20150812
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記8月(7)2003年のお盆帰省
2003年8月の日記再録を続けています。
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2003/08/14 木 雨
日常茶飯事典>お盆帰省
坂下のアパートに泊る。スモモ「自宅に盆棚をつくるのはめんどうくさいから」と、自宅からアパートへ移動して盆だなをしつらえている。両親と姉の位牌にお線香。たしかに、母にとっては、この坂下の家が自分の家だったのだし、姉にとっても結婚後に何回か引っ越した家より、子ども時代をすごしたこの地に両親といっしょに帰るというのは納得。出窓を盆棚がわりにして、写真と位牌、お花、お供え。
「お寺に盆迎えに行ったんだけど、盆提灯を持っていくの忘れたから、たばこに火をつけて、ママ、この火に入っておいでって、迎えてきた」と、蜜柑の弁。お線香立てに、たばこがささっている。最期は肺ガン併発の母にしてこの娘あり。
蜜柑の子どもたち4人、相変わらずにぎやか。かわいいけれど、うるさい。5歳の末っ子ジュジュはますますパワーアップ。ミニチュアダックスフントの2匹、うるさい。かわいいけれど、うざい。
伯母が入所しているグループホームへ。自宅に残してあった写真を伯母に渡すと、自分が持っていたアルバムなのに「あらぁ、こんなにちゃんと写真をまとめてくれてありがと。まあ、こんな昔のも。なつかしい」と、初めて見るような顔で見ている。今朝のことは忘れるが、昔のことは覚えているのだから、写真があれば、当分昔の思い出にひたれるだろう。
伯母を連れ「やすらぎの湯」に入る。温泉につかり、休憩所でお茶を飲む。「ねぇ、おまんじゅうを食べようよ」と伯母がいうので、買ってくる。ホームではきまったおやつの時間のほかに買い食いをすることはできない。しかし、もう88歳になっていろんなことを忘れていく人に対して、健康に悪いから甘いものばかり食べてはだめ、なんて禁じることもない。ホームの職員には、老人の健康を管理するという職務があるが、私たちはたまに会うだけなので、伯母を甘やかす。
私とスモモは「おまんじゅうが好きなら、好きなだけ食べればいい。夕食があまり食べられなくなって栄養が片寄ったとしても、好きなもの食べられるだけ食べて残り少ない余生を過ごしたほうが、食事管理して長生きするより幸福じゃないか」と、話す。健康管理するホームの人から見たら、迷惑なことかもしれない。
近くのそばやで夕食。伯母と私はてんぷらそば。伯母はおまんじゅうを食べたあとでも、おそばも全部食べる。
スモモは毎月ホームへ顔を出し、服を買ってやったり、誕生日に花やプレゼントを届けたりしているが、いくたびに「まあ、なつかしい。何年ぶりで会うんでしょう」と言われるのだと。今日はついに「おまえ、名前なんだったっけ」と聞かれていた。
自分のアルバムを眺めて、あんなに贔屓にしていた「露子」「ゆきみ」の写真を見ても「どこの人?」と聞く。私のこともしだいに忘れていくのだろう。
ただ、最愛の柿実さんが早死にしたことも、普段は忘れているようなので、その点はよかった。アルバムを見て、「今日は、柿実は来ないんだねえ」と伯母が言うから、「柿実さんは去年死んじゃったでしょ」と、話すと「そうだねえ、なんで死んじゃったんでしょ」と、思い出す。思い出すが悲しみに浸る前に忘れる。一昨年のきんこおじさんの死は比較的覚えているのに、去年の柿実さんの死は、もはや霞がかかった状態で受け止めたから、衝撃が少なくてすんだのだろう。
NPO設立講座に通って、痴呆老人問題にも詳しくなっているスモモ、「年寄りにとって、自分がだんだん物事を忘れていくという現実はとても怖い、不安な出来事なんだから、その不安をしずめるように接してやらなければならないと教わったけど、目の前で惚けたことをしでかされると、腹が立つんだよね」
現実にぼけ老人を抱えている人は、毎日たいへんだろう。たまに会うだけだから、やさしくしてやれるのだ。
本日なやみ:いつか私も「私はだれ?」
2003/08/15 金 雨
ニッポニアニッポン事情>2チャン鶴余波
2チャンネルの折り鶴は、60万羽に達する見込みとか。
くらげん日記に気になる記述。「今日は、いろいろ平和とか戦争について考えた」とあるので、日頃はそんなこと考えたこともない2チャンネラーの若者何人かが、8月15日について意識する結果になったのなら、折り鶴オフ会も意味があったとは思う。しかし「靖国神社にでも行ってみようとおもったのだけど、雨がふったから行かなかった」と、ある。雨じゃなかったら、靖国へ行ったのかも知れない。
ヒロシマで鶴に慰められる霊があるとしたら、その人たちの中には靖国への参拝を喜ばない人も混じっているかも知れないとは、つゆほども思わない、靖国も原爆ドームも全部いっしょくたに「なんか、戦争で死んだ人に関係するとこ」としか思わない人たちが確実にいる。
「2チャンネルを利用しよう」と企む利口者が現れないことだけを願う。2チャンネルのウェブ上での先駆的役割はすでに終わっている、という評価もあるが、現実に影響力を持ち得ることは、今回の折り鶴で証明されたように思う。2チャンネルで煽られれば、「平和のために参戦しよう!武器をとれ、戦おう」という呼びかけに応じる者がでないとは限らない。触法未成年の顔写真をさらすことや覗くことを喜ぶ人もいれば、煽りにのる人だって確実にいる。
本日のたみ:無辜のたみも戦犯もヤスクニで同居
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20150812
2003年に「10年先には、戦争しようよ、という呼びかけに賛同する人も出てくるだろう」と、予測したことが現実になりました。
ただ、「ネトウヨ」が増えていくかも知れない、という心配は、思ったほど深くはならず、ヘイトスピーチなども、批判されればたちまちシボむ程度の広がりでした。
ともあれ「戦争と平和」がわれわれにとって、どういうものであるのか、ということを考えようとする若者は着実に増えている気がします。
平和は、ただ享受していくだけのものではなく、自分自身で働きかけ築き上げていくものです。平和は、消費しているだけなら消えて費やされてしまうものであり、作り上げる人の前に積み重なるものなのだと、若い人も考えてくれているように思うのです。
これから東京オリンピックに向けて、さまざまな動きが出てくるでしょう。もしかしたら、人目をひこうとするテロだって起こりえます。そんなときも冷静に沈着に。攻撃されたら報復という応酬だけでは決して解決しません。
ミャンマーは、11月に総選挙が予定されているので、これから国内も騒がしくなっていくかも知れません。現大統領は軍人出身の方。町の中の印象ではアウンサンスーチー女史率いるミャンマーの最大野党、国民民主連盟(NLD)の人気が高いようで、私が宿泊しているホテルも、ロビーには、スーチー女史の肖像写真が掲げられています。
NLDは、11月の上下両院選の候補者リストを公表した、改選対象の両院計498議席に対し、483人の候補を擁立するということです。公正な選挙区が進めば、NLDの政権奪取は可能かも知れません。
ミャンマーの平和も、人々がひとつひとつ作り上げていくのだろうと思います。
<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記8月(7)2003年のお盆帰省
2003年8月の日記再録を続けています。
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2003/08/14 木 雨
日常茶飯事典>お盆帰省
坂下のアパートに泊る。スモモ「自宅に盆棚をつくるのはめんどうくさいから」と、自宅からアパートへ移動して盆だなをしつらえている。両親と姉の位牌にお線香。たしかに、母にとっては、この坂下の家が自分の家だったのだし、姉にとっても結婚後に何回か引っ越した家より、子ども時代をすごしたこの地に両親といっしょに帰るというのは納得。出窓を盆棚がわりにして、写真と位牌、お花、お供え。
「お寺に盆迎えに行ったんだけど、盆提灯を持っていくの忘れたから、たばこに火をつけて、ママ、この火に入っておいでって、迎えてきた」と、蜜柑の弁。お線香立てに、たばこがささっている。最期は肺ガン併発の母にしてこの娘あり。
蜜柑の子どもたち4人、相変わらずにぎやか。かわいいけれど、うるさい。5歳の末っ子ジュジュはますますパワーアップ。ミニチュアダックスフントの2匹、うるさい。かわいいけれど、うざい。
伯母が入所しているグループホームへ。自宅に残してあった写真を伯母に渡すと、自分が持っていたアルバムなのに「あらぁ、こんなにちゃんと写真をまとめてくれてありがと。まあ、こんな昔のも。なつかしい」と、初めて見るような顔で見ている。今朝のことは忘れるが、昔のことは覚えているのだから、写真があれば、当分昔の思い出にひたれるだろう。
伯母を連れ「やすらぎの湯」に入る。温泉につかり、休憩所でお茶を飲む。「ねぇ、おまんじゅうを食べようよ」と伯母がいうので、買ってくる。ホームではきまったおやつの時間のほかに買い食いをすることはできない。しかし、もう88歳になっていろんなことを忘れていく人に対して、健康に悪いから甘いものばかり食べてはだめ、なんて禁じることもない。ホームの職員には、老人の健康を管理するという職務があるが、私たちはたまに会うだけなので、伯母を甘やかす。
私とスモモは「おまんじゅうが好きなら、好きなだけ食べればいい。夕食があまり食べられなくなって栄養が片寄ったとしても、好きなもの食べられるだけ食べて残り少ない余生を過ごしたほうが、食事管理して長生きするより幸福じゃないか」と、話す。健康管理するホームの人から見たら、迷惑なことかもしれない。
近くのそばやで夕食。伯母と私はてんぷらそば。伯母はおまんじゅうを食べたあとでも、おそばも全部食べる。
スモモは毎月ホームへ顔を出し、服を買ってやったり、誕生日に花やプレゼントを届けたりしているが、いくたびに「まあ、なつかしい。何年ぶりで会うんでしょう」と言われるのだと。今日はついに「おまえ、名前なんだったっけ」と聞かれていた。
自分のアルバムを眺めて、あんなに贔屓にしていた「露子」「ゆきみ」の写真を見ても「どこの人?」と聞く。私のこともしだいに忘れていくのだろう。
ただ、最愛の柿実さんが早死にしたことも、普段は忘れているようなので、その点はよかった。アルバムを見て、「今日は、柿実は来ないんだねえ」と伯母が言うから、「柿実さんは去年死んじゃったでしょ」と、話すと「そうだねえ、なんで死んじゃったんでしょ」と、思い出す。思い出すが悲しみに浸る前に忘れる。一昨年のきんこおじさんの死は比較的覚えているのに、去年の柿実さんの死は、もはや霞がかかった状態で受け止めたから、衝撃が少なくてすんだのだろう。
NPO設立講座に通って、痴呆老人問題にも詳しくなっているスモモ、「年寄りにとって、自分がだんだん物事を忘れていくという現実はとても怖い、不安な出来事なんだから、その不安をしずめるように接してやらなければならないと教わったけど、目の前で惚けたことをしでかされると、腹が立つんだよね」
現実にぼけ老人を抱えている人は、毎日たいへんだろう。たまに会うだけだから、やさしくしてやれるのだ。
本日なやみ:いつか私も「私はだれ?」
2003/08/15 金 雨
ニッポニアニッポン事情>2チャン鶴余波
2チャンネルの折り鶴は、60万羽に達する見込みとか。
くらげん日記に気になる記述。「今日は、いろいろ平和とか戦争について考えた」とあるので、日頃はそんなこと考えたこともない2チャンネラーの若者何人かが、8月15日について意識する結果になったのなら、折り鶴オフ会も意味があったとは思う。しかし「靖国神社にでも行ってみようとおもったのだけど、雨がふったから行かなかった」と、ある。雨じゃなかったら、靖国へ行ったのかも知れない。
ヒロシマで鶴に慰められる霊があるとしたら、その人たちの中には靖国への参拝を喜ばない人も混じっているかも知れないとは、つゆほども思わない、靖国も原爆ドームも全部いっしょくたに「なんか、戦争で死んだ人に関係するとこ」としか思わない人たちが確実にいる。
「2チャンネルを利用しよう」と企む利口者が現れないことだけを願う。2チャンネルのウェブ上での先駆的役割はすでに終わっている、という評価もあるが、現実に影響力を持ち得ることは、今回の折り鶴で証明されたように思う。2チャンネルで煽られれば、「平和のために参戦しよう!武器をとれ、戦おう」という呼びかけに応じる者がでないとは限らない。触法未成年の顔写真をさらすことや覗くことを喜ぶ人もいれば、煽りにのる人だって確実にいる。
本日のたみ:無辜のたみも戦犯もヤスクニで同居
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
20150812
2003年に「10年先には、戦争しようよ、という呼びかけに賛同する人も出てくるだろう」と、予測したことが現実になりました。
ただ、「ネトウヨ」が増えていくかも知れない、という心配は、思ったほど深くはならず、ヘイトスピーチなども、批判されればたちまちシボむ程度の広がりでした。
ともあれ「戦争と平和」がわれわれにとって、どういうものであるのか、ということを考えようとする若者は着実に増えている気がします。
平和は、ただ享受していくだけのものではなく、自分自身で働きかけ築き上げていくものです。平和は、消費しているだけなら消えて費やされてしまうものであり、作り上げる人の前に積み重なるものなのだと、若い人も考えてくれているように思うのです。
これから東京オリンピックに向けて、さまざまな動きが出てくるでしょう。もしかしたら、人目をひこうとするテロだって起こりえます。そんなときも冷静に沈着に。攻撃されたら報復という応酬だけでは決して解決しません。
ミャンマーは、11月に総選挙が予定されているので、これから国内も騒がしくなっていくかも知れません。現大統領は軍人出身の方。町の中の印象ではアウンサンスーチー女史率いるミャンマーの最大野党、国民民主連盟(NLD)の人気が高いようで、私が宿泊しているホテルも、ロビーには、スーチー女史の肖像写真が掲げられています。
NLDは、11月の上下両院選の候補者リストを公表した、改選対象の両院計498議席に対し、483人の候補を擁立するということです。公正な選挙区が進めば、NLDの政権奪取は可能かも知れません。
ミャンマーの平和も、人々がひとつひとつ作り上げていくのだろうと思います。
<つづく>