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ぽかぽか春庭「等々力渓谷を歩く・日曜地学ハイキング」

2013-12-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/10
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記12月(2)等々力渓谷を歩く・日曜地学ハイキング

 日曜地学ハイキング、他の参加者は、10時に東急大井町線九品仏駅集合し、「九品仏浄真寺」の阿弥陀如来見学からスタートしています。
 まあ仏像拝観は、この日でなくても一人でもできます。それよりも、等々力渓谷で見られるという地層の解説や古墳群の解説を、専門の先生方にお聞きしたい。

 ひとり遅れて参加の私は、等々力駅から「日曜地学ハイキング」一行に合流し、渓谷入り口でまず、武蔵野礫層などの地層の説明を受けました。


 東京は、荒川と多摩川に挟まれた武蔵野台地の上にあります。武蔵野台地は、多摩川の扇状地の上に火山灰である関東ローム層が重なっています。いくつかの河岸段丘があり、そのうちの武蔵野段丘南面が、昨年の日曜地学ハイキングで観察した「立川崖線、国分寺崖線=ハケ」でした。ハケからの湧水が何か所にも見られ、それらの湧き水を見学してあるきました。

 今回の地学巡見は、武蔵野段丘の南側の多摩川沿いの地形観察です。
 まず、等々力渓谷。20年前に娘と息子の書道展が等々力であったとき、ついでに渓谷見物をしたきりです。都内にある渓谷、姑の家の近くなのでいつでも来られると思っていたのに、なんと20年もたってしまいました。20年前にも「こんな都会の中に溪谷が、、、でもそのうちに開発されてしまうのかなあ」と思いました。渓谷の川沿いは公園になっているのですが、台地の上はもうすべて住宅地に開発されてしまっていました。

 そのため、昔、滝の音があたり一帯に轟いたため「とどろき」と名付けられたという「等々力の不動の滝」は、今では水道の水のような細い流れがチョロチョロと出ているだけのものになってしまっていました。20年前を思い出すと、この流れを肩に受けて修行している白装束の人を見た覚えがあります。今のこのチョロチョロの流れでは、肩に受けてもあまり修行にはならないだろうと思います。

 この不動の滝のところに見えている地層、一番うえは関東ローム層。よく水を吸い取る地層です。水はその下の軽石層を通り抜け、下の粘土層に至って吸い込まれなくなり、その地層の隙間から水が湧き出してくる。これが「ハケの湧水」です。武蔵野礫層と東京層シルト岩の不整合面から水が湧き出てくる、という説明を受けました。

地層の重なりを表した展示板

 この湧水を原始時代の人も利用し、縄文時代の人もこの武蔵野台地に住みました。そして古墳時代になると、ここら一帯を総ていた族長は、大きな円墳や前方後円墳を築きました。等々力駅から歩くと、不動の滝の手前、等々力渓谷の中程に、「等々力渓谷三号横穴」があります。このあたりの古墳は6基以上あり、埋葬されていた男女子供あわせて3体が確認されています。発掘調査により、金属製の耳環やガラス玉、須恵器などが出土しています。

 現在、横穴の前面にはガラスが嵌められていて、墓の中のようすが見学できます。この崖に横穴を掘り、お墓を作った一家、どんな生活だったのだろう、男女と子供3体は、家族だったのだろうかなど、大昔このあたりに住んだ人々の暮らしに思いをはせました。

 多摩川土手に出て、玉堤小学校前からバスに乗りました。バスは、多摩川グラウンドを見下ろして走ります。二子玉川のビル群が見えると、となりに座っていた地学サークル参加の年配のご婦人は「まあ、久しぶりにこのあたりに来たら、びっくりすることばかり。二子玉川がこんな大きなビルが立つ都会になるとは思いませんでした」と言っていました。私は昔の二子玉川を見たこともありませんけれど、「そうですねぇ、東京はどこもかしこも、ちょっと見ないでいるあいだに変わってしまいますねぇ」と、相槌をうちました。

 ことばのキャッチボールが苦手な私。「こういう相槌でよかったのだろうか」と、しばし悩む。私の会話は、「ことばのキャッチボール」ではなくて、しばしば「ことばのドッヂボール」になってしまうらしく、どしんと投げられた言葉をさっとよけられてしまったり、受けそこねた相手に痛い思いをさせてしまったり。親しくない相手とは「一般的な世間話」というものができないタチなのです。

 多摩川駅ちかくの多摩川台公園でお弁当タイムになりましたが、ことばのドッヂボールをしないために、だれも座っていないベンチを探して、きのうの残り物のチーズサンドイッチと、梅干おにぎりというへんな組み合わせのお弁当を食べました。

多摩川のながめ


 世話役のI先生が参加者のあいだを回って「ドイツみやげのお菓子です」と、広げた手のひらの上にチョコ菓子をのせてくれました。
 I先生は、ドイツでの学会に参加するため10日間の旅行に行ってきて、昨日帰国したという忙しい毎日。I先生は、高校の地学教師を定年退職してから、専門の「クモヒトデ研究」を東京科学博物館で続けています。ドイツの学会でも棘皮動物の専門家は少なくて、学会に集まったのも30人ほど。そのうちクモヒトデの研究者は、30代の研究者ひとりだけ。その彼と共同研究ができることになり、学会参加の成果があったというお話をしてくださいました。

 私は、こういうお話ならとても興味深く聞くことができるのですが、どうもそれ以外の「世間話」になるとダメみたい。「クモヒトデの四番目の足の話」なら、一日中でも聞いていたい。でもI先生は、他の参加者にもお菓子を配らなきゃならないから、そう長くはクモヒトデの話を聞いていられませんでしたが。

 I先生が「クモヒトデ」について執筆している本を紹介します。
『化石から生命の謎を得-恐竜から分子まで』2011朝日選書


<つづく>
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ぽかぽか春庭「師走、HALセンセも走るついたち」

2013-12-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/08
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記12月(1)師走、HALセンセも走るついたち

 この1年にしなければならぬことを「し果たす」のが「しはす」となり、「しわす」となまったというのが、一番妥当な「師走」の語源と思います。しかし、当て字として「師走」が当てられて以後、なんとなく「日頃あわてぬ師匠も走り出す」というイメージが定着し、日頃ダメダメ教師のHALセンセも走り出す、、、、
 12月1日、まず第一番にしたことは、春庭第一番の趣味であるジャズダンス・サークルのために、練習場所の抽選会に出席したこと。抽選の結果、2014年2月の練習場所が3回分確保できました。
 私は今、サークル会長なので、8,9,10,11月と連続して抽選会に出ています。12月はほかの方に行ってもらうはずでしたが、その人が怪我をしてしまい、ギプスをはめている状態なので、12月も抽選会に出ることになりました。
 そのため、参加を予定していた12月1日の日曜地学ハイキングには途中参加することになりました。

 抽選会が行われた5階から降りてくると、ビルの入り口で「酒田市友好物産展」をやっていました。山形羽黒産庄内柿の「弥右ェ門の干し柿」を自分のおやつ用に買いました。6コ入りパック550円。それから、山形出身の姑へのプレゼントとして、「豆菓子」を買いました。12コ入り480円。

 抽選の時間に間に合うように、朝ごはんも食べずに家を出てきたので、「山形芋煮汁」の列に並ぼうかどうしようかと迷いました。11時に東急線等々力駅につかねばならず、食べていたら遅くなるかもしれません。迷っていたら、「はい、整理券」と券を渡されました。この芋煮汁は、「無料サービス」でした。無料大好きの私。無料なら食べるに決まっている。具だくさんの発泡スチロールのどんぶりを受け取りました。熱いのでフーフー吹きながら、10分で完食。酒田の皆様、芋煮汁、おいしゅうございました。ごちそうさま。

 大急ぎで地下鉄の駅へ。気があせり、電車の中で走る気分の師走。焦るくらいなら、芋煮汁をパスすればよかったのに、無料だからついつい。
 11時に等々力駅に着くのが目標だったのに、10分遅れました。11時10分に等々力駅改札で、日曜地学ハイキング担当のI先生に電話したら「今、九品仏から電車に乗ったところ、等々力に向かっています」とのこと。よかった。遅刻はしませんでした。

 2013年12月01日の「日曜地学ハイキング」。
 日曜地学ハイキングは、「地団研(地学団体研究会)」に所属する地質学化石学古生物学などの研究者たちが、一般の人への普及活動の一環として運営している「化石掘り、地層見学などを通じて、地学に親しむ」ための団体です。

 高校の時は科学部に所属して、「実験少女」のひとりだった私が、唯一現在も続けている「ちょっとは科学とつながっていたい」活動が、「日曜地学ハイキング」です。この会に所属したのは、恐竜大好き少女だった娘が「化石掘りたい」と希望して、「地学ハイキング」の化石掘りツァーに参加するようになったからです。

 娘は今でも「恐竜なんたら展」というのが開催されると、毎年一回は見に行く恐竜ファンなのですが、化石掘りの熱はとっくに醒めてしまい、日曜地学ハイキングに参加するのは、今では私ひとりです。
 今回は、「等々力渓谷の湧水と地層、及び多摩川台古墳群を見るハイキング」。

<つづく>
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ぽかぽか春庭 表明します

2013-12-07 08:37:17 | エッセイ、コラム
2013/12/07
ぽかぽか春庭今日のいろいろ>

春庭は、特定秘密保護法に反対します。

春庭は 原子力発電再開に反対します。
    すべての原発を廃炉にし、代替エネルギー開発を希望します。

春庭は 世界中すべての戦争に反対し、武器輸出に反対します。

    
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ぽかぽか春庭「星の銀貨実験-お金なしに生きる方法」

2013-12-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/05
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>明かりを灯す人(4)星の銀貨実験-お金なしに生きる方法

 NHKBS世界のドキュメンタリーで放映された「お金なしに生きるLiving Without Money」は、2011年11月10日深夜、再放送11年12月4日日曜昼、再々放送2012年3月29日深夜と、3度放映されたにもかかわらず、私は見逃してきました。ハイデマリー・シュベルマー(Heidemarie Schwermer()という名を聞いても私のアンテナにひっかからず、テレビ番組表を見て深夜放送のドキュメンタリーを録画しておこうとも思わなかったのです。
原題:Living Without Money
制作:EiE FILM / DALCHOWS VERDEN (イタリア/ノルウェー 2010年)

 講師室の中に設置されている「ご自由にお持ち帰りください」の棚には、大学案内パンフレットとか、あまり自由に持ち帰りたくないものがほとんどですが、たまに寄贈本などで、いらない本がおいております。タダのもの大好きな私は、気に入った本があればもらいます。安冨歩『生きる技法』もその一冊。
 その中に紹介されていた「星の銀貨実験The Star Money Experiment」という言葉を見て、あれ?そんなことを聞いたことがあったっけ、とようやくアンテナに引っかかりました。

 ハイデマリー・シュヴェルマーは、1932年にドイツで生まれた女性です。父親の事業の成功失敗により、裕福な生活も極貧の生活も知って成長しました。子育てをしながら教師、セラピスト、カウンセラーとして20年間暮らし、子供が成長したのち、1996年に生活を大きく変えました。旅行バッグひとつに入るものだけを残し、家も年金受給もすべてを捨て去ったのです。彼女は「お金なしに生活する」という実験を始めました。この最初の「お金なし生活」の記録が、彼女の最初の著作「星の銀貨実験」になりました。

 「星の銀貨」は、グリム童話にも収録されている少女のおはなし。貧しい少女が、なけなしの最後の銀貨を自分より貧しく辛い思いをしている人に与えてしまいます。すると空の星がふってきて、すべて銀貨となった、というヨーロッパの伝説です。「与えることによって得る」という「星の銀貨」のお話のように、自分が持っているものを人に与えることで、自分の生きる糧を得ることができるか?これが「星の銀貨実験」です。

 彼女は、「交換」による生活を始めました。食料品店の掃除を引き受ける代わりに賃金ではなく、賞味期限切れの食料をもらう。数週間のバカンスに出かける家族のために、その家の留守番をする。謝礼は冷蔵庫いっぱいの食料品ほか、家族が戻るまでの食料。
 そんな暮らしを数年続け、『星の銀貨実験』」出版後は、各地での講演会やテレビ出演をしたあとの「現金では受け取らないお礼」によって2013年の現在、71歳になっても、「無料生活」を続けています。
 この生活を始める前は覚悟していた「野宿」を、一度もしていないとのこと。

 ハイデマリー・シュヴェルマーさんは、住む家も貯金も年金もなしに、人々との助け合いや交流によって生きてゆけることを証明したのです。
 「誰にでもできる生活じゃない」という批判も数多く彼女浴びせられ、「結局、人の好意に頼っているだけ」「人のお情けで暮らしている」など、誹謗中傷もしょっちゅうです。でも、彼女は「とても心豊かに楽しく」生き続けています。彼女はほどこしを求めているのではなく、他者との交流の結果が彼女に寝るところと食べ物を与え続けているのです。

 ドキュメンタリーが再々々放送されるなら、今度こそ録画しようとおもうのですが、とりあえず、台湾海賊版とおぼしきyoutube UPを見ました。イタリアに招かれて講演しているハイデマリーさんのドイツ語を同時通訳がイタリア語に訳し、画面には繁体字の中国語字幕が出るというドキュメンタリなので、わからないことも多々ありますが、まあ、画面だけでもおおよそのことはわかりました。

 ドキュメンタリーの中、ハイデマリーさんが若い女性といっしょに、瞑想(メディテーション)する場面がありました。西洋風座禅のような感じ。おそらく、キリスト教的共同体からはみ出た人々、あるいはそういう共同体を拒否する人にとって、シェアしあう生活や瞑想によって心の平安を得る習慣は、新しいライフスタイルなのでしょう。

 でも、よくよく考えてみれば、これは祖父母の代までは、日本の田舎の普通の暮らしだったのです。ただし、私の母の実家は、戦時中「あの家は、聖戦遂行に協力的でない」とうわさされ、村八分にされたことがあります。田舎がいつでも安心安寧な共同体ではなかったことを、私は母から聞かされて育ちました。
 今だって、ブータンあたりの田舎の村では、ハイデマリーさんの生活を見て、自分らの暮らしと少しも変わっていないと感じるでしょうし、共同体に「はぶられた」一家もあることでしょう。

 もし、昔の共同体と同じなら、ハイデマリーさんは周回遅れのトップランナーに過ぎないのか。いいえ、やはり経済的進展では世界トップになっているドイツでハイデマリーさんがこの暮らしを始めたのだ、ということに意味があるのでしょう。近代的生活、すなわち産業社会は、個人の努力によって財をえて、金銭によって消費を行うことが求められました。ハイデマリーさんは、そういう消費社会に疑問を感じることから「星の銀貨実験」をはじめました。

 現代生活すなわち産業社会勤労者による消費社会が、かってのような「自分のもっているものを分かち合う生活」にそのまま戻れるはずはありません。しかし、ハイデマリーさんの実験は、分かち合い生活が不可能ではないことをおしえてくれました。ハイデマリーさんの財産は、「この人になら留守中の家を安心して任せられる」と、人に感じてもらえる人間力なのです。

 「星の銀貨」は、一筋の光明に思えます。
 「景気をよくする」という呪文を唱えさえすれば、すべてのゴリ押しがまかり通ってしまう現在の社会で、私の心に明かりがともされました。

 私に、「人様に分け与えることができるようなものがあるのか」と問うてみます。
 私は料理もお掃除も上手じゃありません。私は、視覚障害者のための朗読ボランティアを続けたことがあり、朗読が好きです。でも、私より朗読が上手な人はゴマンといて、あまり、ウリになる経歴にもなりません。
 私がこれまでに「私が身につけたこと」を他者にシェアしようとしても、あまり欲しがる人がいないんじゃないかと思います。モダンバレエやジャズダンスのレッスンを、40年間受け続けてきたのに上手にならないから、これもウリにはならないし、、、、

 人様に信用してもらえそうな人間力、乏しい限りです。
 ウリモノをなにも持たない私ですが、でも、星の銀貨暮らし、やってみなければわかりません。わらしべ1本だって欲しい人がいるときには交換の役にたつのですから。

 私は今のところ、無料、交換でまかなっているのは、衣服だけです。昔は衣服はすべてお下がりで調達していました。姉と妹がやたらに服を買い込むのが好きで、新しい服を買うとき「古いのはお下がりに出せるから、無駄にはならない」と、気楽に新しい服を買っていたのです。

 しかし、姉が死んで11年。もうお下がりが来なくなったと思ったら、ジャズダンスサークルの知り合いが、お下がりを回してくれるようになりました。彼女は「今時、古着なんて人にやたらにあげたら迷惑がられるだけなのに、e-Naちゃんは喜んで着てくれるからうれしいわ」と、時々大きな袋にいっぱい古着をくれるのです。

 これは、私が「夏は裸でなければいい、冬は寒くなければ良い」という衣服哲学を持っているおかげでしょう。ファッションになんらかの好みがある人なら、服をもらったとき「これは私には似合わない色、これは形が気に入らない」と感じてしまい、「どんな服をあげても、喜んで着る」ということにはならず、服をあげた人にとって「お下がりなんか渡して、かえって迷惑だったか」と感じることになってしまいます。
 すなわち、「ファッションになんの好みもない」というのが、私のウリということになります。「どんな服でも喜んで着てくれる人だ」と、信じてもらうことができたのが、私の「服をもらってすごす衣料生活」のもとでなのです。

 私は、賞味期限切れの食べ物を食べても、たいていの場合おなかを壊すこともないので、よく賞味期限ギリギリの食品を半額で買ってきます。息子は超少食ですが、娘と私が大食いなので、大量に食料品を買わなければなりませんが、まあ、半額食品でまかなうときは、安心して大食いをします。それで、私も娘も体重オーバーですが。

 すなわち、私は、今でも半分くらいは「お金を必要としない暮らし」であるのです。ただし住んでいるところが公団団地なので、家賃を払わねばならず、値切ることもできないので家賃分は稼がなければなりません。

 ハイデマリーさんは、子供が自立した後に「お金なしに生きる」生活を始めたのですが、私の子供が自立して働くには、あと10年はかかりそう。一生自立できないかも。70歳まではなんとか働き続けて、70歳すぎたら、「星の銀貨生活」または「シェアライフ」が回っていくよう、今から根回しておきます。人間力、信用される人間めざして、がんばりましょう。

 ためしに、娘に「テレビドラマに出てくるお金持ちって、たいてい悪事を働くとか、家族の愛情が薄くて不幸だとか、夫も妻も不倫に走るとか、あまり幸福な一家はないみたいだね。我が家はお金無いけど、不幸じゃないからよかったよね」と、言ってみました。娘は、「でも、子供が寝てしまったと思って、お父さんとお母さんがヒソヒソ声で来月の家賃が払えないとか、明日食べるものがないとか、話していたとき、ふとんの中でそれを聞いて育った子供はかわいそうだったよ。私が今、冷蔵庫に食料がいっぱいに入っていないと不安になるのは、そういう育ちのせい」と言われました。

 う~ん、食べ物だけは半額品を大量買いしておかないとだめみたいだなあ。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「ハンナ・アーレントその2」

2013-12-04 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/04
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>明かりを灯す人(3)ハンナ・アーレントその2


 映画『ハンナ・アーレント』を見て、ハンナが「考えることを放棄してはいけない。自分の脳を他人にゆだねるな」と、命懸けで語っていることはわかりました。

 有名なアイヒマン実験で、多くのごく普通の人が、命じられれば、無批判に上位者の命令をきく性質を持つことが明らかにされました。
 アメリカ・イェール大学のミルグラムが、アイヒマン死刑後、1963年に実施した心理テストです。被験者は教師役を与えられ、「教育効果を高めるための実験」として、テストで誤答をした「生徒役」に電流を流して懲罰を与える行為を継続できるかどうか観察されました。

 結果。人間は上位者上級者から「これは正当な行為だ」と示唆されれば、人間を痛めつける行為に疑問を感じず、当然のこととして行うことができる、という結論が出されました。

 実験方法に批判があり、同じ実験を再度行って検証することが不可能であることから、実証性がないとされていますが、「教育効果を高めるために、試験の成績が悪い生徒に電流を流すボタンを押す教師役」を与えられた被験者の60%が、疑問を感じずにあるいは疑問を感じても、上位者に「正当な行為であり、教育効果を高めるために必要だ」と諭されると、「生徒役」が助けてくれと絶叫しても、なおやめずに電流をながし続けました。生徒役に実際には電流は流れておらず、演技をしているだけですが、教師役はほんとうに電流が流れていると感じても電流ボタンを押し続けたのです。なぜなら、そうするのが正しい教師の仕事だと命令されたから。

 ハンナ・アーレントは、アイヒマンが行ったユダヤ人虐殺のための「職務」が正当だったと言っているのではありません。だれでもアイヒマンになりうる、私たち自身もアイヒマンの一人にすぎない、と言っています。しかし、ハンナのアイヒマン裁判リポートを読んだ多くのアメリカ人は激怒し、ハンナを非難しました。

 ハンナは、ユダヤ人社会から排斥を受けても「真実を追求し、自分の頭で思考し続けること」をやめようとは思いませんでした。

 私は人様のものを盗んだこともなければ、まして人を傷つけたりしてはいない。電車の椅子の上にケータイ忘れた人がいれば、大声で「これ、お忘れですよー」と、大声を出して呼び止めたり、駅の構内改装で戸惑っている視覚障害の人を見かければ、「どちらまでいらっしゃるのですか、よろしかったら、ごいっしょしてもいいですか」と声をかけずにいられない。私も自分を「ショーモナイ人間ではあるけれど、どちらかと言えば善人のほうにはいるんじゃなかろうか」と、信じ込んでいる。

 しかし、こういう善人がいちばん危ないのです。自分が大きな悪事に手を貸していることを自覚できないから。

 子供の頃、母に「どうしてこの戦争は正義の戦争だと信じられたの?間違った戦争だとは思わなかったの」と尋ねたことがありました。母はつらそうに「一番上の弟が戦死するまで、戦争に疑問を感じても、それを言い出すことなどできるはずもないと思っていた」と、語りました。軍隊が家にやってきて、母たちの愛犬を、雪の中で戦う兵士のために、犬の毛皮が必要だと言われて犬を連こうとしたとき、犬の供出を拒みました。母の弟が出征してもなお、「戦争に協力的でない家」と言われ、「あの家は非国民だと」言いふらされた。「結局犬は連れて行かれて殺され、弟は戦死してしまったのだから、もっと大声で戦争はいやだと、言えばよかったのに」と、母は悲しそうな顔をしました。母の実家は、「戦争に非協力的な非国民の家」として村八分にされ、母の弟が戦死してようやく村八分が解消されたのだという話を、母から聞きました。
 戦争に反対せずにバンザイ三唱して弟を戦地へ送り出したことを自分自身のあやまちとして感じたゆえの、悲しそうなつらそうな顔だったのだと思います。

 戦後、母は一貫して「死んだ弟を生きて返してくれない限り、政府が何を言おうと二度と戦争を支持しない、協力しない」と言い続け、子供たちにもそういう教育をしました。

 「集団防衛体制を作ることが必要だ、アメリカが攻撃されたら、日本も協力して戦争できる国の体制を作らなければ」という考え方を、現在の与党は提唱しています。私はこれに反対をしています。
 防衛のために公務員が政府の秘密を漏らしたら罰を与えるという法案にも反対。政府提出の案は、国民が真実を知るための策が封じられるだけです。

 でも、こう考えるのは少数派になってしまいました。みな、景気をよくするためなら、原発再開も秘密保護法もOKという考えなんですね。国民が、そういう与党を選んだのですから。
 私のような考え方の人が、非国民と呼ばれて排斥される日も迫っているのかもしれません。
 でも、私は「権力者が言うから従う」というふうになれない。最後まで自分で考えたいです。

 金曜日、仕事でのサービス残業が5時間を超えたので、ついつい「こういうサービス残業はおかしい」というメールをボスに送ってしまいました。同僚たちは「仕事なくなるといやだから、受け入れる」という態度をとってきたので、私も波風たてたくないとはおもってきたのです。でも、ハンナ・アーレントを見た翌日だったので、つい異議申し立てをしてしまいました。たぶん、改善されることなく、2コマ分の授業をして2コマ分の時給を支払われるだけなのに、そのあと5時間もサービス残業をする習わしは変わらないでしょうね。非常勤講師がどんな苦労をしようと、常勤教師には関係ないから。

 ハンナ・アーレントは「アイヒマン・レポート」を雑誌に掲載し、『イェルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告』(Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil)が出版されたあと攻撃を受けましたが、テュニア取得教授(定年までの勤務が保証されている教師)だったので、仕事を失うことはありませんでした。

 私は、ボスに文句ばかり言う非常識非常勤講師として、来年は職を失うかもしれません。けどね。物言わぬは腹ふくるる技。言いたいこと言って仕事失うことになってても、言いたいこと言えずにお腹に不平不満をためるよりは、健康にはよさそうだ。
 ストレス解消のやけ食いでどんどん太る毎日に比べると、来年は「失業ダイエット」ができそうです。

 「大声でデモをするのはテロと同じ」という幹事長がいる党を人々は選挙で支持しました。「原発反対も秘密保護法反対も、与党方針に反対する人々は、テロリスト」そういう考え方の与党が政権を担うことがいい、と人々は思ったので、あと3年はこの体制が続きます。解散がなければ、次の国会選挙は衆議院が2016年12月。参議院は2016年夏。

 2016年どころか、来年はどうなる身なのやらわからない日々をおくっていますが、自分の頭で考え、自分のことは自分で決定する自由を失わずに生きたいというささやかな望みは捨てずに生きていきたい。

 荒野を走り回って、木の根やら草の実やらを探して腹を満たさねばならぬ日々と、豚小屋でのうのうと昼寝をし、与えられる餌で満腹する日々のどちらを選ぶか。昨今は豚小屋もずいぶんと立派になって「うさぎ小屋に住んでいた頃から見れば、俺もずいぶんと出世したもんだ」と、満足して豚小屋の餌を食べる生活があることは知っています
 何事も知ろうとせず、知っても我が身のことだけ考えていたほうが楽なことは知っていますが、私はやはり荒野に立ちたい。荒野を照らす星あかりもきっとあるはず。
 次回は「星の銀貨生活」について。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ハンナ・アーレントその1」

2013-12-03 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/03
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>明かりを灯す人(2)ハンナ・アーレントその1

 11月21日に岩波ホールで見た『ハンナ・アーレント』は、一直線に「真実の追求」を行った人として描かれていました。きっとハンナには別の面もあったろうけれど、ハンナの描き方として妥当だったと思います。

 ハンナ・アーレント(1906 - 1975)は、思想家・哲学者。ドイツ生まれのユダヤ人女性で、大学時代はハイデッカーに薫陶を受けました。師とは50年にわたって文通を続け、若い時代には恋愛関係にあったことが手紙に記されています。映画では、若い女性にのめり込む老教授と美貌の弟子との恋愛として描かれていました。

 実際、若い頃のハンナの実像は、写真で見る限りではとても美しく聡明そうな顔立ちです。
 若い頃のハンナの顔写真が表紙になっている著作
 

 第二次大戦が始まり、ハインリッヒ・ブリュッヒャーと二度目の結婚をしたハンナは、夫とともにナチから逃亡する人を助ける活動を行います。反ナチスの危険な活動を続けたために自らも逮捕され、収容所に入れられましが、収容所からの逃亡に成功。1941年にアメリカに亡命しました。アメリカの市民権を得るまで、8年ものあいだ「無国籍者」として生活したと、ハンナは映画の中で教え子たちに語っていました。教え子たちとの関係はとてもよくて、教え子はハンナをしたっているようすでしたし、(映画では)夫のハインリッヒとはラブラブの夫婦で、とても仲がよい夫婦に描かれていました。

 戦後はアメリカの大学で哲学教授として学生には人気の教師として活躍しました。出世作は1951年『全体主義の起源』です。
 日本での一番人気の本は『人間の条件』で、私もこの一作を読んだのみで「ハンナファン」と名乗っているので、まあ、ミーハーファンだと言われて当然です。

 映画は、ハンナがイスラエルで行われたアイヒマン裁判の傍聴をした出来事が中心になっています。
 第二次大戦が終わって、ヒットラーの自殺後、連合軍の逮捕を逃れたナチス幹部たちは密かに出国し他国で潜伏生活を送っていました。アイヒマンはアルゼンチンに5年余り偽名で潜伏していましたが、1951年に逮捕され、裁判を受けました。

 アイヒマンは1939年12月からドイツが降伏した1945年5月まで、ナチスドイツの国家保安本部第IV局B部4課課長(ゲシュタポ局宗派部ユダヤ人課課長)の任にあり、冷徹にユダヤ人を収容所に送りつけたことで知られています。
 戦勝国側は、敗戦国の戦争指導者を「人道に対する罪」「平和に対する罪」を犯した戦犯として裁きました。アイヒマンは、イスラエル政府によって「ユダヤ人虐殺に責任を負うべき人物」として裁かれ、死刑を執行されました。

 自らも収容所へ送られたことのあるハンナは、この裁判の傍聴を希望してイスラエルへおもむき、報告書を連載しました。
 連載の中、ハンナは「ユダヤ人の収容所送り」には、ユダヤ人支配層の関与もあったことを暴露し、アイヒマンは極悪非道の大悪人ではなく、上司の命令を忠実に実行する小市民のひとりであったという感想を書きました。

 数多くアメリカに亡命したユダヤ人たちは、ユダヤ人自身もユダヤ人虐殺に手を貸していたのだというハンナの論と、アイヒマンを「普通の人間のひとり」と評したことに激怒しました。ハンナは、反感をもつ姿なき人々の脅迫状脅迫電話にさらされる毎日となりました。

 ハンナは「アイヒマンを生み出す社会をそのままにしておいて、アイヒマンを断罪するだけでは、第二のアイヒマンをまた生むだけだ」と考えました。「忠実に命令に従っただけだから、私は無罪」と主張するアイヒマンに対して、裁くことが可能なら「思考停止に陥った罪」によるだけでしょう。

 映画のラストシーンは大教室。ハンナの教え子、ほかの学生たち、ハンナに反感を持つ聴衆を前にしての、「真実の追求」を論じるハンナは、渾身のことばを振り絞って講義を続けます。

 岩波ホール、木曜日の夜7時の回、若者と中高年は半分半分の割合でした。昼間はほとんどが中高年だと思います。
 見終わった人、自分自身を「思考停止に陥った罪」によって審理したでしょうか。

 ハンナ・アーレントは、20世紀に生きる人間の危機として5つをあげ、それを乗り越える人間的活動の4つを示しています。
 5つの危機とは
(1)戦争と革命による危機。それにともなう独裁、ファシズムを生み出す危機。
(2)ポピュリズム(大衆社会)の危機。他者に迎合し、他人に倣った言動をしてしまう、思考停止。
(3)消費のみの文化という危機。自らが生み出すことをせず保存の意思のない消費するのみの生活。
(4)世界疎外の危機。世界とは何かということを深く理解しようとしないことにより、世界そのものからも疎外されていることに甘んじる生活。
(5)人間として何かを作り出すこと、何かを考え出すことをしない生活の危機。

(以上の5つの危機のまとめは、松岡正剛によるもの。自分自身のことばでまとめる努力をせずに、他者のことばを引用してしまうのも、思考停止のひとつであると指摘されればそのとおりなのだけれど、、、、、)

 『人間の条件』に書かれていることとは。
 この本でハンナが行ったのは、「人間の条件のもっとも基本的な要素を明確にすること」であり、「すべての人間存在の範囲内になるいくつかの活動力」を分析すること。

 人として何かを生み出す生活のためには、人間のもっている活動力vita activaが必要です。その力として、ハンナは4種類をあげています。
 労働(labor)、仕事(work)、活動(action)、それに思考(thought)です。
 「労働」は人間の生命の維持=新陳代謝(メタボリズム)に寄与します。「仕事」は、個人の生命維持以上の、「世界」と関わるための行為。自分が時間をかけて行った行為が、世界に何らかの働きかけとなる。「活動」とは、人と人とのあいだでかわされる行為。

 と、こんなおおざっぱなくくり方をしたところでハンナ・アーレントの著作を理解したことにはならないですけれど、若い頃読んだ『人間の条件』は、なんだかやたらに小難しく感じて、さっぱりわけわからないままでした。私は、とことん哲学なんてものに向かない人間です。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「キルギスの電気どろぼう」

2013-12-01 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/01
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>明かりを灯す人(1)キルギスの電気どろぼう

 弱っちくてダメダメで、できるだけズルして楽したいと思っていて、しかも自分ばかりが不運でちっともよいことに巡り合わないと文句たらたら、、、、こんな生活を続けている自分を、ちょっとは反省させてくれる人に出会うことがあります。リアルライフで出会う友のこともあるし、映画や本の中で出会うこともあります。
 最近出会った、3人の「私の心に明かりを灯してくれた人」を紹介するシリーズです。

 キルギスの映画『明かりを灯す人』(テレビ放映を録画しました)。私は、キルギス語の映画を初めて見ました。(以下、ネタバレ含む紹介です

 キルギス映画『明かりを灯す人(キルギス語タイトル Свет-аке)』。
 アクタン・アリム・クバト監督は、ロシア語タイトル“SVET-AKE”の“SVET”は、「光/明り」を文字通り意味するとともに、「世界/世間」や「兄弟」を意味する、と述べています。

 アクタン・アリム・クバト監督は、前作(1998『あの娘と自転車に乗って』、2001『旅立ちの汽笛』)までは、ロシア名アクタン・アブディカリコフと名乗っていました。ロシア名からキルギス名に変えたのは、監督の「キルギス社会に生きる」という決意表明かと思います。監督自身は「自分の世界観や外観を変える」ため、と述べており、アリムは産みの父の姓であり、クバトは養子として育ててくれた父親の姓だそうです。

 1991年のソビエト連邦崩壊、キルギスタン独立を経て、キルギスの人々は今なお厳しい生活を強いられています。監督は「みんなに笑顔をもたらす人物を描きたかった」と語っています。監督自身が演じている主人公「明かり屋」は、素朴な村の純朴な電気工です。アクタン・アリム・クバトさんの顔立ちは、朝青龍にそっくりですが、「朝青龍が穏やかな人格者になったらこんな顔」という風貌です。

 村人たちは、だれも彼の本名を呼ばず、「明かり屋」と呼びます。「明かり屋」さんは村の電気配線工事いっさいを受け持っていますが、村人にとって電気製品といっても、家の中に電球ひとつの「明かり」か、せいぜいニュースを聞くラジオくらい。テレビはまだまだ高値の花。だから、電気工の彼は「明かり屋さん」です。

 明かり屋さんは、ときに電気代が払えない人のためにブレーカーをいじくり、無料で電気がつくように細工したりします。だから、英語版のタイトルは『Light Theif でんきどろぼう』。

 彼にとって、電気は天の恵です。遊牧の民にとって大地は天のものであって、誰かの所有物ではありません。川の水をだれでも自由に汲めるように、電気の恵みを誰でも使えるようにするのが彼の願い。そのために風車を回して発電することを夢見ています。村では風が弱い日もあるけれど、谷間ではいつも強い風が吹いているので、谷間に風車を並べれば、村で使う電気はまかなえる、と計画しています。

 そんな「明かり屋さん」の夢も、しっかりものの妻バルメット(演:タアライカン・アバゾバ )に言わせると「村の人に笑われているだけ」
 明かり屋さんの夢は、もうひとつあります。息子がほしい。愛する妻とのあいだに4人もの娘ができたけれど、息子に恵まれなかったのは、どうやら自分の子種が悪いのかもしれないと疑っています。酔っ払ったあげく親友マンスール(演:スタンベック・トイチュバエフ)に「俺の妻と寝て、息子を作って欲しい」と頼んだりします。

 明かり屋さんは近所の男の子と心通わせ合い、高い木から降りられなくなった男の子を助けてやったりもします。男の子は、明かり屋さんが高い電柱に登って遠くを見渡す姿に憧れて、木に登ったのです。木から山の向こうが見渡せるのかと思って。

 政変続きで安定しない政治、資源もなく独立しても少しも発展しない経済。そんなキルギスに変化の時代がやってきます。中国資本が入り込み、荒涼として耕作地もない村の土地を囲いこもうとし始めたのです。村長のエセンは村の伝統の暮らしを守ろうとし、土地の買収話を持ってきたベクザット(演:アスカット・スライマノフ)に反対します。べクザットは、村出身の成功者で国会議員の椅子を狙っています。

 明かり屋は、中国の投資家が村の土地を買収するという話には、賛成できません。エセン村長と明かり屋が語り合うシーン。1分以上カメラが固定されていて、素早いカット切り替えの画面に慣れた目には「ゆうゆうとした川の流れのようなシーン」と感じました。


しかし、エセン村長の突然の死から、村がきしみ始めます。ベクザットは中国資本の導入を進めようとし、明かり屋さんの親友のマンスールを「進歩派」として村長に据えます。
 ベクザットとマンスールが、中国人資本家をもてなす席に同席を強いられた明かり屋さんは、その「接待」の内容に驚き、騒動を起こします。その後の明かり屋さんの運命は、、、、、。


左はじにぽつねんと座っている明かり屋さん

 キルギスの厳しい社会状況がよくわかる映画であり、それゆえに監督が未来に願いをこめて映画をとったことがわかる映画です。ラスト、風車がまわり、裸電球に明かりがともされるシーンがあります。か細い明かりかもしれませんが、きっと未来には大きな光となるのでしょう。

 ラスト、エンドクレジットの前には、「私の孫たちへ、彼らが幸せでありますように」という文字が浮かび上がりました。

 明かり屋さん、私の心にも明かりを灯してくれました。

<つづく>
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