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高山社跡に立つ養蚕農家復元
20151119
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2015十五夜満月日記11月(2)絹産業近代化遺産・田島武平家&高山社跡
伊勢崎市境島村の絹産業遺跡めぐりサイクリング。
田島弥平の本家にあたる田島武平さんの家は、家の内部参観可能でした。ちょうど家の中を解放して、見学者を受け入れている期間に来合わせたみたい。らっき~。
2階の蚕室を見せていただき、現当主の田島信孝さんに解説していただきました。
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母の実家は、私が小学校に入るくらいまで養蚕をやっていました。
ときどき母の実家に遊びに行く子供の目線でしか理解していませんでしたが、母の弟ヨメの愚痴「毎朝の桑摘みがたいへんだ」などを聞いて。養蚕のたいへんさのごく一部だけでも、見知ったことでした。
黒っぽいゴミみたいな1齢の「おこさま」が、脱皮を重ねて5齢幼虫にまで育つと大人の指くらいの太さになることなど、覚えていることはわずかです。でも、サワサワという蚕が桑の葉を食む音を記憶に残すことができたのは、幸運だったなあと思います。
そんな記憶をたどりながら、田島さんのお話をうかがいました。
輸入のシルクに押されて、群馬の養蚕は規模が縮小してしまいました。しかし養蚕技術はしっかりと受け継がれ、現在皇居の中で行われている紅葉山御養蚕所で、美智子皇后のお手伝いをしている人も群馬の人だそうです。
田島武平桑麻館2階蚕室と繭の蔟 (まぶし)
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皇居東御苑散歩のおり、休憩所のビデオでながされていた紅葉山御養蚕所のようすを見たことがあります。東御苑を歩いて疲れた足を休ませるにちょうどいい休憩所。ベンチの前のテレビモニターを見るともなく見ていたら、「皇后陛下のご養蚕」(2014年宮内庁制作)という番組で美智子さまの養蚕が紹介されていました。
正倉院の絹織物修復が行われたときのこと。現在国内で飼育されている外国種の大型蚕の絹は古代の織物を修復するには、糸が太すぎました。
美智子さまが御養蚕所で飼育なさった国産伝統の「小石丸」という種類、繭が小型で糸が細く、すっかり廃れていた繭でした。御養蚕所でも他の品種の蚕に切り替えようか、という案が出たとき、美智子さまは、「古いものを残したい」と、小石丸の飼育を続けました。
小石丸の糸が正倉院国宝の絹織物修復に最適であることがわかり、修復の担当者がおそるおそる皇居の絹を使いたいと申し出ました。通常の年は、年に数キロ程度の生産量で、国賓などへの贈り物として使われていたという御養蚕所の絹。修復には少なくとも40キロは必要になります。
翌年、皇居で増産された小石丸の絹48キロが下賜されました。同じく皇居内で栽培された日本茜の染料を用いて、劣化していた正倉院絹織物を修復することができました。
田島さんは、このビデオ番組ができたとき上映会で見たことがあるけれど、東御苑で放映していることは知らなかったので、次ぎに上京したら、ぜひ見てみたいとおっしゃっていました。
産業としてはの絹産業は、安い海外の絹に押されてしまったのですが、文化としての養蚕の伝統が残されていてよかった、と思いました。お金儲けにはならないことが、皇居の中で残されていた。やたらに「金儲け金儲け」という風潮の現代社会に、お金にはならなくても価値ある仕事、皇居の中だけでなく、存続させること、必要だと思います。
やっちゃんの車で、伊勢崎市境島村から藤岡市へ。高山社跡見学。
高山長五郎(1830-1886)は、清温育という養蚕法を開発し、その技術を「養蚕学校」で教え、全国に普及させました。
非常に繊細な温度管理などが求められる蚕の飼育。江戸時代に群馬に養蚕が普及しても、その年々の天候により、蚕全滅が繰り返されました。高山長五郎は、科学的なデータをとりながら安定した蚕飼育方法の研究を続け、清温法を開発したのです。
藤岡市にある高山社は、その養蚕学校の跡です。建物は明治時代のものは残されておらず、再建されたものですが、養蚕学校の史料などを展示してありました。
高山社で養蚕技術を習得し、全国に伝えた伝習生は、19000人にのぼったそうです。
高山社蚕室の蚕棚
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やっちゃんは高山社を前に見学したことがあるというので、高山社はあまりゆっくりしないことにしました。次の富岡製糸場まで行くために、高山社建物内を一回りしたあとは、高速に乗って富岡市へ急ぎました。
製糸場近くの駐車場に車を置くと、4時5分前。最終入場時刻が4時というので、やっちゃんといっしょに200メートル先の製糸場正門めがけて走りました。ところが。
水曜定休日でした。
11月11日水曜日。何度も「入場のご案内」を見直して「4時で入場おわり」というところをチェックして、「4時に門が閉まっちゃうから、急いで」と、やっちゃんと言い合っていたのに、観光案内チラシの「4時閉門」の上に書かれている「水曜日定休」の一行は、ふたりの目に入っていなかったのです。ふたりして大笑いでした。
合わせると132歳のバーサンふたりが全力疾走したあげくに、「定休日!」
他の施設がどこも「無料」「年末年始以外は無休」だっので、休場日を考えていなかったのです。入場料千円を「世界遺産になったからって、高い!」なんぞと文句言いながら、定休日があるということには思い至りませんでした。
富岡市内は、世界遺産効果で、15年前とは打って変わった繁盛ぶりでした。お土産屋さんも、手仕事工房も食堂もいっぱい並んでいます。世界遺産さまさまとみえました。
気を取り直して、やっちゃんは「七日市藩邸」に案内してくれることになりました。「古い建物見るのが好きだっていうから、ここもいいだろうと思って」と。
見ることかなわぬ富岡製糸
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<つづく>