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ぽかぽか春庭「娘と美術館 in Moa美術館・熱海」

2019-03-12 00:00:01 | エッセイ、コラム

 尾形光琳「紅白梅図屏風」

20190312
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記早春はるのうた(7)娘と美術館 in Moa美術館

 熱海へ遊びに来た目的のひとつは、梅林の梅見、もうひとつは尾形光琳の紅白梅図屏風を見ること。
 ホテルチェックアウトして熱海駅へ。あいにくの雨ですが、駅からバス乗り場まで屋根があったので、ぬれずに8番乗り場へ。
 熱海駅からMOA美術館行のバスに乗車、7分ほどで到着。

 MOA美術館は、世界救世教が聖地とする熱海瑞雲郷に立つ美術館です。
 教主岡田茂吉が収集した美術品などをもとに1982年開館。国宝3点のほか、重要文化財や秀吉の黄金茶室復元も公開しています。

 バスを降りて、入り口でチケットを買う。熱海梅園の入園券提示割引100円で1300円。


 富士美術館でも同じこと思ったんだけど、宗教法人は税金かからないんですから、入館料無料にしてほしい。せめて70歳以上タダに。世のため人のために役立つってことで無税なんでしょうに。

 入り口から展示室へ行くまでがすごい。山の斜面をエスカレーターで登っていく。たぶん、ビルの6階分くらい上がった勘定。エスカレーターに飽きないように、途中の踊り場には天井いっぱいに「万華鏡」という映像作品が投影されていて、これをじっと眺めている人もいました。

 エレベータ延々続き、5回くらい乗り換えました。

 天井一面の万華鏡。映像の色がつぎつぎに変わっていきます


 展示第一室は、黄金茶室復元の部屋
 純金の茶道具


 秀吉らしい成金趣味のきんぴかりん。組み立て式の茶室を御所にも運んで、かしこきあたりにお茶をたてたそうですが、飲まされるほうの気分はどんなものだったのでしょう。
 私はどっちか選べと言われたら、やっぱり待庵の2畳のほうがすんなりお茶飲める気がします。待庵に招待されることは一生ないでしょうが。

 岡田茂吉は、元は大本教の信者で、独自の宗教観により独立しました。
 この宗派でよく知られているのは、手を人にかざして、「これで病気がよくなります」という活動。今も、駅前でやっていたりするのを見かけます。手から光だったか磁力波だか出てくるんだそうです。岡田茂吉の死後、宗派の間で主導権争いがあり、分派がいろいろ出たので、どこが駅前でやっているのかはわかりませんが。

 昔、母の早世のあと、わんさかやってきた新宗教勧誘者のうち、この手かざしの人たちに対し私の父は「あんたに手をかざしてもらうと、ほんとうに病気が治るんだな」「本当です」「じゃ、やってくれ。俺は今病気もちで医者にかかっているけれど、あんたが手をかざしたあと、病院へ行って治っていなかったら、詐欺で訴えるぞ。それを承知なら、さあやってくれ」と言いました。

 病気のうち、心理的なものも多いので、治ると信じて手をかざしてもらえば、本当に治る人もいるのだとは思うのですが。駅前で他人のためにいっしょうけんめい手を当てている人たちを見ると、自らが信じるもののために、熱心に活動することがその人の生きがいになっているのだから、いいんじゃないかと思っています。

 創価学会の信者は800万世帯2千万人いるとされているのに比べると、世界救世教の信者数80万人前後で、桁が違いますが、それでも80万人がひとり千円のお布施を上納したとしても、たちまち8億円が集まり、オークションでけっこうな値段の絵を買い放題。(ちなみに新宗教の公称信者数を全部足すと、日本の人口の2倍だか3倍くらいになるそうですが)

 国宝の第1は光琳の「紅白梅図屏風」ですが、第2は「色絵藤花文茶壺」
 野々村仁清(生没年不詳)は、丹波国桑田郡野々村(現、京都府北桑田郡美山町)の出身。本名清右衛門の清と、仁和寺門前に窯をたてた縁で「仁清」という号をつけました。

 私の世代の者、あるいはもう少し年上の世代には、「仁清」と言えばすぐに頭にのぼるのは、1959年に世を賑わせた「偽永仁の壺」事件。「永仁二年」と書かれている壺が発見され、加藤唐九郎が解説を書き、文部省のお役人が重要文化財の指定を出しました。しかし、贋作の疑いによって再調査をする中、加藤唐九郎またはその息子の作品であったことが判明した、という事件です。私が10歳のころの出来事。贋作ということばを覚えた事件、美術とは何か、本物とは何か、ということを強烈に印象づけられた出来事でした。鑑定者が本物と言えば、偽物も本物として通用するなら、本物と偽物の差はなんだろうと、子ども心に思いました。

 こちらの仁清「色絵藤花文茶壺」は丸亀藩京極家に伝来したもの。
 藤の花があでやかな壺。きれいです。ただし、私はコピーの贋作を並べていても区別はつかぬ。


 娘が一番興味を持った作品は。
 「洋人奏楽図屏風」16世紀桃山時代 重要文化財
 左隻

 右隻(画像借り物)


 日本画の顔料を胡桃油または荏油(じんゆ・エゴマあぶら)で溶き、油絵のように仕上げています。画家の名前は残されていませんが、日本人が洋画のように描いた、ということは分かっているみたい。
 
教師たちに伴われてきた画家が日本人に画法を教えたのか、絵の心得のある宣教師がいたのか。セミナリオやコレジオで洋画の技法をならった信徒が、布教のための絵を書いた、そのうちのひとつ。
宣教師が元になる絵を見せたのかもしれませんが、見たこともない西洋の洋人たちの奏楽や読書の光景を描いているとき、画家見習いの少年は、どのようにまだ見ぬ世界を感じていたでしょうか。(セミナリオで絵を習っていたのは、少年使節のイメージがあるので、少年画家以外想像できないけれど、信徒のおっさんだったかもしれません。どうせ想像だから、美少年ということにしておきたい)

 この布教用に描かれた油絵様の絵の技法は、キリシタン禁止のあと、直接は伝わらなかったみたいです。やがて平賀源内、秋田蘭画などが洋画の技法を学び、江戸蘭画が描かれるようになりますが。
 洋人奏楽図は、同じ構図の絵が永青文庫にも伝わっているということなので、こちらも見てみたいです。MOA美術館の「洋人奏楽図」は、旧明石藩に伝来したもの。

 MOA美術館の展示、最後の部屋は写真家現代美術家杉本博司が熱海の海を写した写真の数点「海景ATAMI」でした。
 私は2016年東京都写真美術館のリニューアルオープン記念の杉本の写真などの展示「ロストヒューマン展」を見ました。9月に見て、もう一度10月に観覧。MOA美術館とどういうつながりがあるのか知らずにいたので、国宝や重文の展示の最後にいきなり杉本博司だったので、どうしてこの人の写真がここに、と思ったのですが、どうやらMOA美術館のリニューアルに関して、杉本が一枚かんでいたらしい。
 「展示スペースの設計は、世界的に活躍する現代美術作家・杉本博司氏と建築家・榊田倫之氏によって主宰される「新素材研究所」が手がけました」とのこと。
リニューアルオープン記念の展示が杉本博司でした。それで、最後の部屋は杉本の展示室に。常設展示なのかどうか、わかりません。

 昨年私が三十三間堂の千体仏を見たかったのも、杉本が千体仏を撮影した「加速する仏像」を写真美術館で見たからでした。
 https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/0811d3e88f197805b112408c1cf9ac8c

 娘は、紅白梅図屏風を庭に仕立てた、という庭園を見たかったし、私は尾形光琳の屋敷図面から復元建設された「光琳屋敷」でお茶に和菓子でもいただきたかったところでしたが、雨が強くなってきていて、傘さして少し離れた場所まで行く元気がふたりともなかったので、今回はパス、ということに。

 バスで熱海駅に戻って、駅ビルのなかで私は金目鯛煮つけ定食、娘は船盛り刺身定食を食べて、息子に駅弁鯛めしを買って帰りました。
 帰りの踊り子号は、終点になるまでふたりともよく寝ました。けっこう盛りだくさんな熱海温泉一泊、疲れたけれど、娘も「満喫した」という旅になって、おいしいものもいっぱい食べて、よかったよかった。

 次回、「紅白梅図屏風」

<つづく>
コメント (2)
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