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ぽかぽか春庭「岡上淑子展 in 庭園美術館」

2019-03-19 00:00:01 | エッセイ、コラム

 岡上淑子「夜間訪問」1952

20190319
ぽかぽか春庭アート散歩>2019早春アート散歩(3)岡上淑子展 in 庭園美術館

 2月20日水曜日は、庭園美術館へ。都立美術館65歳以上無料になる第3水曜日のひとり散歩。白金植物園で早春のフクジュソウなどを見たあと、岡上淑子展をみました。

 「岡上淑子展」会期:2019年1月26日(土)〜4月7日(日)
 岡上淑子(おかのうえ としこ、1928- )は、日本の写真家、コラージュ作家。2019年1月で91歳。

 岡上淑子は、1950年代、滝口修三(1903~79)によって「シュルレアリズム」のコラージュ作家として見いだされ、写真切り抜きのコラージュ作品を発表しました。活動期間は7年ほど。結婚出産によって創作活動を中断。10年の結婚生活ののち、離婚後は高知で暮らし、1990年代まで、作品を公に発表することなく「幻のコラージュ作家」となっていました。

 高知で生まれ1歳で東京に転居。東洋女学院を経て恵泉学園を卒業。
 1950年、文化学院に進学し、服飾を学ぶ。デザインの課題で切り絵を制作し、コラージュ手法を知り、ヴォーグなどのファッション雑誌を中心に写真切り張り(コラージュ)する。

 恵泉のクラスメート若山浅香が武満徹と結婚したことにより、武満の友人だった瀧口修三と知りあう。瀧口邸で、マックス・エルンストのコラージュ作品を見たのち、シュルレアリズムを意識した写真やコラージュを制作、個展を開く。
 1957年に文化学院で美術科の藤野一友と結婚し、1959年、第一子誕生。離婚後高知に転居。

 (藤野一友1928-1980)東京生まれ。画家を志して慶應義塾大学を中退し、文化学院大学部美術科に入学。在学中の1951年には二科展に初入選し、シュルレアリストとしてキャリアを積む。1950年代の読売アンデパンダン展に出品を続ける。また瀧口修造の紹介で、タケミヤ画廊で初めて本格的な個展を開き(1954年)、以後数回の個展を開く。装丁、挿絵、舞台美術などにも携わる。他にも同人誌に、小説や詩を発表したり、劇の台本や演出、映画制作をしたりと多彩な活動を行ったが、離婚後1965年病に倒れ、右半身が不随となる。以後闘病を続けたが、再起することなく1980年51才で没した)
 
 30年間、作品を公表することなく高知で暮らしていた岡上が「復活」したのは、1996年、「ライトアップ-新しい戦後美術像が見えてきた」展(目黒区美術館)に出品して以後。金子隆一(写真家、写真史家1948~)によって岡上の「再発見」によるものでした。

 金子隆一さん。写真美術館の学芸員であり、写真史家として著名な方である、と私が知ったのは2年前。それまでは「新年に雅楽演奏を披露する篳篥演奏家」という面だけを見てきて、写真史家ということは知らずに毎年写真美術館で雅楽を聞いて「今年も正月気分になった」と思っているだけでした。(現在は写真美術館の元学芸員、ムサ美講師)

 2000年以後、岡上淑子は、毎年のように作品発表を行っています。今回展示の作品は、写真美術館、東京国立近代美術館、高知県立美術館などの所蔵作品が中心ですが、米国ヒューストン美術館からの里帰り展示もあります。
 第1部マチネは、旧朝香宮邸だった本館での展示。第2部ソワレは、新館での展示です。

 「幻想」1954


 2019年1月26日-4月7日の庭園美術館での「フォトコラージュ沈黙の軌跡」展は、1950年代の作品が中心で、近作の展示は少なかったのが少し残念でした。
 高知での活動を知ることができるのは、1970年代に描かれた日本画「薔薇」と「校舎」の2点のみですが、岡上の子ども時代の写真などの貴重な記録や瀧口修三とかわした書簡などが展示されていました。

 まったく存在を知らなかった岡上俶子の初期からの主要な作品を見ることができ、とても充実した展覧会でした。
 
 懺悔室の展望1952 ヒューストン美術館蔵


 水族館1952 栃木県立美術館蔵


 沈黙の奇蹟1952 東京都写真美術館蔵


 とてもシュールなコラージュの数々。
 岡上は、1950年代初めに文化学院に入り、服飾の勉強をはじめました。町の人々は、ようやくモンペを脱いで手作りでスカートやブラウスなどを作り始めた時代でした。
 米国に帰国した進駐軍の婦人たちが残していったファッション雑誌がどっと古本屋の雑誌コーナーにならんだ時代、服飾を学ぶ若者たちにとって、きらびやかなドレスは夢の国から来たように思われたかもしれません。

 けれど、岡上が見つめたファッション誌の中の女性たちは、美しいドレスで装いながら顔がない。岡上がコラージュで貼りなおした女性たち、顔が扇だったり馬だったり。魚が飛び出すピッチャーだったりします。はたまた、首だけが気球に結ばれて上昇していく。

 この時代。欧米の女性たちは、フランスやイタリアのファッションに身を包みパーティの花形になっていても、実は自分自身の顔を失っていたのではないかしら。
 シュールな世界なんだから、意味づけをしようというのは無意味なことかもしれません。しかし、どれもこれも顔を持たないドレスの女性を見ていくと、岡上が10年間の結婚生活を清算して生まれた土地に戻っていって理由を想像したくなります。
 岡上を取り巻いていたのは、「顔のない女たち」の時代だったからのように感じるのです。

 むろん、夫を支えて生きるというのも、ひとつの生き方であり、それを全うすることが生きがいになっている妻も大勢いました。岡上のクラスメートであった若山浅香は、武満徹夫人として過ごした年付きを、「お金もうけはできない作曲家の夫を支え続けた日々」として語っています。インタビュー本「作曲家・武満徹との日々を語る」で、どんなときも夫とともに歩んできた人生を輝かしく回顧しているのです。 

 一方の岡上は、画家藤野一友との結婚生活の間、創作活動から遠ざかっていました。10年間の「妻」としての暮らしは幸福なものだったのかどうか、離婚の事情などはいっさい語られていませんし、離婚後、生後1歳まで過ごした高知を生活の場として選んだ経緯も、高知での生活についても、展覧会ではいっさい明らかにされていませんでした。

 展覧会に、高知で暮らした1970年代に制作した日本画が出品されていました。はっきり言って、日本画はごくありふれたものでした。コラージュのシュールな爆発力を持つ圧倒的な作品に比べて、なんだか大人しい。色彩感覚や構図はさすがですが、コラージュに比べてもの足りませんでした。

 岡上のコラージュについて、世評はどれも好意的です。
 でも、私とは感じ方がことなる人も当然います。たとえばあるサイトの評では「岡上作品に登場する女性達は首すらすげ替えられ、分断されています。閉塞感から一気に解放され、歌い踊り自由を謳歌しているかのようです」と書かれていました。http://girlsartalk.com/feature/31354.html
 違和感がありました。

 作品をどのように感じ取るのかは自由です。でも、首を馬にすげかえられ、床の上に横たわる女性を、私は「自由を謳歌している」ようには感じませんでした。首が気球につながれて浮遊する女性も、、、。

 外に連なるどくろを前に談笑する女性ふたりの首はくっついていますが、窓の内側が懺悔室であるならば、「このどくろは私たちには無関係よね」と笑い合っているように見えるのです。現在のおおかたの人々が「原発事故も沖縄も、私たちには無関係」と笑って暮らすように。

 岡上のコラージュ作品には、ぼんやりした不安や死の恐怖、自分自身の存在のあてどなさ、などを感じてしまいます。岡上が活躍した1950年代、私はこどもでしたが、まだまだ「戦争の影」が社会を覆っていたことを子どもながらに感じていたから、岡上の醸し出す死の不安や恐怖が伝わったのだと思います。

 戦争が終わって、鬱屈してきた女性たちがいっせいに町に出て、華やかなドレスを身にまといました。西欧の華やかなファッションを、岡上は服飾を学びながら雑誌で知りました。
 進駐軍将兵の婦人たちが日本を去る際に不要な雑誌を置いていき、華やかなファッションの数々が日本社会に浸透していきました。
 岡上は、古雑誌からグラビアを切り抜き、独自の感性でコラージュしていきました。

 それは自由を謳歌する女性の姿だったのでしょうか。
 岡上のコラージュしたファッション雑誌には、ドレスとともに、水爆実験や核兵器開発など、様々なメディアで取り上げられることがらが掲載されていました。ファッション誌も決して社会から断絶したものではなく、岡上がその目で見た、戦争、焼け跡の東京というつらい記憶の残影。コラージュには、岡上が感じてきた戦争や空襲の恐怖も張り付けられていると思います。

 もし、これらのコラージュが「自由を謳歌」したものなら、武満浅香が、作曲家の夫を何十年も支え続ける人生を選んだように、岡上も、画家藤野一友を支えた10年間を放棄しなかったのではないか、と、私には思えるのです。

 岡上淑子の研究を続けている神保京子(東京都庭園美術館学芸員)さんに、91歳岡上のインタビューをしておいてほしいです。

 岡上の作品、1950年代のコラージュ作品だけでも、戦後美術史に燦然と輝く存在だと思います。
 できることなら、90歳代の今も、制作を続けていてほしい。「大人しい日本画」なんて言いましたが、91歳には91歳の感性がある。片岡球子や小倉遊亀などの日本画女性画家は100歳まで描いていましたし、入江一子も堀文子も100歳すぎて描いています。
岡上淑子にもぜひ。

  岡上が切り抜いたファッション雑誌の時代の華やかなドレスが展示されていました。
左:クリスチャン・ディオール 1952 イブニングドレス
右:クリストバル・バレンシアガ 1951 イブニングドレス


 単純な思い付きですが。
 雑誌の中のファッションモデルの首を切り取って岡上がコラージュしたのは、洋裁につかうドレス人体からのイメージかもしれない。仮縫い用の首なし人体からのイメージかも。
 ドレスを制作している間、人体には首がない。服だけが主張し、ドレスを着る人間は意識されない。そんな洋裁の現場で、岡上はドレスを着ているファッション雑誌のモデルたちが人体以上の人間存在には思えなかったんじゃないか。
 してみると、やはり岡上淑子は、「人体としての女性」を見つめていたのだろうなあ、と思えます。頭部はない。欠落した頭部のかわりの扇子、水差し、、、、、。

<つづく>
コメント
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