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ぽかぽか春庭「ニッポンの日常」

2015-11-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20151128
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2015十五夜満月日記11月(4)ニッポンの日常

 23日勤労感謝の日は、姑の家へ。
 ヤンゴン渡航前に姑に挨拶して、姑が平日に通っているデイケア・センターの家族見学日に参加してきました。

 姑は、3月に病院から退院したあと、日中はデイケア・センターで過ごしています。
 夜は一人息子である夫が泊まります。夫は、姑が寝入ってから帰り、姑がデイケアの迎えのバスに乗ったあと起きてくるので、なんの役にも立たないようですが、姑にとっては、かわいい息子が夜の間、同じ家の中にいるというだけでも安心できるというので、タカ氏、これまでの無沙汰を解消できる親孝行になっています。これまでは、ばあちゃん孝行は孫とヨメに任せて、親をほったらかしていた長男だったので。

 デイケア見学、我が家は、娘息子私と3人で行って、おばあちゃんがデイケアセンターでどのようにすごしているか、施設内を見学したり、ヘルパーさんの仕事ぶりを見たり。

 塗り絵作品のコンクールをやっていたので、娘と息子と私で、姑の塗り絵に「組織票」を入れました。
 姑、「塗り絵とか、幼稚園みたいで嫌なんだけれど、やらされるのよ」と、ぼやいていた活動です。でも、紅葉のはっぱ一つ一つにグラデーションをつけて塗り分けている塗り絵がきれいだったので、誉めたら「私は絵心ないから、塗り絵なんかじょうずじゃないのよ」と言いながらもうれしそうでした。

 姑は地域の老人会では「留学生と交流する会」などに参加し、区民講座の「平家物語を読む会」に出席するとかの活動が好きだったのです。デイケアセンターの活動には「体操も本格的なものじゃなくて、ヘルパーさんがちょこっと指導するだけ。お習字は、墨なんかすらないで、墨汁でやるだけ」と、不満があったのですが、お友達ができておしゃべり仲間ができてからは、毎日を楽しみに参加するようになりました。はじめのうちは「年寄りばっかりなので、気がめいる」なんて、自分も90歳の年寄りなのに言っていましたが。

 2階ではカラオケをやっているグループ、1階では体操をやっているグループがありました。しかし、1階の食事テーブルの周りには、何もしないでじっと虚空を見つめているお年寄りも数名いました。人生の最後をこのように「何もしたいことがない」かのように見える姿で時間をやり過ごしている、、、、、見ている側からは、せつなくなる姿です。しかし、もしかしたら、本当は、心の中でいろいろ考え事があったり、これまでの人生をふりかえる貴重な時間を過ごしているのかも知れない。それを発信して表現してくれないことには、なにもしないでいるように見えてしまうのは、こちらの感受性がにぶいだけ。

 茨城県の教育委員だった女性が、「障害児が生まれないようにしたほうがいい」という発言をしました。姑もペースメーカーを装着した今は、障害者手帳を持つ身となりました。障害を持ち、「国策に沿う労働力」「一億総活躍」に該当できない人間は不要、と、お偉い方々wは思っているのでしょう。
 障害があって労働力になれない人、老齢で働けない人を「カネがかかるだけの余計者」と考える人もいるのだと理解はしています。でも、ナチスが精神病の人や障害者を排除していった先の結果がどうなったか。
 多様な考え方を認める、というなら、「役に立たない人は生きていなくてもいい」という考え方も認めるべきでしょうか。
 「人を殺すな」は、普遍の倫理です。それと同じくらい「働けない人、動けない人も、すべての命あるものには普遍の価値があり、同じ人として尊重される」ということだけは譲れません。

 玄関のバザーコーナーで、手作りのお手玉やぬいぐるみを買いました。
 買い物と言っても、作品の値段は、100円とか50円とかですが、本当のお金でやりとりするので、作品を作った人には「売れた」という満足感があります。売上金は、次の作品作りの材料費代になります。

 姑は、米寿までお習字やら童謡を歌う会やらに参加していましたが、去年89歳を過ぎると足もとが不安になってだんだん外に出なくなりました。今年は1月に入院、90歳誕生日は病院でむかえました。心臓ペースメーカー手術して3月に退院したあと、デイケアセンターのお世話になり、バスに迎えに来てもらって通所するようになりました。平日、火木金に通所しているデイケアと水曜日に行くデイケア二ヶ所利用です。水曜日のデイケアセンターには、スポーツジムのような運動機器がそろっているので、熱心に参加しています。身体を動かし、少しでも元気に動けるようになることが目標。
 しかし、水曜日のデイケアには看護師さんが常駐していないので、火木金は隣町のデイケア通所。土日月は、看護ステーションからの訪問を受け、買い物などのつきそいには娘がお相手をしています。

 デイケア・センターから姑の家に帰宅して、部屋の模様替えのことなど娘息子と相談していました。家族のつきそいなしの階段上り下りが禁じられているので、1階に服を置かなければなりません。2階と3階の納戸や洋服入れから冬服を1階に下ろしたのだけれど、1階には小さなプラスチックタンスしかないので、もっとおおきいタンスを買いたい。それを1階に置くには、どう模様替えしたらよいか、という相談を、メジャーで測りながら検討していました。
 姑の目標は日野原重明さん。104歳でも現役で講演や執筆に活躍しているお医者さんを見習って、最後まで元気でいたいと言い「ミャンマーにも行けるといいのだけれど」と、希望を持っています。

 娘がちょっと残念がったこと。
 「母がさあ、敬老のプレゼントとして、なんでも好なものをかってくださいっておばあちゃんにプレゼントしたお金あったでしょ。あのお金で、おばあちゃんが何を買ったと思う?ぜったいに母は腹立つと思うよ」「なんでも好きなものって言ったんだから、何を買おうとおばあちゃんの好きでしょ」「あのね、おばあちゃんは、あのお金で、お父さんのカーディガン買った」「うわっ、そりゃ腹たつ。おばあちゃんのものを買ってほしかったのに。なんで私がプレゼントしたお金がタカ氏のカーディガンになっちゃうかな」
 てなやりとりもありました。

 確かに「何でも好きなもの」を買えばいいと言ってあげたんだから、いいんだけれどね。おばあちゃんにとって、なにより買いたいものは、「かわいい息子に着せるカーディガン」だったとは。
 「おばあちゃんにとっては、何も世話してくれなくても、泊まっていくだけの父がありがたいんだよ。孫ふたりがせっせと世話してあげても、やっぱり息子が第一なんだね」と、娘も釈然としないようす。

 90歳のばあちゃんにとって、60歳の息子が何よりかわいくて、カーディガン買ってあげる。くやしいから夫に電話して「あなた、おばあちゃんからカーディガンもらったでしょ。それね、私がおばあちゃんにプレゼントしたお金で買ったんだからねっ」って、言ってやった。夫は「うん、ばあちゃんも、これ、ヨメさんのお金で買ったって言っていた」と。
 ほんといくつになっても、息子の世話をやきたい母親、ありがたいことです。

 土日のデイケア通所が休みの日は、孫である娘と息子につきそわれて過ごしています。娘と買い物に行くのが、今は一番の楽しみ。
 私は、デイケアの催しに顔を出して、手作り作品を買い上げるくらいがおばあちゃん孝行で、ふだん何もしないヨメですが、姑は「内孫ふたりがこんなにやさしい子に育ったのも、ヨメさんの育て方がよかったから」と言ってくれます。私から見ても、世間一般の「孫」という存在に比べて、ばあちゃん孝行な孫達だなあと思います。
 娘は「おばあちゃんは、世間の孫もみんなこんなもんだと思っていて、特別感謝もされていないんだけれど、世間の孫は、こんなに毎週ばあちゃん孝行していないよね」とぼやきながらもおばあちゃんの世話を続けています。

 姑ががんばって生活し、娘と息子がばあちゃんの世話をしてくれるおかげで、私も働けるのだから、感謝しつつ出稼ぎしてこようと思います。

 11月27日、成田発。28日からヤンゴン生活です。

<おわり>
コメント (8)
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