20150813
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記() 2003年の山東省出征記録画集
2003年8月の日記再録を続けています。
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2003/08/16 土 雨
日常茶飯事典>山東省出征記録画集
息子は文化祭の練習で午前中、学校。待ち合わせをして、姑訪問。
仏壇を買ったというので、お線香を立てに来たのだが、姑は案の定「お寺にお迎えなんかに行ってないのよ、でも、同じでしょ」と、気にしていない。盆迎えも盆送りも、生きている人の心を平安のためにする行事だから、姑が「いつもいっしょにいるから、わざわざ迎えに行くことなんかないのよ」と思っているのなら、それが一番だ。
二階で、舅が描いた「山東省出征記録画集」のアルバムを見た。戦争中に中国でスケッチしたものを元に再画し、色鉛筆彩色したもの。個人の記録だから、資料的な価値はないかも知れないが、姑には保存をすすめる。画集出版が一番いいのだろうが、姑はしきりに「おじいちゃんの入院で蓄えを全部使ってしまったから、お金残っていないのよ」という。
免疫療法という健康保険のきかない治療を続けたからだ。入院しているホスピスから、免疫治療を受ける病院まで、タクシーでの往復、一回の治療代が何十万とかかる。それを半年以上続けたのだ。ホスピスに入るとすぐに亡くなる人が多い中、半年も余命を延ばせたのは、治療のおかげと姑は満足している。
「孫たちの学資保険にと積み立てていた分も全部治療費に回してしまったから、入学祝い金は出せない」と、去年言われていたから、もうお金がないことはわかっていたが。
姑の気持ちに「できる限りの治療はした」という満足感があり、心残りなく舅を送り出せたのだから、お金が残らなかったことを云々することはできないし、出版しましょうとは提案できない。家のかたづけと事務所のパソコンの接続がすんだら、とりあえず、ウェブで保存公開をするつもり。
嫁の立場から言うと、治癒の見込みがない病気に高い免疫療法を続けてお金を使い切るより、姑の老後のために余裕を残しておくほうが、舅は安心して旅立てたのではないかと思う。でも、舅が免疫療法を続けている間、私は姉のホスピス転院の方にかかりきりで、姑になにひとつしてやっていないのだから、何も言えない。
「テレビで『大地の子』再放送してたから、見たの。ハルさん、よく写っていたわね」と、姑。
『大地の子』の最初の放映では、満州墓参団シーンがカットされていた。「エキストラで出演しているっていうから、ずっと見てたけど、どこに出てたの?」と、あちこちから言われた。中国から帰ったあと「『大地の子』にエキストラ出演したから、ぜったいにドラマ見逃さないで」と、大宣伝したのに、うつらなかったのだ。
しかし、拡大版放映のときは墓参りシーンがあり、ビデオ録画して、めでたく「ほんとに出演したんだってば」という証明ができた。
姑はビデオを持たない人なので、今回やっと、墓参りシーンを見た。仲代達矢の後ろに立てばカメラワークに入ると計算して、涙ふくハンカチの脇からカメラ目線でレンズ位置を確かめている笑えるシーンを見たのだ。満州に倒れ伏した人々を思って泣くシーンなのに、「あのカメラ目線は笑える」と、親せき中の評判をとったエキストラ演技。
主役脇役でもなく端役チョイ役ですらなく、ワンシーン、ワンカットのエキストラで、しかもカメラ目線というのが、「私の存在モード」を象徴しているので、気に入っているシーンだ。
姑は「詩吟とお習字と童謡を歌う会に入ったから、毎日忙しくて」という。78歳にして生まれて初めての一人暮らしを楽しんでいるらしい。一人暮らしで元気でいられるうちは心配ない。声を出すのは健康に一番。
本日のつらみ:仲代達矢にサインもらいそこねた
2003/08/17 日 雨
アンドロメダM31接続詞>風野春樹という本名
雨続き。で、一日片づけもせず、ウェブサーフィンでぐだぐだとすごす。
「喜多哲士ぼやいたるねん」のリンクぺージに、「サイコドクターあばれ旅・風野春樹」は本名だと書いてあったので、びっくり。絶対にペンネームウェブネームだと思っていた。SF批評家の名前ならありだけど、精神科医の名前としたら「うそっ」と思う心理は、これいかに。ただし「本名」というのもネタかもしれないが。
SFセミナー世話人の風野満美が奥さんと思うから、やっぱり本名なんだろうな。
ぐるぐる回っていると、何から飛んでも「ことばリンク」と「SFリンク」に出てしまう。自分の興味がせまいことがわかる。青木みやが更新復活していた。ぜんぜん見たことも会ったこともない人なのに、更新にほっとするのも「ネット心理学」でありましょう。青木みやは、SFにまったく関係ないドクター西村の頁から飛んでいった人なのに、SFセミナーの人だった。
私がSFを夢中になって読んだのなんて、ふた昔以上も昔のこと。60年代70年代のSFしか知らなくて、近年のSF小説の進化ぶりもまったくわからない。それでもSF小説が好きっていう人の日記は面白く読める。ぐるぐる回って「ヘビメタビジュアル系が好き」とか、「死体写真コレクター」とかいう人の日記にたどりついたとしても、読み続けることができない。私という人間の感性感覚はきわめて幅狭いもんなんだろうな。
本日のひがみ:精神科医にして、SFにぴったりの本名、うらやましいぞ
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20150813
舅は商業学校出身で、陸軍主計の後方勤務でした。主な仕事は、兵士の給与計算など。前線勤務などはなく、地元の人々と仲良く交流したことなどがのんびり書かれている「山東省出征日記」でした。
一方、私の父は砲兵でしたから、常に最前線で、旧満州から南島へ渡り、戦いつづけました。戦争も、それぞれの立場環境で受け止め方はさまざまなのでしょうが、前線で死を覚悟し続けた父が「二度と戦争をしてはいけない」といったこと、私は守りたいです。
戦後、旧満州の地に置き去りになった子どもの人生を描いた『大地の子』。私が「旧満州墓参団」の一員役のエキストラで出演したのも、はるか昔。21年前のことになりました。(撮影は1994年の夏)拡大バージョンでないと、この墓参シーンはカットされているのですが、BSアーカイブなどで再放送することがあったら、拡大版ならビデオとってください。ハンカチで涙ふきながら、カメラ位置を確認する迷演技、何度見ても笑えます。
国会は、お盆休会とかですが、SEALDs も、OLDsも、ゆる~くがんばってほしい。ネトウヨたちは「ばーさんじーさんが巣鴨に100人集まったからって、なにができる」と、つぶやいていました。10人だろうと100人だろうと、ここからはじまるのだと、思います。巣鴨だったら、自転車でかけつけるところですが、ヤンゴンから応援しています。
<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記() 2003年の山東省出征記録画集
2003年8月の日記再録を続けています。
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2003/08/16 土 雨
日常茶飯事典>山東省出征記録画集
息子は文化祭の練習で午前中、学校。待ち合わせをして、姑訪問。
仏壇を買ったというので、お線香を立てに来たのだが、姑は案の定「お寺にお迎えなんかに行ってないのよ、でも、同じでしょ」と、気にしていない。盆迎えも盆送りも、生きている人の心を平安のためにする行事だから、姑が「いつもいっしょにいるから、わざわざ迎えに行くことなんかないのよ」と思っているのなら、それが一番だ。
二階で、舅が描いた「山東省出征記録画集」のアルバムを見た。戦争中に中国でスケッチしたものを元に再画し、色鉛筆彩色したもの。個人の記録だから、資料的な価値はないかも知れないが、姑には保存をすすめる。画集出版が一番いいのだろうが、姑はしきりに「おじいちゃんの入院で蓄えを全部使ってしまったから、お金残っていないのよ」という。
免疫療法という健康保険のきかない治療を続けたからだ。入院しているホスピスから、免疫治療を受ける病院まで、タクシーでの往復、一回の治療代が何十万とかかる。それを半年以上続けたのだ。ホスピスに入るとすぐに亡くなる人が多い中、半年も余命を延ばせたのは、治療のおかげと姑は満足している。
「孫たちの学資保険にと積み立てていた分も全部治療費に回してしまったから、入学祝い金は出せない」と、去年言われていたから、もうお金がないことはわかっていたが。
姑の気持ちに「できる限りの治療はした」という満足感があり、心残りなく舅を送り出せたのだから、お金が残らなかったことを云々することはできないし、出版しましょうとは提案できない。家のかたづけと事務所のパソコンの接続がすんだら、とりあえず、ウェブで保存公開をするつもり。
嫁の立場から言うと、治癒の見込みがない病気に高い免疫療法を続けてお金を使い切るより、姑の老後のために余裕を残しておくほうが、舅は安心して旅立てたのではないかと思う。でも、舅が免疫療法を続けている間、私は姉のホスピス転院の方にかかりきりで、姑になにひとつしてやっていないのだから、何も言えない。
「テレビで『大地の子』再放送してたから、見たの。ハルさん、よく写っていたわね」と、姑。
『大地の子』の最初の放映では、満州墓参団シーンがカットされていた。「エキストラで出演しているっていうから、ずっと見てたけど、どこに出てたの?」と、あちこちから言われた。中国から帰ったあと「『大地の子』にエキストラ出演したから、ぜったいにドラマ見逃さないで」と、大宣伝したのに、うつらなかったのだ。
しかし、拡大版放映のときは墓参りシーンがあり、ビデオ録画して、めでたく「ほんとに出演したんだってば」という証明ができた。
姑はビデオを持たない人なので、今回やっと、墓参りシーンを見た。仲代達矢の後ろに立てばカメラワークに入ると計算して、涙ふくハンカチの脇からカメラ目線でレンズ位置を確かめている笑えるシーンを見たのだ。満州に倒れ伏した人々を思って泣くシーンなのに、「あのカメラ目線は笑える」と、親せき中の評判をとったエキストラ演技。
主役脇役でもなく端役チョイ役ですらなく、ワンシーン、ワンカットのエキストラで、しかもカメラ目線というのが、「私の存在モード」を象徴しているので、気に入っているシーンだ。
姑は「詩吟とお習字と童謡を歌う会に入ったから、毎日忙しくて」という。78歳にして生まれて初めての一人暮らしを楽しんでいるらしい。一人暮らしで元気でいられるうちは心配ない。声を出すのは健康に一番。
本日のつらみ:仲代達矢にサインもらいそこねた
2003/08/17 日 雨
アンドロメダM31接続詞>風野春樹という本名
雨続き。で、一日片づけもせず、ウェブサーフィンでぐだぐだとすごす。
「喜多哲士ぼやいたるねん」のリンクぺージに、「サイコドクターあばれ旅・風野春樹」は本名だと書いてあったので、びっくり。絶対にペンネームウェブネームだと思っていた。SF批評家の名前ならありだけど、精神科医の名前としたら「うそっ」と思う心理は、これいかに。ただし「本名」というのもネタかもしれないが。
SFセミナー世話人の風野満美が奥さんと思うから、やっぱり本名なんだろうな。
ぐるぐる回っていると、何から飛んでも「ことばリンク」と「SFリンク」に出てしまう。自分の興味がせまいことがわかる。青木みやが更新復活していた。ぜんぜん見たことも会ったこともない人なのに、更新にほっとするのも「ネット心理学」でありましょう。青木みやは、SFにまったく関係ないドクター西村の頁から飛んでいった人なのに、SFセミナーの人だった。
私がSFを夢中になって読んだのなんて、ふた昔以上も昔のこと。60年代70年代のSFしか知らなくて、近年のSF小説の進化ぶりもまったくわからない。それでもSF小説が好きっていう人の日記は面白く読める。ぐるぐる回って「ヘビメタビジュアル系が好き」とか、「死体写真コレクター」とかいう人の日記にたどりついたとしても、読み続けることができない。私という人間の感性感覚はきわめて幅狭いもんなんだろうな。
本日のひがみ:精神科医にして、SFにぴったりの本名、うらやましいぞ
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20150813
舅は商業学校出身で、陸軍主計の後方勤務でした。主な仕事は、兵士の給与計算など。前線勤務などはなく、地元の人々と仲良く交流したことなどがのんびり書かれている「山東省出征日記」でした。
一方、私の父は砲兵でしたから、常に最前線で、旧満州から南島へ渡り、戦いつづけました。戦争も、それぞれの立場環境で受け止め方はさまざまなのでしょうが、前線で死を覚悟し続けた父が「二度と戦争をしてはいけない」といったこと、私は守りたいです。
戦後、旧満州の地に置き去りになった子どもの人生を描いた『大地の子』。私が「旧満州墓参団」の一員役のエキストラで出演したのも、はるか昔。21年前のことになりました。(撮影は1994年の夏)拡大バージョンでないと、この墓参シーンはカットされているのですが、BSアーカイブなどで再放送することがあったら、拡大版ならビデオとってください。ハンカチで涙ふきながら、カメラ位置を確認する迷演技、何度見ても笑えます。
国会は、お盆休会とかですが、SEALDs も、OLDsも、ゆる~くがんばってほしい。ネトウヨたちは「ばーさんじーさんが巣鴨に100人集まったからって、なにができる」と、つぶやいていました。10人だろうと100人だろうと、ここからはじまるのだと、思います。巣鴨だったら、自転車でかけつけるところですが、ヤンゴンから応援しています。
<つづく>