横町地区は、下諏訪町役場の北東約1kmのところ
諏訪大社秋宮参道入口の鳥居前に
お土産屋さん専女八幡(とうめはちまん)の駐車場に車を置いて
青塚古墳に行きましょう
まずは秋宮前から町中を散策するように中山道を北へ
下諏訪宿は中山道と甲州街道の合流点ですね
町の案内図が有ります、秋宮も青塚古墳もすぐそばです、図の下に説明が有ります
本陣岩波屋です、下諏訪町文化財になっています
中山道の案内板です、和田峠まで11,5kmです
青塚古墳の東側草店の案内図です
青塚古墳の北側斜面(前方部前端)が見えて来ました
青塚古墳の上には多くの大木が繁茂しています、中でも中央のケヤキが一番太い目通り幹囲4,9mのケヤキです
西側の路地へ入ります
古墳から西へ延びる路地から見ました
鳥居です
青塚社の祠が有ります
前方後円墳の接続部分に県史跡 青塚古墳の石碑です
説明版です
長野県史跡 下諏訪青塚古墳
昭和40年2月25日指定
この古墳は、明神山山麓から西に
突き出た丘陵の先端部に位置し、付
近に古墳は認められず単独墳の様相
を呈している。
現在の墳形は、長い年月の間に旧
状を変じており、見方によっては二
基の円墳が近接し合っているように
も見えるが、主軸長67m、後円部
直径33,4m、前方部幅42、8
mの前方後円墳である。
石室は、後円部西側のくびれ部寄
りに開口した横穴式石室で、安山岩
の自然石を用いた乱石積となってお
り、全長は7,4mである。なお、
内部は未調査のため不明な部分が残
されている。
本古墳は、墳丘の形態・石室・出
土した埴輪の特色から、6世紀後半
から末に築造されたものと推定され
ている諏訪地方唯一の前方後円墳で
あり、後円部に比して前方部が長い
という天竜川流域の特色を有した貴
重な古墳である。
長野県教育委員会
右手の後円部の上の方に石室の入り口が見えます
鳥居脇のケヤキの大木です
後円部の上にも希有秋の大木が並んでいます
後円部南端のケヤキです
では、秋宮へ行きましょう
諏訪大社秋宮参道入口の鳥居前に
お土産屋さん専女八幡(とうめはちまん)の駐車場に車を置いて
青塚古墳に行きましょう
まずは秋宮前から町中を散策するように中山道を北へ
下諏訪宿は中山道と甲州街道の合流点ですね
町の案内図が有ります、秋宮も青塚古墳もすぐそばです、図の下に説明が有ります
本陣岩波屋です、下諏訪町文化財になっています
中山道の案内板です、和田峠まで11,5kmです
青塚古墳の東側草店の案内図です
青塚古墳の北側斜面(前方部前端)が見えて来ました
青塚古墳の上には多くの大木が繁茂しています、中でも中央のケヤキが一番太い目通り幹囲4,9mのケヤキです
西側の路地へ入ります
古墳から西へ延びる路地から見ました
鳥居です
青塚社の祠が有ります
前方後円墳の接続部分に県史跡 青塚古墳の石碑です
説明版です
長野県史跡 下諏訪青塚古墳
昭和40年2月25日指定
この古墳は、明神山山麓から西に
突き出た丘陵の先端部に位置し、付
近に古墳は認められず単独墳の様相
を呈している。
現在の墳形は、長い年月の間に旧
状を変じており、見方によっては二
基の円墳が近接し合っているように
も見えるが、主軸長67m、後円部
直径33,4m、前方部幅42、8
mの前方後円墳である。
石室は、後円部西側のくびれ部寄
りに開口した横穴式石室で、安山岩
の自然石を用いた乱石積となってお
り、全長は7,4mである。なお、
内部は未調査のため不明な部分が残
されている。
本古墳は、墳丘の形態・石室・出
土した埴輪の特色から、6世紀後半
から末に築造されたものと推定され
ている諏訪地方唯一の前方後円墳で
あり、後円部に比して前方部が長い
という天竜川流域の特色を有した貴
重な古墳である。
長野県教育委員会
右手の後円部の上の方に石室の入り口が見えます
鳥居脇のケヤキの大木です
後円部の上にも希有秋の大木が並んでいます
後円部南端のケヤキです
では、秋宮へ行きましょう