ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県松本市、安曇大野田のフジキ(ナンジャモンジャの木)です!!

2018-05-27 17:48:53 | 巨樹・大木
大野田地区は、松本市役所の西南西約17kmのところ

国道158号線を梓川に沿って上高地方向の西へ向います

松本電鉄しんしましま駅から更に2kmほど

国道が梓川を右岸から左岸に渡った北側の集落です

家並みの中(旧道)沿いに案内板が有ります

道路脇に車を止めさせて頂きました




案内板が有ります、100mです

伊勢二宮神社への参道を進みましょう

鳥居が見えて来ました

水盤です


夫婦ひのきです

ケヤキの大木ですね、目的の樹ではありません

拝殿です

社殿です

拝殿の西側に「フジキ」が在りました

説明版です
   長野県指定天然記念物
     大野田のフジキ
    所在地 松本市安曇394番地1
    所有者 伊勢二宮神社
    指定年月日 昭和43年5月16日
   指定内容
     フジキは、本州(福島県以南)、四国、九州に
    分布するマメ科の植物です。長野県内では、諏訪
    大社上社の社叢に数多くの大木があり、そのほか
    各地に点々と分布しています。
     この付近では見かけない種類なので、地元では
    「ナンジャモンジャの木」と呼んでいました。幹
    の周囲は3,5m、高さは20mに及ぶ大木です
    。6月ごろ、白い花を咲かせます。
        松本市教育委員会  平成17年4月


社殿前から見ました幹の半分が傷んでしまっていますが長生きしてもらいたいものです

では、次へ行きましょう
     
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野県松本市、波田山城跡(秋葉城)です!!

2018-05-27 06:10:16 | 城跡・館跡・陣屋跡
波田山城跡は、松本市役所の西南西約14kmのところ

若澤寺跡の南側の山頂部に有ります

車を置いたまま林道を歩いて行きます

はた「歴史の遊歩道」案内図では直ぐそこです

では行きましょう

道路脇を水が流れています

なんと倒木で林道が塞がれています、まだ倒れたばかりのようです

水音が消えると城址入口まで100mの案内板があります

もうすぐです

入り口が近付いて来ました


説明版です
  町指定史跡(昭和47年11月1日指定)
    波田山城跡(秋葉城)
      標高970.5m  比高差240m(登り口より)
    波田町上波多光明寺峰にある山城跡は南北に細長い山頂の
   尾根を「堀切」にした深さ約5mの「竪堀」でそれぞれの郭
   に分割造営されている。中央の本城(主郭)が最も高く、次
   いで北城、南城と南北に横並びで連立している。各城郭の山
   腹には3段から4段の「帯郭」が取り囲み、「腰郭」、馬溜
   りの平場も作られている。
    本城(主郭)は南北の長さ約44m・東西の幅8m~16
   mの長方形で、四方の縁は「土塁」がめぐらされている。南
   寄りに「井戸の跡」と呼ばれる窪みが有り、昔は水が湧き出
   していたという。
    本城の中央に秋葉神社の小祠が祀られたことから城の別名
   となった。本城に築かれて土塁の切れ口の一部が「虎口」と
   呼ばれる郭の出入口で、直下には5mの四角形の「馬出」ら
   しき平場が設けられている。なお北城と南城には土塁は作ら
   れていない。山城の大手筋は北城から北尾根を下り、寺山水
   道沢から、「御殿城」(町浄水場)附近を経て上波多集落の
   内城(西光寺城跡)に出る道筋が大手道とみられる。
    「搦手筋」は、、城の南側の沢道に下り水沢川沿いの若澤
   寺参道(大木戸)にでるのが搦手である。
中世豪族の武将と家臣団が日常生活を営む場所は山城の山
   麓の根城(内城・根小屋)であり、山城は「詰城」として、
   平時は物見番を置き、非常時に避難して戦闘に使用したとい
   う組合わせが一般的である。したがって装備も質素なもので、
   後世の城郭のような壮麗な天守や瓦屋根に白壁等はなく、粗
   末な板張りの山小屋に萱ぶきか桧皮ぶきの屋根で、丸太の物
   見やぐら、城門、矢倉、板塀、木柵などが施され、空堀の土
   を掻き揚げた城郭であった。
    山城には15世紀以降の室町から戦国時代に発達した「竪
   堀」の工法や「馬出」などの施設がみられる。伝承によれば
   文化年間(1804~17)に近くの若澤寺造営の際、山城
   の石垣を取り壊し使用したともいわれ、石垣は戦国末の工法
   である。「波田町誌」によれば寛正3年(1462)ごろに
   守護小笠原氏の一門櫛木市正一俊が波多郷地頭となり正光寺
   内城と、波田山城を築き、飛騨・木曽方面の境を固め、対岸
   の西牧氏(梓川村)に備え、子息紀伊守政盛まで2代在城し
   たといわれている。
    戦国時代には小笠原長時の旗本波田数馬が城主であった。
   武田氏に敗れた後は、甲州の深志城代日向大和守により天文
   21年(1552)に山城と内城は破却されている。



こちらは搦手口ですね、本城へ向かいましょう

登り始めて直ぐ右手に「秋葉城趾」の小さい石碑があります

木の階段で急な登城路を進みます

登城路の左手の山腹には平場が段々に繋がっています

大きな腰郭です、「馬溜まり」でしょうか

もうすぐ本城です、竪堀の脇を登って行きます

北城との間の「堀切」です

本城西側の切岸と腰郭です

本城に上がって来ました

町指定史跡 波田山城跡の標柱です

中央部には祠が有ります「秋葉神社」でしょうか

井戸跡のようです

掘り切りの先は南城です

南北に細長い本城です、南側から見ました

本城北側の腰郭です

北城です、戻りましょう

良く整備されていますので、むやみに歩き回らずに保存していきたいものです

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする