川口市役所の北東約6kmのところ
県道34号線の新郷小学校の北東側丘の上に峯ヶ岡八幡神社があります
峯ヶ岡八幡神社社叢は川口市の天然記念物に指定されています
山門東側に駐車スペースがあります
新郷・安行観光マップです、散策コースの出発地点です
南側の参道入口です
参道入口脇のケヤキです
保存樹木第8号に指定されています
石灯篭の並ぶ参道を進みましょう
境内入口の赤鳥居が見えて来ました
境内入口左手のスダジイの大木です
境内側(北東側)から
水盤です
説明版です
峯ヶ岡八幡神社
所在地 川口市大字峯
峯ヶ岡八幡神社は、平安時代の天慶年間(938~947)に
源経基の創建と伝えられ、かつては足立郡谷古田領32ヶ村(川
口市新郷、安行の一部及び草加市の一部)の総鎮守に列せられた
由緒ある神社である。
御神体の木造僧形八幡坐像は、檜材寄木造りで、木造のしとね
(敷物)の上に座し、袈裟をかけ、左手に経巻、右手に錫杖をも
った高さ24cm肩幅12cmの像で、胎内をえぐり頭部ははめ
込みの方法をとった鎌倉時代後期のすぐれた木造彫刻である。胎
内には、造像時の願文や経文等の36点が納められている。
胎内願文は、弘安5年(1282)7月23日に書かれもので、
「なもはちまんたいほさつ こんしゃうあんをん らいしょうか
ならずみちひかせたまえ 弘安五年七月二三日 清原光兼」(大
きさ縦12cm、横6cm)とあるように、小紙片に子孫繁栄、
病気全快、現世安穏、往生極楽等切実な願いを記したものが多い。
いずれも当時の人々の安穏な生活を願う姿を偲ばせるものであ、
人々の心を知る貴重な資料である。
昭和58年3月 埼玉県
手水舎です
山門です
拝殿です
本殿です
タラヨウ大木ですが、皮片面のみで生きています
保存樹第7号です
拝殿右側に目的のイチョウの巨木です
南側から
保存樹第5号です、目通り幹周り8mだそうです
文化財などの案内板が有りました
では、次へ行きましょう
県道34号線の新郷小学校の北東側丘の上に峯ヶ岡八幡神社があります
峯ヶ岡八幡神社社叢は川口市の天然記念物に指定されています
山門東側に駐車スペースがあります
新郷・安行観光マップです、散策コースの出発地点です
南側の参道入口です
参道入口脇のケヤキです
保存樹木第8号に指定されています
石灯篭の並ぶ参道を進みましょう
境内入口の赤鳥居が見えて来ました
境内入口左手のスダジイの大木です
境内側(北東側)から
水盤です
説明版です
峯ヶ岡八幡神社
所在地 川口市大字峯
峯ヶ岡八幡神社は、平安時代の天慶年間(938~947)に
源経基の創建と伝えられ、かつては足立郡谷古田領32ヶ村(川
口市新郷、安行の一部及び草加市の一部)の総鎮守に列せられた
由緒ある神社である。
御神体の木造僧形八幡坐像は、檜材寄木造りで、木造のしとね
(敷物)の上に座し、袈裟をかけ、左手に経巻、右手に錫杖をも
った高さ24cm肩幅12cmの像で、胎内をえぐり頭部ははめ
込みの方法をとった鎌倉時代後期のすぐれた木造彫刻である。胎
内には、造像時の願文や経文等の36点が納められている。
胎内願文は、弘安5年(1282)7月23日に書かれもので、
「なもはちまんたいほさつ こんしゃうあんをん らいしょうか
ならずみちひかせたまえ 弘安五年七月二三日 清原光兼」(大
きさ縦12cm、横6cm)とあるように、小紙片に子孫繁栄、
病気全快、現世安穏、往生極楽等切実な願いを記したものが多い。
いずれも当時の人々の安穏な生活を願う姿を偲ばせるものであ、
人々の心を知る貴重な資料である。
昭和58年3月 埼玉県
手水舎です
山門です
拝殿です
本殿です
タラヨウ大木ですが、皮片面のみで生きています
保存樹第7号です
拝殿右側に目的のイチョウの巨木です
南側から
保存樹第5号です、目通り幹周り8mだそうです
文化財などの案内板が有りました
では、次へ行きましょう