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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

東京都昭島市、福島「広福寺の大松」(市指定)です!!

2020-12-16 06:40:00 | 巨樹・大木
福島地区は、昭島市役所の東約3kmのところ

都道29号奥多摩街道の福島交番前信号を南へ、都道153号福島通りを下って行きます

伏見稲荷神社の南側の変形十字路を西へ入ると、玉川の段丘崖に広福寺が有ります

山門前の駐車場を利用させて頂きました



寺前の道路です、境内側から道路の上に被さるように出ています

南側の駐車場から見上げました

南西側から

南東側根元から見上げました

山門です、境内へ入りましょう

金峰山廣福禅寺です

本堂です

左手に鐘楼です

金峰山広福寺概要説明版です、臨済宗建長寺派の寺院で、十一面観世音木座像を本尊とし、南北朝時代の貞治2年(1363)の創建と伝えられています。


境内側からの松です

天然記念物標識です
市指定天然記念物
  広福寺の大松
昭和46年1月9日指定
 この松の種類は黒松で、幹まわり約3m、樹高約20mあり、とくに枝ぶりが素晴らしく、都内でも数少ない貴重な松です。
 樹齢は約500年と推定されています。
  平成14年1月
  昭島市教育委員会

墓地側に六地蔵様です

墓地への坂道の上から松を見ました

では、次へ行きましょう
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東京都昭島市、郷地「稲荷神社の大ケヤキ(大けやき)」(市指定)です!!

2020-12-15 06:24:00 | 巨樹・大木
郷地地区は、昭島市役所の東約4kmのところ

都道29号奥多摩街道の郷地町信号から一方通行の道路を南へ下ったところ

自治会館の先に参道を東向きに稲荷神社が鎮座します

境内に車を止めさせて頂きました



道路の角に大木が在ります

自治会館です

稲荷神社入口です

村社稲荷神社です


狛犬が二対有ります

拝殿です

本堂です

境内社です

社殿の左手(南側)に目的の大ケヤキです

説明版です
昭島市指定天然記念物
  大けやき
   昭和36年6月1日指定
 この大けやきは、幹まわり7m、樹齢約400年といわれ、市内にあるけやきの中で第一の大木です。昭和34年(1959)の第15号台風以来、たび重なる大風により枝が折れてしまいました。
 この稲荷神社は、天文年間(1532~1555)の創建と伝えられ、このけやきはその神木としてあがめられています。
 平成16年12月設置
 昭島市教育委員会





稲荷神社の説明書きです


南側から

西側から、幹のほとんどは木質化して生きているのは南面の一部です

では、次へ行きましょう
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東京都台東区、上野「寛永寺輪王殿のクスノキ」です!!

2020-12-14 06:33:00 | 巨樹・大木
寛永寺輪王殿は、国立博物館の正門の並び南東側に在ります


両大師前のケヤキです

台東区の保存樹木です

境内に入ると、ケヤキの隣のスダジイです

こちらも保存樹木です

両大師(輪王寺)本堂です

東側の駐車場入口の公孫樹です

黄色く色づきましたね

こちらも保存樹木です

並んでいるすべての公孫樹が保存樹です、しかし輪王殿駐車場周りにクスノキが見当たりません


見付けました、輪王殿の裏側駐車場西端にクスノキの巨木です

近付いて見上げました

クスノキも保存樹木です

東側から

南西側から

合体木として目通り幹囲7mの巨木になるそうです

すぐ西側にも大きな切株が残っていました

では、次へ行きましょう
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東京都台東区、浅草「浅草寺鎮護堂のイチョウ」です!!

2020-12-13 06:24:00 | 巨樹・大木
浅草寺鎮護堂は、仲見世通りから西に入ったところに有ります


伝通院通りに面して門があります、浅草うまいもの会事務局の北側です

門を入った左には「人気の泉」です

石仏が並びます


鎮護堂です

本殿です、扉の前には座布団に座った招き猫がいました


説明版です
 鎮護堂
   台東区浅草2丁目3番1号浅草寺
 鎮護堂は「おたぬきさま」の名で親しまれ、防火、盗難除、商売繁盛の守護神として知られている。
 明治5年(1872)、浅草寺境内に住みついた狸の乱行を鎮めるため、浅草寺の用人であった大橋亘が浅草寺貫主唯我韶舜と相談の上、自身の邸内に祀ったことがはじまりと伝える。数度の移転を経て、同16年伝法院内の当地に再建した。



目的のイチョウです

説明版です
 鎮護堂の神木・公孫樹



鎮護堂の前から見上げました
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東京都台東区、浅草「浅草寺のイチョウ」です!!

2020-12-12 06:24:00 | 巨樹・大木
地下鉄銀座線で浅草にやって来ました

国際的に有名な浅草浅草寺です

新型コロナウイルスが怖いのにこんな所に来てしまいました

雷門前から仲見世通りは人がいっぱいです、仲見世の裏側(東側)の通りを進みます

「鬼滅の刃」の影響かそれ風の衣裳の方々が・・・

では、浅草寺本堂の前に浅草寺のイチョウが在りますが、今回は本堂南西側のイチョウです

境内案内図です

西側から



北側から離れて見ると浅草寺五重塔と並んで見えますね


根元から見上げました、保存樹表示があります


根元の石碑です

説明版です
 聖観音菩薩碑
 「正観世音菩薩」と碑の正面に刻まれている。当寺には観音さまを表した金石が多く奉安されているが、その中でもひときわ大きい碑である。
 この碑の銘文は、長年の風雪により磨滅が進んでいるが、「文」や「窪世」とわかる所が残されていることから、江戸時代の有名な石工の大窪世祥が、文化、文政年間(1804~29)頃に文字を彫ったと思われる。
 他にも世祥の金石は三基、境内に残されており、当寺にも関わりの深い人であった。江戸町人の信仰を載せた金石が運ばれ、活気付く境内の様子が目に浮かぶようである。
南無観世音菩薩    
 金龍山 浅草寺

では、次へ行きましょう
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東京都中央区、浜離宮「浜離宮庭園」の続きです!!

2020-12-11 06:51:00 | 遺跡・史跡
では、園内を見て回りましょう

タブノキの大木です

内堀の橋を渡って東へ進みます

神社が有ります

説明版です


北東側端に水上バス乗り場です

アメリカディゴです

東側から見ました、葉は尖っていませんがマツ科だそうです

灯台跡です

南へ進むと、将軍お上がり場です


横堀水門です

汐見の御茶屋跡です

海手お伝い橋を渡って庚申堂鴨場を見てみましょう

小覗です

説明版です

この堀に鴨を呼び寄せて捕まえます

子覗外側です

堀を見渡す小屋が有ります

本当に鴨がいました

松の御茶屋です

潮入りの池の中には中島の御茶屋です

鷹の御茶屋です

燕の御茶屋です


可美真手命像です


ケヤキの大木です

サービスセンター脇のスダジイです

スダジイの大木です

クスノキです

見あげました

では、次へ行きましょう
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東京都中央区、浜離宮庭園「浜離宮庭園の三百年の松」です!!

2020-12-10 06:56:00 | 巨樹・大木
今日は電車移動です

JR新橋駅汐留口から東へ、電通ビルを右から回って首都高汐留ジャンクション下の汐留橋信号を東・南へと渡ると浜離宮庭園大手口です

大手口の橋を渡ります

大手口です

園内案内図です、三百年松の位置を確認しましょう大手口を入ったすぐ左に在るようです

旧浜離宮庭園説明版です



大手口の門です

浜離宮恩賜庭園の沿革説明書きです
 この地はもと将軍家鷹狩の場所であったが承応年間松平綱重の別邸となり、甲府浜屋敷または海手屋敷といわれた。
 次いで六代将軍徳川家宣これを改めて御浜殿と改称し、大いに改修を行い景観を整えた園内には、茶園、火薬所、織殿等が営まれ幕末には、石造洋館、延遼館の建設をみた。
 維新後、宮内省所管となり、園地を復旧し、皇室宴遊の地にあてられ、名も浜離宮と改められた。
 諸外国貴賓来訪の際には、延遼館はその迎賓館にあてられ明治天皇も賜宴のためしばしば本園に行幸され、特に明治12年、米国前大統領グラント将軍が、わが国を訪問せられた際には親しく本園中の島茶屋において引見せられた。
 園は江戸時代に発達した大名庭園の代表的なものであって現存する汐入の庭の典型的なものとして貴重な文化財である。
  昭和23年12月 文部省
 


三百年の松が見えています

入園料を払いましょう,一般300円でした

三百年の松です

太い幹が見えます

説明版です
 


南側から

南東側から幹を見ました、目通り幹囲4,31mの株立ちだそうです



大手口の橋の上から築地川へ枝を伸ばす三百年の松を見ました

園内には他にも大木が在りますので、園内を見てまいりましょう
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新潟県小千谷市、真人「気毘神社参道の四本杉」です!!

2020-12-09 06:32:00 | 巨樹・大木
真人町芹久保地区は、小地谷市役所の南南西約10kmのところ

県道49号線を南へ信濃川左岸沿いを進むと真人町に入りますが

四本杉の有る芹久保地区は、長岡市小国町との境に近い山の中ですのです

山本山の手前で県道56号線へ、関越高速の高架を潜って南西方向へ進みます

約5kmで県道445号線を北西方向へ道なりに約2kmカーブの内側に気毘神社が有るはずです

県道から見ました、大きな杉が固まって伸びています

目的の四本杉です

階段が参道入口のようです

参道は、完全に笹薮になってしまています

笹につかまりながら、枯れ葉で埋まってしまった段差を探しながら登ります

杉の根元まで登って来ました太い幹4本が密着しています

参道は、杉の間を通っているようなので杉の間を登ります

上側から東側の杉です、こちらの二本が目通り幹囲7mと等六されているスギです

西側の二本です

参道を少し登って四本杉を見ました、二本にしか見えませんね~

もう少し上から見ました、西側のケヤキ?も大木ですね

笹薮を分けて更に上に登ります

参道の角度が下がって来ました、間も無く境内のはずです参道東側の杉の大木です、四本杉と同じように根元のくっついた合体木です

参道西側の杉の大木二本です

狛犬が有ります

中越地震の碑が有ります

裏側の内容です
 平成16年10月23日午後5時56分中越地方を襲った未曽有の大地震により小千谷各地は甚大な被害を被った。
 ここ芹久保地区も当時7軒家屋全てが半壊以上の被災を受け、一時孤立状態となった。その後世帯数は3軒に減少したが、我々住民が今後も芹久保地区を守るべく、ここ気毘神社跡に碑を建て感謝と復興の証とする。
平成21年11月吉日 芹久保町内会



更に進もうと薮漕ぎをしましたが、枯草に阻まれ戻ることにしました

笹薮を掴んで来た道(参道)へ戻り、四本杉の間を下りました

では、次へ行きましょう
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新潟県長岡市、小国町森光「森光神社の杉」です!!

2020-12-08 06:41:00 | 巨樹・大木
小国町森光地区は、長岡市役所の南西約21kmのところ

国道404号線を南へ、国指定重要文化財の長谷川邸前を過ぎて約6km、相原野信号で国道404号線から国道403号線に変わり更に南へ

小栗山信号を西へ県道341号線です、渋海川を渡って先の十字路を南へ県道171号線です

西側の山裾に森光の集落が有ります、集落に入って集落の南端に森光神社が東向き参道で鎮座します

参道入口前道路脇に車を止めさせて頂きました

参道入口に幟の支柱です

参道入口です

赤い鳥居です

水盤です

山道を登るように参道は折れ曲がっています

境内まで登って来ました

拝殿です

拝殿奥側一段高くに本殿覆い屋です、ともに雪囲いがすでにされています

境内南西側に目的の杉です

拝殿前から見ました

南側から

南西側から、目通り幹囲5.1mの巨木です

境内に並ぶ祠です

帰りの裏参道から見ました、集落内へ北側の道路から回って参道入口へ戻りました

では、次へ行きましょう


帰りに南側の田圃道から神社の有る森を見ました
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新潟県出雲崎町、松本「石動神社の杉」です!!

2020-12-07 06:30:00 | 巨樹・大木
松本地区は、出雲崎町役場の東約1kmのところ

国道116号線の川西信号を東へ国道352号線に入ってすぐ北側の山裾に石動神社が南向き参道で鎮座します

国道から入った道路脇に車を止めさせて頂きました

参道です

石動神社です

鳥居です

石段の上に杉の幹が見えます

石段を上がって来ました手前に根元の曲がった杉の大木が在ります、目的の杉は奥の幹です

石段脇の境内社の前から見上げました

手水舎です

社殿です

境内社の祠です

社殿脇(北東側)から

北西側から、目通り幹囲5,1mの巨木です

西側から

社殿西側のモミの大木です

では、次へ行きましょう
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新潟県出雲崎町、乙茂「宇奈具志神社の椎」(町指定)です!!

2020-12-06 07:08:03 | 巨樹・大木
乙茂地区は、出雲崎町役場の北東約3kmのところ

国道116号線と越後線が立体交差する北側に1kmほど

越後線の踏切りを渡った東側の丘の上に住宅が点在し、その中心に宇奈具志神社が鎮座します

参道入口の道路脇に車を止めさせて頂きました

参道入口です

鳥居です

宇奈具志神社です

手水舎です

赤鳥居です

拝殿です


本殿は覆屋の中です

拝殿の右手に目的のシイの木です

出雲崎町指定文化財 天然記念物第2号 宇奈具志神社の大椎の標柱が倒れてしまっていました

拝殿前から見上げました、目通り幹囲5.2mの巨木です

社殿の脇から

社務所の前から見ました



境内の祠です

では、次へ行きましょう
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新潟県弥彦村、麓「麓諏訪神社のモミと杉」です!!

2020-12-05 07:07:00 | 巨樹・大木
麓地区は、弥彦村役場の西南西約3kmのところ

県道2号新潟寺泊線の西側、黒滝城跡へ至る県道440号線を入った先の鉤の手になった道の北側に諏訪神社参道が東向きに開いています

参道両側に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました

綺麗に整備された参道です

村社 諏訪神社です

南東向きに赤い鳥居です

境内の北側端に目的のモミの巨木です、幹の先が欠けています

太さは目通り幹囲5.8mの巨木です

手前東側に杉の大木が並んでいます

中でも一番の杉は、目通り幹囲5,1mの巨木だそうです

南側から見ました

手水舎です

社殿です

*地域の人達が境内の清掃作業をされていますので、邪魔にならないように写真を取りました

では、、次へ行きましょう
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新潟県新潟市、西蒲区石瀬「石瀬神社のモミ」(市指定)です!!

2020-12-04 06:18:00 | 巨樹・大木
石瀬地区は、新潟市役所の南西約30kmのところ

岩室温泉街から県道2号線を南へ進み、種月寺入口の先を西へ入ります

北国街道散策の説明版の所を右へ進むと、天神山城跡登山口の駐車場を過ぎて間もなく石瀬神社参道前に出ます

道路脇に車を止めさせて頂きました

ここを右へ北国街道散策案内板 与板藩の御城地です

石瀬神社参道入口です

石瀬神社です

参道を進みましょう

鳥居です

北国街道散策 石瀬神社の説明版です
 石瀬最古の神社で産土神が祀られてうた諏訪神社が、神明社、稲荷社を合祀し、石瀬神社と改称されました。
 中世期の多宝山の山腹には、薬師堂、龍池寺の山岳信仰寺院が建立され、「石瀬之霊場」として信仰されており、この境内地は、これらの寺院を参拝する登山口となっていたと思われる。
 山は神や仏の棲む場であり、また神や仏そのもので、勝手に踏み入ることのできない聖域でした。
 石瀬神社境内には、祓川や長い参道など荘厳さが醸し出され、かつて山岳信仰遺構との融合が感じられます。
 この神社の本殿裏にある大きな岩は、かつての天台修験の「磐座」で神が宿り、神の依代として鎮座していました。
 境内の根元周り約6mの大きな樅の木は、新潟市の指定文化財に認定されています。


沢を赤い欄干の橋で渡ります

橋を渡った左手に太いモミの幹が見えました、目的のモミです

根元から見上げました、目通り幹囲5.3mの巨木です

参道奥側から見ました

参道を進みましょう

手水舎です

社殿はもう一段上です、石段脇に杉の大木が在ります

二本の合体木です、目通り幹囲約4、5m程です

狛犬です

社殿です

社殿右手のモミの大木、目通り3m程です

社殿前境内から参道のモミを見ました

では、次へ行きましょう
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新潟県新潟市、西蒲区樋曽「樋曽日吉神社の杉」(市指定)です!!

2020-12-03 07:08:00 | 巨樹・大木
樋曽地区は、新潟市役所の南西約25kmのところ、岩室温泉の北側入口の所です

県道55号新潟五泉間瀬線を西へ、弥彦山スカイラインへの北側入口へ登るように進むと

樋曽集落の西側の沢の橋の先から左に参道が有ります、橋の所に樋曽日吉神社の杉の案内板が出ています

砂利道を登った所に車を止めさせて頂きました


参道への入り口です

橋の所に日吉神社のスギの案内板が出ています、推定樹齢400年目通り幹囲5,5mだそうです


砂利道を上がります

参道を直角に曲がると先に鳥居が見えて来ます

鳥居です

参道を更に進むと

参道の先に社殿前左手に大杉が見えて来ました


水盤です

社殿です、軒先には山王大権現と羽黒大権現の二枚の額が掛けられています

説明版です
 北国街道散策
  日吉神社
 松ヶ岳山麓にある日吉神社には、大山咋命が祀られています。
 樋曽集落に有った稲荷社、明神社、諏訪社と十二社が合祀され、日吉神社となりました。
 人間にも姓と屋号が有るように、樋曽集落の方からは、山王様と親しまれています。
 名前の大山咋命の「咋(くい)」は、「杭」のことで、大山に杭を打つ神、大きな山の所有者の神を意味すると言われています。
 神社境内には、新潟市指定文化財に認定された樹高36mの大杉があります。地上5mのところで2本の幹に分かれいます。
 見る者を圧倒する太さ、高さの巨木です。

二本の杉の合体木のようです

社殿前から

では、次へ行きましょう
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新潟県新潟市、西蒲区曽根「曽根神社の大欅」(市指定)です!!

2020-12-02 06:17:00 | 巨樹・大木
曽根地区は、新潟市役所の南西約20kmのところ

JR越後線そね駅の東南東側、県道66号線の南側

南北に流れる西川の東側に参道を東に開いて曽根神社が鎮座します

北側の公園西川筋広場の駐車場を利用させて頂きました


参道入口です

村社 曽根神社です

官幣大社 諏訪神社 分霊 曽根神社の文字が読み取れます


参道南側に立派な土俵が有ります

手水舎です

参道ニノ鳥居は赤鳥居です

参道左手に目的のケヤキがあります

東側から見上げました、目通り幹囲4,3mの大木です

南側から

北側参道から

説明版です
  天然記念物 大欅
 永禄3年(1530年)上杉輝寅公が見帯のお宮をこの地にうつした当時欅があったと伝えられる。
 神社の前に位置することから御神木として崇拝を集めており大小二本並立していたことから、別名「子持ち欅」ともいわれている。
 樹齢・約450年
 文化財指定 昭和53年11月30日
 新潟市教育委員会
 


西北西側から

舞堂(神楽殿)です

拝殿です

本殿覆い屋です、金網の間から本殿を見ることが出来ます


由緒書きです
  曽根神社御由緒
御祭神 建御名方命(諏訪大神)
  [本社 長野県 諏訪大社]
 延喜年間(西紀900)曽根村見帯に鎮座との伝承、永禄3年(1560)上杉輝寅公、西川の掘削改修を直江山城守兼続に命じ、その竣工の際、諏訪湖水を拝受、諏訪大神の分霊を仰ぎ現在地に祀る。
 南は天竺堂村から北は関屋村まで、西は北陸道稲島宿から海まで、東は五土上村を限りとして、総石高2万石の53ヵ村の祈願所と成す。江戸幕府(1603)の頃、長岡藩では毎年8月27日秋季大祭に社寺奉行を派遣し、曽根代官と奉幣、列席さす。
 元禄2年(1689)社殿改築
 文政元年(1818)社殿改築
 元治元年(1864)曽根神社と改称
 明治6年(1873)村社に列格
 昭和10年諏訪大社分霊社の称号を受け、同年社殿増改築、舞堂移築
 昭和41年曽根神社御遷座400年祭斉行
 昭和52年拝殿屋根(藁葺)瓦葺替工事
 昭和63年玉垣造成工事、脇参道鳥居新設
 平成25年曽根神社ご遷座450年祭斉行、舞堂上屋改築
 平成26年境内樹木安全化伐採工事




拝殿前から大欅を見ました

社殿北側の境内社、古峯神社です

説明版です
  古峯神社
御祭神 日本武尊
御神徳 厄災厄除・火防(火難除)・商売繁盛の守護神
創建年代 明治時代中期
御由緒 日光山開山の祖とされる勝道上人が、古峯の大神のご神威によって、開山を成し遂げられた事から、日光発祥の地とも謂われ、古くから、民間信仰が特に篤く、又、修験道の聖地として崇められ、鎌倉時代には「金剛峰権現」と呼ばれ明治の初めに、社名が「古峰神社」と改められたと、伝わっている。
 総本社の鎮座地の栃木県鹿沼市の古峯ヶ原に因み、「こぶがはらさま」とか崇敬者、地元の人には、「こみねさん」と慕われ、特に関東・東北に広く信仰され講中が多く存在し、当神社もその一つであろう。
祭典日 例大祭6月21日


氷川神社です

説明版です
  氷川神社
御祭神 素戔嗚尊 櫛名田姫命 大国主命
御神徳 縁結びの守護神・農神・疫神
創建年代 昭和10年11月29日
御由緒 総本社は、埼玉県大宮市(現さいたま市)高鼻町に鎮座する、武蔵国一宮、旧社格は官幣大社で「延喜式」神名帳にある名神大社です。
 天照大神(伊勢・神宮)、月読命(山形県・月山神社)とともに、三貴子(神)の一柱であり、日本神話に登場する主役の一神で、特に八頭大蛇退治は有名です。
 戦乱の中世には、関東の武将の篤い信仰を受け、江戸期には徳川家から社領の寄進があり、明治維新後には、新しい帝都の守護神として、広く信仰された。関東にお社の数も多くあり当神社も其の一つであろう。
祭典日 例大祭7月7日



参道北側の天満宮です

説明版です
 天満宮
御祭神 菅荒道真公
御神徳 詩歌・文筆・学問の守護神
創建年代 嘉永5年 当村筆学士 新保源吾私邸内の神祠を移し社殿を建立す
御由緒 菅公さまとも、天神様とも呼ばれ、全国津々浦々に親しまれ、「学問の神」「書道の神」として、学業成就、入試合格、習い事の上達の御利益で、広く信仰をあつめています。
 曽根小学校の礎を築かれ今日でも、校祖と仰がれる神保正興大人の学問に懸ける情熱を称え、顕彰碑が境内に建立されています。この地域は、子供の教育の柱として、当神社を祀られているのであろう。
祭典日 例大祭6月最終金土



開運稲荷社です

説明版です
  開運稲荷神社
御祭神 宇迦之御霊神
御神徳 五穀豊穣・商売繁盛の守護神・農耕・殖産・商業の守護
創建年代 明治末期
御由緒 お稲荷さんと呼ばれ、全国津々浦々に親しまれ、商売の神様として広く信仰され、特に千本鳥居で国内外に有名な稲荷神と仰ぐ総本社、京都の伏見稲荷神社には、多数の参拝者が訪れます。
 日本の国は農業国であり、稲に対する信仰が篤く、お社の数も大変多く、当神社の地域にも、農業が盛んな事から全国に、農耕の守護神として、お祀りされている事に由来する。
祭典日 例大祭8月31日


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