ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岩手県奥州市、江刺米里荒田表「自徳寺のイトヒバとイチョウ(市指定)」です!!

2024-11-27 18:57:00 | 巨樹・大木
 江刺米里荒田表地区は、奥州市役所の東北東約18km、奥州市役所江刺総合支所の東北東約13kmのところですが

 今回は花巻市東和町田瀬21区(国道107号線と県道27号線・県道178号線の交差点)から南下して来ました

 花巻市と奥州市の界から、南へ花巻市学問沢地区です、約5.8kmの「荒町橋」手前で斜め右(南西)へ県道27号線から外れます

 約300mで丁字路を右(北東)へ、坂道を登って間も無く斜め左(北北西)へ進むと

 自徳寺前の駐車場に入りました

 南東向きに山門です

 山門脇にモミジの古木です

 幹に古木感が出ています

 幹の洞から根が出ています

 北東側から

 六地蔵様です

 参道石段を進みます

 鐘楼です

 手水舎です

 イトヒバです

 説明版です



  北東側から

 本堂です

 目的のイチョウは本堂西側の墓地入口に立っています

 東側から

 南側から

 南西側から

 西側から

 南東側の駐車場へ戻る時にふり返って見ました

では、次へ行きましょう




2024・10・19・12・00
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岩手県花巻市、東和町田瀬「田瀬舘跡の杉」(市指定)です!!

2024-11-27 13:07:00 | 巨樹・大木
 東和町田瀬地区は、花街市役所の南東約18km、花巻市役所東和総合支所の南東約12kmのところです

 こんかいは遠野市側から入りましたので、遠野市と花巻市の界からのルートで説明させて頂きます

 遠野市市内から東北横断自動車道の守谷インターを降りました、信号を右(北)へ、国道107号線です

 約800mの猿ケ石川の沢田橋を渡った「⇐盛岡・北上・花巻・国道283・107号線」の標識に従って信号を左(西)へ

 道成に猿ケ石川沿いを約3.9kmで「⇖横手・北上・国道107号線」の標識に従って斜め左(西)へ

 さらに道成りに猿ケ石川に沿う様に約3.8kmの「屏風岩」の先の切通しが遠野市と花巻市の境界です

 道成に約3.0kmの県道27号線と県道178号線の交差点を右(北)「宮森」方向へ、県道1768号線です

 約2.1kmで右手に「田瀬湖中通パーキング」があります

 駐車場に車を止めさせて頂きました

 かつて湖面で使われていた船が展示されています

 説明版です
   第二東和丸の歩み
 花巻市東和町の田瀬地区は、小倉、中通、白土の三つの行政区に分かれ、農協の支所や派出所、診療所、中学校があった中通集落が中心地となっておりました。
 しかし、昭和29年の田瀬ダムの完成に伴い中通集落が分断され、24戸が向田瀬側に取り残された格好となりました。
 田瀬大橋がまだ架設されておらず、田瀬湖の対岸に行くためのルートは、ダムの堰堤か、上流にあるつり橋の白金橋だけでした。
 当時はバスもなく、向田瀬と中通の約1kmを結ぶため、昭和35年に渡し舟「第一東和丸」が就航しました。
 その後、木造船の第一東和丸が老朽化し、昭和45年に鉄製の第二東和丸(展示船)に引き継がれました。 
 船体の長さ9.5m、幅2.5mの19人乗り。乗船は無料で通学や通院、荷物の運搬などに利用されておりました。
 最盛期は、1日7往復運航していましたが、冬場は砕氷して航路を確保するため、夜中も3回ほど運航し、所要時間は、夏場は10分、冬場は30分ぐらい要しました。
 その後、向瀬田地区まで道路が整備され乗合バスが運行されたことから昭和57年3月をもって渡し船は廃止となりました。
 その後、第二東和丸は、民間に払い下げられましたが、平成18年11月、この地に保存、展示することになりました。
       制作 平成21年12月 田瀬地域コミュニティ会議


 舳先側から見ました

 エンジンが載っています

 目的の「田瀬舘跡の杉」の案内図と説明版です
   花巻市指定天然記念物(植物)
     田瀬館跡の杉(たてだてあとのすぎ)
       法量  目通り幹囲4.65m、根元回り5.95m、樹高約25m、樹種 スギ
       指定年月日  昭和51年9月27日
       所在地    花巻市東和町田瀬
 田瀬舘は、天正19年(1591)に江刺氏(のちの土沢城主)の舘跡で、この杉は、その田瀬舘があった場所に生育しています。
 樹齢は400年以上あると推定されます。杉の根元には、祠が祭られています。
 🔳所在地
 田瀬舘跡の杉は、田瀬湖中通駐車場より歩いて3分ほどの場所にあります。
 途中、未舗装の道となり、土手を登らなければならない場所もありますので。足元には十分注意して探訪してください。
 なお、田瀬舘跡の杉の南東側は、斜面が急な崖となっておりますので、気を付けてご見学願います。
          花巻市教育委員会
       
 「田瀬舘跡の杉」を見に行きましょう

 ダム湖が見えました

 ここを入って行きますが、目的のスギの樹冠が見えています

 草苅がされていません

 小雨が降っているので、靴からズボンまでビショ濡れの上、草の種(ヒッツキムシ)が沢山付いてしまいました

 右手に目的のスギが見えています

 回り込む様に北東側から近付きます

 南側から

 根元に祠です

 南東側から、目通り幹囲5.1mの巨木です

 東側から見ました

 では、濡れた服を着替えて、次へ行きましょう




 2024・10・19・11・20
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岩手県遠野市、土淵町栃内22地割「前厚楽沢のアカマツ」(市指定)です!!

2024-11-27 06:34:00 | 巨樹・大木
 土淵町栃内22地割地区は、遠野市役所の東北東約9kmのところ

  遠野市役所南側の仲町通りを東南東へ、約200mで信号を左(北北東)へ

 約1.1kmの国道283号線の交差点信号からは国道340号線となって更に進みます

 約6.2kmの「貞任・山口⇒」の標識に従って交差点を右(東)へ
 
 約700mの三叉路を左の道へ

 三叉路に大槌街道説明版です
   大槌街道
 「遠野物語」第37話には、馬で荷物を輸送する駄賃付けが、大槌街道上にある界木峠で、度々狼に遭遇したという話がしょうかいされている。
 この街道は、近代になるまで駄賃付けを主とした、内陸部と沿岸部を結ぶ輸送の道で、情報や文化の行き交う街道であった。
 駄賃付けの賃金は、冬の夜間で3割増しにもなるが、積雪のために道がすっかり埋まり、命を落とす人も多かった。
     令和2年3月  遠野市教育委員会  協力 山口自治会
 *ここから約2kmで目的の「前厚楽沢のアカマツ」の前を過ぎて、界峠の北側に広がる約9km先の、このブログで紹介した釜石市の和山高原の「和山のシナノキ」の前を通り、更に約30kmで大槌町内へ抜ける事も出来ます

 重要文化的景観 遠野土淵山口集落案内図です
   馬産地・遠野と山口集落
 馬は移動や運搬、農耕などに役立つ大事な動物で、遠野一帯でも古くから飼養されていました。
 江戸時代には馬産の礎が築かれ、近代以降も基幹産業として営まれてきました。現在も、乗用馬などの育成が行われています。
 山口集落は江戸時代、山口村と杤内村の一部で、明治時代に土淵村となり、昭和29年の合併で遠野市となります。
 市の中心市街地から東方の三陸海岸へと向かう街道が通過しており、大槌方面と釜石方面に分かれる分岐点に立地しています。
 街道沿いに並ぶ家々では、馬を飼い、農耕や駄賃付け(運送業)に利用していました。
 以上より、馬産地・遠野の象徴する重要文化的景観「遠野荒川高原牧場土淵集落」の一部となっています。
  *「荒川高原牧場」は、先日このブログで「荒川高原のシナノキ」で紹介させて頂いておりますが、霧(雲の中)で風景を見る事が出来ませんでした。
  *グーグルマップの荒川高原牧場を開くと、沢山に馬たちの写真が載っています。
   柳田國男「遠野物語」と山口集落
 かつて人馬が行き交った山口集落では、旅人によってさまざまな話がもたらされたほか、家々や地域の由緒なども語られていたものと思われます。
 こうして当地に残った話を収集していた佐々木喜善が柳田國男に語り、まとめられたのが日本民俗学の記念碑的著作とも言われる「遠野物語」です。
 山口集落には、「遠野物語」に描かれるさまざまな場所が残っています。
 山男山女と出会うとされた峠、河童が出る淵、ザシキワラシがいたという屋敷跡などはその一例です。
 人が馬と一緒に暮らしていたころ、山々へ畏怖、危険な場所への警告、不思議な出来事などをどのように表現してきたのかを、物語と景観で感じてください。
   山口集落の「ながめづくり」
 山口集落では、住民自らが取り組む景観保全の指針として「おらほのながめづくりガイドライン」を定めています。
 また、市と「遠野市土淵町山口集落ながめづくり協定」を結び、協働で「遠野物語」の原風景を守っています。
     令和2年3月 遠野市教育委員会・協力山口自治会

 約1.9km坂道を登って行きます

 道路左手に鳥居が見えました

 前の道路脇に車を止めさせていただきました

 天然記念物標柱ですが、文字は消えてしまっています

 鳥居が登り口ですが草苅がされていないので登のは諦めました

 すぐ先から林が刈り払われた上に目的の「前厚楽沢のアカマツ」だけが残っています

 少し先から

 ズームアップして見ました

 少し先から

 またズームアップして見まました

 さらに少し先から

 では、次へ行きましょう




 2024・10・19・10・25
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