![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/64/834d1e1d6ee50200d9d9506eeb6f5b63.jpg)
劇団昴「どん底」
20161117
ぽかぽか春庭@アート散歩>劇的なるロシア(2)ゴーリキー『どん底』
ロシアの文豪作品の劇化。マクシム・ゴーリキーの『どん底』は、新劇の演目の定番として戦前から繰り返し上演されてきました。私は新宿にあった「どん底」というバーレストランに、若い頃行ったことがありましたが、まだお店は続いているみたいです。お店は続いているけれど、「新劇のどん底」、近年の上演はぐんと減ってきたそうです。
「視覚障害者の観劇をすすめる会」を続けている阿子さんから、「10月の昴でどん底をやるけれど、いっしょにどうですか」と、お誘いいただき、ピット昴サイススタジオ大山で見ました。10月16日日曜日。
この日の私のガイドヘルプは失敗続きで、待ち合わせの品川駅、新幹線出口で待つ方が、待ち合わせ場所の時計台「トライアングルクロック」で待つより早いと思って待っていたら、阿子さんは駅員の誘導で先にトライアングルクロックに出てしまっており、待ち合わせが遅れました。さらに、池袋駅から東武東上線で準急に乗ってしまい、各駅停車しかとまらない大山を過ぎ、石神井から戻ったために30分のロス。
昼ご飯を食べる時間がなくなり、おなかがすいたままの観劇となりました。阿子さんとお友達のゆみちゃんに申し訳なかった。安達祐実激似のゆみちゃんは晴眼者ですから、ほんとうは、16日は私がガイドヘルプしなくても阿子さんは大山まで行けたのに、私のドジのせいで、お昼抜き。
私は自分のドジにうなだれて、どん底の気分で観劇しました。
観覧記録『どん底』
2016年10月16日
於:Pit昴(サイ・スタジオ大山)
原作:マキシム・ゴーリキー 訳:神西清
演出:村田元史
舞台は、帝政ロシア時代。場末の木賃宿に、この世のどん底を這うように暮らしている人々が吹きだまっています。
以下「どん底」ネタバレ含む。
木賃宿の亭主コストゥイリョフは、下宿人から宿代を取り立てようとする一方、自分が「女房寝取られ男」であることにやきもきしています。その浮気女房ワシリーサは亭主より30歳も若いから、亭主から逃れて自由になることが望み。ワシリーサの相手ペーペルは定職もなく盗人家業。ペーペルは、本当はワシリーサの妹ナターシャに惚れています。
ペーペルは、何度もコストゥイリョフによって警察沙汰になっていて恨みもあり、ワシリーサから「亭主を殺してくれたら、ナターシャと結婚させてやる」と持ちかけられると実行してしまいます。ワシリーサはナターシャを折檻し、ナターシャに心を動かしたペーペルを警察につきだしてしまおうとしますが、逆にナターシャの訴えにより、ワシリーサも逮捕されます。
自称男爵だが、本当に爵位のある家の出なのかどうかは定かでない男や、アル中の「役者」と呼ばれている男、だったん人と呼ばれているイスラム教徒の男など、どん底の人々が歌や酒でぼろぼろの心身を紛らわせています。
錠前屋の女房は瀕死の床にいるが、むろん医者に診せるカネなどない。どうしようもない人々の中で、ルカという年配の巡礼者だけは信仰の力によって自分を保ち、人々に「絶望するな、希望を持て」と説くが、やがて去って行く。
舞台の上を、数多くの登場人物が行き交い、それぞれの人間模様が描かれるのですが、なんだかよくわからないうちに救いもなく終わりになりました。
阿子さんは、文学朗読CDを聞いて勉強してから見た、と言っていましたが、私は昔々に「世界名作全集」というようなシリーズの中で読んだっきりで、ひとりひとりの登場人物のことなど忘れてしまっていました。昴の役者達、それぞれ熱演だったのですが、私自身はどん底気分から這い上がれずに、なんだか不完全燃焼のまま終わりました。
学生時代の友人と会食するという阿子さんを大塚駅前の待ち合わせ場所まで送っていって別れました。
現代日本にも、「どん底」のような吹きだまり、目には見えなくても、そこらじゅうにあるはず。安酒かっくらい、やけくそでも歌うほか憂さ晴らしの方法もなく、抜け出す気力もなく。サービス残業で身も心もぼろぼろ。物価上がらなくても給料はもっと上がらない。
民はどん底にいても、お上は上げ底。
鉄砲担いでよそ様の国にでかけ、アメリカが賛成しない取り決めなのにさっさか国会無視で採決し、ふるさと滅亡させた原発をインドに輸出し、五輪にも築地にも利権はとびかい、、、、
<つづく>