ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

秋田県由利本荘市、前郷寺ノ下「慶祥寺のケヤキ」(市指定)です!!

2022-08-03 18:31:30 | 巨樹・大木
 前郷寺ノ下地区は地区は、由利本荘市役所の南東約9kmのところ

 国道108号線を南へ、由利高原鉄道鳥海山ろく線と子吉川に沿うように進みます

 黒沢駅に東側で黒沢踏切を渡ると、滝沢橋信号を左(東)へ県道171号線です

 子吉川を滝沢橋で渡ってすぐに県道171号線は右(南東)へ折れます
 
 間も無く県道に面して左に慶祥寺参道が南南西向きに有ります

 すぐ先の県道脇に車を止めさせて頂きました


 参道入口です、目的にケヤキが入口右に在ります


 天然記念物標柱です
  市指定天然記念物 慶祥寺のケヤキ
  【樹高】18m【幹周り】5.75m【樹齢】約770年
  【指定年月日】平成28年1月28日
  市内最大の幹周りをもつケヤキです。


 南南西側から


 西北西側から

 北側から

 北北東側から

 史跡 慶祥寺の標柱です
  開基は由利仲八郎政春の姉の慶祥比丘尼。
  もと正和年中(1312~)米山栗山に庵を建て、慶祥庵と称した。
  のちに由利氏の後裔滝沢兵庫頭政道が、滝沢館に城を築くにあたり、城下町をつくるため現地前郷文珠屋敷に慶長13年(1608)に移した。
  慶祥比丘尼は延慶3年(1310)死亡、命日5月15日。
 *由利仲八郎政春は、鎌倉後期の武士で、由利氏(源頼朝の奥州征伐で藤原方につき、つぎには和田義盛の乱でも三浦方についたため改易となった)に後裔として浜館(西目町出戸に日本海を望む標高116mの山城)を拠点に勢力を拡大しましたが、応長元年(1311)年に栗山館(にかほ市伊勢居地の標高114mの山城)主の鳥海弥三郎の攻撃に陥落。(由利氏・鳥海氏の抗争)
 鳴瀬館(由利本荘市南福田鳴沢台)に移り、さらに正和4年(1316)に根代館(由利本荘市川西の標高110mの山城)に拠点を移しました。しかし、正中元年(1324)また鳥海勢の攻撃を受けて落城し、自害したと伝えられています。

 *次回に、由利仲八郎政春の墓についても紹介いたします

 参道を進みます

 山門です

 山門前右手のケヤキの大木です

 山門を潜ると右手に鐘楼です

 正面に本堂です

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋田県由利本荘市、内越「香泉寺のケヤキ」(市指定)です!!

2022-08-03 06:26:48 | 巨樹・大木
 内越地区は、由利本荘市役所の北北東約4kmのところ

 国道105号線の飛鳥大橋で子吉川を渡って北へ

 道なりに進み芋川を芋川大橋で渡って、信号二つ目を右(東)へ

 また芋川を館前橋で渡りなおすと左手に大きな樹叢が見えます

 香泉寺の樹叢です

 館前橋を渡り切ると左に山門が見えますので山門前に車を止めさせて頂きました

 六地蔵様です

 山門です

 曹洞宗 龍澤山 香泉寺です

 参道を進むと南東向きに大きな本堂です、ご本尊は釈迦牟尼仏です

 目的のケヤキは、本堂裏側に有る様なので、手前の建物の前から墓地に向かいます


 墓地と芋川の間にはケヤキの大木が並んで境内を守っているようです

 墓地の一番奥に一際大きなケヤキが見えました

 南側から、目通り幹囲5.4mの巨木です

 南東側から見上げました

 では、芋川の対岸(西側)から見えるかどうか行ってみました

 芋川のさくら堤から香泉寺の樹叢を見ました




太い幹が見えましたが、遠すぎますね

では、次へ行きましょう


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする