20161109
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記11月(1)てのひら劇場・みんな集まれコンサート
11月5日土曜日。友人のA子さんが「同じマンションの住人がコンサートを開催するので」と、誘ってくれました。
コンサート前に、新宿の喫茶店でお茶とケーキとおしゃべり。
A子さんの息子さん、大学卒業を前に留学したいという希望を持ったとのことで、私費留学費用、どうしようか、というのが目下の悩みどころ。私はいつもの貧乏話。
珈琲おかわりも飲み終えて、新宿文化センターへ。「てのひらげきじょう40周年みんなあつまれコンサート」という催しです。
「みんな集まれコンサート」主宰の中島和子さんは、80歳。ピアニストで、「てのひらげきじょう」という、子どもと児童教育幼児教育の指導者に向けた音楽活動をつづけてきました。手のひら劇場の公演は、40年間に5450回になり、韓国やアメリカでも公演してきたそうです。
ずっと中島さんといっしょに活動してきた児童文学者の横笛太郎氏が2003年になくなってからは、一人でてのひら劇場を続けてきた、と、受付でもらった公演パンフレットに書いてありました。
40年続けているうちに、この「てのひら劇場を見て育った子どもが親となり、子どもを連れて公演に通うようになったり、子どもを連れてきていた親御さんが今は孫を連れてくるようになったと、公演の実行委員さんがお話ししていました。
公演の内容は、人形劇、手遊び歌、紙芝居、子どもと問答をして子どもが答えたことばを歌詞にして紙に書き出し、その場で作曲をする試み、など、盛りだくさんでした。
演奏は、和太鼓と中島さんのピアノ「子犬のワルツ」
中島さんは、80歳という年齢相応に背も丸くなっているし、歌うと高音は苦しそうだしピアノはミスタッチも出る。でも、子どもを前にいっしょに楽しさを作り上げようというパワーはとても大きかったです。
中島さんは、東京芸大を卒業してピアニストとして活動してきました。長らく、保育士養成や幼児教育向けの活動に音楽や紙芝居を取り入れる公演を続けてきて、子どもの興味を引きつける方法や子どもといっしょに遊ぶ方法などを幼稚園の先生方に伝授してきたそうで、5日の公演も、子どもが舞台上に上がって、楽しそうに活動していました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/d9/e3cb0c7a4171c39ddc615b4b1919f112.jpg)
私は、来年4月からの再開する私立大学の日本語教授法の授業をどうするか、思案中です。 ミャンマー・ヤンゴン大学の日本語教育のために、2015年8月から日本の大学授業から離れて1年半になります。今年4月から完全失業中で、とても心細くはあったのですが、求職活動より優先しなければならない出来事もあり、来年のことはまったく手つかずの状態でした。
こんなロートル教師でも、この年齢になって、一度やめた大学から「来年度、都合はどうですか」と、お声をかけてもらうこと、ありがたいです。ポンコツ度は一段と進んでいますが、自分なりに納得できる授業をと、来年4月からの授業はどのように進めていくか、悩んでいるところでした。
25年前から、私の授業は「双方向授業」「学生参加型」として行ってきました。四半世紀前は、大学でこのような学生参加型のアクティブラーニング授業をする教師が少なく、ほとんどの教師が一方的な講義型でしたから、私のへたくそな双方向型授業でも、学生の食いつきはよかったです。
学生参加型の授業を成立させるためには、準備がたいへんです。活動の前に「いっしょに活動していく、自ら参加する」という学習集団を形成する必要があり、たんに卒業単位がほしくて授業にきて、出席カード出した後は居眠りしているという学生では、授業がなりたちません。
アクティブラーニングが成功する年もあったし、ノリの悪い年もあった。無駄に膨大なエネルギーの浪費。
私も年を取ってバーサンになったのだから、少しは楽に授業ができる講義型にしよう、と、思っていました。講義ノートさえ準備すれば、一方的に講義するほうがずっと楽です。できの悪い学生をのせる努力をして、さっぱり効果がない、という年のことを考えると、講義型にしてこちらが疲れないようにしてもバチはあたらないんじゃないか。
2015年度に受け持った学生のひとりから、「2016年10月からポーランドでボランティアとして日本語教師をすることになりました」というメールが来ていました。「親戚のお寺を継ぐことになっていたのだけれど、先生の授業を受けて、得度を延期して海外ボランティアをやってみようという気持ちになりました」なんていうメールを受けると、私の授業も少しは役だったかなという気持ちになります。日本語を教えるという経験によって、こののちの彼女の人生によい影響が残ることを願っています。
「てのひらげきじょう」の公演を見ていて、やはり私は「学生参加型」を続けよう、と思いました。講義録ノートを広げて、毎年同じことをしゃべっていても授業が成立するし、なかには、自分の著作を学生に買わせ、それを毎週何ページずつか朗読するだけ、という教師もいます。近頃の学生は、自分から本を買って読む機会さえ持たないのだから、読むべき本を紹介するだけでも教育と言えば教育ですが。
学生参加型は、準備にも後始末にも大きなエネルギーが必要です。都内の日本語学校を見学して見学記録を提出させる、という授業実施のために、日本語学校の先生の授業中はけっしておしゃべりするな、という指導から授業記録の書き方まで、事前事後の準備がたいへんでした。
ゆとりだの総合学習だの、ぱっと思いつきで指導要領を変える文科省。気楽に「アクティブラーニング」なんてことを言ってほしくないなと思っていました。アクティブラーニングの研究指定校のなかでとどまっているうちはいいけれど、全国の小中学校にアクティブラーニング広げるなら、先生方に言っておきたい。今よりもっともっと授業準備に時間をかける情熱がありますか。1時間の授業準備に10時間かけたら、寝る時間なくなると思うけれど。
「てのひらげきじょう」を80歳になっても生き生きと続けている中島和子さんの姿を見て、年取って「アクティブ」がしんどくなってきた私も、たいへんだとは思うけれど、なんとか70歳まではアクティブティーチングを続けようと決意。
さて、来年4月までに、シラバスや授業案を考えなければ。そのまえにきびきび教室を動けるように、今のだらけきった脂肪の塊をなんとかせねば。あ、これは昔からの課題でした。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記11月(1)てのひら劇場・みんな集まれコンサート
11月5日土曜日。友人のA子さんが「同じマンションの住人がコンサートを開催するので」と、誘ってくれました。
コンサート前に、新宿の喫茶店でお茶とケーキとおしゃべり。
A子さんの息子さん、大学卒業を前に留学したいという希望を持ったとのことで、私費留学費用、どうしようか、というのが目下の悩みどころ。私はいつもの貧乏話。
珈琲おかわりも飲み終えて、新宿文化センターへ。「てのひらげきじょう40周年みんなあつまれコンサート」という催しです。
「みんな集まれコンサート」主宰の中島和子さんは、80歳。ピアニストで、「てのひらげきじょう」という、子どもと児童教育幼児教育の指導者に向けた音楽活動をつづけてきました。手のひら劇場の公演は、40年間に5450回になり、韓国やアメリカでも公演してきたそうです。
ずっと中島さんといっしょに活動してきた児童文学者の横笛太郎氏が2003年になくなってからは、一人でてのひら劇場を続けてきた、と、受付でもらった公演パンフレットに書いてありました。
40年続けているうちに、この「てのひら劇場を見て育った子どもが親となり、子どもを連れて公演に通うようになったり、子どもを連れてきていた親御さんが今は孫を連れてくるようになったと、公演の実行委員さんがお話ししていました。
公演の内容は、人形劇、手遊び歌、紙芝居、子どもと問答をして子どもが答えたことばを歌詞にして紙に書き出し、その場で作曲をする試み、など、盛りだくさんでした。
演奏は、和太鼓と中島さんのピアノ「子犬のワルツ」
中島さんは、80歳という年齢相応に背も丸くなっているし、歌うと高音は苦しそうだしピアノはミスタッチも出る。でも、子どもを前にいっしょに楽しさを作り上げようというパワーはとても大きかったです。
中島さんは、東京芸大を卒業してピアニストとして活動してきました。長らく、保育士養成や幼児教育向けの活動に音楽や紙芝居を取り入れる公演を続けてきて、子どもの興味を引きつける方法や子どもといっしょに遊ぶ方法などを幼稚園の先生方に伝授してきたそうで、5日の公演も、子どもが舞台上に上がって、楽しそうに活動していました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/d9/e3cb0c7a4171c39ddc615b4b1919f112.jpg)
私は、来年4月からの再開する私立大学の日本語教授法の授業をどうするか、思案中です。 ミャンマー・ヤンゴン大学の日本語教育のために、2015年8月から日本の大学授業から離れて1年半になります。今年4月から完全失業中で、とても心細くはあったのですが、求職活動より優先しなければならない出来事もあり、来年のことはまったく手つかずの状態でした。
こんなロートル教師でも、この年齢になって、一度やめた大学から「来年度、都合はどうですか」と、お声をかけてもらうこと、ありがたいです。ポンコツ度は一段と進んでいますが、自分なりに納得できる授業をと、来年4月からの授業はどのように進めていくか、悩んでいるところでした。
25年前から、私の授業は「双方向授業」「学生参加型」として行ってきました。四半世紀前は、大学でこのような学生参加型のアクティブラーニング授業をする教師が少なく、ほとんどの教師が一方的な講義型でしたから、私のへたくそな双方向型授業でも、学生の食いつきはよかったです。
学生参加型の授業を成立させるためには、準備がたいへんです。活動の前に「いっしょに活動していく、自ら参加する」という学習集団を形成する必要があり、たんに卒業単位がほしくて授業にきて、出席カード出した後は居眠りしているという学生では、授業がなりたちません。
アクティブラーニングが成功する年もあったし、ノリの悪い年もあった。無駄に膨大なエネルギーの浪費。
私も年を取ってバーサンになったのだから、少しは楽に授業ができる講義型にしよう、と、思っていました。講義ノートさえ準備すれば、一方的に講義するほうがずっと楽です。できの悪い学生をのせる努力をして、さっぱり効果がない、という年のことを考えると、講義型にしてこちらが疲れないようにしてもバチはあたらないんじゃないか。
2015年度に受け持った学生のひとりから、「2016年10月からポーランドでボランティアとして日本語教師をすることになりました」というメールが来ていました。「親戚のお寺を継ぐことになっていたのだけれど、先生の授業を受けて、得度を延期して海外ボランティアをやってみようという気持ちになりました」なんていうメールを受けると、私の授業も少しは役だったかなという気持ちになります。日本語を教えるという経験によって、こののちの彼女の人生によい影響が残ることを願っています。
「てのひらげきじょう」の公演を見ていて、やはり私は「学生参加型」を続けよう、と思いました。講義録ノートを広げて、毎年同じことをしゃべっていても授業が成立するし、なかには、自分の著作を学生に買わせ、それを毎週何ページずつか朗読するだけ、という教師もいます。近頃の学生は、自分から本を買って読む機会さえ持たないのだから、読むべき本を紹介するだけでも教育と言えば教育ですが。
学生参加型は、準備にも後始末にも大きなエネルギーが必要です。都内の日本語学校を見学して見学記録を提出させる、という授業実施のために、日本語学校の先生の授業中はけっしておしゃべりするな、という指導から授業記録の書き方まで、事前事後の準備がたいへんでした。
ゆとりだの総合学習だの、ぱっと思いつきで指導要領を変える文科省。気楽に「アクティブラーニング」なんてことを言ってほしくないなと思っていました。アクティブラーニングの研究指定校のなかでとどまっているうちはいいけれど、全国の小中学校にアクティブラーニング広げるなら、先生方に言っておきたい。今よりもっともっと授業準備に時間をかける情熱がありますか。1時間の授業準備に10時間かけたら、寝る時間なくなると思うけれど。
「てのひらげきじょう」を80歳になっても生き生きと続けている中島和子さんの姿を見て、年取って「アクティブ」がしんどくなってきた私も、たいへんだとは思うけれど、なんとか70歳まではアクティブティーチングを続けようと決意。
さて、来年4月までに、シラバスや授業案を考えなければ。そのまえにきびきび教室を動けるように、今のだらけきった脂肪の塊をなんとかせねば。あ、これは昔からの課題でした。
<つづく>