのように言葉を身につけ、言語作品から影響を受け、自己形成をしていったのかをトレースする材料になれば、こんな日記でも残す意味がある。
  留学生の中に、明治期に海外留学した女性の自己形成史をまとめている人もいるし、明治大正女性の自己形成を調べるため、女性受刑者の裁判記録を調べている人もいる。調書の中に、幼少のころの話がでてくるからだ。

  「日記のメインコンテンツは、妬み嫉み僻み、恨みつらみに負け惜しみ、悩み半分。ふみ読み半分」という開き直りキャッチコピーをつけた。
  「他人の愚痴ぼやきを誰が読むか」という娘の評は正しいが、しかし、文学者の日記でも、滝沢馬琴の日記など、毎日金計算の記録ばかりというではないか。なんでも記録すること。トリビアに神やどる。

  また、何の役にたたないとしても、私のお葬式をするとき、読経のかわりに参列者に一日分づつ日記をマイクの前で朗読してもらい、それが焼香献花のかわりでもある、という「おわかれ会」にしてもらうことにする。娘息子に遺言を残しておくから、坊さんに渡す読経料お布施の節約にはなる。

  銀の匙などくわえずに生まれ、家土地残さず金も残さず生涯を過ごすひとりの女が、たった一つ残すものが「ぐちぼやきの日記」である。この日記は私の人生と等価なのだ。ま、安上がりな人生だったな。

  惜しむらくは、日記を書くようになって以来、7歳8歳9歳の「絵日記」を引っ越しのときなくしたことだ。昔住んでいたアパートの押入の天井裏に画用紙の束を置いておき、忘れてしまった。あのアパートはとっくに取り壊して、絵日記は押入のふすまといっしょに燃えるゴミになったろう。小学校4年生からはノートに書くようにしたので、残っている。

  「学校卒業後、数年お勤め。結婚、出産。子ども二人を育てながらパート勤め」という人生の女の10歳から44歳までの日記が段ボール一箱の中に入っている。
  45歳から10年間は、キャノンワープロフロッピーと、パソコンフロッピーに入っている。保存に失敗して消えてしまった分もあるが、フロッピーに最大記憶量入れると、だいたい1年で1枚。平均すると、一日分は400字詰め原稿用紙なら3~4枚分。最近の分は、1999年9月からの5年間で5枚のフロッピー。

  仕事を週5日間、週1日ジャズダンスレッスン、忙しくて視覚障害者の朗読ボランティアが最近できなくなってしまったが、朗読が好き。毎日愚痴をこぼしているが、戦争や災害や事故事件のまっただ中にいる人から見れば、可もなく不可もない生活。どうということもない人生。
  そういう生活の記録に何か意味があるのか。いや、無意味でもかまわない。高い能力と効率の良い時間の使い方が「勝ち組人生」にとって必須であるなら、負け組の愚痴やぼやきも必須である。

  たった一枚の葉っぱも、海の底で人知れず生まれて死ぬ深海魚も、宇宙輪廻の中の必須の存在。なーんてね。火星が6万年に一度の大接近すると、私も50年に一度は、教祖様のようなことを言うね。お布施を集めたい。 

  還暦を無事迎えたら、50年分の日記を本にするつもりだったが、自費出版するお金もたまりそうにないので、HP公開するのだ。

 一日中、HPビルダー。
 始めると、止まらない。目に悪い。ワープロで書いた日記をコピーするだけだから、簡単にできると思ったら大間違い。
  なぜなら、子どもたちは「お母さんが自分の趣味で日記公開するのは、自分の人生なんだから好きにしたらいい。でも、ぜったいに子どもを巻き込まないで。日記の中に、子どもを登場させないで。子どものプライバシー保護で迷惑をかけないで」と言う。

  娘が1歳半から半年に一度、親せき向けに発行していた家族新聞も、私が子どもと離れて半年間過ごした中国単身赴任を終え、帰国したという報告を最後に休刊した。娘が「自分のことを書かれるのはイヤ」と、言ったからだ。
  子どもたちの成長エピソードをおもしろおかしくつづるのは、私にも親せきにも楽しみだった。お寺で、お墓参りのろうそくに火をつけたら、2歳の娘が「ハッピバースデ、ツーユー」と歌い出した、などなどのエピソード、親せきに「笑い話」として好評だったのだが、子どもにしてみると、「自分が直接知らせたのではない情報」によって、笑いのネタにされることがいやだったのだろう。

  しかし、「ぜったいに子どもを登場させないで」というのは、いささか無理がある。私の生活、人生の大半は「子どもにかかずりあうこと」で成り立っているからだ。子どもの話を抜いたら、私の生活ではなくなってしまう。
  「花火を見に行った」と書くのも、私にとって、花火がきれいなことに意味がある以上に、子どもといっしょに見て、時間をともにすごしたことに価値があるのだ。
 それで、日記を読み返して、子どもたち登場シーンはできるだけカットして、名前は出さないことにした。それでも、子どもの話は多い。

  日記のうち、2001年ゴールデンウィークと2002年ゴールデンウィークのものは、子どもの名前が娘息子としか書かれていないことがわかっているので、コピー。日本人クラスの学生に配布した際、名前を削ったからだ。

  去年、一昨年ゴールデンウィーク期間中、全学休校となるので、日本人学生に宿題を出した。レポート1「私の異文化体験、または、私が受けた語学授業の思い出」、レポート2「レポート1をもとにして考えた理想の授業」
  学生に作文を提出させた後、必ずひとりひとりにコメントを書いて返却する。そして教師の側も学生に自分の作文を配布する。ゴールデンウィーク中に、日本語教育やことばについて考えたこと、異文化体験、日本文化などについて、書いた日記を配布したのだ。学生は成績に関係ない文であれば、読みゃあしないのだが。学生にレポートを要求したら、こちらもノルマを果たすというポリシー。
 今年は同じタイトルのレポートを「期末レポート」にしたから、私からの作文配布もなし。

  8月上旬と中旬の分をコピーしただけで、この作業がいやになった。結局全部読み返すことになり、読み返すと、自分の日常がどれほど「どうでもいいこと」の連続であるか確認することになる。ぐちと、ぼやきと嘆きといやみ。「どうでもいいこと」の集積が私の日常なんだから、しかたがないけれど。

本日のひがみ:読まれないとなると、まだひがむのだろうな、うらやましいぞ人気サイト

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20150820
 
 当地の文学学科長の招待を受けて、最高級といわれるシャングリラホテルで会食したときのこと。学科長も彼の娘さんも、食事中、食べるのもそこそこにして、食事風景をfacebookにUPしていました。大学内の家(日本の感覚でいうと大豪邸になる、ばかでかい家)に戻るとネット環境が悪いので、ホテル内の画像もサクサク送れる環境にいるうちに写真をUPしたいということなんだろうけれど。

 当地ではまだ、顔写真の肖像権などを問題にするようにはなっていないらしく、私の顔がわかる集合写真(8名で会食)もfacebookUPされていました。
 日本だと、いっしょに撮影した写真を断りも無くUPしたら、大問題にされそうですが、いっしょに食事したビルマ語学の日本人先生が「ま、しょうがない」と言うので、いいことにしました。 

<つづく>
コメント
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