春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「2003年のハウスウエディング下見」

2015-08-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150809
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記8月(5)2003年のハウスウエディング下見

 2003年三色七味日記8月の再録です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~

2003/08/10 日 晴れ
日常茶飯事典>ハウスウェディング下見

  代々木公園駅で待ち合わせして、ひつじの結婚式場下見に同行する。単なる好奇心。
  式場は、ふたりの希望の「ひとつの家をまるまる一日借り切って行うハウス・ウェディング」という条件でインターネット検索した「Oハウス」「Yハウス」という所。Yハウスは、コンクリートうちっぱなし設計のビル。Oハウスは住宅街の中の個人の家だったところを改装したところ。
  雰囲気はOハウスのほうがいいが、招待客の人数を考えるとYにしないと入りきらない、ということで、ビルの方を来年の5月15日に仮予約する。予算は見積もり分がとりあえず200万円というところらしいが、結局予算オーバーするのが結婚式だろう。

  そのあと、新宿へ出て、デパートの8階「新宿つな八」で、「創業80周年フェア、888円てんぷら定食」というのを食べた。結婚式場下見というおめでたいことをしたあとなんで、末広がりでちょうどよい。

  テーブル席満席で、カウンター席になってしまったが、目の前でてんぷらをあげているのを見ながら食べられて、これはこれでおもしろかった。
  板さんたちは、食材をさばきつつ客への目配りが見事で、客が湯飲みのお茶を飲み終えたと見ると「カウンター○番さんにお茶を」と客席係りに指示を出す。茶碗のごはんが残り少ないと見ると「ごはんのおかわりはいかがですか」と、声をかける。しにせのサービスとはこういうもんかと、感心。
  いつも「て○や」の粗雑なサービスの天丼しか食べていないから、この程度の客あしらいでも感心するのだ。て○やのてんぷら定食は、666円くらいだけれど、200円の差は大きい。もっともつな八は、いつもなら888円では食べられないのかもしれないが。

  姪のつれあいササニシキが「高いところへ行くのが好きなのに、都庁に行ったことがない」というので、都庁南展望台へ行く。ササニシキの会社は、前は三鷹で、今は青梅なので、新宿に来ることも多いけれど、都庁には用がなかったから展望台に来たことがなかったそう。私は無料スポットが大好きだから、新宿西口に来たときはたいてい寄る。

  すでに入籍を6月におえているふたりは、手をつないで歩く。ササニシキさんは9歳年下のひつじがかわいくてたまらない、という様子。ササニシキさんは「じゃがいも系、クラスに一台小太りパソコンおたく」という風貌。「誠実そうだし、いいお婿さん」と、スモモは気に入っている。
  スモモは「NPO設立講座」でくたびれていて「眠い」というので、都庁から出て駅で別れる。スモモは、子どもの頃から体が丈夫ではなかった。それでも、「丈夫自慢」だった姉が54歳で早世したのだから、反対に、スモモは「体が弱い弱い」と言いつつ長生きするだろうと思う。そうでないと困る。

本日の負け惜しみ:て○やも普段はうまいと思って食べている

2003/08/11 月 晴れ 
ジャパニーズアンドロメダシアター>『誘拐』 (ネタバレ主犯の名記入)

  夜、テレビ放映の『誘拐』を見た。内容を全然知らなかったが、永瀬キョンキョン夫刑事が「いつ三億円バッグがすりかわったのか」と疑問に思ったのと同時に、渡哲也が主犯と気づいた。ポイントは「生きていれば26歳になっている息子の写真」。ゴミ公害事件が26年前に起きたというのとつながったら、すぐに主犯がわかった。娘と息子は「渡哲也主犯説」に「うそっ、まさかそんな!」
  で~も、やっぱり渡哲也が犯人でした。だけど、目撃証人や喫茶店経営老夫婦までが共犯とは気づかなかった。推理ものの「犯人を自分で割り出す楽しみ。最後まで作者にだまされる楽しみ」両方が味わえて、なかなか楽しめた映画でした。

  三人でドラマや映画放映を見るときには、ギャグにつっこみを入れたり、ラスト予想をしたりしてワイワイと見るのを常とする。
  娘が映画館で映画を見るのが嫌いなのは「途中でおしゃべりしたくても、しゃべれないで、じっと黙って見ていなくちゃならないから」
  推理ものの謎解きも「絶対、こいつが犯人」とか「トリックはこう」という推理を話し合いながら「探偵学園Q」「名探偵コナン」「金田一少年の事件簿」などの漫画を読み、テレビアニメを見るのが娘と息子の「観賞法」。
 わかった時点で「犯人はおまえだ」とテレビ画面に向かって指さすのが我が家の流儀。

 被害者側弁護士が、はめられて弁護士資格を剥奪されたとか、偽証した男に再証言を求めたら、その男は三日後に「交通事故」で死んでしまった、などのエピソードは「絶対に現実にこういうことが起きている」という程度には娘、息子も「現実社会」を理解できる年頃になった。『誘拐』には悪役として企業側しか出てこなかったが、現実社会では政治家法律家が絡んでくるだろうとも。

 水俣病の存在が世に出てから勝訴まで長い時間がかかったことも、この映画の背景にあるだろう。手塚治虫の『キリヒト賛歌』も思い出す。

本日のつみ:公害を出す企業

2003/08/12 火 雨のち曇り 
ジャパニーズアンドロメダシアター『戦場のピアニスト』

  娘息子私の三人で『戦場のピアニスト』を見た。

  ユダヤ人の悲劇は、繰り返し映画化されてきた。この映画の中でも、ワルシャワの町が壊滅し、町中のユダヤ人家族がみな収容所へ送られてしまう。
 ユダヤ人ゲットーで飢えて死んだ人、地下組織を組んでゲリラ戦を行って死んだ人、強制収容所への「二度と戻れぬ旅の列車」に押し込められる人

 そんな中、生き延びたピアニストは本当に運がよかった。ユダヤ人を匿えば自分にも死の危険があるとわかっていても、彼を助け、かくまおうとする人間がたくさんいた、という事実。ピアノの音に心を動かされ、敵のドイツ将校さえ、彼をかくまったという事実。人間性と音楽へのオマージュ。

  ロマン・ポランスキーの画面。廃墟になったワルシャワの町をシュピルマンが歩くシーン。戦火によってダメージを受けた町とわかっているが、廃墟好きにはたまらない「美しい」画面なのだ。私のような「廃墟写真集」があると必ず眺めてしまう「廃墟美」観賞家にとって、これはまた、廃墟映像の傑作といえるものが残ったな、という感じ。

  ポランスキーは、自分自身の体験とシュピルマンの自伝を合わせてこの映画をとったというのだが、まあ、それは本当なんだろう。しかし、この廃墟の映像をとりたいがために、廃墟となったワルシャワが出せる話を選んだんじゃないか、ってゲスのかんぐりをしたくなるくらい、ポランスキー美学が伝わった。
  バブルはじけて経営難で放棄されたホテルなんていうチンケな廃墟でも、廃墟となるとそれなりの趣が出てくる。それが、戦火による廃墟なれば、死屍累々ががれきの下にあることが幻視され、廃墟度完璧。

  人はこのようなカタストロフィを必要とする。江戸の華のひとつである「火事」。燃えさかる炎の美しさ、木と紙でできた家が完全に燃え尽きた焼け跡のくろぐろとした空虚。これを江戸市民は見物した。
  今の世で「神戸地震の跡地を見物しよう」とか「北海道台風被害をながめるツアー」なんてのを企画したら、非難囂々になるだろう。本音ではみんな見たいからテレビワイドショウが垂れ流す映像に見入るのに、実際のツアーをするとなると、「被害者の気持ちをうんぬん」の建前があって、だれもやろうとはしない。
  うれしそうに、台風後増水した川を流れていく家をながめていたのは、ちびまる子と友蔵じいちゃんのみである。

本日のひがみ:私がひけるのはバイエルまで


2003/08/13  水 晴れ 957
アンドロメダM31接続詞>千夜千冊

  『千夜千冊』の8月8日付け『鬼の日本史』の中に「午頭天王」と表記されていたので、「ごずてんのう」のことだったら、午ではなく牛、「牛頭天王」ですよ、というメールを編集部あてにおくった。編集部から「誤植をなおした」という返事が来た。きちんとした応対とことばづかい。

  8月8日の門前小僧のときに応対した新人君が「ものすごく気をつかって、きちっとお茶を用意しています」という風だったのと同じく、社内教育が徹底していると思った。社員のお茶の出し方ひとつ、ことばづかいひとつで「その会社の内容がわかる」と、何かのビジネス本に書いてあったのをみたことがあるが、なるほど、社員をみれば会社がわかる、というのはこういうことかと思う。
 これまで、一般の会社と何の縁もなく、まずまずの応対をしていたのは、『地球の歩き方校正紙』を届けに行ったD社の受け付けくらいしか知らない。
  それにしても、私がこれまで出かけた先というのが、このような応対ひとつできないような場所ばかり。自分の周辺の程度を知る。まあ、私に相応の周辺だったのだと思うが。

  二十数年前『アルジェリアノート マグレブ・ノバ』という本の帯に「南アフリカの記録うんぬん」というコピーがついていたので、「アルジェリアやマグレブ地方なら、南じゃなくて北アフリカじゃないですか」と編集部に電話を入れたことがあった。腰巻きのキャッチコピーとしてはおそまつだし、北アフリカで起きた地震のため、瓦礫の下敷きになって亡くなった著者に失礼だ。しかし電話に出たおっさんは「いやあ、アフリカといえば、南の方の暑い国と思ったので、ハハハ」という程度の応対だった。

 マグレブ地方が北アフリカか南アフリカか、というのは大きな差だが、ごずてんのうが「午頭」か「牛頭」か、というのは、見のがしても『鬼の日本史』書評内容読解には差し支えないようなことだ。なんだか、重箱のすみをつっつく小姑のような気がしないでもなかったが、編集部がどういう対応をとるのか、という興味でメールをおくったのだった。編集工学研究所は、きちんとした会社である。

  片づけをはじめようと一瞬は思ったが、松岡正剛『編集工学』を読む。おもしろい。『遊』誌上で、門下生を募集し、応募書類がわんさか来た中から300人を選び、さらに60名を木曜塾日曜塾門下生にして、1979年4月から無料講座として松岡が1年間講義をしたのだということを、今知った。なんで、なんで、募集があったときにまったく気がつかなかったのだろう。まあ、応募したとしても書類選考で落とされていたと思うが、このときの松岡の講義を聴くことができたらよかったのになあ。1979年4月から、私はスワヒリ語講座に通い、79年と80年はケニアにいた。20数年ずいぶん遠回りして編集工学研究所にたどり着いたんだなあ。台風の中、たどり着いたが、遅すぎた。私の脳はごちゃごちゃのままで錆つき固まってしまっている。

本日のかみ:千夜千冊の紙に神やどる

~~~~~~~~~~

20150811
 8月11日は、来年から祝日「山の日」になります。平日11日は今年が最後。
 私は、8月6日から15日までは「平和祈念週間」とすればいいと思っていましたから、山の日も、「平和を山に祈る日」と思っています。

<つづく>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「2003年の怖いビデオ」

2015-08-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150809
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記8月(4)2003年の怖いビデオ

 2003年の三色七味日記8月を再録しています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2003/08/08 金 晴れのち台風
日常茶飯事典>怖いビデオ

  午前中は青空がみえていたのに、お昼から風が強くなり、ときおり強い雨が降ったりやんだり、大気の状態が不安定になった。
  息子も『4ティーン』を読了。息子は「お母さんには、この本の中に出てくる中学生が使うような言葉、読んでもわかんないでしょう」と言う。残念でした。中坊用語も2チャンネル用語も把握済み。

  夜、ビデオにとっておいた『世にも奇妙な物語・映画版』を見て、「これじゃ怖くて夜中にひとりでトイレにいけない」という状態に。
  第1エピソードの雪山での遭難で、雪の中に頭だけ出して体を埋められた女の首に、シャベルを突き刺すシーンがこわかったのだ。三人して「見なきゃよかった」

  でも、おバカバラエティ番組を見て、いっしょに笑うのも、ホラーを見ていっしょに「トイレに行けない」と連れションするのも、三人で同じ本を回し読みするのも、「同じ時の流れを生きている」家族の貴重な時間と思う。

本日の負け惜しみ:3人よればトイレの友


2003/08/09 土 台風
日常茶飯事典>編集学校に参加

  1時からの「編集学校・門前小僧篇(入門講座)」の申し込みをしたので、出かける。青山一丁目から徒歩10分とあったが、方向音痴だから早めに着いて探しながら歩こうと思っていた。

  しかし、青山一丁目の地下鉄出口の外はすでに暴風雨の様相。歩くのをあきらめて、目の前にきたタクシーに乗る。赤坂6丁目の所番地や、コロンビアの近くなどの情報を出し、ホームページからプリントアウトした地図も運転手に見せたが、運転手も「いや、わからない場所ですね」という。地図をみると、ランドマークとして「リキマンション」というのが出ているから、「とにかくリキマンションが見えたら止めてください」という。へんな曲がり具合の道をくねくねとすすみ、「はい、あそにリキマンションって見える」と言う場所で、適当に下ろされた。

  周囲を見回す。こういうとき、ぜったいに違う方向へ行ってしまうのが私のこれまで人生だった。落ち着け。とにかく雨がすごい。とりあえず一番近くのビルの軒下に入って、地図をひろげようとしたら、ビルに人が入っていく。ドアの表示を見たら「編集工学研究所」だった。

  これは、私の「方向音痴人生」の中でベストテンに入るくらいの「ラッキーな出来事」である。こんな幸運はめったにない。たいていは、ものごとが私の意図しない方にころがって、悪い方へ悪い方へと進む。

  1番ラッキーな出来事は、「'79年7月。ナイロビに着いた初日に市内で迷子になったとき、道案内をしてくれた人と、2年後に結婚したことだ」と公言しているが、それはまた、人生で1番アンラッキーな出来事だったと言えなくもない。(お互い様と夫は思っているだろう)今回の「ラッキー」が実は「地獄の一丁目」にならないという保証はないが、とにかく、めざす場所に迷わずたどり着いたことは、ここ20年間なかったことなのだ。
 「ふた昔前、ナイロビで迷子になって愛を拾った、今では愛が迷子になってる」というのが、最近娘が作った、私のためのキャッチコピー。

  1階の「スタッフ用ブレーンストーミングルーム」みたいなところで待つ。「千夜千冊」の書庫兼用の部屋。時間まで「手にとって見ていていいですよ」と案内されたので、本を見てすごす。台風の中、来る人がいるのかな、と心配していたら、門前小僧篇開始時間には私のほかに女性一人、男性一人。開始後、男性があと二人来た。

  受講生の女性は、テクニカルライターだという。コンピュータ関係の本をたくさん書いているそう。ものごし風貌が「知性のかたまり」みたいな感じだが、「つん」としたお高いかんじではない。「ひなた水につかって頭が錆ついているひがみ人間」である私は、ちょっと萎縮。
  彼女の子どもは7歳と1歳。7歳の子は、4月に「某有名小学校」の「お入学」を果たしたとうれしそうに話していた。子どもの入学が「母のアイデンティティ」になるという感覚、フッフッ、わかるよ。私も、息子が中学入学したときは夢のようなうれしさでした。いまじゃ「中高一貫して落ちこぼれの母」ですが。
  彼女はすでに編集学校の基礎編「守」講座を終えて、「破」へ進むところ。男性は、広告代理店勤務、フリーグラフィックデザイナー、eラーニングデータ分析の仕事をしている人、という3人。そんなに「切れ者!」という感じではないが、「これから先の方向性を探している」という感じが伝わる。

  「守」の講座で行われている基礎的訓練の一部を練習する。「コップ」という言葉を他の表現に置き換える。1年間に買ったもののリストを出して付箋に書き、さまざまな情報別に並べ替える。いくつかの対のことばに対照的な形容のことばを付け加える。思考訓練としておもしろいし、言葉を商売道具とする者にとって、興味がもてるものだった。

  しかし、なんと言っても問題は私にとって受講料が高いこと。それだけの価値がある講座であることは承知しているが、電子レンジも壊れてしまったし、圧力釜も買い換えなければならないのだ。

  井上はね子さんが大阪でやっている実践的編集学校「アミ編集塾」は、週1回のリアル講座で一ヶ月の講習料が1万円。9月開講24回の講座で3月修了式まで全6万円。
  編集学校は、ネット利用のeラーニングで、46回の「お題」出題に「会議室システム」を利用してネットで回答し、師範代がそれに講評を加える。それで全8万5千円。分割払いだと月2万円X5回で10万円。内容は10万円分の価値がある講座だと思うし、たぶん、受講すればそれ以上のものを得ることができると思う。でも、私に払う余裕があるのは、一回限りの門前小僧体験講座のみ。

  楽しそうな自己開発ではあるけれど、明日食う米の心配がとぎれることない者が関わっていけるとも思えない。何事も「分を知れ」である。自分の脳を柔軟にするために必要な遊びとは思うけれど、「金の切れ目が縁の切れ目」の世の中なれば、金のない人間には縁のない高尚な遊びなのだろう。門前小僧編を体験できただけでも、私にとってはとても得るところがあった。

  門前小僧講座が終わって、ジュンク堂へ。松岡正剛の本フェアをやっていると聞いたから。編集工学研究所ビルのドアを出て、こっちにすすめば駅にいきそう、と思う方へ歩いていった。来た道をもどって青山一丁目の駅へ向かうつもりだったが、タクシーで曲がりくねってきたのだから、わかるわけがない。

  それで、赤坂で粋筋の仕事をしていますっていう雰囲気の浴衣年増の後をついていった。おもしろそうだから。その人が路地へ入ってしまったので、「駅へ向かって歩いています」という雰囲気の人のあとをくっついて歩いていったら、TBS前というのを通り、一ツ木通りに出た。ああ、これが昔「一ツ木あたりじゃ、あたしもいい女」とかって、梓みちよが歌っていた一ツ木なのか、と思ったが、青山1丁目方向とまったく反対に歩いてきたのだった。
  さらに、丸の内線赤坂見附の方へ曲がらずに千代田線赤坂駅へと曲がってしまったから、千代田線から丸の内線へ乗り換えねばならず、国会議事堂前でながいこと歩いた。どうしていつも思わぬ方向にすすむのか。謎だ。

  ジュンク堂の椅子に座り読みで、『分母の消息三・風景と景気』を読む。一と二は、セロファンがかかっていて、読めない。仕方がないから、分母の消息三冊セットを買った。三冊セットで、一般の新書一冊分の厚さになるが、セットで2400円。いつも古本屋の駄本文庫新書コーナー三冊200円を愛用している身には、すぎた散財である。駄本ではなく極め付きな本であるにしても、2400円を高いと思わずに買えるようでなければ、一期10万円の遊びはやはり分不相応と思う。

  7時までジュンク堂にいたので、もう夕食作る時間はないと思って、塩ラーメンを食べた。あと、西武の地下食品売り場で、100円値引きの出来合いお総菜をいくつか買って帰る。デパ地下食品も、値引きしてない時間帯には買ったことがない我が家の夕食である。

本日のひがみ:自分のための10万円が投資できないパート母

~~~~~~~~~~

20150809
 図書館から『はだしのゲン』が消される、ということがありました。児童室の開架図書として棚に並べられていた『はだしのゲン』の、原爆被爆者のあまりの惨状に、「こどもたちがこわい思いをして夜夢を見てうなされる子もいたので」なんぞという親の声をあつめて、「子供には見せない」という判断をした図書館があったのだという。

 こどもが夢を見てうなされるくらい怖いことが、現実にこの国にあったのだ、ということを知らせないで、「楽しく平和でおもしろい社会」だけを教えることが子供の成長によい、というのでしょうか。
 社会には残酷なこと悲惨なこと、いまだに原爆症の被害に苦しんでいる高齢者や体内被爆者がいることを知らせないのは、「親の温情」なのでしょうか。

 かって、自分たちでは何も決められなかった子供でさえ、いざ戦争になればこのような運命が待っていた、ということを、知る権利が子供にはあります。子供の成長に必要な「怖い話」があるのです。

 昔話の炉端で、じいちゃんばあちゃんが孫達に語って聞かせる「怪談話」「怖い話」。これは、一種の危機管理能力を育て、「怖い事態」になったときに孫達が過去の教訓を生かして生き延びるための訓練であった、という昔話の理論を読みました。
 人の脳は、恐怖を知り恐怖を味わうことで、恐怖への耐性を身につけ恐怖に対する対処のしかたを学ぶ。
 『はだしのゲン』を図書館からかくし、歴史の教科書から「原爆図」を消し去ること、けっしてこの国の未来によい影響をもたらすとは思えません。

 私はホラー映画がきらいですけれど、ホラーは人の脳を活性化しているもののひとつだ、という理論にはうなずけます。
 
 8月6日、9日、親は、70年前のこの日に何があったかを、子供に語り継ぐ必要があるのです。

 8月9日の空に祈りを捧げます。
 
<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「2003年の4TEEN」

2015-08-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150808
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記(3)2003年の4TEEN

 2003年三色七味日記8月を再録しています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2003/08/07 木 薄曇り
トキの本棚>『4TEEN』

  息子は午後1時に起きてきて、天王州アイルのアートスフィアで、演劇サマーフェスティバルを見るのだと、出かけた。電車の中で読む本用に『4ティーン』を渡す。自分の名前の献辞入り作家直筆サイン本を、気がなさそうに受け取る。

  ゲームの攻略本以外の読書はかったるい、と思っているのだ。レポートを提出しなければならない夏休みの課題図書は「数学に関連した本」と、英語の「シャーロックホームズ」だけだ。ホームズはドイルの原作ではなく、中高生対象くらいにリライトされたものだが、息子にとっては「日本語翻訳で読めばいい小説を、なんでわざわざ英語で」ということになる。英語科の宿題なんだから、しかたあるまい。

  『4TEEN』あまりの健全さにめまい。もうちょっと毒があるかと思ったのに、ぜってぇアリエネー」という中坊ジュブナイルファンタジー。ま、息子に読ませるには教育上よろしい本である。夏休みの清涼飲料水。毒入りカクテルなんかで酔うことを覚える前に、必要な読書。石田衣良は『スタンドバイミー月島版』をやりたかったのだと思う。そして、それは成功している。ケ~ンゼンなのに面白いというのは、とてもむずかしいことだけど、ちゃんと面白い。

  スタンドバイミー観音寺小学生版が『松が枝町サーガ』月島中学生版が『4ティーン』なのだな。『夏の庭』は3人組だったけど。時と場所を変えれば、バリエーションは無限だ。その中で、飛び抜けるかどうかだけど。で、この話はきっちりとおもしろい。ストーリーテリング、キャラ設定、トポロジーまで全部うまくできている。
  スタンドバイミーも4TEENも、「あの時、ぼくのそばに君がいた」という人生でもっとも貴重なひとときのシーンを与えてくれる。自身の過去にこのひとときを持つことができなかった大勢の大人たちも、いま、現実の中でひざを抱えて壁と向き合っている中学生も、まあ、読んでみてくれ。

  心地よく運ぶストーリー。月島、新宿というスポットの描写、エピソードの数々、どれもすらすらと気分良く読める。たぶん、自分の息子が14歳じゃなかったら、もっと楽しめたのだと思う。
 今現在14歳中3の息子を抱える親として現実と照らし合わせてみると、読み終えたとたんに「夢から覚めた」みたいな気持ちになってしまうのだ。あまりに現実から遠いゆえ。ファンタジーをファンタジーとして楽しめなくて、どうする、とは思うが、これはハリーポッターではなく、1999年から2001年の東京を舞台とする「現代ジュブナイル」として書かれているのだ。
 現実の2003年ジュブナイルはひりひりと痛い。小学生女の子は1万円につられて監禁されるし、中1男子は4歳の子をビルから突き落とすし。

  PTAママたちから「これは中学生に読ませられない」なんていう文句がでることはない、と保証する。摂食障害不登校生ルミナと主人公テツローの中学生カップルはAで踏みとどまるし、DV人妻を夫から救い出す成績優秀ジュンくんは、その人妻から「男として感じられない」なんてこと言われちゃって、ディープAどまり。
 4人して新宿のストリップ見に行っても、踊り子のつまらん踊りは見ても、生板本番など踊り子と客がからむようなシーンは見なかったようだし。もしかしたら、もぎりのおっちゃんは4人が中坊と気づいて、4人が退席するまでは過激演出をひかえるようにというお達しを踊り子に出したのかもしれない。教育的配慮にとむストリップ演出だ。

  自分では超平凡な中2と信じ込んでいるテツローの語り。ウェルナー症候群という早老病をかかえ、白髪やしわという外見のほか老人性の糖尿病や高血圧も発症している金持ちの坊ちゃんナオト。(ウェルナー症候群患者の平均寿命は30代という)頭がよく機転もきくジュン。大食漢のふとっちょダイ。もう「これ以外の組み合わせはこの世にはない」というくらいに典型的な4人組の中学2年生の1年間。

  住んでいる所はナオトが月島・佃の超高層39階の億ション。ジュンとテツローが中程度のマンション。ダイが古い3軒長屋。月島というロケーションが絶妙。東京で、このように超高級マンションと古長屋が並んでいる設定にするにはちょうどいい場所なのだ。区立月島中学に通う4人の仲間の結束力と行動力。IQでなく、EQではかるなら、これもまた「ぼくは勉強ができない」と同じく、超エリート中学生のお話なのだ。

  この作の中で、ダイの親だけがストーリーにからむ。あとの親はまったくからんでこない、というのも意図してのプロット展開なんだろうけどね。親がからむとファンタジーが成立しなくなる。ナオトの親だけがお茶とおやつを出しにちょこっとだけ顔を見せる。

  それにしても、ナオトの病気のことを考えたら、ナオトの親はいくらでも金をつぎ込んで、息子を幼稚園から私立エスカレーターに乗せようとする階層であるが、それをしなかったのはなぜか、という疑問は残る。教育に関して特別な信念でもある親かと思ってしまう。「なにがなんでも地元の公立中」という教育的信念を持っているというナオトの親からのメッセージがないと、現代の東京で、億ションに住む階層の息子が地元公立中に進学するのは不自然な設定になってしまう。首都圏中学受験生5万人という時代なのだ。
 ナオトが小学校受験や中学受験をしたかしないかは書かれていないが、地元の公立中へ進んで、テツロー、ジュン、ダイという希有な友人を得ることができたのは、本当に現代東京では幸運なことである。今の東京でこのような友情が成立するのは『金八』の中だけと思っていたら、月島にも友情ファンタジー成立。

  クラスの担任はサラリーマン的で、教え子のことより、趣味のフィギュア集めのほうが大事。リーマンというあだ名が付けられているが、リーマン程度のあだ名なら、まだ教師としてまし。毒にも薬にもならないタイプは、毒よりましと感謝すべき。「命をそまつにしてはいけない」なんていう馬鹿みたいなお題目並べるしか能のない、ありがちな教師。しかし、毒タイプにあたらないという保証はないのだ。
  我が娘は、生徒会長の仕事をひきうけ、生徒会を「教師による生徒管理の下請け」としか考えていない生徒指導の教師と対立してしまった。「おまえなんか高校へ行けないようにしてやる」などの言葉の暴力を受け、中学後半の1年半は不登校だった。

  もし、テツローやジュンと仲間になれなかったら、ナオトの小学校中学校生活は悲惨な状態であったことは間違いない。
 「ばいきん」扱いか「完全無視、この場にいない者とみなす」だ。金持ちであるだけ、公立中では始末が悪い。「金がすべて」とインプットされている公立中坊社会の中で、親が金持ちであることに対する嫉妬と、本人が病気であることに対する蔑視がからまって展開する陰湿なイジメが、必ず生じてくる。
  サラリーマン担任には、表向きは平穏な中で進行する陰湿イジメを防止することはできない。そういう子ども社会の構造があるからだ。イジメを生じさせないためには、教師生活すべてを教育に注ぎ込み、自分の家庭は犠牲にするくらいでないと、学級経営はできない。現代の公教育の現実に想像力が及ばなかったとしたら、ナオトの親はのんきすぎる。

  よい友だちと宝くじは、いつもあたるとは限らない。3億円あたりくじがまったく存在しないともいえないのだが、200万分の1の確率だからね。今、中2は全国で100万人くらいだから、確率から行くと、このような友情にめぐりあえるのは1学年100万人の中で0.5人?

  月島中4人組は、1年の間につぎつぎとすごい「人助け」をする。まず、仲間同士。早老症のナオトに対して病気を気遣いながら、病気を苦にしない友情。なまじっかの頭悪い中坊にはとてもできない芸当である。
 父親殺しの汚名を着たダイが不良グループにからめとられそうになっても、機転で友情を取り戻す。仲間に対するこの友情だけで、この4人が、現代中学生の中で、特権的な地位を持つことがわかる。こういう友情を持ち合えないことが、現代中学生にとって一番根の深い問題なのだ。こんな友だちとつるみあえるのなら、あとは全部たいした問題ではなくなる。表面上はワイワイにぎやかに仲間友だちといっしょにいながら、本当に自分の内面や深刻な悩みをうち明ける人がいないというのが、21世紀ジュブナイル共通の問題なのだ。
  DV人妻玲美を暴力夫から救う話。死に際に病院から抜け出した赤坂一真に人間らしい個人の尊厳ある死を迎えさせてやる話。ゲイカミングアウトしたカズヤが「デブ専ゲイ嗜好」であることを理解してやり、カズヤがクラスの女子に受け入れられるようすを見てほっとする話、などなど、これだけ人助けをしたら、表彰モノである。

  「月の草」過食拒食をくりかえすルミナにテツローは「体重25キロから57キロの間をいったりきたりするルミナが好き。ふたりの女の子とつきあっているみたいで、太っているときとやせているときの抱き心地がちがう」と脳天気なことを言っている。
 こういうところは、やっぱり考え足らずの中坊であるからして、許さなければならないのだろう。過食と拒食をエレベーターしているときの女の子がどれほどのダメージをうけているのか、摂食障害についての認識が甘すぎる。
  ルミナは体重が増加するところをみると「嘔吐を伴わない過食」であるので、「口内酸化によって歯が全部だめになる」などの症状はないようだが、急激な体重増減に伴う生理停止や女性ホルモン異常などの症状についても中坊は思い至らず、単に「太りすぎとやせすぎの繰り返し」としか思っていないところが問題。

  摂食障害は病気なのだ。ルミナは「どういう状態であれ君が好き」とテツローに思われることで、「自分が好きになれない症候群」から、一時的には脱皮できるだろうが、リバウンドも激しいだろう。なぜなら、ストーリーの中で、「月の草」以外では、テツローはルミナと行動を共にすることはなく、4人組と行動をともにしているからである。「つきあう」ことに決めたふたりなのに、ガールフレンドより、男グループの仲間を大事にするなんて、女の子として認めがたい。年に一度の「東京湾大華火」なのに、ゆかたを着てボーイフレンドと花火をみたいであろうルミナは、テツローから誘われもしない。
  こんな仕打ちを受けて「全く省みられず大事にも思われない自分」を感じたら、ルミナはたちまち、不登校再発で、摂食障害重症化の道をまっしぐら。テツローは「つきあう」ことに決めたのなら、ギャングエイジを抜けて、ルミナに専念すべきだった。

  「ステディな関係になる」というのは、「他のクラスメートその他とは、異なる二人だけの濃密な人間関係を結ぶという約束」をかわすことではないのか。濃密な人間関係というのは、キスをしたとか性交したとかは関係なく、他者を交えない1対1の関係ということ。ルミナとの関係を「おれたち、つきあっているんだ」と宣言するなら、「つきあう」とは、人間関係形成において、「お互いに拘束を伴う1対1関係」を構築するという意味なんだと思うのだけど。これってオバサン思考?
 花火を男グループで見に行きたいなら、ルミナに対して「つきあう」という関係でなく、単純に仲のいいクラスメートとして遇すべき。相手への責任を伴わずにステディになってはいけない、というのが、teenにわかっていないから、問題頻発するんだな。
 塾の帰り道におしゃべりタイムをとるくらいの仲でいいのなら、「1対1のつきあい」には持ち込まない方が賢明だろう。それとも「つきあう=ステディになる」という言葉の意味がすでに変化しているのだろうか。

  ルミナ救済の解決法。章立てを変える。この章は「東京湾大華火」や「15歳への旅」のあとにつけて、ルミナとテツローが仲良く中3、受験へ向けていっしょに塾にでも通うことにするところで終わるべきだったと思うね。

  「飛ぶ少年」のユズルへの関心がこの章以後テツローにあらわれないのは、まあ、仕方がないとしても、ルミナに対しては「この章以後無関心」であることが、どういう結果を引き起こすか、という現実路線を「中学生の母」は考えざるをえない。「不登校」や「自分を好きになれない」ことや「摂食障害」という病を「小説中のすてきなエピソード」と扱っても文句を言われないファンタジーと、現実との間の大きく深い溝。

 ジュンがDV人妻玲美を救う話は、相手が34歳の大人だから、ルミナのエピソードよりは点を甘くして読める。ただし、玲美は、自分をDV夫から救い出してくれたジュンに「男とは感じない」なんて甘ったれたこと言っていないで、さっさと最高級ホテルのスィートにジュンを招いて、一泊二日くらいの礼遇はすべきである。ただし、「離婚が成立したら本気でつきあいたい」なんぞと、中坊に思い詰めさせないように。

  ストーリー全体のクライマックスは「空色の自転車」にもっていきたかったのだろうから、終末におくしかないとして、私が章立て構成をするなら、
1,びっくりプレゼント(中2の春) 2,飛ぶ少年(初夏) 3,ぼくたちがセックスについて話すこと(つゆ~夏) 4,大華火の夜に(8月上旬) 5,15歳への旅→夏休み終了の旅(8月末の三日間。ダイの自転車はママチャリ) 6,14歳の情事(秋) 7,月の草(冬休み) 8,空色の自転車(冬) 9,おまけ(春休み)

  春休みに、ナオトはリカと、ジュンは玲美と、テツローはルミナと一泊二日のお泊まり会挙行です。ダイはどうする。カズヤと?ちょっと展開苦しいか。でも、巨乳から微乳へと趣味をシフトしたダイなら、ヘテロからのシフトもあり?ないか。カズヤの恋はシャボン玉!byモーニング娘。
 って、いうか、ダイは父親を故意にではないものの死に至らしめるという、オイディプス直系正当派直接法の父親殺しをすませているんだから、お泊まり会をしなくても、イニシエーションは終えている。
 ナオトは、平均寿命30代の病気と死を常に見つめているのだから、お泊まり会をしなくても、死と再生のイニシエーションは通過できる。ジュンとテツローのふたりにこそイニシエーションが必要なんだけど、問題は現代の中学生にとって一泊二日のお泊まり会なんて通過儀礼として機能しないかもしれないというところ。

  童貞あるいは処女喪失が少年少女時代の終わりを意味できるのは、性交が妊娠と直結していたればこそ。現代のお利口な中学生が、避妊を完璧に実行して行うなら、それはディープAよりちょびっと深めのCにすぎない。接触面積の差にすぎないのですな。もしかしたら妊娠、もしかしたら出産と育児を引き受ける社会的人間として踏み出さなければならないかもしれないという可能性を持っていたからこそ、たとえ吉原の筆卸であろうとも、それが少年期からの脱出になったのだ。
 避妊が完璧なら、BとCの差は限りなく小さくなるだろう。だから、ジュンが玲美とどれだけ「大人のプレイ」をしたとしても、斉藤美奈子が『妊娠小説』で笑いとばした程度の「男の子の通過儀礼」にさえならないかもしれない。やれやれ、男の子たちはどうやって男になったらいいんだ。成人式会場で「お子ちゃま丸出し」が増えている今だから、しかたないんだろうね。

  ま、そんなこんなで、ささやかながらお泊まり会で一歩踏み出した春休みが終われば中三。公立中だもの、受験だよね。もちろん、受験などしたくなければしなくてもよろしい。15歳から20歳までいろんな成長の方法があっていい。大検もこれからは「高卒資格認定」に変わるらしいし。働くのもあり。ひきこもりもある。(本音を言えば、20歳すぎたら、自立して自分で稼いで生きていって欲しいよ。親としてはね。細いスネなんだもの)。

  ダイは働きながら定時制へ行くことに決めた。いい結論だ。今時の定時制で、昼間働く高校生は貴重だ。ただし、定時制は統廃合が進んで数が減ってしまった。月島から通えるところはどこだろう。
 ナオトは当然私立を受験するだろうが、都立ならチャレンジスクールがいいと思う。検査入院などによる出席日数不足や体育授業見学オンリーになることを考えると、一般の普通科では単位が不足する可能性がある。単位制高校チャレンジスクール。設立されて最初の卒業生が今春出たと思うから、教育実践報告が出ていたら読もうと思っている。ジュンはもちろん、私立都立のトップ校をねらうでしょう。日比谷ねらい?テツローはどうする?と、頼りないリーマンに変わって受験指導までしてしまう親切な読者なのでした。

本日のいたみ:5年前、私は不登校中学生の親だった


~~~~~~~~~~~~~
20150808
 ながながと、『4ティーン』のあらすじ感想を書いたのは、我が息子のぐうたらぶりに目をつむり、青春まっただなかでうるわしく中学生生活をおくる物語の世界にとうひしていたかったからでしょう。

 我が家、どうも集団生活には相性が悪く、娘は中学校で1年半、不登校。息子は中学3年後半から高校3年間にあたる期間の全部を「ひきこもり生活」ですごしました。

 私自身が人とのかかわり方が調節できない人間なので、仕方がないと思います。今では娘も息子もそれぞれが自分自身のやり方で生きていればいいと達観中。

 私は私で、ヤンゴン生活をまっとうするのみ。
大学内やホテルでのwifiネット環境は、聞いていたよりはずっとよかったので、ありがたい。遅いことは遅いけれど、1995年にダイヤルアップでインターネット始めたころを考えたらはるかにマシです。

<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「2003年の花火」

2015-08-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150806
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記8月(2)2003年の花火

 2003年三色七味日記8月の再録です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~

2003/08/02 土 晴れ 
日常茶飯事典>花火

  4時出発。ピザや焼鳥を買い、川沿いの土手を歩く。去年より人出が多いが、打ち上げ場所近くにスペースがとれた。5時すぎにはもうぎっしり周囲がうまってきた。小学校のうらのコンビニへ、飲み物を買いに行く。戻ってきて6時。
  娘と息子は、かき氷を食べたりして「こうやって待っている分には退屈しないね」と言って。私も退屈しのぎに宮部みゆきの推理小説を持ってきたが、たいしてページは進まなかった。青空にうかぶ白い雲、夕日に染まる雲、そんな雲の変化をのんびりと親子で眺めているだけで、時間がたつ。

  7時から打ち上げ開始。江戸開府400年記念の「和火」の打ち上げも含め、最後のナイアガラ、スターマイン連発まで楽しんだ。

本日のうらみ:ダイエット中につき、缶ビール2本でがまんした


2003/08/03 日 晴れ 
日常茶飯事典>ぐうたら夏休みその1

  やっと夏休み気分。ぐうたらすごす。
  春学期成績提出の催促電話があったというので、図書館に行く。家だとレポートやら広げる気にならないので。
  しかし、図書館は日曜日は5時という早い時間に閉館になってしまうのだった。まだ外は暑い。指導案の採点が残っているのに。

  中学3年生というのに、バカ息子もといぐうたら息子は親に見習って、ぐうたらしている。まったく勉強しない。寝っ転がって、オリザの『演劇入門』や、鴻上尚史『発声と身体のレッスン』をながめているだけ。

  息子は、同学年の村長、我聞、金太郎と4人組。総合学習「話しことば研究」4班のメンバー。
  「話しことば研究」は、平田オリザ『演劇入門』をテキストにして、それぞれが自分のオリジナル脚本を書くというチームだ。文化祭の演劇オリジナル台本を書く者が、中1から高3まで各クラスにいるという学校だから、先輩野田秀樹のあとを継ぐ者が出るかも知れない。

  息子は、脚本を書く気はないらしいが、つかこうへい劇団児童教室に在籍していた経歴があるので、話しことば4班でなんとかいっしょにやっている。

  小学校時代、クラス男子はサッカー少年団のグループと少年野球チームのグループに二分されていた。どちらでもない息子は、家庭科クラブや音楽部に所属して、アパルトヘイト下の名誉白人みたいな「名誉女の子」の位置だった。息子がクラスでイジメに合わなかったのは、サッカーと野球はへただったが、水泳と陸上という個人競技では勝てるし、1対1のけんかでは強かったから。

  中学校では「スポーツよりゲーム」の話題につきあってくれる友だちがたくさんいるから、居心地がいい。ただし、他のクラスメートは「勉強もちゃんとできた上でゲーム」で、息子は「勉強はまったくしたことがなくてゲームオンリー」のところに違いがある。

  息子に「夏休み読書」として本を渡したが、中3夏休みにのんきに本を読んでいられるのも、中高一貫校のありがたさ。息子が続ける「家でまったく勉強しない中学生活」を公立中でやったら、たぶん進路の選択肢は、限りなく小さく狭くなったことだろう。自分でも「来年高校受験じゃなくて、中学受験をしたとしたら、ぜったいに今の学力じゃ中学に合格できない」と言っている。よかった、中学受験で宝くじが当たって。入っちまえば、とりあえず、高校へ進学保証。

  私としては、せっかく受験勉強がない中3の夏休みなんだから、友だちと自転車で1週間旅行にいくとか、一人で海外ホームステイとか、自分で計画を立てて行動して欲しい。毎日ゲーム漬けじゃ、こちらがいらいらする。
  戦国歴史シュミレーションゲームを続けているおかげで、街道名とか旧国名に強くなり、播州といっても、駿府といっても、どこだかすぐ地図をさせる、というのだが、それだけでいいのか、中学3年生の勉強。

  と、いいつつ「かたづけものを始末しなきゃ」と思いながら、寝ころんで本を読む方を優先する親。「つらくても明日のためにしなければならない事」より、目先の楽な方楽しい方を選ぶのは遺伝だから、「さっさと宿題しろ」と叱る言葉も威勢に欠ける。

本日のつらみ:土日こそ遅くまでやって欲しい図書館


2003/08/04 月 曇り
日常茶飯事典>ぐうたら夏休みその2

  午前中は『東京下町殺人暮色』を読む。花火大会の時間待ちにちょうどいいかと推理小説を持っていったが、結局たいして読めなかった。たいして読み進めなかったけれど、事件がおきて、捜査がはじまったところまでは読んだので、読み始めれば最後まで続けて読んでしまわなければ気がすまない。
  だから、推理小説は老後の楽しみにしておいたのに。と、文句を言ってもはじまらない。宮部みゆきの本も、ほとんどを「先の楽しみ」にしてこれまで読まずに我慢してきたのになあ。

  「まだ、成績を提出していないのは先生だけ」という、おしかりの電話。「もうしわけありません。明日持参します」と、締め切り日をさらに一日あとまわしに。締め切りがあしたとなれば、もう、今日は勝ったも同然。と、またぐうたら。

本日の負け惜しみ:あしたのことはあした考える


2003/08/05 火 晴れ
日常茶飯事典>石田衣良にサインをもらう

  午前中、なんとか「指導案」のABCをつける。課題レポート、指導案、模擬授業へのコメント、授業中活動ポイントの総合で、最終ABC。

  なんとか午前中に教務課に提出した。「遅れてすみません。ご迷惑をおかけしてしまって」と平謝り。どうしたら公平できちんとした成績がつけられるかなんて悩んでいないで、さっさと適当につけて提出した方が、教務の人からは受けがいいのだろうが、優柔不断な性格だから、人にランクをつけるということがとてもとてもいや。できれば、全員優でも私はかまわない。しかし、「おおむねAは受講学生の2割程度、Bは5割程度Cは2割」などと、割合まで基準があると悩む。
  いろいろ悩んで結局最終的にはBが2割で、あとはAという甘い採点。ま、そんなもん。

  午後、「これで前期の仕事は全部終わったあ」という開放感をどこで味わおうかと思ったが、映画、美術館、本屋という選択肢しか思いつかない人間だった。

  「ブックファースト」へ。
  文庫になってから買おうと思っていた『4ティーン』を買った。「本日、石田衣良先生来店。サイン会は6時半から」という店内ポスターを見て、ミーハーの血が騒いだので。
  6時15分から列にならんだ。私の整理券番号は56番。いくらミーハーな私でも「ため書き」を自分の名前にするのは気恥ずかしいので「14歳の君へ」として、息子の名前を書いてもらうことにした。

  石田衣良は気さくな感じで、ファンのひとりひとりに話しかけていた。私は「今までの作品で好きなのは『娼年』です」と言った。
  池袋ウエストゲートパークはテレビドラマで見ただけだし、単行本を読んだのは『娼年』ただ一冊だけだから。読んだ本が一冊だけだもの、その一冊がベストワンに決まっている。
  そしたら石田さんは「えっ、珍しいですね。あんなエッチな本を」と言う。男娼の話ではあるけれど、わたしにとって「エロスではなくタナトス死と再生」の香りが強い本だったし、リョウのビルドゥングスとして気分良く読める本だった。でも、そんな感想を述べる余裕はなく、ただ、「ありがとうございました」だけ言って、サイン会場を出る。握手したりいっしょに写真を撮ったりしているファンもいたのだから、もうちょっと話をしてみたかったけれど、まだ、ミーハー道の修行が足りない。

本日のそねみ:私もいっしょに写真とりたかった


2003/08/06 水 晴れ
ニッポニアニッポン事情>2チャン千羽鶴

  くらげんは「広島へ送る千羽鶴作り」を友だちとやっているそう。平和記念館の折り鶴が焼かれたあと、2チャンネルに「かわりの鶴を折って送ろう」という板が立ち上がり、くらげんも参加することにしたんだって。
  一人分で千羽はいくという。たぶん、全国規模で、焼かれた折り鶴より多い数が集まるだろう。ちょっと前であるなら若い世代にとって「平和を祈念して鶴を折る」なんて、ダサイ行為の代表のように思われていたのに、2チャンネルが呼びかければ「若者の流行現象」となる。2チャンネルの効用の大きさに、年寄りが気づかないといいのに、と思ってしまう。

  「折り鶴つくって広島に送ろう」に賛同した若者の大多数はこれまで「ヒロシマ?ゲンバク?しらねーよ。平和運動?かったりいよ。運動は、跳び箱も逆上がりもしたくねえ」という人たちだったと思う。だから、今回の折り鶴作りに参加して、ヒロシマやナガサキについて知ることができた人が少しでも増えれば、2チャンネルの有用性を生かすことができる。

  逆もまた真。千羽鶴作りに参加した人の何割かは、まったく何も考えず、ただ「2チャンネルのイベント、楽しめそうなことならとりあえず参加」という者もいる。
  うまい具合に誘導すれば「イラクへの義勇兵募集、平和維持活動に参加しよう」でも、「北朝鮮の不法核兵器を摘発するためのボランティア募集」でも、可能になるだろう。つられる若者は必ずいる。
  個人を誹謗中傷した板の存在についての責任をひろゆきがおわされることはあっても、どんな板を立ち上げるか、基本的には自由なのだから。

  古い体質の政治家が多く、いまだに有権者の前で土下座パフォーマンスをしたり、おばさんに握手責めでいけば、当選できると思っているうちはいいけれど、ネット利用の世論操作の方法がもっと巧妙になったとき「思考停止、寄らば大樹、付和雷同」の我が同胞たちは、どのように操作されていくのだろうか。
 ネットはおもしろいけれど、その使い方について、私たちはあまりに無知だ。

本日のwebSurfなみ:ニッポニアニッポンはひろゆきと2チャンネラーを応援しています

~~~~~~~~~

20150806
 予定は決定にあらず、というのがミャンマー式だけれど。とりあえずヤンゴン生活がスタート。

 「戦国ゲームなんぞにあけくれる中3オバカ息子」の夏休みにやきもきしていた12年前。
 今もかわらず「戦国期政権論」という博士論文が「まとまらな~い」と言いつつ、ごろごろぐうたらとしている息子にやきもきしながらのヤンゴン出発でした。
 こっちに来てしまえば、息子のぐうたらぶりも目にはいらないので、自分は自分でぐうたらしていられます。

 12年前の原爆忌を前に、慰霊のための折り鶴に放火され焼けてしまうという事件があった。それに対して、2チャンネラーたちは、「新たに鶴を折ってヒロシマに送る運動」をはじめました。ネットの呼びかけに若者が応じたのです。私はこれらの運動を姪のひとりのSNSでしりました。

 しかし、私の危惧は、ネットの利用が巧妙に操作されたとき、「平和を維持するために悪い国をやっつけよう」なんぞという呼びかけがなされるかもしれない、ということでした。

 現在、行われている国会周辺をとりまくデモなども、ネットでのつながりによって活動に参加する若者多いと聞きます。若者達が自分たちで平和について考え、行動する姿を見ていきたいです。戦争反対を訴えるデモに参加した若者達をさして「彼らは自己チューだ」とつぶやき投稿した政治家に対し、たちまち「そうやって言論をおさえつけようとする態度こそ自己チュー」という反論が殺到した、というニュースも見ました。
 さまざまな意見が自由に出せる国でありたいし、違う意見を尊重できる国でありたい。民主主義の基本は、少数意見の尊重。多数決で国会決議するということも民主主義の基本です。が、多数だから横暴をきわめてよいということではないことを確認したいです。

 平和を祈ります。  

<つづく>
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「2003年の夏の庭」

2015-08-05 08:00:01 | エッセイ、コラム
20150805
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記8月(1)2003年の夏の庭

 2003年三色七味日記8月の日記は、すでに2013年8月に再録しています。今回再々録です。同じ日記を何度も再録して気がひけるけれど、8月4日ヤンゴンへ出発で、余裕なし。ヤンゴン日記は8月下旬ころからUPしていきたいと思っています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~

2003/08/金 曇りときどき小雨 
日常茶飯事典>夏の庭

  5時すぎ、車で迎えに来てもらい、よう子さん宅へ。
  よう子さんのお父さんは東京から移り住んで畑を開いたが、事業の失敗で土地はほとんど人手に渡ってしまった。今では、お母さんが住む母家、よう子さんの仕事用離れと、家庭菜園と果樹の庭だけが残された。仕事用離れと言っても、洋室2室にキッチンがあり、団地2DKの我が家と同じくらいの広さがある。

  いつもジャムを分けてもらう庭の木々。ゆず、みかん、キウイ、柿、いちじくなど、木を見たり、タイム、ローズマリー、フェンネル、オレガノなどのハーブについて教わったり。私には、ローズマリーとタイムの区別もよくわからないのだが、野菜や果物やハーブに囲まれている生活、いいなあ。

  よう子さんが夕食の準備をしてくれている間、一人で庭を眺めながら、なんだか子どものころを思い出して、胸いっぱいになる。

  子どもの頃の庭。縁側のぶどう棚、玄関脇の柿の木、裏庭のいちじく。 口いっぱいにほうばった坪山のユスラゴ。はたんきょうの木は、アメリカシロヒトリがたかるようになり、お父さんが切ってしまったっけ。
 あんずの木は父が子どものころ食べて育った木を接ぎ木した。ついに実がならないままだったが、切ろうとはしなかったのは、子どもの頃の思い出が実となって、父の目に見えていたからだろう。いま、よう子さんの庭を見て、私がこどものころを思い出したように、父は杏の木を見て、自分の子ども時代を思い出していたのだ。

  子どものころはうちの庭が不満だった。絵本の中にでてくる、天使像のラッパの先から噴水があふれ、白い大理石の泉にそそぐような、珍しい花々の間をお姫様が散歩をするような、洋風の庭のある家だったらどんなにいいだろうか、と我が家の雑草半分の庭を見ていたのだった。

  私が幼稚園小学校の頃、庭の西側は夏になるとダリアの花でいっぱいになった。庭の手入れなどしていないが、球根から毎年花が咲いた。ままごとにダリアをつかうときは「花粉に毒があるから、手につけないように気をつけて」と、注意を受けた。ダリアの花は、夏のままごとのごちそうだった。私たちがままごとをしなくなったら、いつのまにか、ダリアは庭から姿を消してしまった。球根にも寿命があったのかもしれない。

  夏の庭。お母さんが洗濯物を干している。姉が「料理やさん」で、お料理を作る。私は「やおやさん」で、庭から花や葉っぱを集めて、料理やさんに売る。まだ幼い妹スモモはお店やさんになれないから「しんよきんこ」になってお金をあずかる。
  料理屋さんが開店すると、私と妹が食べに行く。何回か食べるうちに、最初に均等にわけたはずのお金は、いつのまにか料理屋の独占になって、お店やさんごっこは終わりになる。
  野菜の値段より料理の値段の方が高くなるのは納得できたが、信用金庫はお金を預かって、利子を付けて返したら絶対損をするとおもうのに、なぜお金を集めにくるのか、さっぱりわからなかった。

  スクーターで「きんこおじさん」がやってくる。今月の預金を集めに来たのだ。母は洗濯物を干し終えて、信用金庫勤めの弟に麦茶を出す。私たちはままごとをやめて、止めてあるおじさんのスクーターにまたがり、運転ごっこをはじめる。姉と私と妹を乗せて、スクーターは夏の庭から飛び出し、お日様の向こうまで走り回る。夏の陽は、そろそろ西に傾いてくる。

  長じて料理好きの姉、柿実さんが開いたレストランは借金を残してたちまちつぶれてしまった。ままごとではいつも一番お金持ちになるのに、実際の経営ではつけを回収することができなかった。食材や内装にお金をかけ、料金設定は低くしたから、少しも儲からない店だった。料理上手だったけど、金儲けの才能が欠如している我が一族のわくを越えることはなかった。

  坂下の土地は木も全部切り倒し、庭はコンクリートで固めたアパートにしてしまった。新しく建てた自宅のローンとアパートのローン両方をかかえて、スモモはずっと、ヒィヒィ言っている。
  お母さんが死んで30年、母の弟きんこおじさんが死んで2年。姉が死んで1年3ヶ月。夏の庭は瞼の中に遠い。

  よう子さんのお母さん丹精の野菜を使ったトマトサラダとグリーンサラダ(ルッコラがおいしい)。自家栽培のジャガイモやハーブを使ったカレーをごちそうになり、最後は「今年のはよくできた」というスイカ。朝収穫して、冷やしておいたのだって。
 カレーもスイカも野菜もとてもおいしかったし、お母さんもとてもいい人。1924年の生まれというから、1925年生まれの姑より1歳年上の79歳。足が弱くなって、犬の散歩ができなくなったというが、ほとんどひとりで畑の世話をしていて、お元気。畑や果樹の世話も健康法のひとつなのだろう。野菜をご近所に分けてあげて「おいしかった」と言われるのが楽しみ、と言う。

  夏野菜のおみやげまでいただいて、駅行きのバスに乗る。家に10時半についた。
  さっそくトマトを冷やして食べた。とてもおいしいので、トマトぎらいの娘にも「すごくおいしいから、トマトじゃないと思ってたべてごらん」と勧めたら、「おいしい、おかわり食べる」と言い、もうひとつ食べた。
 「わたしは、トマト嫌いじゃなかったんだ、まずいトマトが嫌いなだけだった」という娘の感想。

本日のねたみ:うらやましいぞ広いお庭

~~~~~~~~~

20150805
 本日より、ヤンゴン生活はじめます。
 4日夜から13日夜まではホテル宿泊。そのあと外国人教員宿舎に入る予定です。

 大学は、英国植民地時代に建てられた伝統ある建築物です。伝統ある建物、近代建築めぐりが趣味の私には、見て回るには楽しいですが、大学の教室にはエアコンなし。マイケル・サンデル白熱教室のむこうを張って、春庭の灼熱教室開始です。熱中症教室になるかも。
  
<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「姪の結婚」

2015-08-04 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150804
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2015十五夜満月日記8月(4)姪の結婚式

 保育園の保育士として働きながら、趣味で「バンド活動」を続け、やれ、お遊戯発表会の衣装を縫うのがたいへんだ、運動会の準備が忙しい、週末はどこそこでバンドの演奏がある、と、弱い身体で飛び回ってきた姪(妹の長女)が、結婚することになりました。

 妹モモの話では、最近の忙しいママさんたちは、「発表会の衣装を親に手作りさせるのは間違っている。保育園側で行事の支度を全部ととのえるべきだ」という主張をするので、かっては親もいっしょにやっていた行事準備は、すべて保育士の負担となっており、家に持ち帰って「入園式の教室に飾る花かざり」なんぞを手作りしている、ということでした。

 妹から、「ミャンマーに行く直前になってしまって悪いけれど、来年の1月には赤ちゃん産まれるサズカリ結婚だから、できるだけ急いで式あげなくちゃならない」と、メールがきたのが、7月。結婚式は8月2日ですって。あらまあ、ほんとに急だこと。8月4日の出立の直前になります。

 「さずかり婚」
 私の時代には「できちゃった婚」とか呼ばれて、私など結婚式から半年後には娘が生まれたので「ずいぶんと育ちの早いお嬢さんで」とか、親戚からイヤミを言われたりしました。今は、結婚時に妊娠している花嫁は、珍しくもない「フツー」なんだとか。赤ちゃん授かったから結婚を決意、という流れのほうが主流派になっているのだそうです。

 ずっと独身でいるのかと思った、妹の次女のほうが大学を卒業するとすぐに結婚し、今では二男一女の母。すぐにも結婚するかと思った長女のほうが、長く独身でいました。
 バンドのキーボード担当だったのですが、何度か「ライブに来てね」と言われたのに、一度も姪の演奏する姿を見ることなく結婚式になってしまいました。

 夏場だし、内輪だけの簡略な式にするとは言っていたけれど、どんな花嫁姿なのかしらと楽しみにしていました。
 新婦の妹が描いたウェルカムボード。新郎新婦によく似ている似顔絵です。


 30代になってもよその人からは10代に間違われるくらいの童顔だったので、かわいい花嫁姿とは思っていましたが、白いドレスにベールをかぶった姿も、髪に小さな帽子飾りをつけた姿もとてもすてきでした。

  8月2日結婚式に出席した後は、8月4日ヤンゴン出発。
 ヤンゴンからは、コピペ2003日記の予約投稿だけになり、現地発の報告はいつになるか、インターネット環境しだいです。

 8月4日、成田午前11時発、ANA搭乗、夕方にはヤンゴン空港に到着。

 よい滞在になるよう、よい仕事ができるよう、願っています。
 「ミンガラ春庭のヤンゴン便り」は、月末くらいにUPできるといいのですが、それまでは、2003年夏日記のコピペでごかんべんを。当分コメント返信はできないかもしれません。

<おわり>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「準備ととのわないままヤンゴンへ」

2015-08-02 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150802
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2015十五夜満月日記8月(2)準備ととのわないまま出発

 8月4日、ヤンゴンへ出発です。
 4月から8月まで、4ヶ月あると思ったのですが、やはり授業を続けているあいだは授業に追われて、なにも準備が整わないまま出発となってしまいました。
 足りない日用品や衣服はヤンゴンでも買えると気楽に構えていましたが、とりあえず、ヤンゴンでの必需品で日本で買った方がいいと言われたものは。

1,速乾性の下着やシャツ。ヤンゴンは雨期の最中で湿度が超高く、洗濯物が乾かないので下着にはアイロンを掛けることが、日常生活を気持ちよくすごすコツ。とアドバイスを受けたのだけれど、アイロンかけが大嫌いなので、ユニクロの速乾Tシャツ&ポロシャツを購入。速乾性のパンティってのが見つからなかったけれど。

2,持病の薬2ヶ月分を、かかりつけのクリニックに頼み、ついでに下痢止めや熱さましなどを処方してもらいました。

3,250V→100Vの変圧器。ルーターとパソコンつなぐランケーブル。今は息子がせっていしてくれた無線ランなんだけれど、いったいどうすればパソコンにインターネットがいれられるのか、まるでわかっていない。どうなるんだ。

4,梅干しなど現地スーパーでは買えない食品。日本のものとは少し違うものだけれど、醤油や米などは現地で買える。

5,授業で使うもの。まだまだ授業備品が整っていないので、現地で買える文房具以外、日本語教育に必需のさまざまな教材教具が必要です。1クラスに35名もの「初級日本語受講者」がいる教室というので、今まで私が経験したことのない大規模クラス。
 国費留学生相手の初級の教室では、10~20名規模の語学授業しか、経験したことがない。大人数の教室での入門期語学授業をしたことがないのです。新しい経験に挑戦です。

 前任の若手日本語講師は、インフルエンザにかかって寝込んだとのことで、「病気になったときのために、体温計と梅干とレトルトおかゆが必要」というメールをくれました。

 インターネットもつながりにくいなど、情報環境整備されていない土地で、今後2ヶ月間、メール連絡コメント返信などが不自由になると思います。
 予約投稿は、8月中旬の分まで2003年夏のコピペ日記です。12年前の日記使い回しですみませんが。

<つづく>
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「出発前のボリショイサーカスやら納涼会やら」

2015-08-01 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150801
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2015十五夜満月日記8月(1)出発前のボリショイサーカスやら納涼会やら」

 未知の国に出かける前というのに、何も準備することなく、買えるものは現地で買う、買えないものは2ヶ月間不自由をしのんで、10月11月の一時帰国のときに買えばいい。12月からの本格赴任からが、勝負なんだから、と、いいかげんな月日をすごしました。

 7月12日、講談社野間美術館で「近代日本の洋画展」をみたあと、姑宅にお盆のご仏前を持って行きました。
 毎年お盆の舅供養は、8月の旧盆にお参りに行っていたのですが、今年はお盆に日本にいないので、東京式の新暦お盆に切り替えてお参り。姑は娘といっしょに徒歩10分ほどの隣町のスーパーに行って買い物を済ませてかえってきたところでした。「店頭のワゴン販売で安売りしてたから」と、夏用の下着を買ってきて買い物好きの気分を満足させていました。
 娘は「お父さんがまだ一人歩きさせちゃダメって言っているから内緒なんだけれど、昨日もひとりで買い物してきたんだって」と、こっそり教えてくれました。姑、日に日に元気になってきて、デイサービスの活動だけでは物足りないらしい。

 7月16日に、ヤンゴンで担当する仕事の最終打ち合わせ会に出席。
 7月20日に、姑風邪で倒れ救急入院。火曜日娘、水曜日息子、木曜日私、金曜日娘と息子、土曜日息子、日曜日娘というローテーションで病院つきそい。風邪以外の症状は出ていないけれど、90歳という年齢から、医者はいろいろ検査をしたがり、入院は1週間ほど、という診断です。

 7月24日。娘息子と「出発前の壮行会ランチ」と、ボリショイサーカス見物。
 娘息子が幼かった頃、毎年夏に、一家の「無料の夏」のお楽しみとして、区主催の蛍見学会、招待券をもらってのボリショイサーカス見物、無料の土手席での花火見物。を楽しんでいました。東京都や企業の「無料イベント」にせっせと応募して、「神津島一泊旅行」とか、「秋川渓谷川遊び」「千葉の牧場乳搾り」など、なんらかの夏のイベントを獲得して、夏休みの宿題「夏の思い出」のネタ作りをしてきたのです。

 娘息子の成長後、ボリショイサーカスの招待券応募もしなくなっていたのですが、今年は「ヤンゴン行き壮行会がわりのお楽しみ会」として、いっしょにボリショイサーカス見物をすることにしました。むろん、招待券ゲットです。
 自由席招待券をS席アップグレードするのに1枚2000円。サーカスの前にランチを食べるくらいの行楽費はかろうじて確保しました。海外旅行だホテルのサマー宿泊サービスだというような高額行楽とはなかなか縁がないですが、格安ランチ程度のぜいたくをして、「がんばれ!母!!しっかり出稼ぎしてきて、パラサイトイブ&イブ弟を食わせてやりなさい」という壮行会です。

 久しぶりに見たボリショイサーカス。熊のサーカス犬のサーカス、どちらも芸達者でかわいかったのですが、猫のサーカスは、「かわいかったけど、これをS席でなく招待券のB席で見ていたら猫が遠くに小さく見えて何かやってる、くらいにしかわからなかったかも」
 定番の空中ブランコもピエロの芸も、これまで通り楽しかった。

 ランチは、千駄ヶ谷東京体育館のすぐ近くのステーキ屋で。1kgステーキというのを頼みたかったのだけれど、それは夜のディナーのみだというので、ふつうのステーキランチを注文しました。

 24日金曜日夜は、ジャズダンスサークルの納涼会兼発表会打ち合わせ兼イナちゃん壮行会。
 「ヤンゴン出発前に、壮行会としていっしょに飲みましょう」というありがたい申し出のさまざまなおつきあいも、「すみません、準備がととのっていないので」と、あらかた断りました。
 唯一、「毎年恒例の、ジャズダンス練習後の納涼会」のみ参加。これは、今年の発表会の打ち合わせ会も兼ねている会になっており、しかも、来年のダンス納涼会はないかも、という予想から参加したのです。
 今年いっぱいで、ダンスサークルが「一時休部」という名の閉会になるかも知れないのです。高齢化による怪我や病気で、会員が減りつづけ、会を維持できるのは、今年いっぱいが限度だろうと、会計係からの報告。

 指導を続けてくださっていたダンス講師の先生が、昨年癌手術を受け、体調が完璧復活ということにはなっていない、という事情もあります。サークルの発足メンバーでもあるミサイルママが、来年の3月からは、パートナーさんの住む逗子に生活の基盤を移すことが決まっている、という事情もあります。ミサイルママは「彼と別れたらまた戻ってくるから」というのですが、来年は当分ダンス練習には参加できない、とのこと。

 パスタ屋でピザやスパゲッティを食べながらおしゃべり。5人に減ってしまったメンバーと、今後の運営打ち合わせをしながら、ピザ2皿スパゲティ3皿、サラダ1皿、パンケーキ1皿が5人のおなかに。

 7月27日、出講先の学部長への挨拶。
 来年は私がヤンゴン赴任のため授業を担当できず、再来年は、学部再編で今授業を行っている学部が閉鎖されて新学部になり、担当授業が閉鎖される、ということで、私の出講は7月27日が最終日となりました。学部長から「これまでのお礼を申し上げたい」という申し出があったので、ご挨拶しなければなりません。

 2003年から12年間日本語教師養成コースの授業を担当してきました。残念ではありますが、私立大学は生き残りをかけて、より就職率のよさを見込めそうな学部学科に再編をしています。トップ私立は大学の名前だけで就活できますが、トップ以下の大学は、学生確保のため、どこもわけのわからない学部学科再編をやっています。
 文科省は「文科系学部はいらない」とまで言ってきたのです。

 学部長からは、A4用紙にぺらっと印字された「これまでの授業担当において本学の教育に寄与され~うんぬんかんぬん」の形式的な挨拶文。まあ、これまでご苦労さんでした、という学部長の挨拶をうけて、この日かぎりにこの大学とは縁が切れます。やむなし。
 実は、学部長の挨拶、早くおわれ、と胸のなかでつぶやいていました。姑の病院へ行く予定だったからです。

 最寄り駅から直通で横浜中華街行きに乗れるはずだったのに、3回も乗り換えしなければならなかったけれど、姑入院中の病院へ。昼ご飯食べずに電車に乗ったので、駅前の吉野家で腹ごしらえしてから姑の病室へ。
 姑は4人部屋に不満。いくつかの病室に共同のトイレがひとつしかないのが不満。病院食のおかずの種類が少ないのに不満。不満とグチを並べて「早く家に帰りたい」と、訴えます。

 娘も「毎日グチ言ってるんだけれど、退院のミーティングは木曜日に決まったから、それまではがまんしてもらわなくちゃ」と、言います。
 娘が入院させたときには、ぐったりして「いつ入院したのかわからない」というくらいの状態だったので、不満がでるってことは、元気になってきた証拠。

 姑、8月1日土曜日に退院。娘と夫が病院へ迎えに行き、息子は姑宅で出迎え。私は出発準備のため、出迎え免除。

 7月最終週は、今期の成績提出の週です。レポートの内容、出席率、授業内発表などの活動、あれこれまとめて評価を出し、これで、やり残したことないでしょうね。
 3月まで担当していた日本語教科書も、いよいよ出版社に最終稿が渡ったそうで、夏休み中に印刷。後期の学生には製本されたものを使ってもらえます。2期1年使ってみて、さらに誤植誤記をなおして、市販されるのは2年後か3年後か。

 8月2日日曜日には、姪の結婚式があるし、ヤンゴン出発準備はまだまだです。スーツケースの鍵がみつからない。3月にたくさん買った南京錠がどこにしまったのか思い出せない。やれやれ。

<つづく>
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする