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ぽかぽか春庭「千葉トヨペット本社のさすらい物語」

2015-11-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20151126
ぽかぽか春庭@アート散歩>千葉市の近代建築(4)千葉トヨペット本社のさすらい物語

 稲毛最後の見学は、「千葉トヨペット本社(旧日本勧業銀行本店)」です。妻木頼黄(つまきよりなか)と武田五一(たけだごいち)の共同設計。



 武田五一は京都帝国大学工学部建築学科創立時の教授であったから、ほとんどの作品は、京都とその周辺にあります。唯一、東京本郷にあるのが「求道会館」。
 妻木と武田の建物紹介をした春庭のページ
http://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/444806642b028a00c574f988014cbe46

 旧日本勧業銀行本店1899(明治32)年竣工。数度の移築を経て、現在地への移転は、1965年。建築当時と同じ木造銅葺の姿は、正面から見える外観だけで、内部はすべてコンクリートの建物に改修されています。外観だけでも残されたことを嘉とするか。

 この建物に関しては、妻木頼黄と武田五一の師弟コンビがどんなふうに関わり合ってひとつの建物を作り上げたのか、という興味もありますが、それ以上に、この建物がひとかたならぬ遍歴をたどったことが「物語」になっています。

 千葉トヨペットのパンフレット置き場にあった「旧日本勧業銀行本店の移築物語」によれば。
・1890(明治32)帝国ホテルの隣に、日本勧業銀行本店として竣工
・1926(大正15)京成が払い下げを受け、谷津遊園に移築。楽天府という娯楽施設となり、演芸場、遊技場、食堂などを設置した。
・1940(昭和15)千葉市が買収し、1961年まで市庁舎として使用。
・1965(昭和40)千葉トヨペット本社として千葉市稲毛区に移築。

 なんだかさすらいの旅芸人のように移動を続けた建物です。
 「京成電鉄85年のあゆみ」という社史に、昭和初期の楽天府時代を写した写真があり、「移築物語」に転写されていました。楽天府の隣に阪東妻三郎プロダクションが設立した映画会社、大日本自由映画プロダクションが建っています

 千葉トヨペット本社のサイトの表現では、
(http://www.chibatoyopet.co.jp/corp_profile/index.html)
 (旧楽天府は)大正15年(1926年) 京成電鉄軌道に譲渡され、坂東妻三郎のプロダクションとして撮影現場に使用
と書いてありますが、それは違うと思います。

 1931(昭和6)年から1936(昭和11)年にかけて、阪東妻三郎は谷津遊園内の敷地に阪東関東撮影所を開設しました。しかし、それは楽天府とは別の建物です。(京成谷津遊園の写真の中のかまぼこ型の建物)。楽天府には、もしかしたら事務所などは置かれていたかもしれません。しかし、「撮影現場」として使用されたかどうか、検証が必要です。

 1931~1936という昭和初期の撮影は、実際の建物の中で行うには不自由でした。大きな撮影スタジオにセットを組んで、強力なライトで照らし、ようやく撮影が可能になる。実際の建物の中での撮影はどれほど可能だったのか。
 楽天府の外観は撮影に使われたことがあったかもしれないですが、楽天府の建物そのものについて「坂東妻三郎のプロダクションとして撮影現場に使用」と、書いてしまうのは、千葉トヨペットの調査不足と感じます。

 もっとも、私が「昭和初期の撮影現場はこんなふうだった」と知るのは、田中絹代の伝記映画(吉永小百合主演)などで見た間接的な印象にすぎません。

 習志野市のサイト
https://www.city.narashino.lg.jp/konnamachi/walk/sansaku/h14/sansaku054.html
に書かれている「大日本自由映画プロダクション阪妻関東撮影所」についての記述のほうが、「楽天府が撮影現場として使用された」という千葉トヨペット本社サイトの記述より正確な気がします。(私が検証したわけではないので、専門家の意見やら映画史にくわしい人の調査を知りたいところです)。

 戦後は千葉市中央区に移築。千葉市役所として市民に利用されました。
 現在は稲毛区に移築され、トヨタの車がたくさん並べられたショウルームも兼ねた社屋として千葉トヨペット本社になっています。

 フツウの建物なら、2度目のおつとめを終えたくらいで取り壊されるか廃屋ところでしょう。
 銀行、遊園地、市役所、車販売会社、と利用の仕方は変わっても、建物が保存されてきたのは、左右対称の和風の姿が、威厳がアリソでいて親しみやすい雰囲気を作っていた、という点がキモだったのかなと思います。



 この形の建物の中に、車ならべてショウルームにしようと思いついた人は、かなりキッチュセンスがあるように思います。嘘っぽさを楽しむ、というような。
 和風意匠の建物なのに、中には最新の車が並べられている。私が見学したのは、傷がいを持つ人々のための、福祉車両のスペース。一人乗りの車、85万円でした。

 千葉中央公園で見た、小田原城を真似てコンクリで作った郷土博物館の建物もキッチュな「うそっこお城」だったし、旧川崎銀行千葉支店の建物がそっくりサヤの中に入り込んでいるのも、千葉市のキッチュ感覚からいうと、「そりゃ、トーキョーには負けるけどさ、オラたちだってそこそこ都会だしぃ」みたいな千葉のがんばりようを見た気がします。がんばれ千葉市民、がんばれチーバくん。

 ここで言うキッチュは、ドイツ語本来のkitsch(俗悪、まがいもの)ではなくて、サブカルで意味上昇したキッチュだからね、と言い訳。1995年から20年間千葉市で仕事をした春庭のチーバ愛の表現と思ってください。私は「私がいた場所」大好き人間です。あ、稲毛には、今も毎週かよっていましたが、24日、今月最後の稲毛出講を終えました。

 千葉県のゆるキャラ、チーバくんは、千葉県の形から造形されています。「鶴舞う形の群馬県」に対し、千葉県のかたちはチーバくん。うん、そのまんまやんけ、というところが千葉のいいところ。
 どこにでも出没して千葉県イメージキャラとして活躍しているチーバくんは、千葉監獄見学のおりも、本館の入り口にいて、そのでかい腹が狭い入り口をふさいでいて、出入りしたい見学者に挟まれていました。

 千葉市は、チーバくんののど元あたりです。


次に稲毛にくるのは、だぶん、さ来年です。がんばれチーバくん、がんばれワタシ。

<おわり>
コメント (6)
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