下野市役所の東北東約4kmのところ
薬師寺小学校の入り口を入ると龍興寺の山門です
山門前の駐車スペースを利用させて頂きました
真言宗智山派 壬生山龍興寺入り口です
山門(仁王門)です
境内の案内板が有ります
境内に入ると左手に立派な手水舎です
正面が本堂です
龍興寺略歴説明版です
天武天皇が皇后の病気平易を願い、勅願により白鳳8年(680)
祚蓮上人が建立した下野薬師寺の別院であり、聖武天皇の勅願により
戒壇を開いた鑑真和尚が、天平宝字5年(761)唐の揚州龍興寺の
舎那殿壇の法を当寺に移し、寺名を生雲山龍興寺として開基。
太政大臣・法王 弓削道鏡禅師は、宝亀元年(770)8月造下野
薬師寺別当職(長官)として着任したが、宝亀3年(772)4月7
日歿す。
日光開山 照道上人は、天平宝字5年(761)栃木出流山から龍
興寺に移住し、4年間の修行の後、天平神護元年(765)日光へと
趣く。
弘法大師 空海上人は、弘仁11年(820)の5月から7月まで
龍興寺に逗留し、如意・恵雲等に密教を伝授された。
爾来、龍興寺は、六宗兼学に加えて真言道場となり、意教流祖 頼
賢阿闍梨や、慈猛流 慈猛上人の法脈を現在に受け継ぐものである。
本堂左手に目的のシラカシが有ります
東側から見上げると幹が良く見えました
とちぎ名木百選です
栃木県指定天然記念物
龍興寺のシラカシ
西側から
道鏡塚です木の蔭で良く見えません
道鏡禅師の墓所 説明版です
奈良時代の高僧、道鏡禅師の墓所(道鏡塚)が当所です。
では、菩提樹を見に行きましょう
山門北側の墓地内に在ります
墓地の入り口には六地蔵様です
南側から見ました
菩提樹です
下野市名木30選です
菩提樹の脇の石塔は鑑真和尚碑です
説明版です
鑑真和尚は唐代の高僧、日本律宗の開祖で天平勝宝6年
(754年)に来朝。
では、次へ行きましょう
薬師寺小学校の入り口を入ると龍興寺の山門です
山門前の駐車スペースを利用させて頂きました
真言宗智山派 壬生山龍興寺入り口です
山門(仁王門)です
境内の案内板が有ります
境内に入ると左手に立派な手水舎です
正面が本堂です
龍興寺略歴説明版です
天武天皇が皇后の病気平易を願い、勅願により白鳳8年(680)
祚蓮上人が建立した下野薬師寺の別院であり、聖武天皇の勅願により
戒壇を開いた鑑真和尚が、天平宝字5年(761)唐の揚州龍興寺の
舎那殿壇の法を当寺に移し、寺名を生雲山龍興寺として開基。
太政大臣・法王 弓削道鏡禅師は、宝亀元年(770)8月造下野
薬師寺別当職(長官)として着任したが、宝亀3年(772)4月7
日歿す。
日光開山 照道上人は、天平宝字5年(761)栃木出流山から龍
興寺に移住し、4年間の修行の後、天平神護元年(765)日光へと
趣く。
弘法大師 空海上人は、弘仁11年(820)の5月から7月まで
龍興寺に逗留し、如意・恵雲等に密教を伝授された。
爾来、龍興寺は、六宗兼学に加えて真言道場となり、意教流祖 頼
賢阿闍梨や、慈猛流 慈猛上人の法脈を現在に受け継ぐものである。
本堂左手に目的のシラカシが有ります
東側から見上げると幹が良く見えました
とちぎ名木百選です
栃木県指定天然記念物
龍興寺のシラカシ
西側から
道鏡塚です木の蔭で良く見えません
道鏡禅師の墓所 説明版です
奈良時代の高僧、道鏡禅師の墓所(道鏡塚)が当所です。
では、菩提樹を見に行きましょう
山門北側の墓地内に在ります
墓地の入り口には六地蔵様です
南側から見ました
菩提樹です
下野市名木30選です
菩提樹の脇の石塔は鑑真和尚碑です
説明版です
鑑真和尚は唐代の高僧、日本律宗の開祖で天平勝宝6年
(754年)に来朝。
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