豊岩豊巻地区は、秋田市役所の南約8kmのところ
県道56号秋田天王線を南へ道成りに進み、雄物川を秋田大橋で左岸側に渡ります
大森山動物園信号を左(東側)へ県道65号寺内新屋雄和線です
JR羽越本線を陸橋で越えて、道成りに進んで南を向くと豊巻バイパスとなります
道路右側に豊岩小・中学校右の案内板が有ります、右(西)へ進むと
正面に赤い鳥居が見えて来ました、参道入口脇に車を止めさせて頂きました
鳥居です
鳥居を潜ると参道左に目的のケヤキです
保存樹標柱です、ケヤキと参道のスギが指定されているようです
東側から、目通り幹囲5.4mの巨木です
南側から
西側から
北側から
狛犬です
参道左の大きな石碑は列格記念碑です
内容は・・・巨杉森列し高岡清幽なる所祠殿あり、これわが豊平神社なり、祭神の聖徳太子を主神とし、尊像は太子の自作なりと伝え、地方屈指の古社なり、中世安東李林の守護神となり、近世にいたるに赤田是山和尚霊夢にゆかりて祠堂を再建せり、由来神徳あきらかにして、大方の崇敬浅からず。
然るに明治初年無各社に指定せられ、以て今に及べり、郷閭皆以て憾とし、村長武藤喜市郎氏列格の議を出願せり、息一郎氏また先君の遺志を招き誠心事に当たり、総代田口佐治右衛門氏これを援けて大いに祭祀維持のたからを豊かにし嚮住益にはからかす、これをもって遂に官の聴く所となり、大正10年6月7日村社列格の恩命に欲し、次いで指定神社となるを得たり。一郷和楽以てその恵澤に感孚す。
仰祭神聖徳太子は我が国文化の権化にして、その功徳世に治きは皆人の知る所なり、あたかも今歳は太子の死後1300年にあたり、全国みな遺徳を欽仰するに際し、本社列格の典を挙ぐ、当に是れ上神慮に対へ下民心によろこぶと言う可く洵に稱揚す可き美事くり茲に郷人相謀り碑を建てそのこと功を述べ神霊のたたえとあわせ併勒してこれを永遠に伝う。
対象10年8月21日 泰城 小林謙吉 篆額選並書 倉田鹿峰刻・・・と有ります
*自郷の神社が列格出来なかったことがどんなに悔しかったことか、又、列格出来たことの嬉しさが見て取れますね
参道右手の境内社です
参道を進みます
手水舎です
石段下のスギの大木です
石段を上がって参道を振り帰りました
拝殿です
本殿です
拝殿前のスギの大木です
境内南側から、ケヤキを見下ろすように見ました
では、次へ行きましょう
県道56号秋田天王線を南へ道成りに進み、雄物川を秋田大橋で左岸側に渡ります
大森山動物園信号を左(東側)へ県道65号寺内新屋雄和線です
JR羽越本線を陸橋で越えて、道成りに進んで南を向くと豊巻バイパスとなります
道路右側に豊岩小・中学校右の案内板が有ります、右(西)へ進むと
正面に赤い鳥居が見えて来ました、参道入口脇に車を止めさせて頂きました
鳥居です
鳥居を潜ると参道左に目的のケヤキです
保存樹標柱です、ケヤキと参道のスギが指定されているようです
東側から、目通り幹囲5.4mの巨木です
南側から
西側から
北側から
狛犬です
参道左の大きな石碑は列格記念碑です
内容は・・・巨杉森列し高岡清幽なる所祠殿あり、これわが豊平神社なり、祭神の聖徳太子を主神とし、尊像は太子の自作なりと伝え、地方屈指の古社なり、中世安東李林の守護神となり、近世にいたるに赤田是山和尚霊夢にゆかりて祠堂を再建せり、由来神徳あきらかにして、大方の崇敬浅からず。
然るに明治初年無各社に指定せられ、以て今に及べり、郷閭皆以て憾とし、村長武藤喜市郎氏列格の議を出願せり、息一郎氏また先君の遺志を招き誠心事に当たり、総代田口佐治右衛門氏これを援けて大いに祭祀維持のたからを豊かにし嚮住益にはからかす、これをもって遂に官の聴く所となり、大正10年6月7日村社列格の恩命に欲し、次いで指定神社となるを得たり。一郷和楽以てその恵澤に感孚す。
仰祭神聖徳太子は我が国文化の権化にして、その功徳世に治きは皆人の知る所なり、あたかも今歳は太子の死後1300年にあたり、全国みな遺徳を欽仰するに際し、本社列格の典を挙ぐ、当に是れ上神慮に対へ下民心によろこぶと言う可く洵に稱揚す可き美事くり茲に郷人相謀り碑を建てそのこと功を述べ神霊のたたえとあわせ併勒してこれを永遠に伝う。
対象10年8月21日 泰城 小林謙吉 篆額選並書 倉田鹿峰刻・・・と有ります
*自郷の神社が列格出来なかったことがどんなに悔しかったことか、又、列格出来たことの嬉しさが見て取れますね
参道右手の境内社です
参道を進みます
手水舎です
石段下のスギの大木です
石段を上がって参道を振り帰りました
拝殿です
本殿です
拝殿前のスギの大木です
境内南側から、ケヤキを見下ろすように見ました
では、次へ行きましょう