20151011
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記10月(1)2003年のフルーツバスケット
2003年の三色七味日記10月の再録です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2003/10/01 水 晴れ1006
ニッポニア教師日誌>フルーツバスケットゲーム
午前中、授業準備。午後、日本語教授法2コマ。
ゲーム教材研究はフルーツバスケット。
初級前半なら、動詞文が出てきたところ、初級後半なら、連体修飾が出てきたところで、このゲームをとりいれる。遊びながらなめらかに新出の文型が口出すためにフルーツバスケットを利用したゲームをすることを説明。練習方法。
留学生もそうだけど、日本人学生も、文型なんて関係なく、みんなでひたすらキャーキャーとゲームを楽しんでいた。「恋人がいる人」キャー、っと走り回って椅子をさがす。「去年落とした単位がある人」キャー!
本日のひがみ:若者よ、若さはフルーツのごとし。しなびないうちご賞味あれ
2003/10/02 木 晴れ 1007
日常茶飯事典>運動会
息子、運動会二日目。二日間運動会を続ける学校は、都内では少ないのじゃないだろうか。今年は、中学受験案内のある本に、「運動会一般公開あり」という誤情報が掲載されてしまった。
きのうは、都民の日で休日になったから、都内の「お受験親子」が学校見学にきた。いつものような「男子校ばかさわぎ」はひかえるのかと思ったら、そうでもなく、みんな遠慮無く、バカやっていたそう。応援合戦はもっと「バカばっかり」で、モー娘。の扮装の踊りあり、ウォーターボーイズさながら、海パンいっちょで「シンクロナイズドスイミングプールサイド踊り」あり。
息子の運動会二日目の騎馬戦は、一勝一ワケ。
本日のうらみ:剣道に出場した息子、小手をくらってコテンコテン
2003/10/03 金 晴れ 1008
日常茶飯事典>視覚障害者パンフに掲載したメール
「東京視覚障害者生活協議会」のパンフレット。視覚障害者会員へは点字で、わたしのような晴眼者会員へは墨字のパンフが届く。
東視協の会員むけ月刊パンフレットに、私が編集部へ送ったメールを転載したいという連絡があった。匿名でならいいですよ、と返事した。8月号に載った、視覚障害者の文章への感想をかいたもの。東京で鍼灸院を開業した人が、「めあきの鍼灸師」が増えていることに不安を感じていることを述べていたので、感想を書いた。2003/9月号に掲載された。
編集部へのメール
『 はじめまして。私は晴眼者会員です。いつもパンフレットをお送りいただき、ありがとうございます。
最近は何も活動していないユーレイ会員ですが、パンフを読むたびに、皆様のご活躍に励まされています。8月号の記事についての感想を、執筆者へメールでおくりました。墨字で送ったメールを音声変換して読めるのかどうか、ということさえ、私にはわかりませんので、コピーを編集部あてに送ります。
8月号に掲載の「私の輝く時」を拝読しました。
50歳をすぎて給与生活の安定から飛び出て、鍼灸院開業にこぎつけたことを読み、「ここにもがんばっている方がいるなあ」と、うれしくなり、元気がでてきました。
晴眼施療者がこれから増えることは確実でしょうが、今後の経営難を心配なさいませんように。わたしと同じように、晴眼者に施療されるのを好まない人も多いと思うからです。
何年か前に五十肩に苦しみ、近くの整体院に通いました。ベッドに横たわり、全身を施療者に預けるとき、私の感覚では、晴眼の施療者だと、ちょっといやです。私がもともと「視線恐怖症」に近い不安神経症的な性格を持っているからかも知れませんが、こちらが無防備に全身をさらしているとき、手と声だけでコミュニケートできるほうが安心できるのです。これって、変わり者の感性でしょうか。
手と声のコミュニケーションで安心し、やすらぎを得たり癒しを感じたりすることってあると思うのです。施療者が患者のことを大切に扱ってくれているかどうかは、手と声から確実に伝わってきます。
「あはき(あんま、針、灸)」の仕事をする方々にとって、これからいろいろ厳しい現実が続くだろうと思いますが、みなさまの活躍を待ち望む患者も多いことをお知らせしたくてメールしました。患者にとって、あはき施療者のみなさんとの心と心のコミュニケーションこそが、もっともよい治療になると思います。
鍼灸院の今後の経営が順調にいくことと、みなさんのご活躍を祈っております。かしこ。 』
若い頃の私は一種の視線恐怖症で、人から見られることがとてもいやだった。劣等感がつよいからだ。人と話すことは、電話ならいいが、直接会って話すのはいや。手紙でコミュニケーションをとるのがいちばんいい。
昔は、電車の中で、向かいのシートに座っている人を見つめられなかった。見ているとこちらも見返されることがあるからだ。年をとった現在は、向かいのシートに座っている人をみつめることができるようになり、人間観察が面白くてたまらない。こんなにいろんな顔の人がいて、こんなに様々な個性の持ち主がいるとわかった。見返されたら、にっこり笑って「銀髪がとてもすてき」「ブローチとイヤリングのコーディネートがいいですね」とか、声に出さずに心であいさつする。
「顔の大きさ、車中人間観察をはじめて以来、最大です」とか、「母親、娘、孫娘の三人がそっくりな顔で並んでいると、DNAの見本のようです」と思ったり。
視覚障害者となら、こころおきなくつきあえるのは、視線が気にならないからだ。私の声で私の心や性格を判断してくれるからだ。声にはちょっと自信がある。滑舌がいいので、眼の不自由な人にとって、とても理解しやすい声だと、言われている。
ラジオキャスターか、声優になればよかったと思う。
本日のうらみ:若い頃、自分の声質のよさに気づいていれば
2003/10/04 土 曇り 1009
日常茶飯事典>おい!老い、笈の小文
フリースペースちえのわ更新。2003/09をUP
一日中、笈の小文を書く。どんどん書ける。本を思い出しながらの自分語り。
中高年にとって、自分語りは一番の楽しみ。ただし、自分だけが楽しくて、読む人はいないのが難点。
本日のつらみ:金にならないことは、楽しくはかどる
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20151011
中高一貫のはずが途中でドロップアウトしてしまった我が家の半貫息子は、今日はばあちゃん孝行の日。デジカメ写真をパソコン印刷して、アマゾンで買った写真立てにいれて、遅ればせ敬老のプレゼントにするのだって。
娘の報告によると、最近姑は、「手芸」にせいをだしているので、娘はユザワヤへ行って、ばあちゃん注文の編み棒を買ってきたり、ぬいぐるみにつける「目玉」を買ってきたり。
前は、「手芸は性に合わない」と言っていたのに、デイサービスの手芸サークルに加わるようになったのは、「ひ孫にぬいぐるみをプレゼントしたいから」
ミャンマーのおみやげと敬老の祝袋を届けに10月4日に行ったとき、姑がデイサービスで作った「ふくろう」のぬいぐるみを見せてくれました。
「叡智」のシンボルだというフクロウ。ひまごちゃんたち、気に入ってくれたかしら。卒寿媼の手作りぬいぐるみ、持っていればきっと長寿の御利益有り。
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記10月(1)2003年のフルーツバスケット
2003年の三色七味日記10月の再録です。
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2003/10/01 水 晴れ1006
ニッポニア教師日誌>フルーツバスケットゲーム
午前中、授業準備。午後、日本語教授法2コマ。
ゲーム教材研究はフルーツバスケット。
初級前半なら、動詞文が出てきたところ、初級後半なら、連体修飾が出てきたところで、このゲームをとりいれる。遊びながらなめらかに新出の文型が口出すためにフルーツバスケットを利用したゲームをすることを説明。練習方法。
留学生もそうだけど、日本人学生も、文型なんて関係なく、みんなでひたすらキャーキャーとゲームを楽しんでいた。「恋人がいる人」キャー、っと走り回って椅子をさがす。「去年落とした単位がある人」キャー!
本日のひがみ:若者よ、若さはフルーツのごとし。しなびないうちご賞味あれ
2003/10/02 木 晴れ 1007
日常茶飯事典>運動会
息子、運動会二日目。二日間運動会を続ける学校は、都内では少ないのじゃないだろうか。今年は、中学受験案内のある本に、「運動会一般公開あり」という誤情報が掲載されてしまった。
きのうは、都民の日で休日になったから、都内の「お受験親子」が学校見学にきた。いつものような「男子校ばかさわぎ」はひかえるのかと思ったら、そうでもなく、みんな遠慮無く、バカやっていたそう。応援合戦はもっと「バカばっかり」で、モー娘。の扮装の踊りあり、ウォーターボーイズさながら、海パンいっちょで「シンクロナイズドスイミングプールサイド踊り」あり。
息子の運動会二日目の騎馬戦は、一勝一ワケ。
本日のうらみ:剣道に出場した息子、小手をくらってコテンコテン
2003/10/03 金 晴れ 1008
日常茶飯事典>視覚障害者パンフに掲載したメール
「東京視覚障害者生活協議会」のパンフレット。視覚障害者会員へは点字で、わたしのような晴眼者会員へは墨字のパンフが届く。
東視協の会員むけ月刊パンフレットに、私が編集部へ送ったメールを転載したいという連絡があった。匿名でならいいですよ、と返事した。8月号に載った、視覚障害者の文章への感想をかいたもの。東京で鍼灸院を開業した人が、「めあきの鍼灸師」が増えていることに不安を感じていることを述べていたので、感想を書いた。2003/9月号に掲載された。
編集部へのメール
『 はじめまして。私は晴眼者会員です。いつもパンフレットをお送りいただき、ありがとうございます。
最近は何も活動していないユーレイ会員ですが、パンフを読むたびに、皆様のご活躍に励まされています。8月号の記事についての感想を、執筆者へメールでおくりました。墨字で送ったメールを音声変換して読めるのかどうか、ということさえ、私にはわかりませんので、コピーを編集部あてに送ります。
8月号に掲載の「私の輝く時」を拝読しました。
50歳をすぎて給与生活の安定から飛び出て、鍼灸院開業にこぎつけたことを読み、「ここにもがんばっている方がいるなあ」と、うれしくなり、元気がでてきました。
晴眼施療者がこれから増えることは確実でしょうが、今後の経営難を心配なさいませんように。わたしと同じように、晴眼者に施療されるのを好まない人も多いと思うからです。
何年か前に五十肩に苦しみ、近くの整体院に通いました。ベッドに横たわり、全身を施療者に預けるとき、私の感覚では、晴眼の施療者だと、ちょっといやです。私がもともと「視線恐怖症」に近い不安神経症的な性格を持っているからかも知れませんが、こちらが無防備に全身をさらしているとき、手と声だけでコミュニケートできるほうが安心できるのです。これって、変わり者の感性でしょうか。
手と声のコミュニケーションで安心し、やすらぎを得たり癒しを感じたりすることってあると思うのです。施療者が患者のことを大切に扱ってくれているかどうかは、手と声から確実に伝わってきます。
「あはき(あんま、針、灸)」の仕事をする方々にとって、これからいろいろ厳しい現実が続くだろうと思いますが、みなさまの活躍を待ち望む患者も多いことをお知らせしたくてメールしました。患者にとって、あはき施療者のみなさんとの心と心のコミュニケーションこそが、もっともよい治療になると思います。
鍼灸院の今後の経営が順調にいくことと、みなさんのご活躍を祈っております。かしこ。 』
若い頃の私は一種の視線恐怖症で、人から見られることがとてもいやだった。劣等感がつよいからだ。人と話すことは、電話ならいいが、直接会って話すのはいや。手紙でコミュニケーションをとるのがいちばんいい。
昔は、電車の中で、向かいのシートに座っている人を見つめられなかった。見ているとこちらも見返されることがあるからだ。年をとった現在は、向かいのシートに座っている人をみつめることができるようになり、人間観察が面白くてたまらない。こんなにいろんな顔の人がいて、こんなに様々な個性の持ち主がいるとわかった。見返されたら、にっこり笑って「銀髪がとてもすてき」「ブローチとイヤリングのコーディネートがいいですね」とか、声に出さずに心であいさつする。
「顔の大きさ、車中人間観察をはじめて以来、最大です」とか、「母親、娘、孫娘の三人がそっくりな顔で並んでいると、DNAの見本のようです」と思ったり。
視覚障害者となら、こころおきなくつきあえるのは、視線が気にならないからだ。私の声で私の心や性格を判断してくれるからだ。声にはちょっと自信がある。滑舌がいいので、眼の不自由な人にとって、とても理解しやすい声だと、言われている。
ラジオキャスターか、声優になればよかったと思う。
本日のうらみ:若い頃、自分の声質のよさに気づいていれば
2003/10/04 土 曇り 1009
日常茶飯事典>おい!老い、笈の小文
フリースペースちえのわ更新。2003/09をUP
一日中、笈の小文を書く。どんどん書ける。本を思い出しながらの自分語り。
中高年にとって、自分語りは一番の楽しみ。ただし、自分だけが楽しくて、読む人はいないのが難点。
本日のつらみ:金にならないことは、楽しくはかどる
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
20151011
中高一貫のはずが途中でドロップアウトしてしまった我が家の半貫息子は、今日はばあちゃん孝行の日。デジカメ写真をパソコン印刷して、アマゾンで買った写真立てにいれて、遅ればせ敬老のプレゼントにするのだって。
娘の報告によると、最近姑は、「手芸」にせいをだしているので、娘はユザワヤへ行って、ばあちゃん注文の編み棒を買ってきたり、ぬいぐるみにつける「目玉」を買ってきたり。
前は、「手芸は性に合わない」と言っていたのに、デイサービスの手芸サークルに加わるようになったのは、「ひ孫にぬいぐるみをプレゼントしたいから」
ミャンマーのおみやげと敬老の祝袋を届けに10月4日に行ったとき、姑がデイサービスで作った「ふくろう」のぬいぐるみを見せてくれました。
「叡智」のシンボルだというフクロウ。ひまごちゃんたち、気に入ってくれたかしら。卒寿媼の手作りぬいぐるみ、持っていればきっと長寿の御利益有り。