20151114
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>晩秋のことば(1)冬隣
今年の木枯らし1号は、例年より早く10月24日の晩に吹きました。2015年、立冬は11月8日。歳時記もすでに「秋」ではなく、「冬」をひもとくべきなのですが、私の感覚では、東京の木々が紅葉するまでは秋。東京の木々、色づくのは11月下旬です。冬は12月1月。11月は晩秋の気分です。
最近は季語にもさまざまに新しい趣向が出ていて、カタカナ季語も、アイスクリーム、キャンプ、ビアホールは夏、カーペット、コート、クリスマスは冬。カタカナ語のエイプリルフールは、「四月ばか」でもよし、「万愚節」でもよし。
秋の季語、カタカナことばがないなあと思っていたら、ハロウィーンが秋の行事として定着しそうな昨今です。10月31日の夜、東京の繁華街は仮装した若者のグループでごった返していました。和製英語のコスプレ(コスチュームプレイ)は、「アニメ」「カワイイファッション」と共に、海外輸出コンテンツの最前線にまで出てきています。
ウタは世につれ、なので、秋の季語といっても、まったく身の回りにないものも多い。 「鹿火屋(かびや)」といっても、どんなものかすぐにわかる人も、今では少ないだろうと思います。秋の収穫物を荒らしに来る鹿や猪を寄せ付けないために、火をくすぶらせる山畑の小屋のこと。
「俵編む」という季語、秋の収穫に備えて、稲わらで俵を編む生活が身近にあった時代は秋を強く感じさせることばだったのでしょうが。
・寂しさにまた銅鑼打つや鹿火屋森<原石鼎
・俵編みやめたるままに座りおり<高野素十
「穭(ひつじ)=禾ヘン + 魯」という秋の季語。稲の刈株から芽生える青い穂。さっと思い描ける人、すごい。私は久しく刈り取ったあとの田んぼを見ていないし、見ていたはずの子供のころには、「穭」なんて語があるとも知らなかった。「俵編み」を秋の日常生活として経験した人とともに、絶滅危惧種になっている。
・らんらんと落日もゆる穭かな<富安風生
だから、若者の生活に親しいハロウィーンが季節のことばになったらなったで歓迎します。そして、それでもなお、古いことばを残したくもあります。
秋の花の中、ウェブ友すみともさん掲載の紫苑、外来種だとはじめて知りました。コスモスは明治中期の外来種だと知られているけれど、紫苑は平安以前に韃靼海峡を渡って来た花なのだと。
・紫苑活けありてひそやかな墓ひとつ<星野立子
・ふるさとの廃家の庭の紫苑花に韃靼越えて蝶の寄り来る<春庭
私の故郷の家は取り壊されて妹一家は引っ越し、跡地にはアパートが建てられました。庭に咲いていたのは、母が植えた紫色の都忘れという花でした。都忘れは秋の花ではないのに、紫苑とごっちゃになって脳裏にあります。
ブログ友達のサイト訪問の楽しみのひとつは、自分は知らなかったことばを教わったり、漢字を知ったりすること。
ドウダンツツジについても、やはりすみともさんの庭のドウダンツツジの鮮やかな紅葉の写真を見て、はて、ドウダンは、言語道断のドウダンだったっけ、と、漢字を知らなかったことに気づいた次第。
漢字は「灯台躑躅」「満天星」という字。どちらも、昔の灯り台の形に似ている枝振りなので、灯台躑躅。花の付き方が満天の星に見えるので、満天星。当て字の理由はあるのですが、私の疑問は「灯台トーダイ」が「ドーダン」に転訛した過程です。
動詞の撥音便は「遊びて」が「あそンで」に、「死にて」が「しンで」というように、動詞語中の/ni/、/bi/、/mi/の音が/n/に変わることをいいます。
名詞も、語中の/ni/、/bi/、/mi/の音が/n/の音に変わります。髪に挿す「カミサシ」の/mi/の音が/n/に変化し「かンざし=簪」に変わる。「兄(アニ)さん」も、ちゃんづけとなると「あンちゃん」になりますね。
トウダイの後ろにツツジがつながることによって、イの音が語中化し、ンに変わったのだろうと思います。
しかし、語頭の「ト」が「ド」に変わった理由がわかりません。ふたつの語が組み合わさって新しい語(複合語)となるとき、後ろの語の語頭が濁音化する現象を連濁といいます。しかしトウダイのトは語頭です。連濁の法則ではありません。トウダンではなくドウダンになったのはなぜか、、、、と、考えてもラチ開かないことをうつらうつらと考えてみる晩秋のひととき。
・灯台(ドーダン)の躑躅紅葉を照らす日は黙(モダ)して眺める縁側にも射す<春庭
この週末ぐっと寒くなってきました。
晩秋のことば。「冬隣」私にとっては、俳句ではなく、ちあきなおみの歌です。連れ合いを亡くした女性が、強くもない酒を飲みながら亡き人をしのぶ歌です。地球の夜更けは寂しい、と。
・くらがりへ人の消えゆく冬隣<角川源義
・冬隣いまだ亡びず女です<春庭
・冬隣地球の夜明けもまた寂し<春庭
<つづく>
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>晩秋のことば(1)冬隣
今年の木枯らし1号は、例年より早く10月24日の晩に吹きました。2015年、立冬は11月8日。歳時記もすでに「秋」ではなく、「冬」をひもとくべきなのですが、私の感覚では、東京の木々が紅葉するまでは秋。東京の木々、色づくのは11月下旬です。冬は12月1月。11月は晩秋の気分です。
最近は季語にもさまざまに新しい趣向が出ていて、カタカナ季語も、アイスクリーム、キャンプ、ビアホールは夏、カーペット、コート、クリスマスは冬。カタカナ語のエイプリルフールは、「四月ばか」でもよし、「万愚節」でもよし。
秋の季語、カタカナことばがないなあと思っていたら、ハロウィーンが秋の行事として定着しそうな昨今です。10月31日の夜、東京の繁華街は仮装した若者のグループでごった返していました。和製英語のコスプレ(コスチュームプレイ)は、「アニメ」「カワイイファッション」と共に、海外輸出コンテンツの最前線にまで出てきています。
ウタは世につれ、なので、秋の季語といっても、まったく身の回りにないものも多い。 「鹿火屋(かびや)」といっても、どんなものかすぐにわかる人も、今では少ないだろうと思います。秋の収穫物を荒らしに来る鹿や猪を寄せ付けないために、火をくすぶらせる山畑の小屋のこと。
「俵編む」という季語、秋の収穫に備えて、稲わらで俵を編む生活が身近にあった時代は秋を強く感じさせることばだったのでしょうが。
・寂しさにまた銅鑼打つや鹿火屋森<原石鼎
・俵編みやめたるままに座りおり<高野素十
「穭(ひつじ)=禾ヘン + 魯」という秋の季語。稲の刈株から芽生える青い穂。さっと思い描ける人、すごい。私は久しく刈り取ったあとの田んぼを見ていないし、見ていたはずの子供のころには、「穭」なんて語があるとも知らなかった。「俵編み」を秋の日常生活として経験した人とともに、絶滅危惧種になっている。
・らんらんと落日もゆる穭かな<富安風生
だから、若者の生活に親しいハロウィーンが季節のことばになったらなったで歓迎します。そして、それでもなお、古いことばを残したくもあります。
秋の花の中、ウェブ友すみともさん掲載の紫苑、外来種だとはじめて知りました。コスモスは明治中期の外来種だと知られているけれど、紫苑は平安以前に韃靼海峡を渡って来た花なのだと。
・紫苑活けありてひそやかな墓ひとつ<星野立子
・ふるさとの廃家の庭の紫苑花に韃靼越えて蝶の寄り来る<春庭
私の故郷の家は取り壊されて妹一家は引っ越し、跡地にはアパートが建てられました。庭に咲いていたのは、母が植えた紫色の都忘れという花でした。都忘れは秋の花ではないのに、紫苑とごっちゃになって脳裏にあります。
ブログ友達のサイト訪問の楽しみのひとつは、自分は知らなかったことばを教わったり、漢字を知ったりすること。
ドウダンツツジについても、やはりすみともさんの庭のドウダンツツジの鮮やかな紅葉の写真を見て、はて、ドウダンは、言語道断のドウダンだったっけ、と、漢字を知らなかったことに気づいた次第。
漢字は「灯台躑躅」「満天星」という字。どちらも、昔の灯り台の形に似ている枝振りなので、灯台躑躅。花の付き方が満天の星に見えるので、満天星。当て字の理由はあるのですが、私の疑問は「灯台トーダイ」が「ドーダン」に転訛した過程です。
動詞の撥音便は「遊びて」が「あそンで」に、「死にて」が「しンで」というように、動詞語中の/ni/、/bi/、/mi/の音が/n/に変わることをいいます。
名詞も、語中の/ni/、/bi/、/mi/の音が/n/の音に変わります。髪に挿す「カミサシ」の/mi/の音が/n/に変化し「かンざし=簪」に変わる。「兄(アニ)さん」も、ちゃんづけとなると「あンちゃん」になりますね。
トウダイの後ろにツツジがつながることによって、イの音が語中化し、ンに変わったのだろうと思います。
しかし、語頭の「ト」が「ド」に変わった理由がわかりません。ふたつの語が組み合わさって新しい語(複合語)となるとき、後ろの語の語頭が濁音化する現象を連濁といいます。しかしトウダイのトは語頭です。連濁の法則ではありません。トウダンではなくドウダンになったのはなぜか、、、、と、考えてもラチ開かないことをうつらうつらと考えてみる晩秋のひととき。
・灯台(ドーダン)の躑躅紅葉を照らす日は黙(モダ)して眺める縁側にも射す<春庭
この週末ぐっと寒くなってきました。
晩秋のことば。「冬隣」私にとっては、俳句ではなく、ちあきなおみの歌です。連れ合いを亡くした女性が、強くもない酒を飲みながら亡き人をしのぶ歌です。地球の夜更けは寂しい、と。
・くらがりへ人の消えゆく冬隣<角川源義
・冬隣いまだ亡びず女です<春庭
・冬隣地球の夜明けもまた寂し<春庭
<つづく>