辰野地区は、辰野町役場のすぐ東側の地区です
JR中央本線たつの駅の北東側に
参道を西向きで三輪神社が鎮座します
たつの駅前を通って東側の踏切りを北側へ渡ると直ぐ右
神社前参道の道路脇に車を止めさせて頂きました
参道から神社境内です、鳥居には茅の輪が設置されています
向って左の境内にケヤキの大木が二本見えます
三輪神社です
水盤です
参道の右手にイチョウの大木です
拝殿です
幣殿のようです、建築様式には色々あるようです
本殿覆い屋です
本殿を覗くことが出来ます、三枚の額が掲げられています、中央が三輪大明神となっています
文化財標柱です
説明版です
三輪神社本殿
昭和51年9月1日指定
元禄3年(1690)の検
地帳に「社地弐反九畝拾歩
大明神 宮建有之 神主丹波
」とある。社歴は詳かでない
が、大己貴命、建御名方命、
少彦名命を祭神とする。
本殿階段の柱の銅製擬宝珠
に明和5年(1768)の銘
があるが、類焼後の再建で、
棟札によれば文政11年(1
828)に諏訪郡高木村の小
口直四郎代昌によって建てら
れたものである。直四郎は立
川和四郎二代富昌の弟子であ
る。この社殿は一間社隅木入
春日造、こけら葺の総欅造で
、各部に題材も豊かに彫刻が
施されていてにぎやかく、江
戸時代末に盛行した建築彫刻
の特色がよくわかり、また、
直四郎が得意とした各種仙人
の彫刻もいくつか見られ彼の
代表作とされている。なお、
彼はこれより先の文政8年に
、北大出の明光寺の山門を建
立している。
平成3年3月
辰野町教育委員会
*立川和四郎は諏訪大社関係の建築にたずさわった一族ですね
本殿左手に目的のニセアカシア(ハリエンジュ)です
案内板です、辰野町保存樹木にしていされています、7本有るようですが・・・
手前の一本です
北側(本殿脇)から見ました
幣殿と本殿覆い屋の間玉垣の外側にニセアカシアが見えました
拝殿左手の鳥居の有る境内社は稲荷社のようです
境内社が三社並んでいます
本殿右手の境内社です
小宮でしょうか、御柱の札だけが置かれています
本殿裏手に境内社が並びます
では、次へ行きましょう
JR中央本線たつの駅の北東側に
参道を西向きで三輪神社が鎮座します
たつの駅前を通って東側の踏切りを北側へ渡ると直ぐ右
神社前参道の道路脇に車を止めさせて頂きました
参道から神社境内です、鳥居には茅の輪が設置されています
向って左の境内にケヤキの大木が二本見えます
三輪神社です
水盤です
参道の右手にイチョウの大木です
拝殿です
幣殿のようです、建築様式には色々あるようです
本殿覆い屋です
本殿を覗くことが出来ます、三枚の額が掲げられています、中央が三輪大明神となっています
文化財標柱です
説明版です
三輪神社本殿
昭和51年9月1日指定
元禄3年(1690)の検
地帳に「社地弐反九畝拾歩
大明神 宮建有之 神主丹波
」とある。社歴は詳かでない
が、大己貴命、建御名方命、
少彦名命を祭神とする。
本殿階段の柱の銅製擬宝珠
に明和5年(1768)の銘
があるが、類焼後の再建で、
棟札によれば文政11年(1
828)に諏訪郡高木村の小
口直四郎代昌によって建てら
れたものである。直四郎は立
川和四郎二代富昌の弟子であ
る。この社殿は一間社隅木入
春日造、こけら葺の総欅造で
、各部に題材も豊かに彫刻が
施されていてにぎやかく、江
戸時代末に盛行した建築彫刻
の特色がよくわかり、また、
直四郎が得意とした各種仙人
の彫刻もいくつか見られ彼の
代表作とされている。なお、
彼はこれより先の文政8年に
、北大出の明光寺の山門を建
立している。
平成3年3月
辰野町教育委員会
*立川和四郎は諏訪大社関係の建築にたずさわった一族ですね
本殿左手に目的のニセアカシア(ハリエンジュ)です
案内板です、辰野町保存樹木にしていされています、7本有るようですが・・・
手前の一本です
北側(本殿脇)から見ました
幣殿と本殿覆い屋の間玉垣の外側にニセアカシアが見えました
拝殿左手の鳥居の有る境内社は稲荷社のようです
境内社が三社並んでいます
本殿右手の境内社です
小宮でしょうか、御柱の札だけが置かれています
本殿裏手に境内社が並びます
では、次へ行きましょう