ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

秋田県大仙市、豊岡十六沢「一里塚のサイカチ」(市指定)です!!

2022-08-19 19:36:04 | 巨樹・大木
 豊岡十六沢地区は、大仙市役所の北東約18kmのところ

 県道36号線を北へ、若竹町信号で右の国道105号線を北東へ

 奥羽本線(秋田新幹線)国道13号線を過ぎて約9km道成りに進みます

 「道の駅なかせん」前を過ぎて長野跨線橋で田沢湖線を越えると

 道路標識に豊岡の文字が見えます、羽後長野駅入口の次の信号を右(東)へ

 ここから約6km県道259号線から県道306号線へ変わって道成りに東へ進みます

 左手に大仙警察署豊成駐在所前を過ぎて次の三叉路を表示版の県道50号線を田沢湖方面(左)へ

 間も無く「豊栄の松」の前を過ぎてクラック状に曲がって更に北へ約2km

 県道右手に目的のサイカチです

 西側から

 大仙市文化財「一里塚の皀莢」の標柱です、文面には・・・
 豊岡地区の旧白岩街道沿いに生育するサイカチである。
 慶長9年(1604)に幕府の命により街道を整備して一里塚を築くよう定められ、主街道である羽州街道には主にケヤキが植えられ、脇街道の白岩街道や盛岡に通じる南部街道には主にサイカチが植えられた。
 この一里塚は、旧羽州街道の六郷一里塚(現仙北郡美郷町六郷)から六つ目の一里塚であり、横沢一里塚(現大仙市太田町横沢)から三つ目の一里塚である。
 推定樹齢およそ400年にもなり、樹幹が道の反対側に達するほどの巨木である

*Googleのストリートビューでは、2012年9月に道路に張り出した枝を切った後の様子が見られます


 北西側から、目通り幹囲7.4mの巨木です

 北側から

 もう一本の標柱は、大仙市ドンパンふるさと中仙会 林木育種センター東北育種場の「一里塚の皀莢」後継・とあります


 東側から

 南側から

 では、次へ行きましょう

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋田県大仙市、豊岡上野「豊栄の松(学校の松)」(市指定)です!!

2022-08-19 12:05:04 | 巨樹・大木
 豊岡上野地区は、大仙市役所の北東約17kmのところ

 県道36号線を北へ、若竹町信号で右の国道105号線を北東へ

 奥羽本線(秋田新幹線)国道13号線を過ぎて約9km道成りに進みます

 「道の駅なかせん」前を過ぎて長野跨線橋で田沢湖線を越えると

 道路標識に豊岡の文字が見えます、羽後長野駅入口の次の信号を右(東)へ

 ここから約6km県道259号線から県道306号線へ変わって道成りに東へ進みます

 左手に大仙警察署豊成駐在所前を過ぎて次の三叉路を表示版の県道50号線を田沢湖方面(左)へ

 間も無く県道右手に「豊栄の松」が在ります、

 向かい側の旧豊岡小学校の校庭に車を止めさせて頂きました

 旧校庭のモミジです、根元には二宮金次郎の像も有ります

 目的のアカマツを南西側から

 西側から

 北西側から

 根元から見上げました

 大仙市文化財「豊栄の松」の標柱です、文面は・・・
 豊岡地区に生育するアカマツである。
 このアカマツが生えている広場は、明治時代の旧豊岡小学校の敷地で、古くは「学校の松」とも呼ばれていた。
 道路に面しており、風致木として広く親しまれ、子供たちを見守ってきた。
 かつては根元に庚申塔があったが、現在は記念碑や忠魂碑などが建てられている。
 推定樹齢は約320年にもなり、樹高25mにも達する巨木である。

 *各地からアカマツの大木がマツクイムシによって消えています、更に大きくなってほしいものです


 北側から、目通り幹囲3.9mの大木です

 北東側から

 東側から

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋田県大仙市、豊川観音堂「秋田県唯一の国宝御神鏡と水神社の杉4本」(市指定)です!!

2022-08-19 06:30:09 | 巨樹・大木
 豊川観音堂地区は、大仙市役所の北東約15kmのところ

  県道36号線を北へ、若竹町信号で右の国道105号線を北東へ

 奥羽本線(秋田新幹線)国道13号線を過ぎて約9km道成りに進みます

 「道の駅なかせん」前を過ぎて長野跨線橋で田沢湖線を越えると

 道路標識に豊岡の文字が見えます、羽後長野駅入口の次の信号を右(東)へ

 ここから約4km県道259号線から県道306号線へ変わって道成りに東へ進みます

 県道11号線の交差点信号を右(南)へ、間も無く県道11号線左に西向き参道で水神社が鎮座します

 参道南側の駐車場に車を止めさせて頂きました


 南西側から参道入口です

 参道入口両側に杉の大木が立ちます

 南側のスギです、これが境内で一番太い目通り幹囲5,2mの巨木です

 北西側から

 鳥居です

 北側のスギです

 大仙市指定文化財 水神社のスギの標柱です、文面には・・・
 中仙地域豊川地区にある水神社の境内に生育するスギで、参道の一番手前と一番奥の両側にたつ4本が指定を受けている。
 水神社は、延宝5年(1677)に出土した秋田県唯一の国宝である鏡(線刻千手観音等鏡像)を御神体としてまつり、その翌々年参道の両側に杉が植えられた。
 昭和18年(1943)、戦時体制の中で造船用材として大部分が伐採されたが、残された杉の中でこの4本は植えられた年代がはっきりしている。


 二の鳥居のようです、杉並木の参道を進みます

 三の鳥居の先に奥側の二本のスギが見えて来ました

 参道左(北)側のスギが目通り幹囲5.0mの巨木です

 南側から

 東側から

 右(南)のスギです

 東側から

 説明版です
  水神社と御神鏡の由来
【鏡の出土】
 御鏡は、延宝5年(1677年)玉川から窪堰川まで水路(下堰)を引いている途中、野中村三采女谷地(みうねめやち)の地中5尺程(約1.5m)から堀出されました。発掘した人は、横堀村の肝煎り川原仁右エ門の子、弥十郎という人ですた。
 川原家では発掘後、家に持ち帰り内神として祀っていましたが、藩に差し出すようにと命があり、水路を注進していた草彅理左エ門の子伝吉が、藩主の佐竹義処に差し出したところ、「この鏡は堰を掘るときに出たのであるから、堰神として祀るように」と仰せになり祭祀料として米三石を賜りました。
 そこで理左エ門は、従来この地に「観音堂」と称した草葺の古堂のあったこの社地に翌6年、新たに米沢観世音御堂を建立し「米沢山普門寺宝生と名付け、旧白岩寺山というところにいた山伏寺蓮寿院を呼び寄せ、別当として永久に御鏡を守護することになりました。
 ところが、明治の世、廃仏毀釈の法令がだされ御鏡を守るため水に縁のあることから「水神社」と呼称し、祭神は「水波能売命」として氏子地域の篤い奉護のもと、御鏡は御神鏡として祀られています。
【御神鏡について】
 青銅で表面を錫鍍金し形は八つの突起を持つ八陵鏡です。
 直径四寸五分(13.5cm)厚さ二分(6mm)重さ140匁(525g)、鏡面には真中に、十一面四十手の千手観音の立像蓮台に立ち、仏具を一個づつもって四十手の手指を巧みに描き、又この脇士に左に功徳天、右に裸体の婆蘇仙の像を、豊満な女神と、やせ細った仙人を対照的に描き、その上左右に観音八部衆と思われる守護の神八体も線刻(蹴彫)されています。
 裏面は水鳥と蝶を配し、中央に紐をつける径七分(2.1cm)の半球体の摘みをつけてあります。また、背面の文様の間には三行にわたり次のような文字が刻まれています
  「崇記 仏師僧」「大趣具主 延暦僧仁祐」「女具主 藤源安女子」
【御神鏡の伝来】
 嘉永年間に角館の儒者茅根恵風が奉納した懸額によれば、宝暦3年(1753年)延暦寺の僧快寧が諸国巡行の祭に普門寺を訪れ、「これは桓武帝の延暦15年(1181年)の頃のもので、この鏡は二面あって、ひとつは長女安子姫、ひとつは次女某姫が所持していたもので、両姫たちの疱瘡軽快、安産を祈るるために(千手観音)を彫らせ、清水寺に奉納したそのひとつを、坂上田村麿将軍が東北平定の折、守り神として持参した」と伝えられています。
【二度の国宝指定】
 昭和13年旧国宝保存法に基づく国宝指定となり、鏡の裏面の模様の様子から「瑞花蝶鳥八陵鏡(ずいかちょうちょうはちりょうきょう)」と名称されました。
 そのご昭和28年の行われた文化財保護法の改法による国宝再審査で再び指定を受けました。
 この時は、『鏡の表面の蹴彫仏像から「線刻千手観音等鏡像(せんこくせんじゅかんのんとうきょうぞう)と改称された。
 御鏡の国宝としての価値は、錫鍍金した鏡面に、仏像を表した蹴彫芸術そのものにあります。その蹴彫は藤原時代上期の作といわれています。
 現在、秋田県唯一の国宝であり御神鏡は、毎年例祭日(8月17日)に開帳し拝観いただいております。

 案内板です

 茅の輪くぐりです

 手水舎です

 拝殿です


 本殿と宝蔵です



 まだまだ、境内北側には、モミやスギの大木が在ります

 では、次へ行きましょう


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする