日頃市町長安寺地区は、大船渡市役所の北西約4kmのところ
大船渡市役所北東側の国道45号線「大船渡市盛町舘下」信号を北へ進みます
約1kmで「⇐北上・住田・国道107号線」の標識に従って「権現堂」信号を左(西北西)へ
道成に右手に盛川を観ながら進み約2.2kmで盛川支流の大野川の橋を渡って直ぐ右(北東)へ、盛街道です

盛川を長明寺橋で渡って踏切を越えます、約500mで道路左手に「長安寺」参道入口です
すぐ先に長安寺の
駐車場が有ります
東南東向きの参道を進みます

山門です

真宗大谷派 長安寺寺号標です

山門を潜ると鐘楼です

本堂です

説明版です
片杉山長安寺縁起
當山は、京都東本願寺の末寺で真宗大谷派に属する。
開創は平安時代末期と思考される。
開基は正善坊と号して、気仙郡司の嫡流あったが宿因多幸にして、先に比叡山東塔に学び、帰国後、當地に一宇建立して長安寺となす。
當初は天台宗を継承したが、21世正光坊が足利義満将軍の明徳2年(1391年)に、現在の真宗に改宗し、以来ここに、41世の衣鉢を伝え今日に至る。
弘治2年(1556年)火災に遭遇し、惜しくも七堂伽藍恩賜の宝物等、悉く鳥有に帰せり。
現在の本堂は、明治16年(1883年)の創建なり。
山門は、寛政8年(1798年)竣工であるが、藩主伊達公との軋轢に依って、工事中止の命を受けた未完成の建造物である。
鼓楼、鐘楼は桃山建築を模したものである。
諸殿全て、気仙匠の技術に依るものである。
長安寺

右手に鼓楼です

鼓楼の北東側、庫裏の前に目的にイチョウです



南西側から

大船渡市指定天然記念物「いちょう」の標柱です



西側から、目通り幹囲5.2mの巨木です


北西側から



北側にはカヤの大木です



西側から、目通り幹囲3.5mの大木です



北側から二本を見ました
では、次へ行きましょう

2024・10・16・15・35
大船渡市役所北東側の国道45号線「大船渡市盛町舘下」信号を北へ進みます
約1kmで「⇐北上・住田・国道107号線」の標識に従って「権現堂」信号を左(西北西)へ
道成に右手に盛川を観ながら進み約2.2kmで盛川支流の大野川の橋を渡って直ぐ右(北東)へ、盛街道です

盛川を長明寺橋で渡って踏切を越えます、約500mで道路左手に「長安寺」参道入口です

すぐ先に長安寺の


東南東向きの参道を進みます


山門です


真宗大谷派 長安寺寺号標です


山門を潜ると鐘楼です


本堂です


説明版です
片杉山長安寺縁起
當山は、京都東本願寺の末寺で真宗大谷派に属する。
開創は平安時代末期と思考される。
開基は正善坊と号して、気仙郡司の嫡流あったが宿因多幸にして、先に比叡山東塔に学び、帰国後、當地に一宇建立して長安寺となす。
當初は天台宗を継承したが、21世正光坊が足利義満将軍の明徳2年(1391年)に、現在の真宗に改宗し、以来ここに、41世の衣鉢を伝え今日に至る。
弘治2年(1556年)火災に遭遇し、惜しくも七堂伽藍恩賜の宝物等、悉く鳥有に帰せり。
現在の本堂は、明治16年(1883年)の創建なり。
山門は、寛政8年(1798年)竣工であるが、藩主伊達公との軋轢に依って、工事中止の命を受けた未完成の建造物である。
鼓楼、鐘楼は桃山建築を模したものである。
諸殿全て、気仙匠の技術に依るものである。
長安寺

右手に鼓楼です


鼓楼の北東側、庫裏の前に目的にイチョウです




南西側から


大船渡市指定天然記念物「いちょう」の標柱です




西側から、目通り幹囲5.2mの巨木です



北西側から




北側にはカヤの大木です




西側から、目通り幹囲3.5mの大木です




北側から二本を見ました

では、次へ行きましょう


2024・10・16・15・35