20190321
ぽかぽか春庭アート散歩>早咲アート散歩2019(4)奇想の系譜展 in 東京都美術館
昨今の伊藤若冲人気。私とミサイルママが第3水曜日に見にいって、5時間待ちの列を見てあきらめたくらい、すごいです。
三の丸尚蔵館(皇室のお宝展示。無料です)に展示される若冲の動植綵絵を、展示されるごとに少しずつ見ていって、30幅全部見終わらないうちに若冲人気が爆発しました。三の丸尚蔵館は狭いですから、30幅一度に展示するスペースがないから仕方ありません。
この前の東京都美術館の若冲展は、動植綵絵30幅が一度に見られる機会だったのに、5時間待ち、ミサイルママのOKが出ませんでした。私は数年前のお正月に清明上河図、ひとりで3時間まったことがあると、話したのだけれど、ミサイルママは「明日も朝早く仕事にいかなくちゃならないから」という。
この江戸絵画ブームは、辻惟雄の『奇想の系譜 又兵衛‐国芳』(美術出版社 1970)から始まっています。しかし、私は1988年にちくま学芸文庫版が出るまで、岩佐又兵衛も曽我蕭白、長沢芦雪などの江戸絵画についてほとんど知りませんでした。江戸絵画の画家たちの名を知るようになってからも、これほどのブームになるとは予想もしていませんでした。20年前の娘息子たちの美術教科書でも、江戸絵画は渡辺崋山、丸山応挙、歌川広重、葛飾北斎が定番、ようやく琳派がでてきたころでした。
今回の東京都美術館の「奇想の系譜ー江戸絵画ミラクルワールド」展は、辻惟雄が世に知らしめた6人の画家に辻の弟子で本展の監修者山下裕二が選んだふたりを追加し、8人の画家による江戸絵画の総集編、という趣です。
岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳という辻が論じた6人に、白隠慧鶴、鈴木其一を加えた8人の代表作。
新発見絵画もあったし、海外の美術館に収蔵されていて今回最初の里帰り展示となる作品もあり、見どころの多かった展覧会でした。
以下、画像はすべて借り物。
私としては、岩佐又兵衛の「山中常盤物語」が一番の目玉。
2017年にMOA美術館リニューアルオープン。記念展示として「山中常盤」12巻一挙公開というときに、熱海に行きたかったのですが、シューキョーケーどうしたもんか、とぐずぐずしていて見にいかなかった。それ以来自分の狭い料簡を残念に思っていたところでした。まったく、自分と違う考え方ものの見方に対して広く自分を開いていかなければいけないと、深く反省。
美術館の展示品は宗教とはまったく関係ないし。税金かからない宗教のお金を、美術品購入に使うのはいいことです。たぶん。
今回東京都美術館で「山中常盤物語」を見ることができるので、前売り券、買いました。シルバー券800円。2月9日オープニングの日、30分並んで11時に入館。
又兵衛「山中常盤」は、12巻のうち、前期4巻、後期5巻の2巻分だけの展示。前期に観覧した私は、第4巻の「常盤殺害」のハイライト部分を見ることができました。
岩佐又兵衛「山中常盤」前半の山場、常盤御前殺害の場
後半は、母の敵を討つ牛若丸の物語。
常盤御前は源義朝の側室となり牛若ほか3人の子をもうけました。義朝の死後は平清盛の側室となったという伝説も残しましたが、こちらは伝説の域を出ず、史実としては、一条長成に再嫁して一条能成らを生む。絶世の美女で賢い女性と、物語には残されていますが、その最後はさだかでない。そのため、さまざまな伝説が生まれました。
常盤伝説のひとつが、「山中常盤物語」。
東北にいる義経を追って、侍女とふたりで旅している途中、山中宿で山賊に殺されるとの物語。仇討ち物語は、牛若丸15歳の時の話になっています。
義経ヒーロー物語のひとつとして、御伽草子などでは人気のストーリーでした。
戦国の世を潜り抜けた岩佐又兵衛、凄惨な場面をリアルに描いています。
又兵衛は戦国武将荒木村重の息子。主君信長を裏切った村重への見せしめとして一族600人が皆殺しにされたとき、乳飲み子の又兵衛ひとりが助かった、という運命の子でした。
『山中常盤物語絵巻』は、又兵衛が仕えた越前松平家が転封となった先の津山藩松平家に伝来したもので、1925(大正12)年5月の東京美術倶楽部による「松平子爵家所蔵品売立て」に出品されました。ドイツ人が買おうとしたところ、寸前に第一書房社主長谷川巳之吉が家屋敷を売って買いつけに成功し、海外流出を食い止めました。MOA美術館が長谷川から買ったのか、間に所有者転変があったのかはわかりませんが、ドイツまで出かけなければ見ることかなわず、ということにならなくてよかったです。12巻全部ドイツにとどまっていればまだしも、1巻ずつバラ売りされていたら、ストーリーをきちんと伝えることも難しかったでしょう。
これまで見たことなかった伊藤若冲も展示され、横浜美術館で見た国芳展には出ていなかったのもあり、充実した8人衆でした。
入場すると一番はじめにど~んと目に入る大画面。伊藤若冲の左隻「鯨」右隻「象」の屏風です。
伊藤若冲「象と鯨図屛風」 紙本墨画 六曲一双 各159.4×354.0 寛政9年(1797) MIHO MUSEUM
右隻「象」
かわいらしいぬいぐるみのような象です。
左隻「鯨」
左の鯨、国芳の豪快な鯨に比べるとおとなしい印象でした。
歌川国芳「宮本武蔵の鯨退治」大判錦絵三枚続1847 これは横浜で2012年に見た覚えあります。刷り物だから、私が見たのとは違う版かもしれませんが。
宮本武蔵が鯨と闘ったというのも史実とは思えない伝説ですが、江戸の想像力は天衣無縫。
↓こちらも初めて見ました。
曽我蕭白「雪山童子図」着色 一幅 169.8×124.8 1764(明和元)年頃 三重・継松寺
お釈迦様が前世で子供のころ、鬼と出会ったというエピソードなのですって。
蕭白は、漂白奇行の絵師。誰も蕭白など相手にしなかったとき、松阪の村田彦左衛門祇昌が飲んだくれの蕭白に絵を描かせ、その絵を1771(明和8)年に、継松寺に寄進したとそうです。
海外流出後、日本初公開の鈴木其一
「百鳥百獣図」絹本着色 双幅 各138.0×70.7cm 天保14年(1843)天保14(1843)年 米国・サンアントニオ美術館 キャサリン&トーマス・エドソンコレクション
左隻
右隻
奇想の系譜展、どの絵も、一幅一幅見入ってしまう、すごい絵でした。
日本の美術教育において、江戸絵画が教科書に載るようになったのは、つい最近のこと。私は美術の教科書で若冲も曽我蕭白も観たことありませんでした。
思うに、日本の学校美術教育は、明治以来、江戸を否定し西洋を追いかけることが中心だったからだと思います。
日本人がその価値に気づかないうちに、海外流出した江戸絵画がたくさんあります。里帰りでようやく見ることができた絵のひとつ。これもすごい迫力でした。
「老梅図襖(旧・天祥院客殿襖絵)」狩野山雪1646正保3年 メトロポリタン美術館所蔵
今「奇想の系譜展」にかくも大勢の人が詰めかけるのを見て、今後まだ知られていない江戸の画家のだれかが、眼のある人に見いだされる、なんてこともあるかもしれません。今回の展示の事前調査で、地方の旧家に所蔵されていた伊藤若冲「梔子雄鶏図」と長沢芦雪「猿猴弄柿図」が見いだされ、本展に展示されていました。まだまだある「新発見」
展示監修者山下祐二と辻暢雄が相撲博物館所蔵の狩野山雪『武家相撲絵巻』の展示の前で話し合っているのを、うしろから聞き耳たてて聞きました。(3月9日映画『山中常盤』上映後)
「いやあ、相撲博物館にこんなすごい絵があったなんて、長年気づいていなかったですよ」と、山下先生。
山下先生は、京都国立博物館で「狩野山楽山雪展」(会期1913(平成25)年3月30日~5月12日)が開催されたとき、主任学芸員として「武家相撲絵巻」を展示し、狩野山雪筆という鑑定を出しました。
脇にいた一行の女性が「でも、おすもうさんたちは、昔からみんなこの絵を見てきたんだそうですよ」「あはは、この絵の存在を知らなかったのは、美術史学者ばかりなり」と、先生。
正式な鑑定のおかげで、今や相撲博物館のお宝。
私も相撲博物館を見学したことがあり、この絵を目にしていたはずですが、ただ相撲の決まり手を絵にしたものと思って通り過ぎたんだと思います。目ない者には、お宝が眼前にあってもわからない。残念。
海外の美術館博物館には、まだ調査が行き届いていない「輸出された茶箱の中の、お茶の包み紙にされていた浮世絵」なんていうのも倉庫に眠っているらしい。もったいない。
一番いいのは、春庭が海外旅行した先の蚤の市でなにやら見たことのない絵画を安く手に入る。それは一般に知られていない作品で、研究者の鑑定によって絵の価値があがり、オークションに出してみたらとんでもないお宝値段がついた、、、、って、私の鑑賞法はやっぱりそっちばかり。
2月9日のわたし
<つづく>