20151121
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2015十五夜満月日記11月(3)七日市藩邸&こんにゃく工場
七日市藩は、旧甘楽郡(現富岡市)にあった1万3千石の小藩です。初代藩主は、前田利家の五男利孝(1616-1637 )。本妻まつ(芳春院)の生んだ長兄利長が100万石の加賀藩を受け継いだのに比べて、芳春院とともに江戸で人質生活をして苦労した五男が1万石ではずいぶん差があります。でも、大名家でも次男三男以下は養子に出されるか部屋住みで一生を飼い殺しになるか、というのが実情。そこを、庶腹の五男坊なのに、小藩といえども一国の主になれた、と思うべきか。
廃藩置県後、藩邸(陣屋)跡地は群馬県立富岡高等学校となっています。正門そばに、遺構として正面玄関付近1棟、中門1棟が残されています。富校生徒には「御殿」と呼ばれて、大切に保存されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/aa/3721eaae128db4aa2f80be4955cce7cb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/67/36567093c9105c7b38982c1e20f6a570.jpg)
富校正門には、立派な校章がついています。群馬県の私立高校の先生だったやっちゃん、門から出て行こうとする男子生徒に、「この校章の由来を教えてくんねーかい」と、上州弁で尋ねました。「はい、この紋の矢印は鏑矢で、木の葉は、そこに立っている槻の木の葉です、、、」と、すらすらと答えてくれました。
きっと入学時に、学校の伝統について教え込まれるのでしょうが、生徒ひとりひとりがこの学校と校章に誇りをもっているから、しっかり記憶が残っているのでしょう。「うん、さすが西毛一の高校だ、いい生徒だ」と、やっちゃんも感心。
校門の富岡高校校章
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/0d/2762ecc92f100e34e15458a20e84548d.jpg)
七日市藩の藩校由来の文武両道を伝統にしている男子校ですが、生徒数減少の昨今、富岡女子高校との合併が控えているとか。群馬県の主な市の公立高校は、ほとんどが男子校女子校の両校を並立させるのが伝統です。公立高校の男女別学率が全国最高。共学化に反対するOB・OGも多い。現在は、8市が男女別学。男子校女子校並立)私の出身市も男子校女子校が別々にありました。富岡高校共学化を聞くと、時代の趨勢かなと思います。私は女子校で学べてよかったと思っているひとりですが、出身校が男子校と合併して共学化しても反対はしません。
高校理科教師だったやっちゃん、校門の脇にたつ大ケヤキについて「え?ケヤキのことを槻の木っていうのか、知らなかった」と言います。「槻の木」はケヤキの古名。「やっちゃん、生物も教えたんでしょ?」と聞くと「弱小私立校だったから、生物地学物理化学、全部教えなきゃならなかったけど、ケヤキはケヤキって教えた。槻の木なんて初めてきいた」と、言います。大学で乗馬部だったやっちゃんは、高校教師になったあとは、高校乗馬部の指導が大きな仕事で、ケヤキの古名まで手がまわらなかった。
「別段理科が得意で理科教師になったんじゃなくってさ。酪農学科じゃ理科教師免許宇しかとれなかったから。女子校のとき、物理も大の苦手だったなあ。でもさ、私は物理のテスト40点で、せっちゃんは70点なのに、通信簿はふたりとも3だったから、せっちゃんは怒っていたなあ」
やっちゃんは、スポーツ少女で、生徒からも先生からも好かれていたので、物理の先生もやっちゃんには少しでもいい評価をあげたかったのだろうと思います。
私も、少しでもやっちゃんと仲良しになりたくて、「来週試合があるから試験勉強できない。化学わからないところを聞くから、試験の前にテスト出そうなところをまとめて教えてくれねーか」と、やっちゃんに頼まれて、必至ににわか勉強をしました。完全文系だった私だって、化学なんて苦手だったのです。化学が少しでもわかるように、高校1年生のときは音楽部と文芸部に入っていたのをすっぱりやめて、2年生から科学部化学班に入りました。やっちゃんに化学を教えるためです。やっちゃんの実家に行って、テスト前の勉強をしたのも高校時代の思い出のひとつ。
私もやっちゃんも、高校時代には教師になろうとは少しも思っていませんでした。
やっちゃんは、「牛飼いになろうと思って」酪農学科のある大学に入るため北海道に渡りました。結婚後、結局はやっちゃんのお父さんもお兄さんもそうであった高校教師になりました。ご主人を早くに亡くして、女手ひとつで息子さんを育てていくためでした。
私も教師になろうと思ってなってのではなく、「とりあえず、女がひとりで生きていく食い扶持を稼ぐために」と思って教師になったのに、女ひとりだけじゃないパラサイト娘パラサイト息子の食い扶持稼ぎのため66歳でまだ教師。
やっちゃんといっしょの「大人のえんそく」。社会科見学の最後は、こんにゃく工場見学です。
群馬県は、全国一のこんにゃく生産地。全国の生産量(56,100t)の97%をしめているのが群馬県です。北毛(群馬県北部)と西毛地方は、その中心地。
やっちゃんとふたりで見学したのは、富岡製糸場から車で15分ほどの甘楽郡甘楽町小幡にある、ヨコオフーズの「こんにゃくパーク」です。無料で楽しめる工場見学&こんにゃくバイキング。
こんにゃく工場見学
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/6b/5455009dab4fbc789d0383c6473b20a1.jpg)
こんにゃく・白滝工場ゾーン、ゼリー工場ゾーンを見学してから、無料のこんにゃく食べ放題。こんにゃくラーメン、こんにゃくゼリー、シラタキ煮もの、こんにゃくサラダ。味噌田楽。どれも少しずつ取り分けて、最後に気に入った味のものをおなかいっぱい食べようということで、やっちゃんとお皿2枚ずつ取りました。
やっちゃんは「ふだん、家ではこんにゃくを揚げたことないから」と、こんにゃくから揚げが気に入りました。私はオーソドックスに、油揚げとこんにゃくの煮物。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/70/68c5692c6efd3320f9edc1a4e16b3794.jpg)
こんにゃく食べ放題、思いっきり食べてこんにゃくでおなかふくれても、夕食は別腹。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/3a/e96d6ecd6ea19948175b2eccece65b9a.jpg)
おみやげゾーンで、やっちゃんにお礼のこんにゃくと、東京の自宅用の分を買いました。スーパーの特売に比べて特別安くはないけれど、おなかいっぱいこんにゃくを食べたのだから、このくらい買わなきゃ悪いかなと思って。やっちゃんには車運転してもらったほか、野菜もいろいろもらったのです。
高崎市内に戻って、夕ご飯。こんにゃくでおなかいっぱいになったけれど、「こんにゃくはゼロカロリーだから、別腹」ということにして、魚ソテーを食べながら、やっちゃんがヤンゴンに遊びに来るならいつがいいか、という相談をしました。
定年退職後の年金生活だから「毎日が日曜日」というやっちゃんですが、ヤンゴン勤務の私には、年末年始の休みはありません。暮れは12月31日まで休みなし。1月1日が新暦正月。1月4日は農民休日。ミャンマーの正月は4月です。
1月1日から11日まで、10日間のヤンゴン滞在はどうだろうか、ということになりました。
ミャンマーを旅行する場合、ツアーに加わってそこそこのホテル宿泊、移動は飛行機というのなら、1週間楽しく旅できると思います。でも、やっちゃんは一人旅で、ホテルではなく、私の部屋に泊まりたいという。他の人には、ネズミも虫も出て、水シャワーだけの外国人宿舎に泊まってもらうのは躊躇します。でも、やっちゃんならきっと大丈夫。今でも必要ならば厩舎に泊まり込むというワイルドやっちゃんです。
次回のヤンゴン勤務が少しでも楽しくなるように、いろいろ計画しなければ。
<おわり>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2015十五夜満月日記11月(3)七日市藩邸&こんにゃく工場
七日市藩は、旧甘楽郡(現富岡市)にあった1万3千石の小藩です。初代藩主は、前田利家の五男利孝(1616-1637 )。本妻まつ(芳春院)の生んだ長兄利長が100万石の加賀藩を受け継いだのに比べて、芳春院とともに江戸で人質生活をして苦労した五男が1万石ではずいぶん差があります。でも、大名家でも次男三男以下は養子に出されるか部屋住みで一生を飼い殺しになるか、というのが実情。そこを、庶腹の五男坊なのに、小藩といえども一国の主になれた、と思うべきか。
廃藩置県後、藩邸(陣屋)跡地は群馬県立富岡高等学校となっています。正門そばに、遺構として正面玄関付近1棟、中門1棟が残されています。富校生徒には「御殿」と呼ばれて、大切に保存されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/aa/3721eaae128db4aa2f80be4955cce7cb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/67/36567093c9105c7b38982c1e20f6a570.jpg)
富校正門には、立派な校章がついています。群馬県の私立高校の先生だったやっちゃん、門から出て行こうとする男子生徒に、「この校章の由来を教えてくんねーかい」と、上州弁で尋ねました。「はい、この紋の矢印は鏑矢で、木の葉は、そこに立っている槻の木の葉です、、、」と、すらすらと答えてくれました。
きっと入学時に、学校の伝統について教え込まれるのでしょうが、生徒ひとりひとりがこの学校と校章に誇りをもっているから、しっかり記憶が残っているのでしょう。「うん、さすが西毛一の高校だ、いい生徒だ」と、やっちゃんも感心。
校門の富岡高校校章
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七日市藩の藩校由来の文武両道を伝統にしている男子校ですが、生徒数減少の昨今、富岡女子高校との合併が控えているとか。群馬県の主な市の公立高校は、ほとんどが男子校女子校の両校を並立させるのが伝統です。公立高校の男女別学率が全国最高。共学化に反対するOB・OGも多い。現在は、8市が男女別学。男子校女子校並立)私の出身市も男子校女子校が別々にありました。富岡高校共学化を聞くと、時代の趨勢かなと思います。私は女子校で学べてよかったと思っているひとりですが、出身校が男子校と合併して共学化しても反対はしません。
高校理科教師だったやっちゃん、校門の脇にたつ大ケヤキについて「え?ケヤキのことを槻の木っていうのか、知らなかった」と言います。「槻の木」はケヤキの古名。「やっちゃん、生物も教えたんでしょ?」と聞くと「弱小私立校だったから、生物地学物理化学、全部教えなきゃならなかったけど、ケヤキはケヤキって教えた。槻の木なんて初めてきいた」と、言います。大学で乗馬部だったやっちゃんは、高校教師になったあとは、高校乗馬部の指導が大きな仕事で、ケヤキの古名まで手がまわらなかった。
「別段理科が得意で理科教師になったんじゃなくってさ。酪農学科じゃ理科教師免許宇しかとれなかったから。女子校のとき、物理も大の苦手だったなあ。でもさ、私は物理のテスト40点で、せっちゃんは70点なのに、通信簿はふたりとも3だったから、せっちゃんは怒っていたなあ」
やっちゃんは、スポーツ少女で、生徒からも先生からも好かれていたので、物理の先生もやっちゃんには少しでもいい評価をあげたかったのだろうと思います。
私も、少しでもやっちゃんと仲良しになりたくて、「来週試合があるから試験勉強できない。化学わからないところを聞くから、試験の前にテスト出そうなところをまとめて教えてくれねーか」と、やっちゃんに頼まれて、必至ににわか勉強をしました。完全文系だった私だって、化学なんて苦手だったのです。化学が少しでもわかるように、高校1年生のときは音楽部と文芸部に入っていたのをすっぱりやめて、2年生から科学部化学班に入りました。やっちゃんに化学を教えるためです。やっちゃんの実家に行って、テスト前の勉強をしたのも高校時代の思い出のひとつ。
私もやっちゃんも、高校時代には教師になろうとは少しも思っていませんでした。
やっちゃんは、「牛飼いになろうと思って」酪農学科のある大学に入るため北海道に渡りました。結婚後、結局はやっちゃんのお父さんもお兄さんもそうであった高校教師になりました。ご主人を早くに亡くして、女手ひとつで息子さんを育てていくためでした。
私も教師になろうと思ってなってのではなく、「とりあえず、女がひとりで生きていく食い扶持を稼ぐために」と思って教師になったのに、女ひとりだけじゃないパラサイト娘パラサイト息子の食い扶持稼ぎのため66歳でまだ教師。
やっちゃんといっしょの「大人のえんそく」。社会科見学の最後は、こんにゃく工場見学です。
群馬県は、全国一のこんにゃく生産地。全国の生産量(56,100t)の97%をしめているのが群馬県です。北毛(群馬県北部)と西毛地方は、その中心地。
やっちゃんとふたりで見学したのは、富岡製糸場から車で15分ほどの甘楽郡甘楽町小幡にある、ヨコオフーズの「こんにゃくパーク」です。無料で楽しめる工場見学&こんにゃくバイキング。
こんにゃく工場見学
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/6b/5455009dab4fbc789d0383c6473b20a1.jpg)
こんにゃく・白滝工場ゾーン、ゼリー工場ゾーンを見学してから、無料のこんにゃく食べ放題。こんにゃくラーメン、こんにゃくゼリー、シラタキ煮もの、こんにゃくサラダ。味噌田楽。どれも少しずつ取り分けて、最後に気に入った味のものをおなかいっぱい食べようということで、やっちゃんとお皿2枚ずつ取りました。
やっちゃんは「ふだん、家ではこんにゃくを揚げたことないから」と、こんにゃくから揚げが気に入りました。私はオーソドックスに、油揚げとこんにゃくの煮物。
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こんにゃく食べ放題、思いっきり食べてこんにゃくでおなかふくれても、夕食は別腹。
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おみやげゾーンで、やっちゃんにお礼のこんにゃくと、東京の自宅用の分を買いました。スーパーの特売に比べて特別安くはないけれど、おなかいっぱいこんにゃくを食べたのだから、このくらい買わなきゃ悪いかなと思って。やっちゃんには車運転してもらったほか、野菜もいろいろもらったのです。
高崎市内に戻って、夕ご飯。こんにゃくでおなかいっぱいになったけれど、「こんにゃくはゼロカロリーだから、別腹」ということにして、魚ソテーを食べながら、やっちゃんがヤンゴンに遊びに来るならいつがいいか、という相談をしました。
定年退職後の年金生活だから「毎日が日曜日」というやっちゃんですが、ヤンゴン勤務の私には、年末年始の休みはありません。暮れは12月31日まで休みなし。1月1日が新暦正月。1月4日は農民休日。ミャンマーの正月は4月です。
1月1日から11日まで、10日間のヤンゴン滞在はどうだろうか、ということになりました。
ミャンマーを旅行する場合、ツアーに加わってそこそこのホテル宿泊、移動は飛行機というのなら、1週間楽しく旅できると思います。でも、やっちゃんは一人旅で、ホテルではなく、私の部屋に泊まりたいという。他の人には、ネズミも虫も出て、水シャワーだけの外国人宿舎に泊まってもらうのは躊躇します。でも、やっちゃんならきっと大丈夫。今でも必要ならば厩舎に泊まり込むというワイルドやっちゃんです。
次回のヤンゴン勤務が少しでも楽しくなるように、いろいろ計画しなければ。
<おわり>