ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

秋田県横手市、増田町増田土肥館「増田小学校(土肥館跡)の二本杉」(市指定)です!!

2022-08-22 18:31:24 | 巨樹・大木
 国道13号横手湯沢道路を南へ、十文字インターチェンジを下ります

 十文字IC入口信号を右(南西)へ国道13号線です、佐賀会沖田信号を左(南東)へ国道342号線です

 JR奥羽本線を陸橋を越えて道成りに進むと土肥館信号の北側に増田地域局(かつての町役場)です

 北側に横手市立増田小学校が有ります、校舎はかつての土肥館の跡に建っているようです

 校舎裏側(北側)に土塁の一部が残ります、土塁の上に目的の「二本杉」が在ります


 駐車場を利用させていただいた増田地域局前の観光版です、二本杉の位置を確認して歩いていきましょう

 (小学校の校庭を左回りに進みましたが、地域局の西側から回った方が近かったようです)


 北側の道路、北東側から

 説明版です
  秋田県有形文化財(考古資料)
   貞治碑 昭和37年2月5日指定
 大正13年(1924)、増田小学校新設の際、南の土塁より発掘したもので、貞治2年(1363)6月9日、景高という人が正寿禅尼の三十五日忌に当り、後世菩提を祈るために建てたものといわれる。
 石質は青御影石の自然石で、高さ175cm、幅56cm、暑さ31cm。
 碑の上部に「胎蔵界大日」の種子梵字を大きく刻んでいる。
  天然記念物
   二本杉 昭和55年2月5日指定
 増田小学校舎北西側の城柵の一部と考えられる土塁上にある。
 貞治2年(1363)、小笠原義冬が築城の際、城の堅固と武運長久を祈り愛姫と生牛を人柱の犠牲にしたといわれている。
 その霊をとむらうために二本の杉の木を植えたのが今日の「二本杉」と伝えられている。樹齢630年以上。横には県指定貞治碑がある。
 平成17年3月 増田町

 

 北東側から、二本杉の名前となった一本はすでに枯れてしまっているようです

 北側から、目通り幹囲5.5mの巨木です

 北北西側から、土肥城址の標柱が建っていますが字が薄れてしまっています

 北西側から、祠の中に貞治碑はあるようです

では、次へ行きましょう
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秋田県横手市、十文字町仁井田屋布西「新山神社のケヤキ群」(十文字町の古木)です!!   

2022-08-22 06:44:13 | 巨樹・大木
 十文字町仁井田屋布西地区は、横手市役所の南南西約12kmのところ
 (十文字地域局の南約1.5kmのところ)

 国道13号横手湯沢道路を南へ、十文字インターチェンジを下ります

 十文字IC入口信号を右(南西)へ国道13号線です、佐賀会沖田信号を左(南東)へ国道342号線です

 JR奥羽本線を陸橋を越えて最初の信号を右(南西)へ入ります、間も無く右手に新山神社が南向きに鎮座します

 鳥居の西側に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました


 参道入口です

 郷社 新山神社です


 狛犬です

 三角形の水盤です

 こちらは星形型でしょうか


 境内右手のケヤキです

 石仏が並んでいます

 出羽三山などの石塔が並びます

 拝殿です


 本殿です

 社殿右手のケヤキです

 社殿左手には境内社とケヤキが並びます

 十文字町の古木「新山神社のケヤキ群」の標柱です
 


 目的のケヤキです

 東側から、目通り幹囲6.5mの巨木です

 北東側から

 稲荷社の様です

 もう一つの境内社です


 仁井田年代碑です
 年号    西暦       事象
 仁和年間(855~859) 京都武人 八萩大炊之助義基が出羽湯殿山で修行、後当地に居住開発した(八萩山新山宮縁起)
 康保2年(965)仁井田湯殿新山大権現を字朴木に創建(八萩山新山宮縁起)
 元弘3年(1333)南北朝の頃、南朝の六人衆が明沢を経てこの地に移住
 元中9年(1392)
 応永年間(1394~1428)仁井田の山内家が傷薬を世に広めた
 天文年間(1532~55)仁井田笠の製作が始まった
 享保15年(1730)仁井田の家数49軒(六郡々邑記)
 寛政2年(1790)新山神社現在地に遷宮、当時の肝煎は石川伊右衛門でその後も代々勤めた
 寛政10年(1798)十王堂和尚に永平寺から涅槃号授与
 文政年間(1818~30)仁井田家数50軒、人員248人、馬数19疋(雪の出羽路)
 天保7年(1836)凶作対策として五升備米制が布かれ、郷倉設置の基となった
 天保13年(1842)当時、長百姓は皆川右衛門、その後代々村役を勤めた
 明治12年(1879)十王堂に学校を設けた(四道学校の分校)
 明治27・28年(1895~96)日清戦争従軍者1人
 明治38・39年(1904~05)日露戦争従軍者10人
 大正9・10年(1920~21)シベリア出兵従軍者2人
 昭和2年(1927)仁井田会館を建てた
 昭和6年(1931)満州事変従軍者2人
 昭和12~16年(1937~41)日華事変従軍者37人(戦没者:石川吉治・皆川徳次郎)
 昭和15年(1940)仁井田新山神、社指定村社に昇格
 昭和16~20年(1941~45)太平洋戦争従軍者63人(戦没者:三浦廣・石川寅吉・若皆三郎・三浦清治・石川栄之助・石川正太郎・石川孝三・佐々木隆太郎・石川喜助・三浦金治・和泉忠五郎・石川佐太郎)
 昭和23年(1948)農地改革により仁井田小作地五十町歩が自作地となった
 昭和39年(1964)仁井田番楽が秋田県無形文化財に指定された
 昭和43年(1968)仁井田西線新道開通
 昭和45年(1970)米の生産調整が行われ、翌年減反13㌶、仁井田家数60軒、人員318人、田地75㌶、畑地6㌶
 昭和46年(1971)新山神社創建一千年記念として仁井田年代碑建立
 



 境内西側のケヤキです

では、次へ行きましょう
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