土淵町土淵7地割地区は、遠野市役所の北東約5kmのところ
遠野市役所南側の仲町通りを東南東へ、約200mで信号を左(北北東)へ
約1.1kmの国道283号線の交差点信号からは国道340号線となって更に進みます
約3.3kmの「⇐附馬牛・県道160号線」の標識に従って信号を左(北西)へ
約500mで「伝承園⇒」の案内板で信号を右(東北東)へ
約300mで「伝承園・カッパ淵 無料大駐車場」が有りますので利用させて頂きました
観光案内図です、「常堅寺のケヤキ」と「カッパ淵」を見て行きます
横断歩道脇の石像です、説明書きがあります・・・
馬っこつなぎ
6月15日の朝、わらで編んだ2頭の馬っこをつなぎ、家の川戸や田の水口などに立てて、豊作を祈ります。
津島天王にこの日集まる農神たちの神馬とも伝えられていますが、疫病の牛頭天王の力で川に流してしまう素朴な水神まつりの原型です。
馬のかたちを木版で刷った紙の小旗を大地に差し立てる所もあります。
横断歩道を渡って南へ「ホップ畑」脇の道路を進みます
約200mで常堅寺の墓地の北西端にケヤキが見えて来ます
墓地の手前に「カッパ淵」近道の看板を右(西)へ
今回の目的のケヤキです
東側から
北側から、目通り幹囲5.4mの巨木です
西側から
南側の墓地の中から
戻って常堅寺の拝観時間午前9時を過ぎました
東向きに山門です
標柱です、山門の仁王像は・・・
早池峰神社山門にあったが、明治3年この地に移されたものと云われる。
慈覚大師(848年代)作伝。
*5回前の「早池峰神社のスギと御神木」の回で紹介させて頂きた山門には、新たに作られた随神像が祀られています。
御堂の前には「カッパこま犬」です
鐘楼です
本堂です
説明版です.
蓮峰山 常堅寺
宗派 曹洞宗 一関市大東大原長泉寺の末寺
本尊 釈迦如来
延徳2年(1490)開創、開山は大聞秀宗禅師(だいもんしゅうすうぜんじ)である。
開基は、大原弾正勝行、遠野郷の曹洞宗12ヶ寺の筆頭であると「遠野物語」88話にある。
一説には、同寺はもと安倍家の菩提所といわれ、大原弾正勝行(本姓千葉氏、大原城主)が当地にきて土淵村を領有した時、大聞禅師を開山として開創、寺禄20石を与えた。
第6世の時、南部家の守り本尊勢至観音像と、新たに寺領12石4斗を拝領したという。
山門にある白木の仁王像2体は、もと市内附馬牛町の早池峰山妙泉寺にあったものを、明治維新の頃、妙泉寺が廃寺になる際移したもので、総丈3.5m、慈覚大師の作と伝えられ、また山門にあるスギの古木一株(高さ約20m、幹周り約7.8m)は、開祖が手植えしたものといわれる。
仁王像と道元禅師像は、市の文化財に指定されている。
遠野市
説明版です
遠野市指定文化財(有形文化財)
道元禅師像
指定 昭和34年3月10日
木造寄木造 ・ 制作年代 室町時代 ・ 座面高 46cm
本像は道元禅師像と伝える僧形像で、右手に払子、左手に数珠を持つ形とし、曲彔座に坐す。
蓮峰山常堅寺は、延徳2年(1490)大原長泉寺大聞秀宗の開山、開基は大原弾正勝行と伝えられている。
仁王尊像2体
指定 昭和36年11月25日
木造寄木造(ヒバ材) ・ 制作年代 江戸時代 ・ 高さ 325cm、頭長 67cm、顔幅 47cm、肩幅 80cm、掌 36cm
もと早池峰山妙泉寺の仁王門に安置されていた仁王像で、明治3年神仏分離により、常堅寺に移されたものである。
遠野市教育委員会
では、「カッパ淵」へ行きましょう
2024・10・19・09・00
遠野市役所南側の仲町通りを東南東へ、約200mで信号を左(北北東)へ
約1.1kmの国道283号線の交差点信号からは国道340号線となって更に進みます
約3.3kmの「⇐附馬牛・県道160号線」の標識に従って信号を左(北西)へ
約500mで「伝承園⇒」の案内板で信号を右(東北東)へ
約300mで「伝承園・カッパ淵 無料大駐車場」が有りますので利用させて頂きました
観光案内図です、「常堅寺のケヤキ」と「カッパ淵」を見て行きます
横断歩道脇の石像です、説明書きがあります・・・
馬っこつなぎ
6月15日の朝、わらで編んだ2頭の馬っこをつなぎ、家の川戸や田の水口などに立てて、豊作を祈ります。
津島天王にこの日集まる農神たちの神馬とも伝えられていますが、疫病の牛頭天王の力で川に流してしまう素朴な水神まつりの原型です。
馬のかたちを木版で刷った紙の小旗を大地に差し立てる所もあります。
横断歩道を渡って南へ「ホップ畑」脇の道路を進みます
約200mで常堅寺の墓地の北西端にケヤキが見えて来ます
墓地の手前に「カッパ淵」近道の看板を右(西)へ
今回の目的のケヤキです
東側から
北側から、目通り幹囲5.4mの巨木です
西側から
南側の墓地の中から
戻って常堅寺の拝観時間午前9時を過ぎました
東向きに山門です
標柱です、山門の仁王像は・・・
早池峰神社山門にあったが、明治3年この地に移されたものと云われる。
慈覚大師(848年代)作伝。
*5回前の「早池峰神社のスギと御神木」の回で紹介させて頂きた山門には、新たに作られた随神像が祀られています。
御堂の前には「カッパこま犬」です
鐘楼です
本堂です
説明版です.
蓮峰山 常堅寺
宗派 曹洞宗 一関市大東大原長泉寺の末寺
本尊 釈迦如来
延徳2年(1490)開創、開山は大聞秀宗禅師(だいもんしゅうすうぜんじ)である。
開基は、大原弾正勝行、遠野郷の曹洞宗12ヶ寺の筆頭であると「遠野物語」88話にある。
一説には、同寺はもと安倍家の菩提所といわれ、大原弾正勝行(本姓千葉氏、大原城主)が当地にきて土淵村を領有した時、大聞禅師を開山として開創、寺禄20石を与えた。
第6世の時、南部家の守り本尊勢至観音像と、新たに寺領12石4斗を拝領したという。
山門にある白木の仁王像2体は、もと市内附馬牛町の早池峰山妙泉寺にあったものを、明治維新の頃、妙泉寺が廃寺になる際移したもので、総丈3.5m、慈覚大師の作と伝えられ、また山門にあるスギの古木一株(高さ約20m、幹周り約7.8m)は、開祖が手植えしたものといわれる。
仁王像と道元禅師像は、市の文化財に指定されている。
遠野市
説明版です
遠野市指定文化財(有形文化財)
道元禅師像
指定 昭和34年3月10日
木造寄木造 ・ 制作年代 室町時代 ・ 座面高 46cm
本像は道元禅師像と伝える僧形像で、右手に払子、左手に数珠を持つ形とし、曲彔座に坐す。
蓮峰山常堅寺は、延徳2年(1490)大原長泉寺大聞秀宗の開山、開基は大原弾正勝行と伝えられている。
仁王尊像2体
指定 昭和36年11月25日
木造寄木造(ヒバ材) ・ 制作年代 江戸時代 ・ 高さ 325cm、頭長 67cm、顔幅 47cm、肩幅 80cm、掌 36cm
もと早池峰山妙泉寺の仁王門に安置されていた仁王像で、明治3年神仏分離により、常堅寺に移されたものである。
遠野市教育委員会
では、「カッパ淵」へ行きましょう
2024・10・19・09・00