ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

秋田県大仙市、大曲西根新堀「新堀八幡宮の幕串のタモノキ」です!!

2022-08-07 18:32:00 | 巨樹・大木
 大曲西根新堀地区は、大仙市役所の南西約2kmのところ
 
 県道36号大曲大森羽後線を西へ、雄物川を大曲花火大橋で渡ります

 一つ目の信号を左(南)へ、道成りに進むと新堀地区に入り左手に八幡宮の樹叢が見えて来ます

 西側から南側へ回り込む様に進むと道路が細くなった先に参道入口の赤い鳥居が見えます

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 参道入口鳥居です

 社號標には、八幡神社となっています

 鳥居東側に目的のタモノキですが幹は2mほどで伐られています
  
 南東側から、幹を伐られててしまっていますが、枝が出て生きています

 西側から(Googleのストリートマップでは伐られる前2012年10月の姿が見られます)

 北側はすっかり洞になってしまっています、これが伐られる原因んになったのでしょうか

 説明版です
  幕串の「たもの木」
 伝承によれば、この神社は源義家が阿部貞任との戦に陣を張った跡で、「たもの木」八本を伐って「幕串」にしたが、それが根づいて生い茂った。
 うち七本は枯れ朽ち、今は一本の巨木が昔の面影を留めている。

もう1枚説明版です
  新堀八幡宮
菅江真澄
 澄江真澄
 江戸時代の宝暦4年(1754)、三河国(愛知県東南部)に生まれました。
 30歳ころ故郷の三河を離れて信濃(長野県)に旅立ち、越後(新潟県)から秋田、青森、北海道などをめぐりました。
 48歳の時再び秋田に入り、県内のほとんどの市町村に足跡をしりしています。
 200冊以上の著作のうち89冊が国の重要文化財に指定されています。
月の出羽路
 菅江真澄は、文化10年(1813)ころから秋田六郡の地誌編纂に取り組みました。
 「雪の出羽路 平鹿郡」を完成したのち「月の出羽路 仙北郡」の調査にとりかかりましたが、第25巻の草稿をまとめたところで、文政12年(1829)、76歳で亡くなりました。
 「月の出羽路 仙北郡」には、現在の大仙市大曲地域が彩色の図絵入りで記録され、郷土の歴史を知る貴重な文化遺産となっています。
「新堀八幡宮」(「月の出羽 仙北郡」七)
 〇大曲西根の郷六所八幡宮の神地にちぢれたも木てふ古木二本と生いたてり。そは枝村の新堀てふ地にませり。
 そのみやどころはいにしへ源義家将軍の陣所の旧地にて、八本の多毛木を幕杙を作りてうち給ふが、大木となりて甲乙二本ぞ残りける。六本は朽かれ、あるいは風折れにて今はしかり。
 甲此木の高さ廿八九尋卅尋に至るべし。乙此木廿余尋に及ぶべし。多毛に縮多毛(チヂレダモ)、青多毛、の品あり。青多毛は奏皮(トネリコ)のたぐひ也。多毛は多布(タブ)を訛りいふにや。倭訓栞に、材ににたふといふは櫲樟(クス・ヨショウ)の品也といへり。また同書に、たも樹というは月桂也といへり。或たをにごりてよび。又たまともいふ云々と見えたり。此処にいへるものは大にことにして、しそじのさましてことなる木也・
  菅江真澄が描いた新堀八幡宮の「たもの木」(秋田県立博物館蔵写本)
  「平成22年3月 大曲農都協議会 贈」



 庚申塔などが並びます

 狛犬です

 境内社です

 水盤です

 拝殿です

 本殿です

 説明版です
  八幡神社
創建 不詳
祭神 息長帯媛命 稲倉魂神 大山祇神 興田別天皇命 玉依媛命
由緒 延宝年中(西暦1674年頃)書付其他
   申傳に者鎮守府将軍源義家朝臣 奥羽御鎮撫之節御崇敬弓矢壷筋奉納之由 今は焼亡致し木にて拵へ納置けり
   (以上 明治39年神社明細帳より)
 例祭   8月15日
 秋祭り 11月23日
 獅子巡行 8月1日~4日間
菅江真澄 「月の出羽路」より
 ◎多母の木いついて
 この八幡神社は源義家将軍の陣営があった跡で、多母木8本伐って幕串にしたものであるが。それが根付き根を張り生い茂げったものである。
 6本は枯れて2本は残っている。人丈けのところを計ってみれば3尋3尺(みひろみかさ)の大木である。今一本はいささか劣る。
 (現在は一本より残っていない)
神社の創建について
 「このやしろは源義家朝臣のの草創であり、鶴岡八幡神を遷し給うふといへり」と書いてある。
左輿・右輿について
 むかし神幸の時は左輿の家の主人は輿の左に、右輿の家の主人は右に輿の先導をしたもので、左輿の家は道地邑の佐々木太右エ門で、8月14日宵祭に四つ編の菻(がつぎ)の荒菰一枚に桃の実一枝献るならわしがある。(今は菰に一臼の餅を供えている)

(2019年5月までは、元気な姿がネットで確認できました、小さな枝が大きく成長して大木になってほしいものです)

 では、今日はここまでにして、大仙市太田町中里新屋敷の中里温泉で汗を流して、コインランドリーで洗濯を済ませ、道の駅美郷で、車中泊としました
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秋田県由利本荘市、岩谷麓「折渡地蔵尊のスギ」です!!

2022-08-07 12:36:57 | 巨樹・大木
 岩谷麓地区は、由利本荘市役所の北北東約9kmのところ

 (折戸地蔵尊は、大内総合支所の北約2kmのところ)

 国道105号線を北へ子吉川を北へ越えて進みます

 国道が東へ向くころ、日本海東北道大内インターチェンジ入り口を過ぎて

 JR羽越本線の高架を潜る手前で左(北)へ、県道69号本荘岩城線です

 坂道を登っていくと、折渡峠手前に折渡地蔵尊が有ります


 休憩所です、他にも二か所の駐車場が有ります

 鳥居です

 折渡地蔵大菩薩です

 
 石段脇の夫婦杉です 

 夫婦杉を見上げました

 参道石段を上ります

 手水舎です

 地蔵様です

 説明版です
   六地蔵
 六地蔵は、正面の大きな地蔵の分身で、古くは六道能化地蔵といった。
 六道とは、地獄・飢餓・畜生・修羅・人・天のことで、この六道にいつも壇陀・宝珠・宝印・持地・除蓋障・日光の各地蔵がおり、苦しみ悩んでいる衆生の身代わりとなって、苦悩を引き受けてくれる。
 また、死んだ人の罪障も救済してくれるありがたい菩薩である。
   大慈大悲の深きこと 地蔵菩薩にしくはねし (地蔵和讃より)
  大内町観光協会
  大内町商工会 

 地蔵様の上には目的の大杉です

 東側から、目通り幹囲5.7mの巨木です

 南西側から

 東側に鐘楼です

 道路脇に大岩が有ります
  平成の霊石
 この巨石は平成5年1月17日の夜、山頂(80m)から参道入口まで落下してきたもので、重さ33tあり、県由利土木事務所のはからいでここに安置された。
 この石は俗称「フモト石」といわれ、崩れ易く治山関係者の話では、山全体が「ネグサレ」という現象を起こしており崩落の危険があると予想され、国の治山事業で、この霊山を保全することにした。
 麓部落民の総意により、この石を「平成の霊石」と名づけ後世に伝えようと供養するものである。
   平成5年5月
   大内町岩谷麓
   大内町観光協会


 山の斜面には千体地蔵様が並びます

 では、今日の取材はここまでです、次は折渡峠を越えて、国道7号線で秋田市内へ行きます

*道の駅あきた港で車中泊としました
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秋田県由利本荘市、大倉沢向沢「大倉沢諏訪神社のスギ三本」(保存樹)です!!

2022-08-07 06:28:45 | 巨樹・大木
 大倉沢向井沢地区は、由利本荘市役所の北東約10kmのところ

 (大内総合支所の東約5kmのところ)

 国道105号線を大曲(大仙市)方面へ子吉川を北へ越えて向かいます

 国道が東へ向くころ、日本海東北道大内インターチェンジ入り口を過ぎて

 JR羽越本線の高架を潜ります、国道が芋川を渡る徳沢橋を渡ると間も無く

 斜め右(東南東)への道路へ入ります

 左側には旧大倉沢報徳館です

 説明版が有ります
  国登録有形文化財(建造物)
   旧大倉沢報徳館 1棟
    所有管理者 大倉沢町内会
 二宮尊徳の唱えた報徳運動に応じて疲弊する農村の救済を目的に、幕末から大正にかけて全国で結社された大日本報徳社の支社にひとつとして、大正元年(1912)に由利郡岩谷村大倉沢の正木七蔵らが「大倉沢報徳社」を設立し、昭和5年(1930)に大倉沢報徳社の社屋として建築されたものです。報徳社事務所のほか、結婚式・葬儀会場、農繁期の託児所等、会員の福利厚生施設としても利用され、大倉沢報徳社解散後の現在は、大倉沢町内会館として活用されています。
 建物は、木造平屋建て、寄棟造の桟瓦葺で、礎石建の建築です。玄関ポーチは木鼻装飾と洋風建築の和洋折衷様式であるなど、外観は正面を意識した大変モダンな造りです。建物内部は8畳の応接室、12畳の小会議室、42畳の大広間が配され、壁は全て漆喰塗りで、硝子窓を多用し光を多く取り入れる造りとなっており、応接室の欄間には建設当時そのままの花模様の磨り硝子が残されています。平成15年には当時の外観・内観はそのままに、外壁、内装建具全面の再塗装等の改修が行われています。
 旧大倉沢報徳館は、現在、大日本報徳社の支社として県内唯一現存する建造物で、細部に洋風意匠を配した和洋折衷様式のモダンな外観、内部の座敷建具は採光を意識した造りで、建築当時のまま大切に使用されてきました。
 また、社屋でありながら地域の施設として開放的な利用を覗える建造物でもあります。二宮尊徳の唱えた報徳運動の東北における運動展開を考える上でも、非常に貴重な建造物でであることから、平成30年3月に国有形文化財に登録されました。
  平成31年3月
  由利本荘市教育委員会


 間も無く右に入った先の上り坂から諏訪神社境内を見る事が出来ます

 砂利道を上って東向きに鎮座する諏訪神社の駐車スペースに車を入れました

 参道前から見上げました

 参道から門杉状の二本のスギ(右・北側が境内で一番太い)です


 保存樹標柱です

 鳥居です

 鳥居脇から一番目のスギを見上げました、目通り幹囲5.9mの巨木です

 鳥居脇から三番目のスギを見上げました

 境内に入って

 三番目に太い杉を境内から見上げました

 社殿前から

 社殿です

 社殿の文化財標柱「大倉沢諏訪神社宮殿・指定番号 有14号」です

 社殿の右手に境内で二番目に太いスギです

 南東側から、目通り幹囲5.8mの巨木です

 東側から

 では、次へ行きましょう

 帰り際に駐車場から見上げました、一番目と三番目のスギです

 二番目のスギです


 


 
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