ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

秋田県秋田市、広面谷内佐渡「石動神社のケヤキ2本」です!!

2022-08-09 18:27:14 | 巨樹・大木
 広面谷内佐渡地区は地区は秋田市役所の東約5kmのところ
 
 県道26号線の二丁目橋信号を左(北)へ県道233号土橋港秋田線を道なりに進みます

 千秋トンネル通りの信号を右(東)へ千秋トンネルを潜り、千秋城下町信号で県道28号秋田岩見船岡線に出て

 JR羽越本線の高架を潜って県道を東へ道なりに進み、県道が直角に左に曲がるところの右側に石動神社の参道が北向きに開いています

 手前の信号を右(南)に入って太平川沿いの参道入口に車を止めさせて頂きました

 石動神社は、太平川の蛇行の内側の島に成った所に西向きで鎮座します


 参道入口鳥居です

 
 村社 石動神社の社號標です

 参道の橋の上から境内を見ました

 石動神社境内です、社殿前に大きなケヤキが見えています

 直角に曲がって参道鳥居です

 手水舎です

 狛犬です

 社殿前のケヤキです


 北側から、目通り幹囲4.9mの大木です

南西側から

 拝殿です

 本殿です

 拝殿南側の石塔と境内社です

 目的の一本は、本殿後ろ(南東側)に在ります

 目通り幹囲5.4m程の巨木です

 南側から、太平川に乗り出す様な傾きです

 では、次へ行きましょう
 
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秋田県秋田市、千秋明徳町「久保田城南側土塁のケヤキ」です!!

2022-08-09 12:01:11 | 巨樹・大木
 千秋明徳町は、秋田市役所の東約1kmのところ
 
 まず久保田城について
 慶長7年(1602)に、常陸国(現:茨城県)から出羽国へ国替えとなった佐竹家の居城であり、複数の廓を備えた平山城です。
 築城は慶長8年(1603)年5月に開始され、翌年の8月には初代藩主佐竹義宣が久保田城に入り、旧領主秋田氏の居城であった湊城は破棄されました。
 しかし、義宣が湊城から居を移した後も城普請は続けられ、完成したのは寛永8年(1631)頃といわれています。
 久保田城の特徴は、石垣がほとんどなく堀と土塁を巡らした城であることと、天守閣をはじめから造らなかったことが挙げられます。
 天守閣を造らなかったのは、国替えによる財政事情や幕府への軍役奉仕、徳川幕府への遠慮などが原因であると考えられています
現在、久保田城跡は千秋公園として整備され、市民の憩いの場として親しまれています。

 *朝早くから城跡の千秋公園を散歩する方々が大勢みられました。

 久保田城の中土橋門跡の西側、城の南西側の土塁の上(あきた芸術劇場ミルハス南側)にケヤキの大木が並んでいます

 朝早くだったので、土塁の上への階段の扉は開いていませんでしたが




 堀の蓮の花は綺麗でしたよ


 目的のケヤキです、目通り幹囲6.1mの巨木です

 堀の南側道路から見ました 

 北側の堀沿いのケヤキです

 ヤナギです
 
 またいつか日中に再訪したいと思います
 
 では、次へ行きましょう 
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秋田県秋田市、仲通「座頭小路のいちょう」(保存樹)です!!

2022-08-09 06:39:08 | 巨樹・大木
 秋田市役所の東南東約1.5km仲通5丁目の

 ビジネスホテル・ルートイングランティア秋田の北側の通りが座頭小路です


 北側の駐車場入り口に目的のイチョウです

 南側から見上げました

 説明版です
   秋田市指定保存樹 指定番号 代6号
 通称  座頭小路のいちょう
 指定別 単独
 樹種  いちょう(いちょう科) 推定樹齢350年
 指定年月日 昭和49年10月11日
 由緒 佐竹藩士小田部某の邸跡といわれる昔、小金を持っていた下亀の丁の座頭がここを通った時、邪悪な武士に斬殺され、その座頭の持っていた杖が根をつけて大いちょうになったという。
 また、一説によれば佐竹候が秋田移住に際、水戸から持ってこられたいちょうとも伝えられています。

 漫画説明版です
   座頭小路のいちょうの木
 1,むかし、むかし、川むこうの座頭(あんまさん)が、わるいおさむらいに、切りころされてしまいました。
   するとふしぎなことに、座頭のつえから、みりみり根がのびて、このいちょうの木になったのです。
   それから小路も、座頭小路(ざとうこうじ)とよばれるようになりました。
 2、あるとき、近くの家から火がでて、いちょうの木も焼けてしまいました。
   しかしまもなく、黒こげのいちょうの木から、緑の小さな芽がたくさん顔をだしました。
   いちょうの木はたくましく生きていたのです。
 3,いちょうの木は、それから長い間生きてきて、今は400歳になりました。
   まいとし、大きなぎんなんをたくさんみのらせて、見上げる人たちを元気な気持ちにさせてくれます。
  平成16年11月13日 贈 座頭小路のいちょうの木を守る会

 西側から

 北西側から

 北側から見上げました

 では、次へ行きましょう
   
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