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ぽかぽか春庭「紅白梅図屏風 in MOA美術館」

2019-03-14 00:00:01 | エッセイ、コラム

 尾形光琳「紅白梅図屏風」

20190312
ぽかぽか春庭アート散歩>春咲アート散歩2019(1)紅白梅図屏風 in Moa美術館

 MOA美術館の国宝3点のうちのNo.1は、尾形光琳の「紅白梅図屏風」です。梅が咲く時期にだけ公開するというので、今回はちょうどよかった。

 紅白梅図屏風は弘前藩津軽家に伝来したものです。醍醐冬基娘の綱姫が近衛家煕の養女となって第5代藩主嫡男津軽信興(1695-1731)との縁組整い、その婚礼祝い品として描かれたのではないか、という説が有力らしい。家煕と尾形光琳は知り合いだったので、注文があったのだろうと。

 信興は36歳のときハシカで死去。第5藩主津軽信寿(1669-1746)の跡を継いだのは、信興の長男信著。第6代藩主に。
 子どものころハシカにかかっておけば軽く済むけれど、大人になってからかかると命取り、というのを実践した信興。子どもは無菌で育てちゃダメよね。雑菌にまみれることも、子供を強く育てる。閑話休題。

 津軽家からの売り立ては、華族制度廃止にともなって財産維持できなくなった華族所蔵の美術品がどっと売られた時期かと思ったのですが、大正年代終わりごろの売り立てなのだとか。
 岡田茂吉が直接買い付けたのか、間に所有者がはさまったのか、わかりません。

 尾形光琳(1658-1716)は、江戸中期、8代吉宗のころの画家・工芸家。若いころは裕福な実家の気楽な次男坊として遊楽三昧でしたが、父の死後、稼業の呉服雁金屋の商売が傾き、絵で世に立ったのは40代から。59歳で亡くなるまで、現在では国宝、重要美術品となっている作品を残しています。俵屋宗達に私淑し、本阿弥光悦と俵屋宗達が創始した琳派の作風に、呉服デザインを取り入れたすぐれた作品を生み出しました。

 「紅白梅図屏風」も、梅の木の、白い花を見せている老木、若い紅梅、そして真ん中を流れる抽象画のようなデザインの川の流れ。



 ガイド音声を借りて聞いて絵や書を見て回り、紅白梅図屏風の絵具の化学組成分析についての解説があり興味深く聞きました。東大の分析では紅白梅図屏風の背景の金色は金泥絵具で金箔を貼ったように描いたもの、という分析結果が出たあと、MOA美術館の再分析ではやはり金箔を貼りつけたもの、という結果が出たとのことでした。

 見た目にはどちらの分析が正しいのかわからないですが、どうせのことなら金箔のほうがありがたそうな。
 津軽家婚礼調度品として制作されたなら、金箔代金惜しまなかったろうと思うのですが、どうでしょう。

 図象の解釈にはさまざまな論がでており、諸説百花繚乱それぞれに面白いですが、自分の見方で楽しめばよろし。
 私の楽しみ方?岡田茂吉はいくらで買ったのかしら、、、って、そればっかり。

 そのほか、お宝ずらりでした。

 長谷川等伯「故事人物図屏風」中国の有名な聖人の姿を描いています。名利を追わず、真実の諫言ができた人物たち。

右隻:伯夷と叔斉

左隻:屈原


 諫言もできず、おもねることしかしないどこかの国の政治家には、伯夷と叔斉、屈原らの故事をしっかり学んでほしいですが。

 「樹下美人図」
1914(大正3)年に、西本願寺門主大谷光瑞派遣の中央アジア探検隊によって請来。東トルキスタン、現在の新疆 (しんきょう)ウイグル自治区トゥルファンの喀喇和綽(カラホージヨ)古墳から出土しました。紙を貼り合わせたパネルに描かれています。紙の作品がこのようにしっかりした形で残っているのはたいへん貴重です。墓からは、ミイラ化した被葬者も発掘されました。元は、戸籍記録の紙。戸籍の記録保存期間終了後に再利用しています。
 現在、東京国立博物館に所蔵されている樹下男子図と対をなすと伝えられています。樹下男子図は、MOA美術館の樹下美人図と同じ墳墓から出土(東博の表記ではアスターナ墳墓出土)し、新疆省布政使・王方伯が自分のものとしましたが、いろいろな経緯ののち、現在は東博が所蔵。

 「樹下美人図」中国唐時代8世紀


 発掘された国の宝を地方の役人が私物化するというのも、すんごいことですが、なんだかんだで、日本が買い付けた、というのも時代ですね。1912年に清朝滅亡しています。1914年は孫文中華民国樹立して2年。まだ地方行政は整っていない頃ですから、私の想像では、大谷探検隊は、お宝ごっそり持ち帰る条件として、地方の長官にお宝の一部をわいろとして渡していたんじゃないかしら。勝手な想像です。

 似た図柄の正倉院の鳥毛立女屏風はだいぶ劣化していますが、樹下美人図は墓の中に封印され、1200年のあいだ美人のまま眠っていました。

 参考までに。樹下男子図


 次回、MOA美術館の国宝3点目。

 <つづく>
コメント (2)
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