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ミンガラ春庭「ヤンゴンのタクシー、ヤンゴンのお金」

2015-08-25 09:40:01 | エッセイ、コラム
20150902
ミンガラ春庭ミャンマー通信>ヤンゴン9月日記(2)ヤンゴンのタクシー、ヤンゴンのお金

 朝の出勤には、タクシーを利用しています。料金は3kmの乗車で2000チャット200円。毎朝、MICTパークの入り口に来るタクシーの運転手と値段交渉をして、乗り込みます。が、交通インフラが整わないうちに爆発的に車が増えてしまった、超渋滞のヤンゴン市内、3km移動に45分かかったことがありました。日本のゴールデンウィーク東京方面へ帰る道筋も顔負けのノロノロ運転が毎日です。大学近くのインセインロードとピーロードが交わる五叉路を通り抜けるのに30分くらいかかるので、より渋滞がおおきいインセインロードからは行かずに、ピーロードから行くようにしています。いくらかは渋滞が少ない木がして。

 それでも、朝の通勤時間帯に、腹側にも胸側にもびったり人がはりつく超ラッシュのバスに乗ると、通勤だけで体力を消耗してしまい、仕事にならないのです。たかが教師の分際で贅沢とは思うけれど、朝はタクシー通勤です。前任の若い講師も、体調崩して以後は「身体のためにはタクシー必需」と思ったそうなので、老体にはなおさらです。
 ミャンマー語だけを話す運転手の、冷房なしの車でも選ばず乗っていましたが、8月21日の朝、ついに英語を理解する冷房車に行き当たりました。

 渋滞のつれづれに話してみると、片言の日本語も知っています。5人いる妹のうち、4人目は日本に20年間在住していて、お店をやっていてとても金持ちなんだ、オレも1週間日本に旅行したことがある、と自慢していました。
 身の上話によると、若い頃は船員で、世界中を船で回って働いたのだそうです。自分の子供達はみなミャンマーに住んでいるけれど、末娘には留学させてやりたいと。8歳の女の子の小学校への送迎をしている、というので、孫かと思ったら、娘でした。

 ミャンマーの上層階級の人たちは、子弟をシンガポールや香港、ロンドンなどに留学させることがステータスのひとつです。日本語の事務所がある文学科の学科長の娘と息子もシンガポールで教育を受け、現在はシンガポール居住で、ミャンマーとの間を行き来しています。
 学科長が若い先任講師に「ミャンマーの人と結婚してミャンマーに住んでくれ」と冗談を言ったとき、「他国の若者にミャンマー居住をすすめるくらいなら、自分の娘と息子を呼び戻してミャンマーに住まわせたらどうなんだ」と、反発を感じてしまった、上層階級とは、あまり合わない貧乏階級の私。
 でも、タクシー運転手が、末娘に海外留学させてやりたい気持ちはわかります。

 運転手は白髪頭の老人ですが、年齢をきくと63歳だという。「私は66歳。私のほうが年上だ」と話すと、「40代かと思った」と、お世辞を言う。まあ、女性の定年が55歳くらいという当地では、66歳なんていう高齢者が毎日働きに出る、ということもないから、労働世代なら50代以下、と思うのは当然です。

 よさそうな人に思えたので、「毎朝8時半に、私をMICTパークから大学までピップアップしてくれないか」と頼んでみました。冷房車だし、毎朝値段交渉をするのも飽きたし。彼は「8時には娘を学校に送っていくのだが、、、、」と思案していましたが、8時半のピックアップOK、と、約束ができました。月~金で確実に来てくれるのなら、こちらも楽です。彼も、毎週5日間、確実に2000×5チャットが定収入となれば、娘へのおこずかいもちょっとは増やしてやれる。

 名刺を交換。ウーエーミンさん。シュエランピャン旅行社の空港タクシー運転手。
 彼に、「私は、まだミャンマー語を話せず、勉強したくても、ミャンマー語の学習書を東京に置いてきてしまった」と、話しました。彼は「週末に本屋で、日本語ミャンマー語の本を買ってくる。私が毎朝ミャンマー語を教えてやろう」と、言うのです。渋滞のタクシーの中、私が発音して、彼がそれを直してくれるなら、渋滞の退屈もまぎれます。

 24日月曜日、日本人だから、8:30の約束に5分早くMICTパークの入り口で待っていました。8:30に電話がかかってきて、「道が混んでいるから少し遅れる」という連絡がウーエーミンさんから入りました。律儀な人だとわかりました。到着は8:35。ミャンマーアポイントでは、1時間の誤差は待ったうちにはいらない。雨期は雨が激しいと、いっそう約束時間がずれ込む。にもかかわらず、8:35の到着は「日本人は時間の約束に厳しいから、8:40をすぎても来なかったら、ほかのタクシーを拾う」と、言ってあったので、最初の日なので、きちんと時間を守ったのかも。

 初日は、大学を通過して下町のシュエタゴンパゴダ周辺にある両替所に行ってもらいました。手持ちのドルで換えたミャンマーチャットが終わりそうなので、円を両替しなければなりません。100ドルの新札はどこの両替所でも交換できるけれど、円が交換できる両替所は数少ない。

 私ときたら早合点をして円を持ってきてしまったのです。ヤンゴン市内に三井、三菱、みずほの3銀行の支店がオープンしたというニュースを見て、日本の銀行に行けば、円の両替もできるに違いないと思い込んで、円をドルに交換する手間を惜しだのです。
 日本の銀行オープンと言っても、それは企業の投資を扱うだけで、いっぱん庶民が小金を換えることなんぞ、扱ってはくれぬ、という事情は当地に来て知りました。

 それで、日本語情報誌に出ていた「ユザナホテル前の両替所」が円も両替できる、という広告を見て出かけました。レートはドルを換えたときより、よほど悪かったです。
 現在のレートでは、日本の金額をそのまま10倍すれば、ミャンマーチャットになるので、計算がしやすくていい。1000チャット札は100円。5000チャット札は500円です。

 物価は、野菜や果物は日本価格に比べてめちゃ安ですが、工業製品は日本と同じくらいの値段。ミャンマー物価にすると、とても高い。ネスカフェ150gの瓶が4800チャット480円ですから、日本とそれほど変わらない値段。当地の人にしてみれば、とても高い飲み物になります。1500チャット150円あれば、一食たべられる生活なのに。

 私は、ケニアのときも中国のときも、すぐに現地金銭感覚になります。中国では20元300円のものは高く感じたし、ミャンマーでは3000チャット300円のものは高く感じてしまうのです。
 私の唯一の贅沢が、毎朝のタクシー代2000チャット200円。夕ご飯なんて、大学食堂のごはんを「パーセー(テイクアウト)」して、宿舎で煮返して食べました。野菜のおかず、肉のおかずが少量ずつついて、ご飯と酸辣湯みたいなすっぱいスープがついて、一食150円。
 ごはんは、新規開店大学近くのシティマートで買ったしいたけと干しエビを戻して雑炊にしたので、おいしい。

 町には、日本と変わらない値段をだせば、日本食レストランも多数あります。日本水準の給与をもらっている駐在員たちは、私からみると「バカ高」の和食やラーメンを毎日食べていると思います。私は、現地給与ではないのですが、日本留守宅の諸経費なども負担しなければならないので、節約にこしたことはありません。

 タクシーのウーエーミンさんが、渋滞のつれづれに「あんたは給料いくらもらっているんだ」と聞いてきました。中国でも、ちょっちゅう「給料いくらだ」と、聞かれたていました。
私は、例によって計算ができなくなり、どうやら一桁低い額を言ったらしい。
 いたく同情されました。「あんたもたいへんだなあ」みたいに気の毒がる。たしかに、いくら物価が安いとはいえ、桁違いの低月給では、タクシー代払うのもたいへんだろうと、同情されても当然。

 両替所から大学までの道のり、8時半にピックアップしてから、90分時間がたっていました。距離と時間を考えて、8000チャットなら妥当、10000チャット1000円と言われたらちょっと値切ろうかな、と計算していました。
 彼は「6000チャット」というので、私は「え!6000!」と、すっとんきょうな声をだしました。90分もタクシー利用して600円です。
 でも彼は、私が「高い」という抗議の声を出したのだと勘違いして「いや、道が渋滞していた待ち時間もあったし、、、、」と、言い訳をしています。貧乏人の私に払わせるには、高いと懸念したのでしょう。ホーケーホーケー、と、6000チャットをはらいました。ホーケーは、OKです。

 とても良心的なウーエーミンさんのタクシー。毎日利用できることになり、助かります。
 ウーエーミンさんにさいしょにおそわったミャンマー語は「タッカドゥ、ベゥラッレー。大学、いくら?」でした。しかし、日本で外人が「こ~れ、いく~ら、ですぅかあ」と言っても地元民には思えないように、私の発音では、べゥラッレーとたずねても、地元民とは異なります。しかし、店の人も、外人だからとボルようなことは、めったにありません。
 正直でおだやかな国民性です。人をだましたり、悪いことをすれば、来世は仏罰必定、蝿やらゴキブリになるのですから。 

<つづく>
コメント (4)
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