ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県茨城町、下石崎「神塚神社の椎の木(スダジイ)」です!!

2019-03-16 06:53:18 | 巨樹・大木
下石崎地区は、茨城町役場の東約8kmのところ

県道40号線を東へ、県道179号線を南に向かい

道なりに東へ進むと、道路右手に参道を東にして

神塚神社が鎮座します、南側の道路脇に車を止めさせて頂きました

涸沼北岸の涸沼自然公園の北側のところです



参道入口です

村社 神塚神社です

スギやヒノキの参道並木道を進みます

そこここに境内社の祠が配置されています

二の鳥居です

手水舎です

立派な石灯篭です

狛犬です

拝殿です

本殿です

造営記念石碑です
  神塚神社御造営記念之碑
 下石崎の産土大神と称え奉る神塚神社の御祭神は
武甕槌命にて、社伝によれば武甕槌命東国に下り給
いし時、当地に休息せられて仮塚と云い伝えられ、
後神塚になったと云う。
 社に纏わる一奇説がある。大同年間、当神社創建
の際、武甕槌命の御遺しおかれた小石を安置したと
ころ、夜な夜な光を発し地域民を驚かせた。あると
き、この小石を盗んだ盗人が下総に逃げて行ったが
、異光に恐れてか印旛沼に投げ捨てたと云う。沼の
中に光る物があるとの噂に、漁師達がつきとめたと
ころ当社の小石であり、村人これを聞いて早速厳か
に迎え大神に詫びを入れたと云われる。この神石、
今も当社に鎮り村の守護に当っている。
 御社殿幾星霜風雨に耐え抜き、近年とみに老朽甚
だしく、茲に氏子一同相計り、蒙りし鴻大なる神恩
に報い奉ると共に、伝統を継承し、悠久の昔から永
遠の未来への中今として、現在を生きる者の責務を
果たすべく、平成13年9月建設委員会を結成する
に至った。本殿改築を中心として、拝殿、幣殿、瑞
垣等の改築事業を計画し、経済不況の折にも拘らず
氏子一同その意を解し浄財の寄進を惜しまず、尊い
事業を完遂させることが出来た。平成15年一切の
工を竣え、6月15日竣工奉祝祭を斎行申し上げる

 今茲に敬神崇祖の誠を尽くし平成期に於ける御造
営の大要と篤志の人々の名を記して後世に伝えるも
のである。
 平成15年6月吉日 神塚神社宮司 飯塚 重






拝殿の右手、北側道路沿いの境内に目的のスダジイが在ります


町指定天然記念物標柱です



北側道路沿い東側から



スダジイと社殿の間の立派な鳥居の有る社です

北側の出口です

北側から見ました、目通り幹囲6,1mの巨木です

戻りましょう


参道入り口鳥居の向い側にお地蔵様がいらっしゃいます

町指定の文化財、石造道標地蔵尊標柱です

椎の木と地蔵尊の石碑です
 当神塚神社は下石崎総鎮守、祭神は武甕槌命 昔
命東国に下り給ひし時、当地の神社境内に憩はれ、
之を假塚といひ後神塚といふ、今を去る1150年
現在のほとりに創建したと傳えらる。当時御神木と
して諸木植樹されしが、樹齢漸く書き今に留むるは
、之椎の木のみなり。歴史を刻みしその威を稱え、
昭和43年茨城町天然記念木第1號に指定さる。
 神塚神社前地蔵尊は232年前創建され、以来氏
子安穏五穀豊穣家運隆盛導標安全及幸福を祈願せし
め給ふ、その恵澤を稱へ茨城町文化財第2號に指定
さる。
 茲に明治100年を記念し、氏子全戸の浄財を寄
進し修築永久に保存せんとするものなり。
  昭和43年9月吉日

では、次へ行きましょう
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茨城県茨城町、国指定天然記念物「 大戸のサクラ」です!!

2019-03-15 06:21:45 | 
大戸地区は、茨城町役場の北約4kmのところ

夷針神社参道の東側に

国指定天然記念物の大戸のサクラが在ります


夷針神社参道入り口です東側道路を北へ進みます

案内板に従って東へ


すぐの、この先は左です

正面に大戸の桜です

思ったより小さい桜です

指定文部省の天然記念物標柱です

説明版です
   国指定天然記念物 大戸のサクラ
 大戸のサクラは、赤芽のヤマザクラの老大株で、
樹齢約500年を数える。
 現在の根元周囲10,4m、高さ約15mである
が、大正時代ごろには、約1000㎡(300坪)
の範囲に枝をひろげていたという。
 花は白色で直径約3cm。花期は4月20日ごろ
である。
 水戸黄門として知られている徳川光圀公が、この
サクラを鑑賞したと伝えられている。
  平成2年3月     茨城町教育委員会 



茨城百景の石碑です

茨城町教育委員会設置の天然記念物標柱です

西側から、焦げた様な枝の無くなった跡が有ります

北西側から見ました

今年も桜の季節が楽しみですね

では、次へ行きましょう
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茨城県茨城町、大戸「夷針神社のスダジイ」です

2019-03-14 09:42:07 | 巨樹・大木
大戸地区は、茨城町役場の北約4kmのところ

県道40号線沿いの大戸小学校から北に入ると

南向きの長い参道の先に夷針神社が鎮座します

参道入口鳥居前に車を止めさせて頂きました


参道入り口です

村社 夷針神社です


長い並木の参道です


二の鳥居です

もうすぐです


手水舎です


拝殿です

社殿右に目的のスダジイです


本殿です


敬神の石碑が有ります
 夷針武熊大明神  縁起
 夫れ延喜式、大日本國3132座の宮社、当國28社
なる夷針神社は大戸(村)に鎮座し小社なり。
 當時那珂の里なりしも時代の変革に伴い、茨城の里に
彊を更う。
 奉安せる祭神は、興津日子命・興津比賣命の二柱にし
た、人皇第45代、聖武帝神亀2年乙丑9月29日(西
725)の創建なり。
 夷針の神は所謂竃の神にして霊験あらたかに業厚招福
・守護安體を司る神なり。
 由りて古くより、庶民の信仰を集む。
 抑々平氏の豪祖・高望玉常陸太守に任じ国府を常陸國
の平邑に建つ則ち後の国府なり。
 以来常陸大掾をして國政を監せ俾む。
 后来大掾の子孫連綿、して馬場城より水戸城に移り、
住みて数代。
 時恰も應永33年(西1426)奥鎮守府将軍藤原秀
郷12代の後裔江戸但馬守通房、満幹、の出城を窺いて
 して虚に乗じ之攻め、終に水戸城を穫、満幹落城の日

 大掾氏家臣、鯉渕城主、根小屋伊勢守武熊明神を兵火
により大戸に避け夷針の宮に神霊安置、事己んで併せ祀
り今に至ると、云 。
 当社縁起次第、伴の如きなり。
 昭和60年乙丑11月吉日







スダジイは注連縄が巻かれてご神木ですね


本殿脇から

北から見ました、目通り幹囲6,7mの巨木です


本殿西側に立派な木の鳥居です

社ですが名前が分かりませんね

本殿裏側の祠です

では、次は大戸のサクラです、すぐ東側に在りますので歩いて行きましょう
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茨城県茨城町、木部「稲荷神社の大杉」です!!

2019-03-13 06:42:21 | 巨樹・大木
木部地区は、茨城町役場の西約5kmのところ

県道43号線を西に進むと

県道北側に稲荷神社が鎮座します

県道に面してカヤの大木二本が門型に並んで入口を形作っています

県道脇に車を止めさせて頂きました



入口です、二本のカヤが門のように成っています

村社 稲荷神社です

拝殿です

本殿です


拝殿の右手に目的のスギです

天然記念物標柱です、町指定天然記念物 稲荷神社の大杉となっています



西側から、幹が途中で無くなってしまっています

途中から折れてしまっています、台風の被害のようです残念です

境内には多くの祠が集められています

では、次へ行きましょう
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茨城県茨城町、飯沼「稲荷神社のイチョウ」です!!

2019-03-12 06:36:50 | 巨樹・大木
飯沼地区は、茨城町役場の西約3kmのところ

県道43号線を西へ進むと

県道南側の丘の上に稲荷神社が鎮座します

神社入口手前の道路脇に車を止めさせて頂きました



西南西向きの参道入口鳥居です

稲荷神社です

社殿です

本殿は覆い屋の中です

社殿西側のスダジイです


本殿の裏側一段下にイチョウの大木が在ります

南側から

北西側から

北側から幹周は実測できませんでしたが5m程ありそうでした

東側に境内社の社です


西側道路からスダジイを見ましたが、イチョウは見えません

では、次へ行きましょう
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茨城県小美玉市、小岩戸「石船神社のスギとケヤキ」切られてしまいました!!

2019-03-11 06:29:47 | 巨樹・大木
小岩戸地区は小美玉市役所の北東約2kmのところ

国道6号線小岩戸信号を東へ入ると間も無く

左手に石船神社が鎮座します

鳥居脇に車を止めることが出来ました


石船神社鳥居です

村社指定石船神社です

参道石段を上がります

石段脇のスギの切株です

切株を上側(境内)から見ました

手水舎です

拝殿です

本殿です

由来石碑です
 小岩戸石船神社由来の碑
当神社の御祭神は、建国に貢献のあった「島石楠船命」
(別名天島船命)を奉斎している。また交通運輸を司る
船神であると言う。
 記録によれば、頃は永正元年(1504年)10月の
あかつき、この地に白刃の御矢立給うとあり、御矢とは
、常陸の国は岩船神社に祀り奉る大神なり。
 この御神の放つ矢立ち給う所鎮守無き故、村内18戸
協議の上、栗原茂座衛門、久保田喜右衛門が世話人とな
り、岩船村(城里町岩船)の岩船神社に願入り候て、鎮
守写しと御分霊を授かり小岩戸村に祀り奉るとある。
 年来て、明和2年(1765年)御宮建替・鳥居の建
立等ありて、以来長い歳月を経て幾度かの建替修繕えを
行なう。
 近年では、昭和52年(1977年)本堂覆殿の新築
と拝殿一部改修を、また昭和56年(1981年)鳥居
の建立を行った。私達は、神を敬い鎮守を守り毎年祭礼
を催し、今日まで継承してきた。
 また、境内には樹齢約500年幹廻り6,5m、根回
り約18mの欅の巨木があった。県内外でも数少ない銘
木として知られ、自慢の大木でもあった。しかし、ここ
数年来より樹勢が衰え、枯死まで数年ととの状況となり
、対応策について各常会の意向と、代表者会議を設け協
議検討した結果、止むを得ず総意により伐採売り払いと
決した。
 入札を実施し最高額を提示した土浦市(株)木田と契約
を結び、平成24年10月伐採した。その等価をもって
、ここに拝殿新築工事を施工し、平成25年10月完成
し竣工祭を執り行った。加えて付帯工事に手水舎の建替
・拝殿石張り、記念碑の建設を行った。
 境内社には八坂神社 (素戔嗚命・別名牛頭天王)
      八幡宮  (八幡神)
      日吉神社 (大山咋神)の三社を合祀する。
 祭礼日  天王様  7月 日(海の日)
      石船神社11月3日(文化の日)
 ここに後世の為、石船神社由来の一端を記し、併せて
氏子各位の繁栄を願い記念碑を建立する。
   平成25年10月吉日

ケヤキの切られた件については記載が有りましたが、スギに関しては不明のままです



拝殿東側に大きな杉の切株が有ります

東側から

北側から、かつて目通り幹囲5,7mのスギが在りました

本殿西側にあったケヤキ、目通り幹囲6,9mも切られて跡形もなくなっていました

本殿裏に説明版だけが残っていました

本殿西側には石仏と男根神が祀られています


本殿北東側に現在の御神木スギが祀られています、まだまだ細いスギです

本殿東側の社です


境内東側の小岩戸農村集落センターです

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茨城県小美玉市、堅倉「貴布禰神社のケヤキ」です!!

2019-03-10 07:10:02 | 巨樹・大木
堅倉地区は、小美玉市役所のところ

国道6号線堅倉信号と堅倉北信号の南側に

貴布禰神社が鎮座します

堅倉北信号を南に入って

境内本殿東側駐車スペースに入りました


境内入り口の鳥居です

拝殿です

軒下には額が二枚掲げられています、貴布禰神社と金刀比羅神社です

本殿です

拝殿の右側に御神木のスギです

南東側から

杉の根元に、三等三角点が有ります

本殿の東側に目的のケヤキです(南西側から)

西側から

北側から

北東側から、目通り幹囲7,3mの巨木です


境内北側には大きな社名石碑が建っています

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茨城県土浦市、手野「空禅寺のイタジイ」です!!

2019-03-09 07:38:46 | 巨樹・大木
手野地区は、土浦市役所の北東約5kmのところ

国道354号線を北に進みます

JR常磐線踏切りを越えて旧道に入ると

間も無く右に入ったところに

熊野山 阿弥陀院 空禅寺が有ります

境内に車を止めることが出来ました




参道です


熊野山 空禅寺 入口です



空禅寺の古い石碑です

本堂です

本堂落慶記念碑です
 熊野山 阿弥陀院 空禅寺は正中2年(1325)8月、
覚阿上人この地に錫を留め一宇を建立したるお濫觴とし、今
日に至ると伝えられている。
 斯らくして法灯実に670余年を数うれども、惜しむらく
は幾度かの災厄に逢い、記録・寺宝の多くは失われるものの
境内には、室町時代のものと推定される十数基の五輪塔及び
石幢一基、又、堂内には慶安4年(1652年)の火災によ
り損傷を受けたるものと思われる、大一尺二寸の銅仏阿弥陀
如来立像一体が残っている。
 前本堂は、荒廃甚だしきため、新築の機運高まり、ここに
壇信徒相はかり心を一つにして財を募り工を起し、平成10
年3月吉日落慶をみるに至った。
 数に於いて法燈燦として再び光輝を放ち、遍く衆生を倶に
安楽浄土を照らさんことを布う、更に、我寺が子々孫々報恩
感謝の志を具現し、永く先師先人の遺風と法燈を護り、寺壇
益々の隆盛を祈って、記念の碑を建立し、これを後世に伝え
るものである。
                 檀信徒一同建之




境内の墓地全面には五輪塔が並びます

市指定文化財 石造五輪塔群です

目的のイタジイは、墓地の先の丘の上に在ります

門前の道路を行きましょう

西側に近づきます

西側から

土浦市指定名木・古木の案内板です
 名称      「空禅寺のイタジイ」
 指定番号    土浦市名木・古木指定第46号
 指定年月日   平成8年2月9日
 所在地     土浦市手野町
 所有者     空禅寺
 住所      土浦市手野町
 氏名      今泉明
 樹種      イタジイ〔スダジイ〕(ブナ科)
 樹木の形状  
    樹高     13,5m
    胸高周 地上0,52 5,0+6,4m
    葉張り 東西 20,2m
        南北 14,9m
         土浦市
    


根元から見上げました

北東側から

離れて見ました

東北東側


南東側

南南東側から

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茨城県土浦市、木田余東台「木田余共同墓地のスダジイ」です!!

2019-03-08 07:06:57 | 巨樹・大木
木田余東台地区は、土浦市役所の北東約4kmのところ

県道263号線を北へ、真鍋東通りを東へ入ります

県道141号線へ直進して最初の信号を左(北西)へ

坂道を上った新興住宅地が東台です

勤労者総合福祉センターの手前を南へ入った所に

木田余共同墓地が有ります

ちょうど鹿島八坂神社の東側です

前の道路脇に車を止めさせて頂きました

墓地の南東側道路から見ました

東側に墓地への入り口が有ります

墓地の中ほどに目的のスダジイです




土浦市指定名木・古木の案内板です
 名称     「木田余共同墓地のシイ」
 指定番号   土浦市名木・古木指定第68号
 指定年月日  平成9年1月10日
 所在地    土浦市木田余東台
 所有者
 住所     土浦市木田余東台
 氏名     松浦俊雄
 樹種     イタジイ〔スダジイ〕(ブナ科)
 樹木の形状
 樹高       12,5m
 胸高周       6,97+2,16m
 葉張り   東西 14,6m
       南北 16,7m
     土浦市

北東側から

北側から

北西側から

南東側から

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茨城県土浦市、木田余東台「鹿島八坂神社のクマノミズキ」です!!

2019-03-07 06:23:22 | 巨樹・大木
木田余東台地区は、土浦市役所の北東約4kmのところ

県道263号線を北へ、真鍋東通りを東へ入ります

県道141号線へ直進して最初の信号を左(北西)へ

坂道を上った新興住宅地が東台です

勤労者総合福祉センターの先を南へ入った所に

参道を西向きに鹿島神社が鎮座します

参道入口の鳥居前に車を止める事が出来ます

参道入口鳥居です、額には八坂・鹿島の両神社名が併記されています

鹿島神社です

手水舎です

拝殿です

本殿です

鹿島神社改築事業記念碑です
  祭神 武甕槌命(タケミカヅチノミコト)
 当鹿島神社の創建年代は大同年間との言い伝えはあるが
定かではなく、現在のご神体は、享保7年(1722年)
11月15日常州新治郡木田餘村から鹿嶋大明神幣帛とし
て納め祭られております。従って、この当時に社殿の再建
等大きな節目があったものとされています。旧社殿に係る
建設年次及びその経過等は不明ですが、経年による老朽化
が顕著となり、拝殿・幣殿の改築及び本殿の修復が急務と
判断され、平成25年6月1日に鹿島神社建設委員会が設
立されました。同年7月社殿の改築及び本殿の修復事業が
開始され、翌平成26年4月8日に還御の儀及び落成式を
挙行し、この大事業が無事達成されました。
 茲にこの歴史的経過を記し、後世に伝えるものである。
     平成26年4月吉日(2014年)

本殿北側のクマノミズキです

土浦市指定名木・古木の案内板です
 名称      「鹿島八坂神社のクマノミズキ」
 指定番号    土浦市名木・古木指定第41号
 指定年月日   平成8年2月9日
 所在地     土浦市木田余東台
 所有者     鹿島八坂神社
 住所      土浦市木田余東台
 氏名      鈴木健一
 樹種      クマノミズキ(ミズキ科)
 樹木の形状
 樹高      17,5m
 胸高周      2,63m
 葉張り 東西  11,5m
     南北  11,1m
  土浦市

*クマノミズキは、本州・四国・九州からヒマラヤに分布し
丘陵から山地の林内に生育する落葉高木で、樹高8~12m
直径30cmほどになる。花は6~7月、枝先に葉より高く
散房花序を出し、小さな黄白色の花を密につける。花弁は4
個。長さ4~5ミリの狭長楕円形、雄しべは4個、花柱は1
個。果実は核果で直径5ミリの球形で、7~10月に紫黒色
に熟す。
 ミズキとの違いは、ミズキが葉を互生し、広卵形ないし広
楕円で、花期はクマノミズキより一か月早い。


拝殿前右手には御神木のケヤキです、目通り幹囲約3mです


本殿北側の愛宕神社の社です

本殿南側の八坂神社の社です

文久元年(1861)酉年銘の水盤が置かれています


八坂神社の社の裏側(東)にはスダジイの大木です


社殿北側には祠が並びます

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茨城県土浦市、真鍋「八坂神社のケヤキ2本とムクノキ」です!!

2019-03-06 06:19:34 | 巨樹・大木
真鍋地区は、土浦市役所の北約3kmのところ

国道125号線を北へ、土浦一高前信号を西へ入ったところに

八坂神社が鎮座します

参道を車では行った奥に駐車場が有ります


参道入口鳥居です

郷社 八坂神社です

文化財案内板です
  八坂神社の文化財
  八坂神社は真鍋台に鎮座し、江戸時代には土浦城の鎮守
 として、明治時代以降は土浦の総鎮守として奉斎されてき
 た。平成15(2003)年には、本殿・拝殿の解体修理
 が実施された。
  当神社の宝物には市指定文化財の「土浦城櫓門の太鼓」
 がある。
  市指定文化財 建造物 八坂神社本殿・拝殿・幣殿
   指定 平成13(2001)年3月1日
本殿
  本殿は一間社流造、屋根は鉛平板(平成の修理で銅板か
 ら葺き替え)で、杮板様に葺く。今も残る棟札によると、
 元禄13(1700)年の再興であり、享和元(1801
 )年に修理されたことがわかる。外壁や腰壁の彫刻も享和
 元年以降に追加されたもので、技法や表現が優れ、奉納者
 名も陰刻されており特徴的である。
拝殿
  拝殿は入母屋造・平入り、屋根は鉛平板(同前)瓦棒葺
 きである。板床・柱間の蔀部は後に畳敷・引違戸に替えて
 いる。棟札の記録から享保13(1728)年の建築であ
 ることが確認されている。
幣殿
  幣殿は切妻造、屋根は銅版瓦棒葺きで、明治12(18
 79)年に拝殿の後ろに付設されたものである。
   平成24(2014)年3月   土浦市教育委員会

鳥居前のムクノキです


土浦市指定名木・古木案内板です
 名称    「八坂神社のムクノキ(2)」
 指定番号  土浦市名木・・古木指定第79号
 指定年月日 平成9年1月10日
 所在地   土浦市真鍋
 所有者   八坂神社
 住所    土浦市真鍋
 氏名    鈴木健一
 樹種    ムクノキ(ニレ科)
 樹木の形状
     樹高    19,0m
     胸高周    3,70m
     葉張り 東西13,7m
         南北11,4m
  位置 所有者に断ってから見学して下さい
     土浦市
*立って居るこのケヤキではないのかもしれませんが・・・

鳥居前のケヤキです

  

参道中ほど右側のケヤキです、土浦市指定名木・古木の案内板が立っています


土浦市指定名木・古木案内板です
  名称     「八坂神社のケヤキ(2)」
  指定番号   土浦市名木・古木指定番号78号
  指定年月日  平成9年1月10日
  所在地    土浦市真鍋
  氏名     鈴木健一
  樹種     ケヤキ(ニレ科)
  樹木の形状  樹高      28,0m
         胸高周      5,92m
         葉張り  東西 34,3m
              南北 27,1m
  位置 所有者に断ってから見学して下さい
     土浦市
*立って居るこのケヤキではないのかもしれませんが・・・

北西側から見ました

拝殿前のケヤキの大木です


手水舎です

狛犬です

拝殿です

本殿です

石碑です
  土浦市文化財指定記念営繕之碑
 社伝によると、八坂神社の御神霊は、往古筑波山の山麓
、大形の霊地より降ろされるものと云われる。御神体が桜
川の河口霞ヶ浦に漂い延べるを見て、嘉左衛門、弥次兵衛
の二人の漁夫が拾い上げ、湖岸の天王松の下に勧請し後現
在の真鍋台に奉遷、牛頭天王社としてこの地方の鎮護とな
すと伝えられる。
 江戸時代に入り、北西向きであった御社殿を南に向きを
替え、土浦城の鎮守にしたと云われる。
 近年発見された棟札によれば、現在の御本殿は元禄13
年(1700)、時の土浦城主土屋相模守政直公によって
再興された。大工・棟梁は、野州千住長野太左衛門清氏で
ある。
 拝殿及び鳥居は、享保13年(1728)土屋但馬守陳
直公によって建立された。元禄の再興より約百年を経過し
た享和元年(1801)土屋但馬守英直公により、拝殿鳥
居等の修復が行なわれ、本殿の彫刻類もその時組込まれた
ものである。土浦内外の武士や町人、女子も含む寄進が記
録されている。
 明治5年(1872)、神仏分離令によって社名を八坂
神社と改称、土浦町の総鎮守とあなり、明治6年(187
3)、郷社に列格した。明治12年(1879)、祠官中
條昌雄等氏子地区六ヶ町村の寄進を得て、営繕修理を行な
い、その時初めて幣殿を設けた。また大正13年(192
4)には、社司中條勝雄と氏子総代等相謀り、御社殿の茅
葺屋根を銅板に葺替え。新たに社務所を新築した。
 然るに創建以来三百有余年の風雪を経て、屋根を始め土
台等の損傷甚だしく、その修理は関係者永年の念願であり
ましたが、幸いにも平成13年(2001)3月30日、八
坂神社本殿・幣殿・拝殿が土浦市の文化財に指定されまし
た。これを機に、神官、氏子総代等相語らい、八坂神社御
社殿修復委員会を結成し、平成15年(2003)11月
より、文化庁、土浦市の御指導のもと、全解体保存修復工
事が発足しました。屋根は銅板を鉛板に葺替えましたが、
旧部材は可能な限りこれを用い、文化遺産の保存には特に
意を払いました。倒壊した手水屋も建替え、平成18年(
2006)4月22日竣工報告祭を斎行致しました。
 ここに敬神の念篤く、平成の大工事に御協力賜りました
多くの皆様方に、感謝申し上げると共に、御神徳に報謝し
奉り、御神徳の発揚に勤めますことを、お誓い申し上げ、
今その完成に当たり、その誠を碑に勒して、永遠に伝える
ものであります。
  平成19年7月吉日

 



拝殿の東側境内端に境内太さ2番目のケヤキが在ります

近付いて見上げました

土浦市指定名木・古木案内板です
 名称    「八坂神社のケヤキ」
 指定番号  土浦市指定名木・古木指定第1号
 指定年月日 平成6年3月14日
 所在地   土浦市真鍋5丁目
 指名    八坂神社
 樹種    ケヤキ
 樹木の形状 樹高     29,1m
       胸高周     5,61m
       葉張り 東西 23,7m
           南北 26,5m
 位置  境内奥の右側の大木
    土浦市


ケヤキ説明版です


境内社です

では、次へ行きましょう
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茨城県土浦市、本町「亀城のシイ」です!!

2019-03-05 06:09:35 | 巨樹・大木
本町は、土浦城址(亀城公園)のある一帯です

側には、大関高安の出身校土浦小学校や

裁判所や土浦市立博物館などが有ります




土浦城址の太鼓櫓です

太鼓櫓前から亀城のシイです

近付いて見上げました

県指定天然記念物石碑です

説明版です
 県指定文化財 亀城のシイ
    昭和31年(1956)5月25日 指定
 天然記念物のこのシイ(椎)に樹種名は、スダジイ
(別名イタジイ・ナガジイ)である。
 スダジイは福島県と新潟県以南の暖地に自生する、
ブナ科の常緑高木で、種子は食用になる。
 このシイの胸高周は7m、樹高は16m、枝張り2
1m、樹齢は約500年と推定されている。県下のシ
イの中でも有数の巨樹である。
  平成8年(1996)3月  土浦市教育委員会

北側から

北西側から

西側から

南西側から

離れて見ましたが、手前の松の蔭になってしまいましたね

では、次へ行って見ましょう
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茨城県土浦市、土浦城(亀城)跡です!!

2019-03-04 06:17:49 | 城跡・館跡・陣屋跡
土浦城跡は、土浦市役所の北西約1kmmのところ

国道125号線と国道354号線の交差点の南東側に有ります

常陽銀行の有料駐車場を利用しました




国道125号線と国道354号線の亀城公園北交差点を東へ入ると亀城公園です

亀城公園入口正面は霞橋を渡ると本丸への入り口です、正面の櫓は東櫓です

史跡碑です、土浦城址及び櫓門とあります

北側の堀です

南側の堀です

霞門です、本丸には入らずに戻ります

説明版です
  亀城公園案内図
 土浦城が築かれた時期は定かではありませんが、
現在知られている土浦城は江戸時代に整備されたも
のです。江戸時代前期には松平氏、西尾氏、朽木氏
等、中期以降には土屋氏が城主となりました、土浦
城を拠点とする土浦幡は、土屋氏のときに藩領が9
万5000石となり、常陸の国では水戸藩に次ぐ領
地の広さをほこりました。
 土浦城は「亀城」とも呼ばれています、明治時代
以降、本丸跡は土浦県庁、新治県庁、新治郡役所、
自治会館等として利用されてきました。
 昭和に入り本丸と二の丸の一部を公園として整備
し、亀城公園の名で現在も親しまれています。
 昭和27(1952)年には櫓門とともに茨城県
史跡第1号となりました。
 櫓門は明暦2(1656)年に改築されたと伝え
られ、本丸にある江戸時代の櫓門としては関東地方
で唯一現存するものです。階上に太鼓を置き、時刻
を知らせていたことから「太鼓櫓」とも呼ばれてい
ました。

南側に回ってみましょう

南側の堀越しに東櫓です

二ノ丸から見ました、東櫓と長塀が続きます


南側の入り口は旧前川口門です

説明版です
  市指定文化財 建造物
   土浦城旧前川口門
    指定 昭和46年(1971)7月13日
 この門は、親柱の背面に控柱を立て、屋根を架けた
高麗門である。高麗門は城郭の門として建てられた形
式の一つで、この門も、武家屋敷であった多計郭と町
屋の間を仕切る「前川口門」であったといわれている
。江戸時代末期の建築である。
 明治18年(1885)に土浦戸長役場(のち町役
場)の門として、さらに大正9年(1920)には田
宿町(現大手町)の等覚寺山門として移され、その後
、寺の寄贈を受けて、土浦城内の二の丸入口にあたる
「二之門」のあったこの位置に、昭和56年(198
1)移築されたものである。
  平成14年(2002)3月
               土浦市教育委員会

門の東側、外丸側の土塁跡です

門の西側、外丸の土塁跡です

内側二の丸、門の東側です

西側です

二ノ丸から堀越しに太鼓櫓前を見ました

真中の築山に二の丸跡の石柱があります

ここにも説明版があります、文面の内容は東側のものとほぼ同じですが、図面が違いますね

櫓門(太鼓櫓)です

櫓門前に土浦城址碑が有ります

櫓門を入ると本丸です、東櫓です

近付いて見ました

土浦市立博物館付属展示館になっています

西櫓です

近付いて見ました

説明版です
  土浦城 西櫓
由来 本建造物は、17世紀初頭元和6・7年頃城主
  西尾氏の時代に本丸土塁上に東西の櫓が建立され
  たとされ、西櫓はその一方の櫓である。
   土浦城は、その後土屋氏の居城として明治の廃
  藩置県に至るまで幕藩政治における土浦の中心、
  象徴として存在していた。
   土浦城内の建物は、明治以降、本丸館を始め多
  くの建物が火災や移築、取り壊しにより失われ、
  昭和・戦後に至り、本丸には、太鼓櫓、霞門、西
  櫓を残すのみとなった。
   そして、この西櫓も老朽化と昭和24年のキテ
  ィ台風により、小破し、昭和25年復元を前提と
  して解体された。
   その後復元を見ず今日に至り土塁上には礎石の
  みが残され、僅かに往時をしのばせるのに過ぎな
  かったものを、市民の浄財をもとに復元したもの
  である。
    平成4年7月   土浦市教育委員会

西櫓脇からの本丸全景です


西櫓北側の堀です

南側の堀です

堀の外側から西櫓を見ました

二ノ丸へ戻りましょう

南西側出口の橋です

南西側の橋の上から北側の堀です

南西側の土浦小学校の前を通って北側に回ります


浦和市立博物館の脇に、土浦城櫓門の礎石や土浦領境界石などが有ります

では、次は亀城のシイです
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茨城県土浦市、下高津「市文化財愛宕神社本・拝殿」です!!

2019-03-03 07:01:01 | 文化財・寺社
下高津地区は、土浦市役所の南西側すぐ、桜川を渡った南側です

比高の大きな丘の上に本堂が有りますが、参道は東側下に入り口が有ります

国道354号線を南西に進むと医療センター入口信号を戻るように

下りになった中程に参道入り口が有ります

参道入口の北側の道路を進むと

常福寺本堂前の駐車場を利用させて頂きました


参道入口です

鳥居です、市指定文化財だそうです

鳥居前の文化財案内板です
    愛宕神社の文化財
 愛宕神社は、旧土浦城下を臨む高津台にあり、寛文9(1669)年に
城主となった土屋数直が城の鬼門を守護するため奉斎し、社殿などを改築
したと伝えられる。現在、境内には市指定文化財となる社殿のほか、享保
5(1720)年銘の鳥居などが残る。
 当神社の祭神は火の神である軻遇突智命であるが、御神体は本地仏であ
る勝軍地蔵であり、愛宕権現と習合して火伏の神として信仰されてきた。

    市指定文化財 建造物 愛宕神社本拝殿
         指定 平成13(2001)年3月1日
 社殿は木造で、前方に拝殿、後方に本殿を接して配置する。屋根は茅葺
の入母屋造であり、丁字形の二棟を持つ。間取りは内・外陣形式で、平面
形が凸形で珍しい。垂木の配置はこの地方の民家に多く見られるものであ
る。これら社殿の特徴は、既存の神社建築様式とは異なるところが多く、
地方色が色濃いことを示している。茅葺屋根の社殿は、市内でも数少ない
ことから貴重である。
 その他の特徴として、拝殿の柱間装置は、現在、板壁と引違い板戸とな
るが、当初は蔀戸であったことが確認できる。また拝殿内部の格天井は後
付けであるが、鏡板には極彩色の花鳥画が描かれている。
 現在の社殿は文化8(1811)年の再建と伝えられ、それは構法等か
らも理解できる。大屋根には土屋家の家紋である三ツ石紋が配されている

    平成25(2013)年3月   土浦市教育委員会

愛宕神社社殿です、大屋根の棟は金属版で三ツ石紋が並んでいます、後方には常福寺本堂が見えています


社殿右手の稲荷社の脇にはケヤキの大木が在ります

社殿脇南側から見上げました

では、次へ行きましょう
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埼玉県志木市、秋ヶ瀬運動公園に春を探しに行って来ました!!

2019-03-02 13:08:22 | Weblog
荒川に架かる国道463号線の羽倉橋付近から

下流の秋ヶ瀬取水堰までの間が運動公園になっています


まずは、ナズナです、まだまだ伸び始めで、ナズナらしい雰囲気は有りませんね


こちらももう少しです、アブラナ科の植物です


見頃なのは、オドリコソウと

オオイヌノフグりですね


黄色い花が一つ、ニガナではないかと思いますが、葉は見えないようです

ロウバイが満開でした

では、またね~
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