太平中関地区は、秋田市役所の東北東約kmのところ
県道26号線の二丁目橋信号を左(北)へ県道233号土橋港秋田線を道なりに進みます
千秋トンネル通りの信号を右(東)へ千秋トンネルを潜り、千秋城下町信号で県道28号秋田岩見船岡線に出て
JR羽越本線の高架を潜って県道を東へ道なりに進み、日本海東北道の下を潜り
三吉神社総本宮一ノ鳥居手前の信号を右(東)へ、まだまだ県道28号線です
間も無く太平駐在所を過ぎると太平集落をよけるように南へ県道が廻り、東を向いたころ
秋田なまはげ農協太平低温倉庫が見えて来ます、手前200m程のところを左(北)へ
突き当りを右(東)へ、間も無く左手に若宮八幡神社が鎮座します、道路脇に車を止めさせて頂きました
参道入口です
村社 若宮八幡神社の社號標です
説明版です
秋田市太平中関字八幡野 8番地
若宮八幡神社
1,祭神 誉田別命(応神天皇)
天照皇大皇
1,由緒 後光厳天皇御字 応安二乙酉ねン(1369)永井左近将監、大江広元、相州鎌倉より下着し、太平舞鶴城に住し、太平七ヶ村を治む。
守護神として鶴ヶ岡八幡宮よこの地に勧請し、若宮八幡宮を創立。
後、慶長7年(1602)秋田城之助安東代造営す。
宝永3年(1707)佐竹藩主の崇敬社として御国十二社を定め、その一社に指定さる。
享保11丙午年中(1726)佐竹義峯公再建。
明治6年7月村社に列せらる。同20年3月社殿再築。
昭和14年7月本殿再建。
平成4年6月御大典を祝し拝殿を新築す。
1,例祭 8月15日
境内は遺跡に、保存樹には参道の杉並木(20本)が指定されています
八幡野遺跡
若宮八幡神社の周囲からは広範囲にわたって縄文・平安時代の土器が出土している。
この地は太平川沿いの南向きの台地であり、長期間にわたる集落の存在が推測される。
参道石段から参道右側のケヤキの大木です
参道石段から参道左側のケヤキの大木をです
鳥居です
鳥居脇から見ました、目通り幹囲4,2m程の大木です
参道奥側(北側)から
北西側から
参道を進みます
参道右手のケヤキの大木です
参道左手のスギの大木です
手水舎です
参道両側に境内社の祠です
拝殿です
本殿覆い屋です
では、次へ行きましょう
県道26号線の二丁目橋信号を左(北)へ県道233号土橋港秋田線を道なりに進みます
千秋トンネル通りの信号を右(東)へ千秋トンネルを潜り、千秋城下町信号で県道28号秋田岩見船岡線に出て
JR羽越本線の高架を潜って県道を東へ道なりに進み、日本海東北道の下を潜り
三吉神社総本宮一ノ鳥居手前の信号を右(東)へ、まだまだ県道28号線です
間も無く太平駐在所を過ぎると太平集落をよけるように南へ県道が廻り、東を向いたころ
秋田なまはげ農協太平低温倉庫が見えて来ます、手前200m程のところを左(北)へ
突き当りを右(東)へ、間も無く左手に若宮八幡神社が鎮座します、道路脇に車を止めさせて頂きました
参道入口です
村社 若宮八幡神社の社號標です
説明版です
秋田市太平中関字八幡野 8番地
若宮八幡神社
1,祭神 誉田別命(応神天皇)
天照皇大皇
1,由緒 後光厳天皇御字 応安二乙酉ねン(1369)永井左近将監、大江広元、相州鎌倉より下着し、太平舞鶴城に住し、太平七ヶ村を治む。
守護神として鶴ヶ岡八幡宮よこの地に勧請し、若宮八幡宮を創立。
後、慶長7年(1602)秋田城之助安東代造営す。
宝永3年(1707)佐竹藩主の崇敬社として御国十二社を定め、その一社に指定さる。
享保11丙午年中(1726)佐竹義峯公再建。
明治6年7月村社に列せらる。同20年3月社殿再築。
昭和14年7月本殿再建。
平成4年6月御大典を祝し拝殿を新築す。
1,例祭 8月15日
境内は遺跡に、保存樹には参道の杉並木(20本)が指定されています
八幡野遺跡
若宮八幡神社の周囲からは広範囲にわたって縄文・平安時代の土器が出土している。
この地は太平川沿いの南向きの台地であり、長期間にわたる集落の存在が推測される。
参道石段から参道右側のケヤキの大木です
参道石段から参道左側のケヤキの大木をです
鳥居です
鳥居脇から見ました、目通り幹囲4,2m程の大木です
参道奥側(北側)から
北西側から
参道を進みます
参道右手のケヤキの大木です
参道左手のスギの大木です
手水舎です
参道両側に境内社の祠です
拝殿です
本殿覆い屋です
では、次へ行きましょう