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ぽかぽか春庭「風琴と二胡」

2016-11-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161106
ぽかぽか春庭@アート散歩>2016秋の音楽(6)風琴と二胡・無料コンサート10月その3

 10月30日、友人の合唱を聞く前に、北とぴあ毎月第4日曜日開催のパイプオルガンコンサートを聴きました。
 合唱祭の観客たち、自分の知り合いが出演している時間の前後だけ聞く人が多いので、オルガンコンサートにも客が集まっており、私が開演10分前にエントランスロビーに着いたときには、もう椅子は全席いっぱいでした。立って聞きました。

 30日のオルガン奏者は、永瀬真紀さん。曲目は、協奏曲第4番(モランディ)、フルートのソロ(レーメンス)、フーガGマイナーBWV578、カンタータ147主よ人の望みの喜びよ、前奏曲とフーガGマイナー(バッハ)、前奏曲変ホ長調(ハリス)、ソナタ第4番変ロ長調作品65-4第3楽章第4楽章(メンデルスゾーン)

 永瀬さんは、オルガンの状態を説明しました。バイオリンほかの楽器もそうだけれど、オルガンも調整が難しい楽器で、急に寒くなったこともあって、リハーサルをしていたら、音がでっぱなしになるパイプがあることがわかったのだそうです。そのパイプを使わないように演奏するので、予定の音色とは異なる、というお話でした。オルガンは、パイプに風が吹いて、音がでる風琴。

 雅楽の説明を聞いたときも、笙もひちりきもたいへん調整が難しくて、冬は温めながら吹かないと音が出ないということを聞きましたし、鼓は雨の日は皮が湿って鳴らないそうだし、楽器の演奏者は大変なんだなあと思いました。

 中国に赴任していたとき、揚琴が欲しいなあと思って長春の楽器屋さんをのぞいたら、揚琴は調律が難しいし、とてもデリケートで調整が難しい楽器だ、という説明を聞いて、買うのをあきらめました。でも、よく考えてみたら、調整が難しくない楽器などないんじゃないかしら。小学校で習ったハーモニカやリコーダーは、何も調整などせずにつかっていたけれど、リコーダーだって、古楽で使うような高級品は、高そうだし調整が難しそうでしたから。

中国で習いたかった揚琴。大学の先生達が集まっている古楽器オーケストラでちょこっと弾かせてもらいました。


 私の好きな楽器の音色は、揚琴、木琴、サンシンなど、弦をマレットやバチで叩くタイプ。弦を弓でこするタイプは、聞くのは好きだけれど、自分で演奏してみたいと思ったことがありません。

 オルガンコンサートが終了して、4時半すぎ。友人の合唱グループは5時半ころの出演と聞いていたので、まだ1時間くらいあります。
 北とぴあ別棟に行ってみました。北とぴあにくると、何もすることがなくても、17階から街を見渡すのと、別棟にいく渡り廊下を歩いてみるのが好きなのです。

 ドームホール前に、二胡(アールフー)が展示してありました。駒込にある二胡教室の発表会が「ドームホール」で開催されており、お教室に楽器を納入している中国楽器屋さんが二胡の展示販売をしている、ということでした。

 日本では、買う気もないのにこちらから中国楽器屋さんに入ってみたこともない。ちょうどいい機会だから、弓で弦をこすってみたいと思い、「ちょっと弾かせてもらえませんか」とたずねると、快く二胡と弓をもたせてくれました。

 2本の弦の間に弓を挟み、弓の両側で前後の弦をこするのだ、ということは聞きかじっていましたが、実際に弾いてみるのは初めてです。
 弓の持ち方、二胡の抱え方から係員が教えてくれました。弓をうごかして、キーキーと音を出してみる。うん、難しい。やっぱり弓で弾くのはダメだワ。

 係の人は、駒込にあるという教室の紹介をして「今、ホールで教室の先生が演奏していますよ」と、教えてくれました。なんだ、それを先に言ってよ。自分でキーキー音なんぞたてるより、先生の音聞く方がいいのに。
 ホールで行われているのは二胡教室の発表会だというから、生徒さん達の演奏は、まあ聴かなくてもいいかなとおもったのだけれど、先生の演奏なら聞かなくちゃ。

 ホールに上がっていくと、こたにじゅん先生は1曲弾き終わり、最後に自作曲を、と紹介して「舞い上がる花のように」という曲を演奏しました。二胡の音は小さいので、スピーカーの増幅音でしたが、二胡の響きがドームホールに響き、美しい調べでした。一曲だけでも聴くことができて、よかったです。

二胡奏者こたにじゅんの演奏


 北とぴあの渡り廊下で自撮り。


 この渡り廊下の目先10mくらいのところを、東北新幹線新潟新幹線、北陸新幹線が行き交います。新幹線が走るところを間近で見たいという人いたら、絶好の場所です。私は「乗り鉄」なので、車両そのものを近くで見たいとは思わないのですが、すぐ目の前を走るから、廊下を歩きながら見ています。

 17階からのながめ。この街並のなかに、私の住まいが見えます。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「古楽アンサンブル」

2016-11-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161105
ぽかぽか春庭@アート散歩>2016秋の音楽(4)古楽アンサンブル・無料コンサート10月

 10月28日、ジャズダンスの練習に行く前に、北とぴあエントランスロビーのミニコンサートに行きました。東京都北区と上野学園大学のコラボ企画の無料コンサート。
 演奏は、上野学園大学古楽アンサンブルのメンバーです。

 パイプオルガン中村文栄さんは、大学の助教。あとの演奏者は学生と卒業生です。リコーダー中津川茉莉3年生。ヴィオラ・ダ・ガンバ清水愛架1年生と折口未桜卒業生。

 オルガンの説明を先生が、楽器の説明を学生さんがしてくれました。
 ヴィオラ・ダ・ガンバは、「足のヴィオラ」という意味。ヴィオラとは、古楽の時代に弦楽器全体をさすことばでした。現代の弦楽器は弦が4本ですが、ヴィオラ・ダ・ガンバには6本の弦があり、形はギターに近いということです。
 一方、「ヴィオラ・ダ・ブラッチョ(=腕のヴィオラ)」と呼ばれた腕で楽器を支えるほうは、現代のビオラやヴァイオリンになりました。

大きさのことなるヴィオラ・ア・ガンバ


 16世紀17世紀に人気があったヴィオラ・ダ・ガンバは、音量が小さく、大ホールなどでの演奏にはむきません。音楽演奏会が広く大衆に向けて開かれるようになると、ヴィオラ・ダ・ブラッチョのほうが主流になり、宮廷や貴族の室内で演奏されたヴィオラダガンバは、18世紀にはすたれてしまいました。19世紀末から20世紀はじめに古楽が復活され、音楽大学でも教えられるようになりました。

 演奏を見ていて、足で挟んで固定するのはたいへんだろうなあと思いました。弦は古楽の形を残すとしても、現代のチェロのように、楽器の下に楽器を支える足(エンドピン)をつけたら、音色が変わっちゃうのかなあ、と、よそごとながら心配しました。細身のお嬢さんが足で抱えているのを最前列で見ていたので。

 上野学園大学の卒業生のうち、今、もっとも有名な演奏家は辻井伸行でしょうけれど、辻井さんは小学生のころからコンサートを開くなど活躍してきたので、あまり「卒業生」のイメージはありません。
 大学の印象としては、「お嬢様の花嫁修業」の感じがありましたが、古楽器を演奏した在学生卒業生、みなさんすてきな音を出していました。しかし、校風なのか、古楽という曲目のイメージなのか、学生さんたち、みな上品で物静かなお嬢さんでした。

 曲目は、ソナタニ短調(ペープシュ)、大公の踊り(スウェーリンク)、グラウンドによるディヴィジョン(シンプソン)、透明な涙よ、彼女は私の過ちを許すだろうか、目覚めよ愛、来たれ、深き眠りよ(ダウウンド歌曲集より)。

 ジョン・ダウランドは、イギリスエリザベス朝時代の音楽家です。カトリック教徒であったために、イギリス国教会支配下の故国では音楽の仕事ができず、デンマークなどで活躍。エリザベス1世が1603年に亡くなってようやく、ジェームズ1世治下のイギリスに帰郷しました。王室付きリュート奏者として、歌曲をはじめ、数々の曲を作りました。
 スティングがダウランドの歌曲を歌う「ラビリンス」を2009年にリリースし、バッハやモーツァルトと同じように、現代にも生きている作曲家として蘇りました。

 私は映画でコスチュームプレイが好きなので、ジェークスピアものとか、エリザベス1世やスコットランドのメアリー女王の伝記映画などよく見ますが、バックに流れていた曲のなかに、ダウランドの歌もあったのだろうと思います。
 エリザベス1世の宮廷ではダウランドの曲が演奏されることがあったかどうか不明ですが、エリザベスならダウランドの歌曲が静かに流れる中、おごそかに「メアリーの首を刎ねよ」と、宣言したかもしれません。

 イギリスでエリザベス1世がメアリー女王の首を刎ねたその年、日本では、秀吉が豊臣姓を受けて京都に聚楽第建設。エリザベスが着々イギリス国家の基礎をかためていたころ、信長秀吉もしゃかりきに国の統一をはかっていたのです。
 エリザベスがなくなり、メアリーの息子ジェームズがイングランドスコットランド両国の王となることで、イギリスは二国連合王国となります。

 現代のイギリス王室にメアリーのDNAが流れているように、日本も、織田と豊臣のDNAは九条家を通して皇室に続いています。信長の姪浅井お江と秀吉の甥豊臣秀勝の間に生まれた完子を、お江の姉淀殿お茶々がひきとって大阪城で育てました。完子は、九条家に嫁ぎ、子孫の九条節子が大正天皇皇后となったため。ちなみに完子も節子も読み方はサダコ。女系をたどれば、歴史上、さまざまなDNAがごちゃまぜになっているってことです。

 今、アメリカ制作のドラマ「クイーン・メアリー」を家族で見ています。BGMは、ザ・ルミニアーズという現代のヒットチャート1位というグループの今風な曲です。ダウウンドの曲も流れたらもっと16世紀末の気分になれたかも。

 古楽の優雅な調べを耳に残し、ジャズダンスの練習へ。ロックやジャズの曲にのせて、ステップやターン。うん、古楽もいいけれど、ロックもいいわ。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「旧雑司ヶ谷宣教師館のウエスタンピアノ」

2016-11-03 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161103
ぽかぽか春庭@アート散歩>2016秋の音楽(2)旧雑司ヶ谷宣教師館のウエスタンピアノ秋の無料コンサート10月

 10月2日、豊島区立雑司ヶ谷旧宣教師館で、オータムコンサートがありました。
雑司ヶ谷旧宣教師館は、豊島区が管理している文化財。はじめて見たときは、yokoちゃんと歩いてきたので、なんとか辿り着きましたが、そのあと、自転車でひとりで来たときは、雑司ヶ谷墓地で迷いました。

 前に旧雑司ヶ谷旧宣教師館に来たときと同じく、雑司ヶ谷墓地の中を自転車でぬけてきて、前回と同じように迷いました。とてもわかりにくい場所にあるのです。
 しかも、私はコンサート開始時間を間違えて、午後2時からというのを1時からと思って自転車をフルパワーでこいで来ました。館内から美しい調べが聞こえたので、開演時間に遅れたかと思ったのに、ピアノとフルートの音は、開演前のリハーサルでした。

 1階の会場はまだオープンしていないというので、外回りの写真を撮ったり、2階で史料を眺めていました。そのあいだずっとリハーサルの音が続いていたので、コンサートを2回聞けて、お得な気分。豊島区のイベント、無料です。無料の2倍お得。

旧宣教師館入り口

南西側

北東側


 旧宣教師館に残されていたウェスターンピアノ。約100年前に西川安蔵によって製作された国内産のピアノです。なるほど、西川さんだからウエスタンだったのですね。

 

 14時開演。西川ピアノは、よく整備されていてよい音でした。
 ピアノは大島真貴さん、フルートは新原輝美さん。

 演奏のおふたりは武蔵野音楽大学の同級生だそうで、卒業して以後、コンサートホールの予約に出かけたさきでばったりと出会い、それからデュオを組んで演奏を始めた、というエピソードなどを披露してくれました。

 新原輝美さんは、フルートのほか、オカリナで「テルーの唄(谷山浩子)」を演奏し、フルートの楽器説明やクイズなど楽しい解説でした。フルートの重さクイズ。1本の重さは、400g~500gだそうです。ちなみに、純銀製だと60万円ほど。純金製だと600~1000万円。ひぇ~。私、無料のコンサート聞くのがせいいっぱいなので、フルートなどよう吹けん、、、、って、フルート練習してみたの、50年前に1度だけ。才能あるようなら吹奏楽団に入れてくあげる、と言われたけれど、なかったです。

 曲目は、ソナタ(ドニゼッティ)、バラード(ライネッケ)、リベルタンゴ(ピアソラ)、ノクターン変ホ長調OP92(ショパン)、いずみたく「見上げてごらん夜の星を」、無言歌変イ長調OP53-1岸辺にて(メンデルスゾーン)、日本の童謡唱歌四季メドレー、川の流れのように(中村泰士)

 宣教師館の1階。さほど広くない場所にぎっしりの椅子。わたしは、ピアノのすぐ横の椅子に座ったので、ピアニストの楽譜がよく見えました。
 楽譜めくりの人がついていないので、ピアニストは自分で楽譜をめくっていました。曲のつなぎ目が途切れないように、うまいことめくるもんだなあと感心しましたが、アクロバットのような楽譜めくり、私、めくってやりたいなあと思いました。

 子どもの頃、楽譜みながら弾くのは苦手で、全部暗譜してからおけいこに行ったので、楽譜めくりの苦労をしたことがなかった。というか、ページをめくらなければならないほど長い曲の練習までいかなかった。数ページ分を横ににつなげて、楽譜台の上に広げればめくらなくてもいい程度の長さの曲までしか練習しなかった。
 今回ピアニストの横にすわって、楽譜みながら音を聞いていて、そうだ、ピアニストにはなれなくても、楽譜めくり役として音楽に関わるのもよかったかなあと思いました。

 日曜日なので、親御さんに連れられた子どももいたけれど、全体やはりジーサンバーサンが多いので、童謡の四季のうたとラストの「川の流れのように」が一番なじみがあったみたい。
 最後に歌詞カードが配られて「ふるさと」を歌いました。うさぎ、美味しいかの山~。

 自転車での帰り道、飛鳥山公園ではふるさと祭りが行われていて、出店が店じまいしているところでした。かろうじて店じまい半額の店でチェコワインと肉串焼きを買い、公園のベンチで一休み。
 ふるさと祭り、チェコワインおいしかった。肉串焼き美味しいあす、かの山、小鮒は食わなかったあす、かの山。夢はいまも巡りて、どっちにしても食い気の。ふるさと。おしまい。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「秋の無料コンサート9月」

2016-11-02 00:00:01 | エッセイ、コラム
201611102
ぽかぽか春庭@アート散歩>2016秋の音楽(2)秋の無料コンサート9月

 9月25日、日曜日。名主の滝公園でカワセミを見たあと、北とぴあでパイプオルガンミニコンサートを聞きました。
 北とぴあには、大ホールさくらと小ホールつつじがあるのに、どうしてエントランスロビーに設置することになったのかなあと、思っていましたが、たぶん、無料の気楽な音楽会を開催して「文化の街」をアピールするためなんだろうと思います。私も、通りすがりに「あれ、パイプオルガンの音が聞こえる」と思って聞き入ったり、演奏曲目めあてに出かけてたり。

 ストップ数74パイプ数5,898本というサントリーホールや、 総計126のストップと約9,000本のパイプを持つ池袋芸術劇場のパイプオルガンに比べると、北とぴあオルガンはこじんまりとしています。北とぴあのパイプオルガン、パイプ数800余り。12のストップで音色を変えることができるということです。ストップとは、パイプを流れる空気を遮断したり開いたりして調節し、フルートの音色になったりトランペットの音になったりすることができます。ピアノは、弦をハンマーで叩くいわば打楽器(打鍵楽器)であるのにの対して、オルガンは、パイプに空気を通して音を出す鍵盤付き管楽器です。

 子どもの頃の私はピアノが欲しかったのですが、ピアノは買ってもらえず、ようよう買ってもらったのは、電気オルガンでした。足を踏まなくていい分、学校にあった足踏みオルガンよりは、楽に弾けましたが、私の好きな音色は、やはりピアノでした。当時の苦しい家計では、子どものためにピアノを買う余裕はなく、オルガンがせいぜいだとわかってはいましたが、ピアノを持っている友達がうらやましかったです。

 毎日練習して、小学校の音楽の先生の家にレッスンに通い、「将来はピアニストになりたいから、音楽大学へ行く」とまで言ったのですが、高校受験のためレッスンをお休みしたら、それっきりピアノ熱はさめました。もともと才能はなかったですから、当然と言えば当然ですが、ピアノを買ってもらっていたなら、もっと上達するまで弾けるようになったかも。
 仕事をリタイアしたら、やりたいことのひとつは、合唱とピアノ練習と書道です。
 ピアノは上達しませんでしたが、音楽を聴くことが好きだ、という趣味は残りましたから、オルガンにも感謝しています。

 毎月第4日曜日の北とぴあオルガンミニコンサート。25日は、花澤絢子さんの演奏でした。
 曲目は、自動オルガンのためのアダージョとアレグロヘ短調K594(モーツァルト)、装いせよわが愛する魂よ(バッハ)、トッカータとフーガニ短調ドリア調BWV535(バッpハ)、シャコンヌヘ長調(フィッシャー)

 オルガンの音色にひかれて、または「無料」にひかれて集まっている善男善女


 モーツァルトが自動オルガンのために曲を作っていたとは知りませんでした。 
 モーツァルトが自動オルガン演奏用の曲を書いたのは、最晩年の貧困にあえいでいる時がだったとか。(1790年12月~1791年5月)
 自動オルガンとは、今でいうオルゴールのようなものらしい。時計に時報が鳴るよう工夫されたことから発展し、円筒形の筒に爪があり、爪がひっかかると、フイゴが開きパイプに空気を通して音がでる。「見世物」として、観覧料をとって客に聞かせました。

 自動オルガンのためのアダージョとアレグロヘ短調K594のほか、自動オルガンのための幻想曲 へ短調 K.608、小さな自動オルガンのためのアンダンテ K.616の3曲。人の手でなく、機械仕掛けのオルガンが自分の曲を奏でるのを、モーツァルトは聞いたのでしょうか。
 K.616は、1991年12月5日に亡くなる前にはピアノデュオ用に書き直された作品もあるということなので、モーツァルトとしてはやはり「機械仕掛けのオルガン」ではなく、人の手で演奏して欲しかったのじゃないかしら。

 花澤絢子さんの演奏、美しく優雅な響きでした。花澤さんはK594を「モーツァルト最晩年の光と影」と受け取り、「音楽に光を求める」というイメージで演奏した、ということです。
  


 9月26日月曜日、自転車で後楽園まで行く途中、滝野川会館に立ち寄りました。毎月第4月曜日、正午~13時に、プチコンサートがあります。これまで月曜日には仕事があったので、はじめて第四月曜日のコンサートを聴くことができました。無料!これも、東京都北区の文化事業です。

 宮本恵さんのヴァイオリン、松岡あさひさんのピアノ伴奏。松岡さんは作曲家です。
曲目は、ユモレスク(ドヴォルザーク)、タンゴの歴史よりカフェ、ナイトクラブ(アストル・ピアソラ)、タンゴ首の差で(カルロス・ガルデル)、ハバネラ形式の小品(モーリス・ラベル)、The Fear of Existence 2~for solo violin(田村文生)、ルーマニア民族舞曲(ベラ・バルトーク)

 松岡さんが、軽妙に曲目を紹介してくれました。
 ユモレスクとルーマニア舞曲のほかは、初めて聞く曲でした。特に、田村文生の曲は「世界初演」と書かれており、現代作曲家のむずかしい曲でした。意欲的な選曲でしたが、集まっているのは、私と同じ年代のお年寄りがほとんどなので、みな「ワカンネー」という顔をしていました。
 せっかくの「世界初演!」を聞くのが、ジーサンバーサンばっかりで、ネコに小判の感じがありましたが、全体として楽しい1時間をすごすことができ、心地よく小石川後楽園に向かいました。

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ぽかぽか春庭「合唱祭」

2016-11-01 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161101
ぽかぽか春庭@アート散歩>2016秋の音楽(1)合唱祭

 Nコンこと、NHK全国学校音楽コンクール。今年も小学生の部、中学生の部、テレビで見ました。
 中学校高校の野球部に所属したことのある人が、春夏の甲子園を見ないではいられないように、私にとってはNコンは、「心のふるさと」のひとつです。

 小学校2年生のとき、「音をはずさずに歌える子」がクラスで数名選ばれ、音楽室に集まるよう言われました。バッハやベートーベンら音楽家の肖像画並ぶ音楽室で、放課後先生のピアノに合わせて歌の練習をしました。

 市内で一番大所帯の小学校だった私の通う小学校に近隣の小学生が集まって、木造の講堂で歌を披露し、私の小学校は会場を提供したごほうびだろうと思うのですが、毎年市内コンクールには入賞して「北毛地区大会」に出場。
 地区大会もほとんどは自分の小学校での歌や器楽の演奏でしたが、ときには、隣町だったり、遠くの町まで出かけて、練習した歌を歌う。

 母は、何度か電車に乗って隣町まで応援に来てくれました。家で歌を練習していると、「うるさい」と言うこともあった母。音楽が好きではないのに、娘が舞台の上で歌う晴れ姿を見たい一心で、客席に足を運んでくれたのです。

 毎年地区大会を突破したことがなく、県大会には行くことがありませんでした。県大会で入賞すれば「関東甲信越大会」があり、そこで入賞すると全国大会。
 私は、中学3年生まで毎年出場するものの、全国大会など及びもつかず、子どもの頃はラジオで放送されていた全国大会を聞くことも少なかった。先生から「ラジオでいついつ放送されるから聞いておきなさい」と、おしらせがあったとき、聞いたこともありましたが、当時はテレビ放映があったのかどうか。テレビで見た記憶がありません。

 娘と息子は、合唱は学校のイベントでクラス合唱の一員として参加しただけでしたが、課題曲を好きなアーティストが作曲するようになってから、Nコンをテレビで見るようになりました。吉田美和、森山直太朗あたりの作曲になってからだと思います。
 今年はMiwa作曲の課題曲「結」を、それぞれの学校がどんなふうに歌うのか、という興味でテレビを見ていました。私はテレビ放送の日はおでかけしていたので、小学生大会も中学生大会も録画して見ました。
 全国大会に出場する学校は、どこもとてもレベルが高くて、私が審査員だったら、甲乙つけがたく、賞の差をつけることなどできない、と感じました。

 今住んでいる区のイベント、「合唱祭」には43もの団体が参加して、10月30日午前中から夜7時くらいまで、延々合唱発表を続けます。
 1グループは10人から20人くらいのグループが多かったけどひとつの区だけで、500人、600人もの人が合唱クラブに参加している、と思うと、東京では数万になるかもしれず、全国ではどれだけたくさんの人が「合唱」に携わっているのだろうと思います。この「合唱文化」は、小中学校の行事「合唱大会」とNコンが寄与しているに違いないと思います。

 区の合唱祭、私は、ジャズダンス仲間が出演する団体と、その前後の部分だけ見ます。1団体あたりの持ち時間は出入りも含めて10分くらい。セミプロと思える上手なグループもあるし、白髪のおばさまたちが「昔懐かしい歌を歌って認知症予防にとりくむ」という、ときどきはずれた音も聞こえるゆるいグループもあります。声が出ていないグループもありましたが、とても楽しそうな歌声で、ほっとなごみます。
 あるグループが舞台に立ったら、客席から「おばあちゃ~ん、おばあちゃ~ん」という声援が聞こえてきて、舞台の人も客席もみなにこにこになりました。

 ジャズダンス仲間、ミサイルママは豊島区の合唱団に入っていて、今は12月3日のコンサートに向けて練習しているし、コズさんは合唱祭参加のほか、北区合唱団で第九を歌うそうです。
 私もときどき合唱に誘われますが、今のところ、参加できる時間がとれるのはジャズダンスだけ。70歳すぎてすべての仕事からリタイアしたら、合唱もやりたいから、声帯筋肉も鍛えておかねば。

 10月30日の合唱祭。楽しく聞きました。コズさんのグループは、後半の出演で、「むかしむかし話」ともう一曲歌いました。ここも、白髪の女性が目立つ年齢層ですが、プロオペラ歌手の指導者の指導がいいのか、よく声が出ていて、すてきなハーモニーでした。

  

 ほかにも、この秋はたくさん無料コンサートを楽しみました。聞いて心地よくなればそれでいいのだと思うので、たいてい曲名は忘れてしまうのですが、今年は、曲名をメモしておきます。

 私の両親は。音楽とは無縁でした。私が音楽好きになったのは、小学校の音楽の時間やNコンの練習で、歌好き音楽好きにしてくれた先生方のおかげと思って感謝しています。
 東京では、無料で楽しめるコンサートがたくさんあるので、貧乏でも心楽しくいられる素養をつけてもらって、ありがたいことでした。
 ギャンブルとか高級ブティックの服がほしいとか、宝石で身を飾りたいとか、お金のかかることに興味があったら、貧乏暮らしの中、不満不平ばかりがつのったでしょうから、美術館と音楽、公園や庭園散歩など、無料または低料金の楽しみ事が身についていてラッキーでした。

<つづく>
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