ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岩手県大船渡市、末崎町中森「大船渡の三面椿」(県指定)です!!

2024-11-06 18:39:05 | 巨樹・大木
 末崎町中森地区は、大船渡市役所の南約12kmのところ

 大船渡市役所前から説明させて頂きたいところですが、今回のルート通りに陸前高田市と大船渡市に境からの説明とさせて頂きます

 県道38号線の陸前高田市と大船渡市に境は、JRでは陸前高田市側の「小友駅」と大船渡側の「碁石海岸口駅」の間を長いトンネルで越えます、県道はトンネルの上を峠状に越えて行きます

 *碁石海岸口駅(ごいしかいがんぐちえき)は、JR大船渡線BRT(バス高速輸送システム)のバス停留所で、平成25年(2013)9月28日の小友駅 - 大船渡駅間のBRT専用道開通に合わせて開業したもので、もともと鉄道時代に当駅は設置されていませんでした。

 市境界から下り始めて直ぐ「碁石海岸あと4km」の案内板を斜め右(北東)へ

 海岸沿いに降りると右側に大きな防潮堤沿いを進みます

 約1.4kmの一時停止で左からの県道275号線に合流する様に東へ、防潮堤の開口部から「門の浜漁港」が見えました

 約1.2kmで防潮提から離れる様に「三面椿」の案内板を左(北)への道路に入ります
 
 坂道を上るように進むと間も無く熊野神社参道入口です

 すぐ先の「三面椿」向かい側(東側)の広場に車を止めさせて頂きました

 手水舎です

 拝殿です

 本殿です

 説明版です
   気仙三十三観音 二十四番札所
     熊野神社熊野堂  「被災」
 天然記念物の「三面椿」の古木が神社の側面のあることでも有名だ。
 「鎌倉時代、松島寺(瑞巌寺)が天台宗改宗の際、焼き討ちをおそれ、僧侶達が祭具、仏像など宝物一切を舟に積んで海に逃れ、末崎町碁泊里浜の麻腐島(おくされじま)という岩礁に流れ着いた」という、漂着伝説が熊野神社と結びついている。
 注目されるのは鋳銅製の鰐口表面に「松島用員」銘帯があり、松島寺との関連がうかがえる。
 平成5年12月に奉納された白木の聖観音像が現在の物。
     大船渡市末崎町字中森

 文化財説明版です
   熊野神社の文化財
 熊野神社には、多くの工芸品が伝えられています。
 このうち13件が県・市の有形文化財に指定され、大切に保管されています。
 県指定有形文化財「懸仏十九面・附宮殿形厨子三基」は、鎌倉、室町、江戸時代の作からなり、各時代特色をあらわすものとして貴重であり、十九面の員数は一カ所に伝来するものとして県内最多です。
 また、宮殿形厨子は、県内に類例がなく貴重なものとなっています。
 その他には、熊野神社に一括して伝来する工芸品群を代表するものとして、市有形文化財「鰐口」、「獅子頭」があります。
 「鰐口」は、鋳銅製で、撞座に八弁蓮華文が施されています。また、表面の銘帯には、「松嶋」の鋳出し銘があり、宮城県松島との関連がうかがえます。
 「獅子頭」は、木造で全体的に扁平な感がありますが、鼻から上唇、目と眉へ大きくうねり、起伏に富んだ肉取りで、迫力のある作例です。
 熊野神社の有形文化財(指定区分・種別・名称、員数の順)
   岩手県指定・有形文化財
     懸仏 十九面(附宮殿形厨子 三基)
   大船渡市指定・有形文化財
     鰐口 一箇 ・獅子頭 一頭 ・高麗犬 一対 ・太鼓胴 一箇 ・貴徳面 一対 ・額字 三箇 ・錫杖頭 一箇 ・椀  二箇 ・釜 二箇 ・瓶子 二箇 ・古版木 二箇 ・御意書 一通(附一通)
       大船渡教育委員会   平成11年3月31日 設置

 目的の「三面椿」を南東側から

 岩手県指定天然記念物「大船渡の三面椿」標柱です、文面には日本最大・最古の椿 根回りおよそ8m、樹齢およそ1400年

 大きな三面椿の株です

 東側から

 北東側から

 説明石碑です
   大船渡の三面椿
 1、種別・名称
   岩手県指定天然記念物 大船渡の三面椿
 2、指定年月日
   昭和44年6月6日
 3、説明事項
   日本最大最古のツバキです
 伝承では熊野海石榴東・南・西の三面にツバキがあったと言われ「三面椿」と呼ばれています。
 現在は、この東面のツバキのみが残っています。
 種類はヤブツバキです、根元から13本の株の分れており、そのうち2本が失われ太い株跡だけがみられます。
 根元のまわりは約8m、、高さは約17mで、枝も大きく張り出し、壮大な樹形をなしています。
 樹齢はおよそ1400年、ツバキでは日本最古といわれています。
 春先の開花期には、樹木全体に赤い花をつけ壮麗な姿を見ることができます。
       大船渡市教育委員会   平成12年3月11日 設置

 *東日本大震災の11年前です、石碑の設置日が気に成りました

 南西側から

 柵に案内です
 この大船渡の三面椿は、平成14年10月1日の台風の被害をうけ、主幹2本が折損し、樹形のほぼ半分が失われました。
   平成15年3月    大船渡市教育委員会
 *大船渡東高校の生徒たちが2009年に倒木した椿から採取した苗木を培養・育成し、南と西にも植樹されたため、名実ともに「三面椿」が復活しています。

 幹には焦げ跡が見られました

 碁石浜まではまだ1km程先ですが、碁石海岸の地名らしく囲碁席がありましたよ

 では、次へ行きましょう




 2024・10・16・14・10
 
 
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岩手県陸前高田市、広田町黒崎「黒崎神社のスギ」です!!

2024-11-06 13:00:20 | 巨樹・大木
 広田町黒崎地区は、陸前高田市役所の南東約11kmのところ

 陸前高田市役所の北側の道路を東へ、約200mで丁字路を左(北北東)へ

 約600mの横断歩道のある交差点を右(東南東)へ、高田病院と高田小学校の間の道路です

 道成りに約6.5kmからはアップルロードです、

 道成りに約5.4kmで「⇐黒崎仙峡・県道38号線」の標識に従って左(東)へ

 約1.8kmで「⇐黒崎仙峡・黒崎温泉」のい案内板を左(東南東)へ

 約1kmで道路左手に南南西向きに黒崎神社が鎮座します

 鳥居左手に大きなスギです

 鳥居です

 由緒石碑です
   黒崎神社由緒
     祭神 息氣長帯姫命
 長い文面は殆ど読めませんでした・・・ので、三陸防災復興プロジェクト等のネットの記事を参考に載せておきました
*黒崎神社は、古くから漁師たちの信仰を集めており、海上安全と大漁満足を祈願する人々が多く訪れます。
*黒崎神社は、広田の東端黒崎海岸の中心部にあり、祭神は息氣長帯姫命。旧村社。
 社伝によれば、黒崎神社の創建は、平安時代末期の承安2年(1172)山伏源真により勧請されたといい、元徳2年(1330)現在地に移されたとされる。
 旧社地は南方海辺のそばだつ岩上であったという(宝暦11年「気仙風土草」)。
 「封内風土記」は嘉禄年中(1225~27)の勧請とする。
 明応5年(1496)2月18日、源綱継を大旦那、賢春を願主として「田郷黒崎大明神御宝殿」に本地仏十一面観音の懸仏一面が奉納された。
*広田町黒崎神社式年例大祭は、この黒崎神社がある広田町は8つの地区で構成されており、各地区ごとの祭組から奉納出演目があります。
 その中でも根岬の「梯子虎舞」は、国の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれている市指定無形民俗文化財です。
 長さ約20mのはしごを命綱なしで登り、法領と悪魔退散を祈願して舞う姿は迫力があります、その他にも太鼓や手踊り、子供たちが踊る演目もあり、どれも魅力満載です。

 船玉碑と金毘羅大権現の石碑です

 移転経緯の説明石碑です
   中吉丸漂流記
     金毘羅大権現碑・船玉碑移設の由来
 天保10年(1839)11月15日、小友村から五十集荷物を積んだ中吉丸が、乗組員6人で常州那珂湊(現在の茨城県ひたちなか市)へ出発、航海途中で大風に遭い、漂流35日のすえ小笠原諸島父島に漂着、島の人々の世話を受け、約2ヶ月後の天保11年3月24日に現在の千葉県銚子湊に着くことができたそうです。
 その後、江戸での丸9ヶ月に及ぶ取り調べを受け、天保12年2月5日に全員が帰村いたしました。
 この碑は、漂流中の助命を祈願した船玉様のご加護に感謝し、当時の船頭であった白井三之亟が、広田町天王前の自宅の傍に建立したものです。
 しかし、この船玉碑は平成23年3月11日の大津波により流倒され、歴史上後世に残る貴重な証として、関係者の御協力とご支援により、この地黒崎神社境内の一角に移設絵射たものです。
      平成24年1月 吉日

 東側からスギを見ました

 北側から、樹高約33m、目通り幹囲5.3mの巨木です

 西側から

 南側から見上げました、南側にはスギの根元から水が湧いています

 南側の道路沿いには神池にマツです

 では、黒崎神社にお参りしましょう、参道石段を上がります

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 境内東端にはお稲荷様です

 観光案内図です、はす向かいの「黒崎仙峡温泉」で入浴したい所でしたが・・・水曜日は定休日でした

 観光案内図・2⃣の「大船渡の三面椿」へ行きましょう




 2024・10・16・13・30
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岩手県陸前高田市、小友町門前「華蔵寺の宝珠マツ(国指定)とモミ(市指定)」です!!

2024-11-06 06:32:48 | 巨樹・大木
 小友町門前地区は、陸前高田市役所の南東約8kmのところ

 陸前高田市役所の北側の道路を東へ、約200mで丁字路を左(北北東)へ

 約600mの横断歩道のある交差点を右(東南東)へ、高田病院と高田小学校の間の道路です

 道成りに約6.5kmで左(東南東)へ、約1.1kmで左(北東)へ

 約400mで右(東南東)へ、約200mで

 華蔵寺参道です、北東へ入って約150mで駐車場に入りました

 山門前です

 サクラの大木です

 山門です

 南西向きの参道を進みましょう

 右手奥の庫裡前には鐘楼です

 参道右手に松の若木が植えられています

 説明版です
   国指定天然記念物
     華蔵寺の宝珠マツ
       所在地   :陸前高田市小友町字門前23番地
       所有者   :華蔵寺
       指定年月日 :昭和10年12月24日
 この黒松は、大正15年頃に当寺に植えられたもので、一の枝に実が重なり合い結実する状態が、あたかも宝珠のように見えることが特徴とされています。
 このような特徴が学術的に貴重であることと、地元の博物学者である鳥羽源蔵氏の推薦もあり、昭和10年国指定天然記念物に指定されました。
 平成27年頃から樹勢の衰えが見られ、様々な保存措置を行いましたが、平成29年7月に枯死判定がなされ、平成30年2月に指定木の伐採が行われました。
 その後、震災前に採取した枝から育成した木が滝沢市の森林総合研究所東北種苗場に保存されていたことから、国指定文化財を解除することなく約4年を掛けて後継樹を育成し、令和2年6月に里帰りをしました。
    木を傷つけたりしないで、みんなで大切に保存しましょう。

 西側からもう一枚だけ、宝珠マツの分身です大きく育ってほしいですね

 六地蔵様です

 東日本大震災の供養塔です
   東日本大震災
     平成23年3月11日  午後2時46分発生
     死者・行方不明者
      陸前高田市  1773名
      岩手県    5841名
      東北    18512名
      全国    18577名
 東日本大震災物故者 追悼満中陰忌香語  妙心 又玄窟
   黒浪呑家絶言詮
   激震陸沈正惨然
   人名霧消悲痛涙
   法香只献暮表天
 *多くの人命が失われてしまって早や13年半、三陸沿岸自動車道や東北横断自動車道(釜石線)の全通、漁港の再興などが進んでいますが、人口減少・過疎化は仕方のない事なのかもしれませんね~

 手水舎です

 本堂です

 本堂北西側の墓地の高台に、もう一つの目的のモミです

 墓地入口から見上げました

 南東側から

 説明版です
   陸前高田市指定天然記念物
     華蔵寺のモミ
       計測値   樹高  約25.0m、  胸高周囲  4.90m
             枝張(東)10.0m、 (西)10.7m、(南)11.0m、(北)10.7m
             (平成2年12月19日計測)
       推定樹齢  250年
       所在地   陸前高田市小友町字寺長根10
       所有者   華蔵寺
       指定年月日 平成5年6月1日
 モミは本州(岩手県・秋田県以南)、四国、九州(屋久島まで)の山地に生える常緑高木で、花は5月頃に咲き、毬果は10月頃に成熟します。
 気仙地方はモミの自生の北限で、イヌブナとモミの混ざった植生が認められます。華蔵寺のモミはモミとしては気仙地方屈指の大木です。
 市内におけるモミの分布についても、自生の北限であるために、モミをよく見かける地域と、ほとんど見かけない地域とがあります。
 小友町にはモミが多く、いろいろな用材となるためにかなり伐採されましたが、華蔵寺のモミは寺域の墓地にあるので、伐採されずに残ったものと思われます。
      平成7年3月     陸前高田市教育委員会

 墓地への石段を上って北東側から

 北西側墓地の中から見ました

 では、次へ行きましょう



 2024・10・16・12・40
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