20151108
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記(6)2003年の雨かんむりの漢字
2003年三色七味日記再録です。
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2003/11/18 火 晴れ1052
ニッポニア教師日誌>雨かんむりの漢字
漢字会話2コマ。漢字クラス。キンニ君は遅れてきたけど、私の漢字の説明を聞くと「I understund!」と、うれしそうに言う。
今日は草冠の漢字と、ウ冠、雨冠の漢字。
「電」を教えるのに、田から復習。田に雨が必要。雨を降らせるには雷だ。「Thunder!!」言って稲妻を書き、「雷」を「This Kanji is thunder.The rain puls rice field.」次に「Thunder make electricity」と、稲光を示して、雷から電気のしっぽを伸ばす。そこにコンセントの先をくっつけて見せる。これで、電の文字が学生の頭にインプットできる。
それで、明日のテストのために復習してみると、「好き」が書けない。
好きを教えるときにあれほど「Women love her children」と強調し、皆うれしそうに、うんうん、と頷いていたのに。3週間たつと、すっかり忘れている。もう、ザル頭め!
本日のうらみ:先週教えたことが全く記憶にのこっていない。女という字と、子という字を、ゴルゴ松本よりうまい体文字で教えたのに
2003/11/19 水 晴れ 1053
ニッポニア教師日誌>学生自慢話2
午前中、「笈の小文」を書いていて、ダンスを休んだ。自転車操業で書いていて、ついに間に合わなくなってきた。今日は「わ」の和辻哲郎。
昔読んだ本を思い出して書く、というコンセプトだが、うろ覚えにしか思い出せなくて、もう一度読み直す結果になる本がけっこう多い。和辻の『埋もれた日本』も、第2部を全部読み直した。それで、小文を書くのが遅れる。
あと、おまけの「を」「ん」で、シリーズを終えるから、その次はもっと無理なく書いていこう。今回の「阿吽著者巡り」は、たくさん書きすぎた。読む人いないんだから、もう少し落ち着いて書けばいいのに、走り出すと止まらない性格。
午後教授法2コマ。
今日の「自慢話」発表もおもしろかった。
短大卒業時の就職活動と教員採用試験のグループ面接の話。グループに「水族館を表現しろ」という課題が出される。話し合いをして、水族館のアシカショウを演じることにした。要するに表現の出来がいいか悪いかが重要なのではなく、グループ話し合いの際の、役割を見ているのだという。リーダー的に話し合いをまとめる人、積極的にアイデアを出す人。皆の発言をフォローする人などを観察されているらしいと。
もうひとりは磐梯青年の家で開催された少年キャンプに指導員として参加した話。社会指導主事資格のための実習。
そして、いつもユニークなミトくんは、なんと自慢話として「僕は先週の日曜日、結婚しました!」
メキシコ留学中に日本人同士で仲良くなり、プロポーズ。3年生だから、成人しているとはいえ、学生結婚でやっていけるのか。「スーツを着て、彼女の親に挨拶に行った」という。みな、興味津々で質問していた。プロポーズの詞は何か、とか。とりあえず、結婚式を挙げて、就職活動が終わってから入籍すると言う。
ゲーム教材発表は、「一文字変えて」のことばあそび。
本日のむつみ:21歳の花婿が末永くむつみ合えるよう乾杯!
2003/11/20 木 曇りときどき雨1054
ニッポニア教師日誌>学生から学ぶこと
作文と日本事情2コマ。
朝、メール返信を書いていて、授業に遅刻した。日本語教師になってから、はじめての遅刻。よろしくないね。
学生に電話して、教室で待っているように指示。
大学の暗黙の了解では授業開始から30分たっても教師が教室に現れなかったら「自然休講」ということになっているが、なんと28分おくれで教室に到着。学生は、本日提出分の作文清書をしながら待っていた。 教師人生をはじめて最初の遅刻を、学生にあやまると、みんなニヤニヤしながら、「あと、2分でアウトでしたね。惜しかった」と、許してくれた。
発表は、ロンさんの「台湾に残る日本のインフラ」について
台南のダムを造った日本人、八田興一の話。はじめてきく話だった。全人生をかけて台南の地「嘉南地方」の水利のためにダムを造った日本人もえらいが、彼が亡くなった後、彼を忘れず顕彰し続ける台湾の人もえらい。
日本の植民地占領は、数多くの悲劇を生んだ。韓国の創氏改名も、傀儡満州国設立も、間違っていたと私は考える。
しかし、政治的な間違いはあるものの、多くの志ある技術者が占領地へ出かけていき、幾多の困難を乗り越えて、現地のために仕事をしてきた。これも事実だ。
仕事をした人々は、単に日本の占領政策のためだけに仕事をしたのではないだろう。本気で「現地の人の役に立とう」という、強い気持ちがなければ続けられない困難をも克服して、仕事をしてきたのだ。
これらの人々のこと、日本の人々は忘れている。私もこのダムを造った人を知らなかった。毎年、学生に発表をさせている「日本の文化」と「自国と日本の交流史」
毎回タイの学生発表は「山田長政」になってしまう。ほかに交流をみつけられない悲しさ。しかし、韓国、中国台湾などの学生の発表で、私が知らなかったことがらを学ぶこともある。今回の八田興一ダムも、そのひとつ。
教師の楽しみは、教えた学生が成長すること、そして学生から多くのことを学べること。学生から学べて給料ももらえる。いい商売だ。と、それにつけても、時給はもっとあげてほしい。なんのこっちゃ。話はすべてそこに落ちる。
本日のうらみ:メールもらうと、うれしくって、つい。日頃いかにコミュニケーションに飢えているか、、、
~~~~~~~~~~~~~~~
20151108
11月第1週は、火曜日の仕事の他は1週間家に籠もって休養しました。ほんとに何もしない。たまに食べたくなって豚汁とかおでんとか作ると、娘から「1週間の献立プランがあるから、作りたいときは前もって、申し出てください。今夜は洋食のつもりだから、洋食におでんとか、豚汁とか合わないでしょ」と叱られる。おでんは大鍋一杯つくって、ほとんどひとりで食べました。どこも出かけないと、「ヤンゴンではなかなか食べられないものをたくさんたべておこう」という気になります。
今日のお昼は、ジャガイモ6個でロシュティ(細切りポテトをケーキのように焼き固めたもの)を作ったら、娘は5個分ひとりで食べ、弟くんに1個分ほど分けてあげました。娘はなぜか、ジャガイモの皮むきが大嫌いなので、ロシュティが大好きなのに、自分では作らないのです。にんじんや大根は皮むき器でむくのに、じゃがいもは包丁のほうがいいので、自分ではしない。ジャガイモ料理のとき、下ごしらえは「母の担当」と言う。
娘と息子、ふたりして雨の中おばあちゃんのお話相手に出かけました。姑のおしゃべりにつきあって、姑が自宅のおふろにゆっくりつかっている間、風呂場の前で、声をかけながら待機しているのが娘の仕事。
私はその間、次の赴任準備をしていることになっているのですが、たいていはぐうたらと、やるべきことを後回しにしています。
「♪思い通りにならない日は、明日がんばろう」という朝のテレビドラマの主題歌フレーズ、気に入っています。一晩眠ったあとは、また明日があるので。
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記(6)2003年の雨かんむりの漢字
2003年三色七味日記再録です。
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2003/11/18 火 晴れ1052
ニッポニア教師日誌>雨かんむりの漢字
漢字会話2コマ。漢字クラス。キンニ君は遅れてきたけど、私の漢字の説明を聞くと「I understund!」と、うれしそうに言う。
今日は草冠の漢字と、ウ冠、雨冠の漢字。
「電」を教えるのに、田から復習。田に雨が必要。雨を降らせるには雷だ。「Thunder!!」言って稲妻を書き、「雷」を「This Kanji is thunder.The rain puls rice field.」次に「Thunder make electricity」と、稲光を示して、雷から電気のしっぽを伸ばす。そこにコンセントの先をくっつけて見せる。これで、電の文字が学生の頭にインプットできる。
それで、明日のテストのために復習してみると、「好き」が書けない。
好きを教えるときにあれほど「Women love her children」と強調し、皆うれしそうに、うんうん、と頷いていたのに。3週間たつと、すっかり忘れている。もう、ザル頭め!
本日のうらみ:先週教えたことが全く記憶にのこっていない。女という字と、子という字を、ゴルゴ松本よりうまい体文字で教えたのに
2003/11/19 水 晴れ 1053
ニッポニア教師日誌>学生自慢話2
午前中、「笈の小文」を書いていて、ダンスを休んだ。自転車操業で書いていて、ついに間に合わなくなってきた。今日は「わ」の和辻哲郎。
昔読んだ本を思い出して書く、というコンセプトだが、うろ覚えにしか思い出せなくて、もう一度読み直す結果になる本がけっこう多い。和辻の『埋もれた日本』も、第2部を全部読み直した。それで、小文を書くのが遅れる。
あと、おまけの「を」「ん」で、シリーズを終えるから、その次はもっと無理なく書いていこう。今回の「阿吽著者巡り」は、たくさん書きすぎた。読む人いないんだから、もう少し落ち着いて書けばいいのに、走り出すと止まらない性格。
午後教授法2コマ。
今日の「自慢話」発表もおもしろかった。
短大卒業時の就職活動と教員採用試験のグループ面接の話。グループに「水族館を表現しろ」という課題が出される。話し合いをして、水族館のアシカショウを演じることにした。要するに表現の出来がいいか悪いかが重要なのではなく、グループ話し合いの際の、役割を見ているのだという。リーダー的に話し合いをまとめる人、積極的にアイデアを出す人。皆の発言をフォローする人などを観察されているらしいと。
もうひとりは磐梯青年の家で開催された少年キャンプに指導員として参加した話。社会指導主事資格のための実習。
そして、いつもユニークなミトくんは、なんと自慢話として「僕は先週の日曜日、結婚しました!」
メキシコ留学中に日本人同士で仲良くなり、プロポーズ。3年生だから、成人しているとはいえ、学生結婚でやっていけるのか。「スーツを着て、彼女の親に挨拶に行った」という。みな、興味津々で質問していた。プロポーズの詞は何か、とか。とりあえず、結婚式を挙げて、就職活動が終わってから入籍すると言う。
ゲーム教材発表は、「一文字変えて」のことばあそび。
本日のむつみ:21歳の花婿が末永くむつみ合えるよう乾杯!
2003/11/20 木 曇りときどき雨1054
ニッポニア教師日誌>学生から学ぶこと
作文と日本事情2コマ。
朝、メール返信を書いていて、授業に遅刻した。日本語教師になってから、はじめての遅刻。よろしくないね。
学生に電話して、教室で待っているように指示。
大学の暗黙の了解では授業開始から30分たっても教師が教室に現れなかったら「自然休講」ということになっているが、なんと28分おくれで教室に到着。学生は、本日提出分の作文清書をしながら待っていた。 教師人生をはじめて最初の遅刻を、学生にあやまると、みんなニヤニヤしながら、「あと、2分でアウトでしたね。惜しかった」と、許してくれた。
発表は、ロンさんの「台湾に残る日本のインフラ」について
台南のダムを造った日本人、八田興一の話。はじめてきく話だった。全人生をかけて台南の地「嘉南地方」の水利のためにダムを造った日本人もえらいが、彼が亡くなった後、彼を忘れず顕彰し続ける台湾の人もえらい。
日本の植民地占領は、数多くの悲劇を生んだ。韓国の創氏改名も、傀儡満州国設立も、間違っていたと私は考える。
しかし、政治的な間違いはあるものの、多くの志ある技術者が占領地へ出かけていき、幾多の困難を乗り越えて、現地のために仕事をしてきた。これも事実だ。
仕事をした人々は、単に日本の占領政策のためだけに仕事をしたのではないだろう。本気で「現地の人の役に立とう」という、強い気持ちがなければ続けられない困難をも克服して、仕事をしてきたのだ。
これらの人々のこと、日本の人々は忘れている。私もこのダムを造った人を知らなかった。毎年、学生に発表をさせている「日本の文化」と「自国と日本の交流史」
毎回タイの学生発表は「山田長政」になってしまう。ほかに交流をみつけられない悲しさ。しかし、韓国、中国台湾などの学生の発表で、私が知らなかったことがらを学ぶこともある。今回の八田興一ダムも、そのひとつ。
教師の楽しみは、教えた学生が成長すること、そして学生から多くのことを学べること。学生から学べて給料ももらえる。いい商売だ。と、それにつけても、時給はもっとあげてほしい。なんのこっちゃ。話はすべてそこに落ちる。
本日のうらみ:メールもらうと、うれしくって、つい。日頃いかにコミュニケーションに飢えているか、、、
~~~~~~~~~~~~~~~
20151108
11月第1週は、火曜日の仕事の他は1週間家に籠もって休養しました。ほんとに何もしない。たまに食べたくなって豚汁とかおでんとか作ると、娘から「1週間の献立プランがあるから、作りたいときは前もって、申し出てください。今夜は洋食のつもりだから、洋食におでんとか、豚汁とか合わないでしょ」と叱られる。おでんは大鍋一杯つくって、ほとんどひとりで食べました。どこも出かけないと、「ヤンゴンではなかなか食べられないものをたくさんたべておこう」という気になります。
今日のお昼は、ジャガイモ6個でロシュティ(細切りポテトをケーキのように焼き固めたもの)を作ったら、娘は5個分ひとりで食べ、弟くんに1個分ほど分けてあげました。娘はなぜか、ジャガイモの皮むきが大嫌いなので、ロシュティが大好きなのに、自分では作らないのです。にんじんや大根は皮むき器でむくのに、じゃがいもは包丁のほうがいいので、自分ではしない。ジャガイモ料理のとき、下ごしらえは「母の担当」と言う。
娘と息子、ふたりして雨の中おばあちゃんのお話相手に出かけました。姑のおしゃべりにつきあって、姑が自宅のおふろにゆっくりつかっている間、風呂場の前で、声をかけながら待機しているのが娘の仕事。
私はその間、次の赴任準備をしていることになっているのですが、たいていはぐうたらと、やるべきことを後回しにしています。
「♪思い通りにならない日は、明日がんばろう」という朝のテレビドラマの主題歌フレーズ、気に入っています。一晩眠ったあとは、また明日があるので。