大社町は、三島市役所のすぐ東側のところ
三嶋大社の前を東西に走る県道22号線(東海道)の一本南側の通り(東から西への一方通行)に面して日隅神社が鎮座します
三嶋大社鳥居前から東へ二つ目の日の出町信号を南へ、すぐ次の交差点を西へ成真寺入口を過ぎた右側です
成真寺の駐車場に車を止めさせて頂きました
参道入口です
官幣大社 三島神社 元末社 日隅神社です(末社となっています?)
説明版です
由緒
日隅神社は、三島市大社町(旧宮倉)に鎮座し、祭神は大己貴命(別名 大国主命)を祀り、福徳口満の神と稱えられ、伊豆国神階帳には「正五位上、角の明神」と記され、三嶋大社摂社の一つとして崇められ、宮倉区の氏神である。
祭典は正月15日、5月15日(大祭)、9月15日に行われる。(こちらでは摂社となっています?)
境内には目通り4m74cmの欅の巨木がある。
*目通り幹囲5.3mを越えて成長しているようです
正面に拝殿です
本殿覆い屋です
こちらにも説明版が有ります
日隅神社
鎮座地 三島市大社町8番12号
祭神 大己貴命(大国主命)
例祭日 5月15日
由緒
伊豆国神階帳に正五位上角の明神といわれる。
神話に稲羽の素莵を助け、また天神に国土を献上された。
三嶋大社の御祭神事代主命の父神に当る。
古来三嶋大社摂社で、大社八所別宮の一つ、また五の宮ともいわれ、維新後明治10年には大社の末社に指定されて崇敬された。
終戦後市内区画の変革はあったが、旧宮倉の氏神である。
安永7年(1778)外棟札を4枚蔵している。
*古来は三嶋大社の摂社として、明治10年からは末社とされていたようです
*摂社と末社の違いとは(神社本庁ネットより)
戦前の旧官国幣社においての基準で、神社境内にある小さな社の呼称として用いられた言葉です。
本殿(本社)に祀られている主祭神に関係の深い場合は摂社、主祭神と関係の薄い(客分)の場合は末社となるのが基本です。
他に、伊勢神宮の両正宮や石清水八幡宮などでは「別宮」と呼ばれたりしているようです。
又、延喜式神名帳に載る式内社が摂社、延暦儀式帳に載る社を末社としているそうです。
参道左境内真ん中にケヤキの巨木です
東側から、推定樹齢550年だそうです
北西側から
西側から
南側から、御神木認定証と保存木標識です
では、次へ行きましょう
三嶋大社の前を東西に走る県道22号線(東海道)の一本南側の通り(東から西への一方通行)に面して日隅神社が鎮座します
三嶋大社鳥居前から東へ二つ目の日の出町信号を南へ、すぐ次の交差点を西へ成真寺入口を過ぎた右側です
成真寺の駐車場に車を止めさせて頂きました
参道入口です
官幣大社 三島神社 元末社 日隅神社です(末社となっています?)
説明版です
由緒
日隅神社は、三島市大社町(旧宮倉)に鎮座し、祭神は大己貴命(別名 大国主命)を祀り、福徳口満の神と稱えられ、伊豆国神階帳には「正五位上、角の明神」と記され、三嶋大社摂社の一つとして崇められ、宮倉区の氏神である。
祭典は正月15日、5月15日(大祭)、9月15日に行われる。(こちらでは摂社となっています?)
境内には目通り4m74cmの欅の巨木がある。
*目通り幹囲5.3mを越えて成長しているようです
正面に拝殿です
本殿覆い屋です
こちらにも説明版が有ります
日隅神社
鎮座地 三島市大社町8番12号
祭神 大己貴命(大国主命)
例祭日 5月15日
由緒
伊豆国神階帳に正五位上角の明神といわれる。
神話に稲羽の素莵を助け、また天神に国土を献上された。
三嶋大社の御祭神事代主命の父神に当る。
古来三嶋大社摂社で、大社八所別宮の一つ、また五の宮ともいわれ、維新後明治10年には大社の末社に指定されて崇敬された。
終戦後市内区画の変革はあったが、旧宮倉の氏神である。
安永7年(1778)外棟札を4枚蔵している。
*古来は三嶋大社の摂社として、明治10年からは末社とされていたようです
*摂社と末社の違いとは(神社本庁ネットより)
戦前の旧官国幣社においての基準で、神社境内にある小さな社の呼称として用いられた言葉です。
本殿(本社)に祀られている主祭神に関係の深い場合は摂社、主祭神と関係の薄い(客分)の場合は末社となるのが基本です。
他に、伊勢神宮の両正宮や石清水八幡宮などでは「別宮」と呼ばれたりしているようです。
又、延喜式神名帳に載る式内社が摂社、延暦儀式帳に載る社を末社としているそうです。
参道左境内真ん中にケヤキの巨木です
東側から、推定樹齢550年だそうです
北西側から
西側から
南側から、御神木認定証と保存木標識です
では、次へ行きましょう
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