20150809
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記8月(4)2003年の怖いビデオ
2003年の三色七味日記8月を再録しています。
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2003/08/08 金 晴れのち台風
日常茶飯事典>怖いビデオ
午前中は青空がみえていたのに、お昼から風が強くなり、ときおり強い雨が降ったりやんだり、大気の状態が不安定になった。
息子も『4ティーン』を読了。息子は「お母さんには、この本の中に出てくる中学生が使うような言葉、読んでもわかんないでしょう」と言う。残念でした。中坊用語も2チャンネル用語も把握済み。
夜、ビデオにとっておいた『世にも奇妙な物語・映画版』を見て、「これじゃ怖くて夜中にひとりでトイレにいけない」という状態に。
第1エピソードの雪山での遭難で、雪の中に頭だけ出して体を埋められた女の首に、シャベルを突き刺すシーンがこわかったのだ。三人して「見なきゃよかった」
でも、おバカバラエティ番組を見て、いっしょに笑うのも、ホラーを見ていっしょに「トイレに行けない」と連れションするのも、三人で同じ本を回し読みするのも、「同じ時の流れを生きている」家族の貴重な時間と思う。
本日の負け惜しみ:3人よればトイレの友
2003/08/09 土 台風
日常茶飯事典>編集学校に参加
1時からの「編集学校・門前小僧篇(入門講座)」の申し込みをしたので、出かける。青山一丁目から徒歩10分とあったが、方向音痴だから早めに着いて探しながら歩こうと思っていた。
しかし、青山一丁目の地下鉄出口の外はすでに暴風雨の様相。歩くのをあきらめて、目の前にきたタクシーに乗る。赤坂6丁目の所番地や、コロンビアの近くなどの情報を出し、ホームページからプリントアウトした地図も運転手に見せたが、運転手も「いや、わからない場所ですね」という。地図をみると、ランドマークとして「リキマンション」というのが出ているから、「とにかくリキマンションが見えたら止めてください」という。へんな曲がり具合の道をくねくねとすすみ、「はい、あそにリキマンションって見える」と言う場所で、適当に下ろされた。
周囲を見回す。こういうとき、ぜったいに違う方向へ行ってしまうのが私のこれまで人生だった。落ち着け。とにかく雨がすごい。とりあえず一番近くのビルの軒下に入って、地図をひろげようとしたら、ビルに人が入っていく。ドアの表示を見たら「編集工学研究所」だった。
これは、私の「方向音痴人生」の中でベストテンに入るくらいの「ラッキーな出来事」である。こんな幸運はめったにない。たいていは、ものごとが私の意図しない方にころがって、悪い方へ悪い方へと進む。
1番ラッキーな出来事は、「'79年7月。ナイロビに着いた初日に市内で迷子になったとき、道案内をしてくれた人と、2年後に結婚したことだ」と公言しているが、それはまた、人生で1番アンラッキーな出来事だったと言えなくもない。(お互い様と夫は思っているだろう)今回の「ラッキー」が実は「地獄の一丁目」にならないという保証はないが、とにかく、めざす場所に迷わずたどり着いたことは、ここ20年間なかったことなのだ。
「ふた昔前、ナイロビで迷子になって愛を拾った、今では愛が迷子になってる」というのが、最近娘が作った、私のためのキャッチコピー。
1階の「スタッフ用ブレーンストーミングルーム」みたいなところで待つ。「千夜千冊」の書庫兼用の部屋。時間まで「手にとって見ていていいですよ」と案内されたので、本を見てすごす。台風の中、来る人がいるのかな、と心配していたら、門前小僧篇開始時間には私のほかに女性一人、男性一人。開始後、男性があと二人来た。
受講生の女性は、テクニカルライターだという。コンピュータ関係の本をたくさん書いているそう。ものごし風貌が「知性のかたまり」みたいな感じだが、「つん」としたお高いかんじではない。「ひなた水につかって頭が錆ついているひがみ人間」である私は、ちょっと萎縮。
彼女の子どもは7歳と1歳。7歳の子は、4月に「某有名小学校」の「お入学」を果たしたとうれしそうに話していた。子どもの入学が「母のアイデンティティ」になるという感覚、フッフッ、わかるよ。私も、息子が中学入学したときは夢のようなうれしさでした。いまじゃ「中高一貫して落ちこぼれの母」ですが。
彼女はすでに編集学校の基礎編「守」講座を終えて、「破」へ進むところ。男性は、広告代理店勤務、フリーグラフィックデザイナー、eラーニングデータ分析の仕事をしている人、という3人。そんなに「切れ者!」という感じではないが、「これから先の方向性を探している」という感じが伝わる。
「守」の講座で行われている基礎的訓練の一部を練習する。「コップ」という言葉を他の表現に置き換える。1年間に買ったもののリストを出して付箋に書き、さまざまな情報別に並べ替える。いくつかの対のことばに対照的な形容のことばを付け加える。思考訓練としておもしろいし、言葉を商売道具とする者にとって、興味がもてるものだった。
しかし、なんと言っても問題は私にとって受講料が高いこと。それだけの価値がある講座であることは承知しているが、電子レンジも壊れてしまったし、圧力釜も買い換えなければならないのだ。
井上はね子さんが大阪でやっている実践的編集学校「アミ編集塾」は、週1回のリアル講座で一ヶ月の講習料が1万円。9月開講24回の講座で3月修了式まで全6万円。
編集学校は、ネット利用のeラーニングで、46回の「お題」出題に「会議室システム」を利用してネットで回答し、師範代がそれに講評を加える。それで全8万5千円。分割払いだと月2万円X5回で10万円。内容は10万円分の価値がある講座だと思うし、たぶん、受講すればそれ以上のものを得ることができると思う。でも、私に払う余裕があるのは、一回限りの門前小僧体験講座のみ。
楽しそうな自己開発ではあるけれど、明日食う米の心配がとぎれることない者が関わっていけるとも思えない。何事も「分を知れ」である。自分の脳を柔軟にするために必要な遊びとは思うけれど、「金の切れ目が縁の切れ目」の世の中なれば、金のない人間には縁のない高尚な遊びなのだろう。門前小僧編を体験できただけでも、私にとってはとても得るところがあった。
門前小僧講座が終わって、ジュンク堂へ。松岡正剛の本フェアをやっていると聞いたから。編集工学研究所ビルのドアを出て、こっちにすすめば駅にいきそう、と思う方へ歩いていった。来た道をもどって青山一丁目の駅へ向かうつもりだったが、タクシーで曲がりくねってきたのだから、わかるわけがない。
それで、赤坂で粋筋の仕事をしていますっていう雰囲気の浴衣年増の後をついていった。おもしろそうだから。その人が路地へ入ってしまったので、「駅へ向かって歩いています」という雰囲気の人のあとをくっついて歩いていったら、TBS前というのを通り、一ツ木通りに出た。ああ、これが昔「一ツ木あたりじゃ、あたしもいい女」とかって、梓みちよが歌っていた一ツ木なのか、と思ったが、青山1丁目方向とまったく反対に歩いてきたのだった。
さらに、丸の内線赤坂見附の方へ曲がらずに千代田線赤坂駅へと曲がってしまったから、千代田線から丸の内線へ乗り換えねばならず、国会議事堂前でながいこと歩いた。どうしていつも思わぬ方向にすすむのか。謎だ。
ジュンク堂の椅子に座り読みで、『分母の消息三・風景と景気』を読む。一と二は、セロファンがかかっていて、読めない。仕方がないから、分母の消息三冊セットを買った。三冊セットで、一般の新書一冊分の厚さになるが、セットで2400円。いつも古本屋の駄本文庫新書コーナー三冊200円を愛用している身には、すぎた散財である。駄本ではなく極め付きな本であるにしても、2400円を高いと思わずに買えるようでなければ、一期10万円の遊びはやはり分不相応と思う。
7時までジュンク堂にいたので、もう夕食作る時間はないと思って、塩ラーメンを食べた。あと、西武の地下食品売り場で、100円値引きの出来合いお総菜をいくつか買って帰る。デパ地下食品も、値引きしてない時間帯には買ったことがない我が家の夕食である。
本日のひがみ:自分のための10万円が投資できないパート母
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20150809
図書館から『はだしのゲン』が消される、ということがありました。児童室の開架図書として棚に並べられていた『はだしのゲン』の、原爆被爆者のあまりの惨状に、「こどもたちがこわい思いをして夜夢を見てうなされる子もいたので」なんぞという親の声をあつめて、「子供には見せない」という判断をした図書館があったのだという。
こどもが夢を見てうなされるくらい怖いことが、現実にこの国にあったのだ、ということを知らせないで、「楽しく平和でおもしろい社会」だけを教えることが子供の成長によい、というのでしょうか。
社会には残酷なこと悲惨なこと、いまだに原爆症の被害に苦しんでいる高齢者や体内被爆者がいることを知らせないのは、「親の温情」なのでしょうか。
かって、自分たちでは何も決められなかった子供でさえ、いざ戦争になればこのような運命が待っていた、ということを、知る権利が子供にはあります。子供の成長に必要な「怖い話」があるのです。
昔話の炉端で、じいちゃんばあちゃんが孫達に語って聞かせる「怪談話」「怖い話」。これは、一種の危機管理能力を育て、「怖い事態」になったときに孫達が過去の教訓を生かして生き延びるための訓練であった、という昔話の理論を読みました。
人の脳は、恐怖を知り恐怖を味わうことで、恐怖への耐性を身につけ恐怖に対する対処のしかたを学ぶ。
『はだしのゲン』を図書館からかくし、歴史の教科書から「原爆図」を消し去ること、けっしてこの国の未来によい影響をもたらすとは思えません。
私はホラー映画がきらいですけれど、ホラーは人の脳を活性化しているもののひとつだ、という理論にはうなずけます。
8月6日、9日、親は、70年前のこの日に何があったかを、子供に語り継ぐ必要があるのです。
8月9日の空に祈りを捧げます。
<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記8月(4)2003年の怖いビデオ
2003年の三色七味日記8月を再録しています。
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2003/08/08 金 晴れのち台風
日常茶飯事典>怖いビデオ
午前中は青空がみえていたのに、お昼から風が強くなり、ときおり強い雨が降ったりやんだり、大気の状態が不安定になった。
息子も『4ティーン』を読了。息子は「お母さんには、この本の中に出てくる中学生が使うような言葉、読んでもわかんないでしょう」と言う。残念でした。中坊用語も2チャンネル用語も把握済み。
夜、ビデオにとっておいた『世にも奇妙な物語・映画版』を見て、「これじゃ怖くて夜中にひとりでトイレにいけない」という状態に。
第1エピソードの雪山での遭難で、雪の中に頭だけ出して体を埋められた女の首に、シャベルを突き刺すシーンがこわかったのだ。三人して「見なきゃよかった」
でも、おバカバラエティ番組を見て、いっしょに笑うのも、ホラーを見ていっしょに「トイレに行けない」と連れションするのも、三人で同じ本を回し読みするのも、「同じ時の流れを生きている」家族の貴重な時間と思う。
本日の負け惜しみ:3人よればトイレの友
2003/08/09 土 台風
日常茶飯事典>編集学校に参加
1時からの「編集学校・門前小僧篇(入門講座)」の申し込みをしたので、出かける。青山一丁目から徒歩10分とあったが、方向音痴だから早めに着いて探しながら歩こうと思っていた。
しかし、青山一丁目の地下鉄出口の外はすでに暴風雨の様相。歩くのをあきらめて、目の前にきたタクシーに乗る。赤坂6丁目の所番地や、コロンビアの近くなどの情報を出し、ホームページからプリントアウトした地図も運転手に見せたが、運転手も「いや、わからない場所ですね」という。地図をみると、ランドマークとして「リキマンション」というのが出ているから、「とにかくリキマンションが見えたら止めてください」という。へんな曲がり具合の道をくねくねとすすみ、「はい、あそにリキマンションって見える」と言う場所で、適当に下ろされた。
周囲を見回す。こういうとき、ぜったいに違う方向へ行ってしまうのが私のこれまで人生だった。落ち着け。とにかく雨がすごい。とりあえず一番近くのビルの軒下に入って、地図をひろげようとしたら、ビルに人が入っていく。ドアの表示を見たら「編集工学研究所」だった。
これは、私の「方向音痴人生」の中でベストテンに入るくらいの「ラッキーな出来事」である。こんな幸運はめったにない。たいていは、ものごとが私の意図しない方にころがって、悪い方へ悪い方へと進む。
1番ラッキーな出来事は、「'79年7月。ナイロビに着いた初日に市内で迷子になったとき、道案内をしてくれた人と、2年後に結婚したことだ」と公言しているが、それはまた、人生で1番アンラッキーな出来事だったと言えなくもない。(お互い様と夫は思っているだろう)今回の「ラッキー」が実は「地獄の一丁目」にならないという保証はないが、とにかく、めざす場所に迷わずたどり着いたことは、ここ20年間なかったことなのだ。
「ふた昔前、ナイロビで迷子になって愛を拾った、今では愛が迷子になってる」というのが、最近娘が作った、私のためのキャッチコピー。
1階の「スタッフ用ブレーンストーミングルーム」みたいなところで待つ。「千夜千冊」の書庫兼用の部屋。時間まで「手にとって見ていていいですよ」と案内されたので、本を見てすごす。台風の中、来る人がいるのかな、と心配していたら、門前小僧篇開始時間には私のほかに女性一人、男性一人。開始後、男性があと二人来た。
受講生の女性は、テクニカルライターだという。コンピュータ関係の本をたくさん書いているそう。ものごし風貌が「知性のかたまり」みたいな感じだが、「つん」としたお高いかんじではない。「ひなた水につかって頭が錆ついているひがみ人間」である私は、ちょっと萎縮。
彼女の子どもは7歳と1歳。7歳の子は、4月に「某有名小学校」の「お入学」を果たしたとうれしそうに話していた。子どもの入学が「母のアイデンティティ」になるという感覚、フッフッ、わかるよ。私も、息子が中学入学したときは夢のようなうれしさでした。いまじゃ「中高一貫して落ちこぼれの母」ですが。
彼女はすでに編集学校の基礎編「守」講座を終えて、「破」へ進むところ。男性は、広告代理店勤務、フリーグラフィックデザイナー、eラーニングデータ分析の仕事をしている人、という3人。そんなに「切れ者!」という感じではないが、「これから先の方向性を探している」という感じが伝わる。
「守」の講座で行われている基礎的訓練の一部を練習する。「コップ」という言葉を他の表現に置き換える。1年間に買ったもののリストを出して付箋に書き、さまざまな情報別に並べ替える。いくつかの対のことばに対照的な形容のことばを付け加える。思考訓練としておもしろいし、言葉を商売道具とする者にとって、興味がもてるものだった。
しかし、なんと言っても問題は私にとって受講料が高いこと。それだけの価値がある講座であることは承知しているが、電子レンジも壊れてしまったし、圧力釜も買い換えなければならないのだ。
井上はね子さんが大阪でやっている実践的編集学校「アミ編集塾」は、週1回のリアル講座で一ヶ月の講習料が1万円。9月開講24回の講座で3月修了式まで全6万円。
編集学校は、ネット利用のeラーニングで、46回の「お題」出題に「会議室システム」を利用してネットで回答し、師範代がそれに講評を加える。それで全8万5千円。分割払いだと月2万円X5回で10万円。内容は10万円分の価値がある講座だと思うし、たぶん、受講すればそれ以上のものを得ることができると思う。でも、私に払う余裕があるのは、一回限りの門前小僧体験講座のみ。
楽しそうな自己開発ではあるけれど、明日食う米の心配がとぎれることない者が関わっていけるとも思えない。何事も「分を知れ」である。自分の脳を柔軟にするために必要な遊びとは思うけれど、「金の切れ目が縁の切れ目」の世の中なれば、金のない人間には縁のない高尚な遊びなのだろう。門前小僧編を体験できただけでも、私にとってはとても得るところがあった。
門前小僧講座が終わって、ジュンク堂へ。松岡正剛の本フェアをやっていると聞いたから。編集工学研究所ビルのドアを出て、こっちにすすめば駅にいきそう、と思う方へ歩いていった。来た道をもどって青山一丁目の駅へ向かうつもりだったが、タクシーで曲がりくねってきたのだから、わかるわけがない。
それで、赤坂で粋筋の仕事をしていますっていう雰囲気の浴衣年増の後をついていった。おもしろそうだから。その人が路地へ入ってしまったので、「駅へ向かって歩いています」という雰囲気の人のあとをくっついて歩いていったら、TBS前というのを通り、一ツ木通りに出た。ああ、これが昔「一ツ木あたりじゃ、あたしもいい女」とかって、梓みちよが歌っていた一ツ木なのか、と思ったが、青山1丁目方向とまったく反対に歩いてきたのだった。
さらに、丸の内線赤坂見附の方へ曲がらずに千代田線赤坂駅へと曲がってしまったから、千代田線から丸の内線へ乗り換えねばならず、国会議事堂前でながいこと歩いた。どうしていつも思わぬ方向にすすむのか。謎だ。
ジュンク堂の椅子に座り読みで、『分母の消息三・風景と景気』を読む。一と二は、セロファンがかかっていて、読めない。仕方がないから、分母の消息三冊セットを買った。三冊セットで、一般の新書一冊分の厚さになるが、セットで2400円。いつも古本屋の駄本文庫新書コーナー三冊200円を愛用している身には、すぎた散財である。駄本ではなく極め付きな本であるにしても、2400円を高いと思わずに買えるようでなければ、一期10万円の遊びはやはり分不相応と思う。
7時までジュンク堂にいたので、もう夕食作る時間はないと思って、塩ラーメンを食べた。あと、西武の地下食品売り場で、100円値引きの出来合いお総菜をいくつか買って帰る。デパ地下食品も、値引きしてない時間帯には買ったことがない我が家の夕食である。
本日のひがみ:自分のための10万円が投資できないパート母
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20150809
図書館から『はだしのゲン』が消される、ということがありました。児童室の開架図書として棚に並べられていた『はだしのゲン』の、原爆被爆者のあまりの惨状に、「こどもたちがこわい思いをして夜夢を見てうなされる子もいたので」なんぞという親の声をあつめて、「子供には見せない」という判断をした図書館があったのだという。
こどもが夢を見てうなされるくらい怖いことが、現実にこの国にあったのだ、ということを知らせないで、「楽しく平和でおもしろい社会」だけを教えることが子供の成長によい、というのでしょうか。
社会には残酷なこと悲惨なこと、いまだに原爆症の被害に苦しんでいる高齢者や体内被爆者がいることを知らせないのは、「親の温情」なのでしょうか。
かって、自分たちでは何も決められなかった子供でさえ、いざ戦争になればこのような運命が待っていた、ということを、知る権利が子供にはあります。子供の成長に必要な「怖い話」があるのです。
昔話の炉端で、じいちゃんばあちゃんが孫達に語って聞かせる「怪談話」「怖い話」。これは、一種の危機管理能力を育て、「怖い事態」になったときに孫達が過去の教訓を生かして生き延びるための訓練であった、という昔話の理論を読みました。
人の脳は、恐怖を知り恐怖を味わうことで、恐怖への耐性を身につけ恐怖に対する対処のしかたを学ぶ。
『はだしのゲン』を図書館からかくし、歴史の教科書から「原爆図」を消し去ること、けっしてこの国の未来によい影響をもたらすとは思えません。
私はホラー映画がきらいですけれど、ホラーは人の脳を活性化しているもののひとつだ、という理論にはうなずけます。
8月6日、9日、親は、70年前のこの日に何があったかを、子供に語り継ぐ必要があるのです。
8月9日の空に祈りを捧げます。
<つづく>