ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

宮城県気仙沼市、赤岩上羽田「羽田神社」です!!

2024-11-03 18:45:47 | 文化財・寺社
 赤岩上羽田地区は、気仙沼市役所の南西約10kmのところ

 気仙沼市役所前の県道26号線を西南西へ出ます

 道成りに約1.9kmで「リアス・アーク美術館⇒」の標識に従って横断歩道橋のある信号を右(西南西)へ

 約1kmで国道45号の交差点を過ぎると県道65号線です

 道成りに坂道を緩く登って行った約6、3kmで道路右手に「羽田神社」の案内板がありますので右(西北西)へ入ります

 約700mの交差点で左(西)へ、ここにも案内板があります

 約200m左に廻り込む様に進んだところの案内板を右(西)へ

 坂道を上って鳥居前です

「羽田神社」社務所前の駐車場の入りました
 *2023年6月11日取材の最後に寄りましたが、強い雨の為取材を諦めて埼玉に帰ったのでリベンジの機会となりました

 羽田神社社號標です

 手水舎です
 
 神輿舎です

 大きな社務所です

 社務所前の案内図です、山頂を廻るお山がけコースがあるようですが祭典日以外は登れないため、今回は目的の社殿前の杉までです
   羽田神社お山がけ
     重要無形民俗文化財
 平成12年12月27日文部科学大臣より重要無形民俗文化財に指定され同時に官報に掲載された。
 *お山がけ道程 総計2130m、お山がけ祭典旧8月15・16日、祭典日以外登れません
 *毎年旧暦の8月15日は中秋の名月(十五夜)です。2024年の中秋の名月は9月17日(火)でした

 羽田神社の由緒とお山がけ説明石碑です
   羽田神社とお山がけ
 羽田神社創建の年代は詳らかではないが、今から凡そ1300年前奈良時代開創になるものといわれている。
 その後、平安時代大同元年(806)、田村将軍利成卿により再建され、二柱の神霊を羽田山に安置して、住民の平安を祈ったといわれるが、300年近く経過するうち荒廃し、建久3年(1192)豊後の住人豊後守緒方維義が再興された。
 祭神は月読命・倉稲魂命・大己貴命を祀り、もとは波多権現・羽田山大権現と称し、本吉北方の総鎮守として尊崇された。
 お山がけは、何時頃始まったか不詳であるが、7歳男子の息災成長を祈る祭りである。
 当日(旧8月15日・16日)7歳児は、白い浄衣に鉢巻をしめ、御注連をかけ新しい竹の杖をつき、1合目の祓川で身を清め、険しい坂道を登り途中早馬神社他を巡拝しながら10合目奥の院に至る(約1時間)、奥の院では、神主を先頭にお鉢廻り(周回)を3回廻った後、祈願を行う。
 この登拝には、あまさを断ちきるため、親子の同行を許さず、父親以外の人が付き添う。
 女人の登拝は禁制で、7歳女子の祈願は拝殿にて行う。
 下山後は、各家に於いて親族・近隣が集い祝宴が催されろ。
       羽田神社 宮司  尾形公夫

 一ノ鳥居を潜ります

 東南東向きの急な参道石段を進みます

 ニノ鳥居です

 平成15年の三陸南地震被害復興工事の竣工記念碑です
     竣工記念碑
 平成15年5月26日三陸南地震により、境内亀裂  参道石段の損壊被災。
 災害改修奉賛会を結成、之を修復竣工を後世に伝える。
   工事費一金 19711000円也
   奉参者 氏子崇敬者 1074件
      平成16年11月 吉日  羽田神社三陸南地震災害改修奉参会  

 綺麗な御影石の石段ですが、少し段差が大きいのが気に成りました

 神門が見えて来ます

 神門です

 右側には天王社です

 左側には水神社です

 水神社の南側には馬頭観世音の石碑や供養塔などが並んでいます

 赤い実は、テンナンショウの実ですね

 更に参道石段を上ると社殿が見えます

 社殿です

 長く成りそうなので、続きとさせて頂きます<m(__)m>


 
 2024・10・16・09・20
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宮城県気仙沼市、本吉町下川内「御嶽神社奥宮の永寿の神木(スギ)」です!!

2024-11-03 12:35:44 | 巨樹・大木
 本吉町下川内地区は、気仙沼市役所の南南西約15km、気仙沼市役所本吉総合支所の西北西約1.5kmのところです

 気仙沼市役所本吉総合支所前の信号を南西へ、国道349号線です

 約200mの信号を右(西)へ、県道18号線です

 約250mで左(南西)へ、約500mで津谷川を学園橋で渡ります

 学園橋西詰直ぐ右手に「宮城県本吉響高等学校」入口があって、直ぐ先に「気仙沼市立津谷中学校」入口がありますのでここを右(北西)入ります

 坂道を上って中学校校門前を過ぎてグラウンドを廻る様に坂道を上り切った約700mで、右(北)への急坂の砂利道に入ります

 この砂利道が「御嶽神社奥宮」への参道に成っています

 約300m登って車を止めさせて頂きました

 さらに砂利道を上って行くと赤い鳥居が見えて来ます

 御嶽神社奥宮の鳥居です

 鳥居前から、本吉の街を見下ろしました

 鳥居を潜って参道を進みましょう

 草苅がされて歩きやすくなった参道です

 参道は杉林の中へはいって行きます

 参道中程に鐘楼です

 右手のスギ林の中に大きな幹が見えて来ます

 目的の「永寿の神木」です

 西側から「永寿の神木」に近付けます

 西側から

 「永寿の神木」の札です
   黄金が生んだ 永寿の神木 
     推定樹齢  約400年
     周囲    約6m
 *環境庁の巨樹・巨木林データベースでは、2000年の追加計測で幹周5.8m。樹高24m(目測)となっています

 北側から

 東側から

 南西側から見上げました

 さらに参道を上って「御嶽神社奥宮」にお参りして行きましょう

 社殿です

 由緒書きです
   御嶽神社の由緒
 建久元年(西暦1201年)今から758年前、奥州信夫荘司の説に依ると・・・
 佐藤元治の妻乙羽姫(尼公ともいった)、この乙羽姫は、平泉の藤原秀衡の妹であり、乙羽姫の子佐藤次信・忠信の祈警する為、吉野の蔵王権現を勧請して、御岳蔵王権現と稱した、同時に吉野の水分神社も勧請した。
 即ち吉野より二体の神魂を祀って、産金の御岳と改め、蔵王権現・水分神社を合祀し金峰山御岳神社と稱せられ、現在に至る。(本吉町誌より)
      昭和61年(1986)1月   山田第二老人クラブ

 境内にはモミの大木がありました

 では、次へ行きましょう




 2024・10・16・07・00
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宮城県気仙沼市、本吉町津谷舘岡「役場の傘松」(市指定)です!!

2024-11-03 06:31:21 | 文化財・樹木
 本吉町津谷舘岡地区は、気仙沼市役所の南南西約15km

 気仙沼市役所本吉総合支所前庭(西側・一段下)に傘松があります

 *気仙沼市は、宮城県の北東端に位置し、東は太平洋に面します。
 東部の唐桑地区から気仙沼地区にかけては、三陸の他地域と同様にリアス式海岸が特徴的で、岩手県沿岸と比較して標高が低く、なだらかな丘陵が多いくなります
 市内東側の唐桑半島と南側の気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館 (旧気仙沼向洋高校)などのある岩井崎の間は、深く入り組んだ海岸線が波の穏やかな気仙沼湾を形成しています。
 湾内には気仙沼大島大橋(鶴亀大橋)で繋がれた「大島」(東北最大の島:面積8.5㎢、人口約3000人)が浮かび、全国2位に選ばれた「小田の浜海水浴場」や対岸に広がる気仙沼市街地を見渡せる絶景スポット標高325mの「亀山」、震災時に周辺で山火事が発生し、周り木は燃えてしまったものの、神社は燃えずにそのまま残った奇跡の神社「愛宕神社」などもあります。
 市内から南の本吉地区には「大谷海岸」や「小泉海水浴場」など、穏やかな海岸線が見られるようになります。
 本吉町は平成21年(2009)9月1日に気仙沼市に編入されました。

 本吉総合庁舎の北側に広い駐車場があります

 東側から

 天然記念物標柱です、昭和43年6月22日に本吉町天然記念物に指定されています

 北側から

 西側から、樹種はアカマツで樹齢は約280年と推定され、仙台藩政時代の肝入佐藤家旧邸の庭木と言われています

 西側の幹です

 北側から

 南側から

 南側の道路を渡って南西側から傘松と本吉総合支所を見ました

 秋の取材時間は短くなります、6月には18時半くらいまで取材が可能でしたが、17時には薄暗くなってしまいます

 では、だいぶ陽が傾いてきたので、今日の取材は終わりにし宿へ向かいましょう

 


 2024・10・15・16・40

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