ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

愛知県豊川市、一宮町西垣内「三河国一之宮 砥鹿神社のケヤキ」(県指定)です!!

2023-01-16 18:30:15 | 巨樹・大木
 一宮町西垣内地区は、豊川市役所の北東約6kmのところ

 県道5号線を南南東へ、約2.5kmの馬場町信号を左(北東)へ国道151号線です

 約3.6kmで砥鹿神社前信号を右へ直ぐ左の駐車場に入ります

 西参道脇の駐車場に車を止めさせて頂きました


 西参道の鳥居前に社號標です、「三河国 一之宮 砥鹿神社」です

 西参道の鳥居です

 説明版です
  砥鹿(とが)神社西参道石鳥居
     市指定文化財
     平成25年1月21日指定
 この石鳥居は、旧市田村(現諏訪西町二丁目)にあったもので、本宮山山頂にある砥鹿神社奥宮の遥拝所として天保13年(1842)に建てられたものです。
 昭和20年(1945)8月7日の豊川海軍工廠の空襲で被災し、修理を機として昭和31年(1956)に現在地へ移転されました。鳥居に見られる数箇所の欠損は、空襲で被弾した跡です。
 鳥居に刻まれた銘文によれば、天保7年(1836)に岡崎藩士の長尾興達が、砥鹿神社に石鳥居寄進のを発意し、岡崎の石工石原庄七徳褒に命じて、天保12年(1841)に完成させ、神主の草鹿砥宜輝が市田村と協議して建立の場所を決めたことが分かります。
 神明鳥居の形式で、石材は花崗岩を用いており、石鳥居としては市内で二番目の大きさ(総高726cm)です。
 本鳥居は、近世の本宮山信仰の遺産で、銘文から建立の詳しい経緯が分かること、また豊川海軍工廠の空襲を伝える遺構として価値のあるものです。
      豊川市教育委員会 
   

 西参道を進みます


 境内案内図と説明版です
   三河国 一宮  砥鹿神社(里宮)
    祭神 大己貴命
    例祭 5月3・4・5日
    特殊神事 1月3日 田遊祭
         1月8日 弓始祭
         2月7日 火舞祭
 当神社は、太古より本宮山にお祀りされていたが、今から約1300年前の大宝年間、現在地にお遷しした。爾来、三河国一宮として、或いは、東海地方の総鎮守として、広く朝野の崇敬を寄せられてきた。
 現在は、交通安全、厄除守護、家運隆昌のご神徳が仰がれている。社殿は、昭和37年に造営成った、総檜造りの荘厳な建物である。
 
   本宮山砥鹿神社奥宮
     祭神 大己貴命 
     例祭 2月6日
     特殊神事 1月 6日 宝印祭
          1月15日 粥占祭
 里宮の北方に聳える秀麗なお山が、本宮山(海抜789m)である。山頂に奥宮が鎮座し、古代から信仰の山として、尊崇され、境内には大小の磐座が点在する。又、山頂附近の社叢は、神域として保護され、愛知県の天然記念物に指定されている。
 山上からの眺望は素晴らしく、三河湾・アルプス連峰・富士山が一望に見渡せる。
交通・・・ 本宮山スカイラインを通り車で40分、151号線(国道)新城市千郷小学校(杉山北信号)左折

 西参道は一方通行の出口ですので、南側参道に向かいます

 南側参道の鳥居です(後ろの駐車場の先に表神門の屋根が見えています)

 参道東側の車の出入り口脇のクスノキの巨木です(目通り目測約5m)

 表神門前にはタクシーが止まっていたのでスルーしました

 手水舎です

 正面に拝殿です

 境内東端に「日本一大きいさざれ石」が有ります。

 さざれ石は、君が代に歌われているように、千代に八千代に年を経て小石が集まり、巌となった貴重な石で、永遠の平和と繁栄を象徴する神霊の宿る石で、開運石や子産み石と云われています。
 子宝、安産、夫婦円満や幸福を願って石に触れて下さい。

 さざれ石の直ぐ左に、目的のケヤキの案内板が有りました、正面坂下とは?とにかく東側の境内外周へ行ってみました


 境内東側の崖下に大きなケヤキが見えました

 表鳥居の南側道路を東へ坂道を下ります

 道路左手にケヤキが見えて来ました(南側から)

 東側から、目通り幹囲9.3mの巨木です

 説明版です
  愛知県指定天然記念物
   砥鹿神社のケヤキ
     昭和47年6月7日指定
 古くから「みたらいのケヤキ」と呼ばれたこの大木は、神社の南東に自生したもので、です。
 高さは45mにおよび、樹齢約600年と推定されていますが、樹勢は旺盛といえます。
 付近には、カエデ・ヤブツバキ・サカキなどの暖地性植物も多く見られ、また、下方にはかつて湧水の神泉が流れていました。
 昭和34年の伊勢湾台風によって、境内の古木の多くが倒れる被害を受けましたが、現在でも残るこのケヤキは、神社の境内をよりおごそかなものにしています。
   平成7年7月  豊川市教育委員会

  
 南東側から見上げました


 南東へ離れて見ました

 境内へ戻ります

 境内北側から、奥宮の有る本宮山を見ました

 では、次へ行きましょう
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愛知県豊川市、麻生田町松原「玉林寺のクス」(市指定)です!!

2023-01-16 06:32:14 | 巨樹・大木
 麻生田町松原地区は、豊川市役所の東北東約4kmのところ

 県道5号線を南南東へ、中央通4丁目信号を左(北東)へ、約2kmで木野ヶ原1丁目信号を右(東)へ県道31号線です
 
 緩く南へ曲がる様に約1.4km進み馬神信号を左(東)へ県道380号線です

 約600mで、コインランドリー手前を右(東)へ

 左手にクスノキが見えて来ます

 南側から山門を見ました


 曹洞宗 常春山 玉林寺です

 山門を入ると左手に、目的のクスノキです

 説明版です
  玉林寺のクス
    市指定天然記念物
    昭和43年10月1日指定
 クスノキは、関東以西の暖地に自生する常緑高木で、防虫剤に使われる天然樟脳の原料になります。
 5月頃、黄白色の小花をつけ、花が散った後に黒色の小形の実を結びます。成長が早く、病害虫に強いことから巨木が多くみられます。
 本樹は、目通りで約9mあり、枝の広がりは18mにも及んでいます。
 玉林寺の創建は延徳3年(1491)といわれますが、本樹の樹齢は650年以上と推定されています。
    豊川市教育委員会

*15年前(2007)の目通り幹囲は、8.4mとの資料がありました

 南側から

 西側から

 北側から

 東側から

 鐘楼です

 本堂です

 では、次へ行きましょう
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愛知県豊橋市、嵩山町上 角庵「正宗寺のスギ」(とよはしの巨木・名木100選)です!!

2023-01-15 19:33:59 | 巨樹・大木
  嵩山町上 角庵地区は、豊橋市役所の北東約9kmのところ

 国道い号線を東へ、束八町信号で豊鉄市内線(路面電車)の線路に沿う様に県道4号線へ

 束田信号を斜め左(北東)へ県道31号線です、約5.4km道成りに進んで和田辻信号を右(東)へ

 国道362号線姫街道です、約2.7kmで左(北東)へ「正宗禅寺」の案内板に従って進みます

 谷沿いを約600m進むと、正宗寺(しょうじゅうじ)の山門が見えて来ます

 右側(東側)に駐車場が有りますので利用させて頂きました


 参道入口です

 左手には石仏が並びます

 右手には水車小屋です

 嵩山 正宗寺(臨済宗 妙心寺派)です

 山門(四脚門)です

 参道を進みます

 参道右手に目的のスギが見えて来ます

 南西側から「正宗寺のスギ」です

 北西側から

 案内板です
とよはしの巨木・名木100選
    正宗寺のスギ
    所在地 嵩山町字上角庵52
 本市のスギの中では大きい。
 周辺には太いスギが点在している。
   幹周 543cm 高さ 37,5m
   枝張り 22m×23.6m
   推定樹齢 300年以上
   科名 スギ科スギ属
   分布 本州・四国・九州
       豊橋市


 北側から

 では、境内を見学させて頂きましょう

 豪華な唐門です

 扉にが三つ葉葵の紋があります

 門の前からスギを見ました

 脇の通用口から入ると正面に本堂です

 通用口脇からスギが見えました

 門の西側には鐘楼です

 本堂前の観音様や地蔵様です

 文化財説明版です、ほとんどが絵画です

 では、次へ行きましょう
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愛知県豊橋市、石巻町東木ノ根「長楽のヒノキ」(市指定)です!!

2023-01-15 06:46:54 | 巨樹・大木
 石巻町東木ノ根地区は、豊橋市役所の北東約8kmのところ

 国道い号線を東へ、束八町信号で豊鉄市内線(路面電車)の線路に沿う様に県道4号線へ

 束田信号を斜め左(北東)へ県道31号線です、約5.4km道成りに進んで和田辻信号を右(東)へ

 国道362号線姫街道です(*江戸時代、東海道は浜名湖の南側を通っていましたが、お姫様達は浜名湖の北側を通る、姫街道を利用したようです)

 約1.4kmコンビニの先を右(南)へ入ります、約150mで突き当りを斜め右へ、目的のヒノキの前に出ました

 先の道路脇に車を止めさせて頂きました 

 北東側から近付きます

 南東側から、しっかりした支柱が大枝を支えています

 南西側から

 南側の建材屋さんの駐車場から見ました

 説明版です
豊橋市指定天然記念物
   長楽のヒノキ  1樹
  昭和50年1月21日指定
 長楽の檜は、幹の周囲が目通りで約5.2m、樹高は約10m、枝張りは約13です。樹齢は約300年と推定されています。
 樹幹の下部は落雷のため焼けて空洞(現在でも落雷の焼けあとがみられます。)になり、尖端は枯死していますが、稀に見る古木、巨樹で、古来より「地蔵檜」と呼ばれ親しまれています。
     豊橋市

*根元の「とよはしの巨木・名木100選」の案内板は読めなくなっていました

 西側から、西側の幹の大部分が枯れてしまっています

 北西側の枯れた幹の洞の中には落雷の焼け跡が残っています

 北側から

 北側には地蔵堂です、綺麗に管理されています

 北東側根元には歌碑が有ります、「いにしへの 鎌倉道の 跡所 とはにつたへよ ひのきと地蔵」と、読めました

 では、次へ行きましょう
 
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愛知県豊橋市、石巻町寺前「玉泉寺のナギ」(市指定)です!!

2023-01-14 18:30:09 | 巨樹・大木
 石巻町寺前地区は、豊橋市役所の東北東約6kmのところ

 国道い号線を東へ、束八町信号で豊鉄市内線(路面電車)の線路に沿う様に県道4号線へ

 束田信号を斜め左(北東)へ県道31号線です、道成りに進んで金田住宅信号を右(東)へ

 石巻小学校東信号を左(北)へ、橋を渡って直ぐを右(東)へ入ると、左上側に玉泉寺です

 参道脇の駐車場を利用させて頂きました

 参道入口です、境内左手に大きな樹冠が見えています

 臨済宗 妙心寺派 南龍山 玉泉禅寺です

 駐車場からナギを見上げました

 駐車場脇に説明版が有ります
豊橋市天然記念物
   玉泉寺のナギ  1樹
     昭和32年9月19日指定
 玉泉寺の梛(ナギ)は、根回り約6.1m、樹高約18m、地上約2.3mの高さで東西二つの幹に分かれています。さらに東西に上昇して東の幹は三枝、西の幹は二枝に分岐し、それぞれ小枝を叢生して十数枝となっています。枝張りは、四方に各6m広がった円錐形n樹相をなし、樹勢は今なおきわめて旺盛です。
 当寺は、嘉慶元(1387)年3月15日に亡くなった慈雲座元の開創になるもので、すでに600余年を経過していることから、樹齢もほぼこれに相当するものと推定されます。(樹齢推定500年以上)
 この樹はのの根回りと樹相の完全であること、また樹勢の旺盛であることにおいて全国的名木と言えるものです。
       豊橋市教育委員会

 では、境内へ行きましょう

 山門です


 本堂です

 本堂の額です

 本堂前の御堂は観音堂でしょうか

 本道前のナギを北東側から見ました

 北側本堂前から

 大きな幹を覗くことが出来ました

 案内板です
とよはしの巨木・名木100選
    玉泉寺のナギ  天然記念物
    所在地 石巻町字寺前11
 枝張りは17mを越え、円錐形の樹形で、樹勢は今も旺盛である。
 当寺は、1387年3月15日に死去した慈雲座元の開創によるもので、樹齢もほぼこれに相当すると推定される。
 ナギの葉は、厚く広いが針葉樹である。雌雄異株。
 昭和32年9月19日市指定天然記念物に指定される。
   幹周  384cm   高さ15.7m  枝張り 17.1×17.1m
   推定樹齢  500年以上
   科名 マキ科マキ属
   分布 本州(式根島・八丈島・紀伊半島・山口県)四国・九州・沖縄
       豊橋市


 山門を潜た直ぐ左に墓地への通路です

 南東側から幹を見上げました、説明版の記載通りに幹が東西に分かれています

 ナギの南西側枝下にイチイの木の様です

 西側墓地から見ました

 ナギの西側には枝を切り詰められたイチョウの大木です

 では、次へ行きましょう
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愛知県豊橋市、多米東町「春日神社のイヌマキ(三本)」(市指定)です!!

2023-01-14 06:28:21 | 巨樹・大木
 ここからは、2023年1月10日取材分です、NHK大河ドラマの「どうする家康」でも話題の三河地域へ行ってみました

 多米東町は、豊橋市役所の東約6kmのところ

 国道い号線を東へ、束八町信号で豊鉄市内線(路面電車)の線路に沿う様に県道4号線へ

 多米中町二丁目信号を右(南)へ、朝倉川を渡って3っ目の交差点を左(東)へ

 約600mで、交差点手前の左手に南向きに春日神社が鎮座します

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました
 

 春日神社社號標です

 鳥居です

 鳥居を潜ると直ぐ左手に若いマキの木です

 参道を進みます

 説明版です
  春日神社御案内
 御由緒
 崇峻天皇(587~592年)の時代、滝の谷(多米の東の地)に徳合長者という人物が一社を創立し、加護を祈り奉ったのが当社起源であると伝えられています。
 多米には古くから郷内に8社がありました。永正の頃(16世紀初め)この地が藤原氏の所領となるに及び、藤原氏の氏神である春日明神(天児屋根命)を主神として8社を統合し、八社大明神と称することになりました。これは春日、鹿島、祇園、波利、大社、稲荷、雷公、白鳥の八宮一社です。
 当社は、古くは永正2年(1505年)から多数の棟札を所蔵しており、古来より藤原家をはじめ徳川家に至るまでの間、武将、豪族、庶民等から尊信篤かったことなどが推察されます。
 御祭神 八社
 天児屋根命(あめのこやねのみこと)別雷神(わけいかづちのみこと)武甕槌神(たけみかつちのみこと)大国主神(おおくにぬしのみこと)素盞嗚尊(すさのおのみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと)奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)宇迦之御霊神(うがのみたまのかみ)
 境内末社(祭神)
 八幡社(応神天皇)〔本社格〕 白山社(白山比咩神)〔本社格〕 北稲荷社(宇迦之御霊神) 南稲荷社(保食神) 御鍬社(味秬高根命)
 その他の社 秋葉社 山の神
 鎮座地 豊橋市多米東町1丁目20ー3
 附記
 現在の本殿は文政4年(1822年)8月遷宮されました。
 拝殿は明治42年(1909年)建立されました。
 境内には市指定(昭和42年)の天然記念物の槇(樹齢約400年以上)が3本あります。御神木であり、「豊橋の巨木・名木百選」に選ばれています。

 


 石灯籠の先にマキの木が見えて来ます、境内は塀に囲われています

 参道の神門の先左手に目的のマキの木です

 境内に入って東側から

 西側から

 南側から見ました


 社務所前にもう一本のマキの木です

 南側から

 説明版です
豊橋市指定天然記念物
   春日神社のマキ  3樹
     昭和42年2月17日指定
 常緑針葉樹のイヌマキで、境内に3本があります。イヌマキはおもに関東地方南部以西に分布し、樹肌の凹凸などから推定して、いずれも樹齢は400年を超えると推定されております。樹勢は旺盛で姿が極めてよく、神木のような観があり、東三河地域ではまれな大木といえます。
 南より [幹の太さ]    [樹高]   [枝張り]
 ① 目通り 2.15m  15.5m  13.6m
 ② 目通り 3.00m  15.5m  14.0m
 ③ 目通り 1.70m  22.5m  11.2m
        豊橋市教育委員会

 案内板です
  とよはしの巨木・名木100選
    春日神社のイヌマキ  天然記念物
    所在地 多米東町一丁目20ー一
 ご神木であり、他に2本n巨木がある。
 イヌマキは中生代からある針葉樹で、海岸部に多く、防風林として利用される。
 熟した赤色の実は食べられる。雌雄異株。
 他の2本は、Ⓐ幹周2.15m高さ15.5m枝張り14.0m Ⓑ幹周1.7m高さ22.5m枝張り11.2m。
 昭和42年2月17日市指定天然記念物に指定される。
    幹周 343cm  高さ  16.8m  枝張り  9.6m×12.6m
    推定樹齢  400年以上
    科名 マキ科マキ属
    分布 本州(関東地方南部以西)・四国・九州・沖縄

 東側から

 北側(拝殿脇)から見ました


 境内参道の右手奥に手水舎です

 拝殿です

 本殿を見る事が出来ました



 境内社が並びます、北側から八幡社・北稲荷社・白山社・南稲荷社です

 南端の御鍬社です


 もう一本③のマキは、本殿東側の塀の外側に有りました

 では、次へ行きましょう
 
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新潟県阿賀野市、水原「瓢湖の冬鳥たち」です!!

2023-01-13 19:19:15 | 巨樹・大木
 2022年の夏より久々に、瓢湖へやって来ました

 このブログでは、「国指定瓢湖鳥獣保護区の子供達」で、2022年7月28日 に投稿させて頂きました

 このところよく見させて頂いている、goo ブログの「瓢湖の野鳥たち」に影響されて

 茨城県大子町から福島県会津を貫けて、雪道を走って行ってみました

 白鳥会館の駐車場に車を止めさせて頂きました


 広い湖面いっぱいにカモや白鳥が浮かんでいます

 奥の方(北側)には白鳥が多いようです



 オナガガモ

 ヒドリガモ


 キンクロハジロ

 手前がオオバンです


 オオハクチョウ

 コハクチョ、オオハクチョウとの違いは嘴の黄色い部分の広さの差だそうです


 カワウ

 白鳥が朝ごはんのために飛び立って行きました

 では、次へ行きましょう

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茨城県大子町、袋田「月居峠のイチョウ」です!!

2023-01-13 06:40:25 | 巨樹・大木
 袋田地区は、大子町役場の東約4kmのところ
 
 袋田の滝は、日本三名瀑に数えられ、高さ120m、幅73mの大きさを誇り、 滝の流れが大岩壁を四段に落下することから、別名「四度(よど)の滝」とも呼ばれます、南側に在る月居山(つきおれやま)の峠道に目的のイチョウが在ります

 国道118号線の袋田の滝入口を東へ、国道461号線です

 大きな旅館の先を左へ入ると袋田の滝ですが、もう一つ先の町道を左へ入ります

 間も無く右に月居峠への旧道が有ります、しかし・・・

 ここからは通行止めになっています

 そばの道路脇に車を置いて歩いて行きましょう


 約500mで通行止めの原因です、土砂崩れで道路の半分くらいまで崩れてしまっています

 下を覗くと70mくらい崩れています、これでは復旧できそうにありませんね~

 先へ進みます


 土砂崩れ現場から更に500m進むと看板が見えて来ました

 トイレの有る月居峠への分岐です

 周辺は奥久慈自然休養林です

 道標です

 国有林説明版です
   月居国有林
 ここより月居山頂までの周囲の森林は、大子営林署が管理している国有林です。
 月居山頂は、昔、月居城のあったところで、山頂からの眺めは特にすばらしく奥久慈一帯を見渡すことができます。
 また、この周辺は新緑の頃や、紅葉の季節の景色がすぐれており、茨城県立自然公園特別地域に指定されています。
 営林署では、このような景観を維持するために、風致保安林に指定して、森林の保護育成に努めています。
 皆さんも、どうかこのすぐれた自然環境の保護と山火事防止にご協力下さい。
    茨城森林管理署

 落ち葉を踏んで、月居峠へ向かいます

 登山道は左へ進んでいます、国土地理院地図では、真っ直ぐに月居峠へ向かっていますが、実際は違っています

 登山道に大きな石が有ります、ここで左につづら折れになります


 先に「13」の案内板です

 左側のスギの植林と右の広葉樹の森の間を進みます

 看板が見えて来ました

 袋田自然研究路の説明版です

 道標です、左は袋田の滝への道です

 右へ進みます

 左上に赤い建物が見えて来ました


 登山道の大岩の上には「賽の河原」のような石積みがされています

 先へ進みます


 「10」の案内板のそばには「月居峠のたたかい」の説明版です、北関東一円で天狗党と諸生党との間で起こった争いの一つで、幕末に水戸藩内の派閥争いで多くの優秀な人材を失った水戸藩が、明治時代になって政治に関われなくなった原因になったようです


 左上に鐘楼が見えました

 すぐ先に月居峠です

 案内図です

 道標です

 説明版です
   袋田研究路
  ⑨月居古城の歴史
 月居城は佐竹家の家臣、袋田定義の築いた城で、代々佐竹家の家臣が城主となっておりました。
 佐竹家が秋田に移封だれたとき月居城は廃城となりました。
  「尋ねれば 人の昔の名のみにて 雲井の月ぞ すみ渡りける」徳川斉昭
 天保5年(1834年)斉昭がこのあたりを探勝し、月居山に登ると折しも三日月が雲間にかかっており、この月を眺めて、はるか秋田の空に思いを寄せてよんだ名歌です。
     茨城県・大子町


 峠のすぐ東側に目的のイチョウです

 根元の西行の歌碑は、第5回関東地区登山大会の記念碑です

 南側に幹が倒れています

 南側から、株立の目通り幹囲は5.6mの巨木のはずですが・・・


 南東側から


 東側から、こちらにも幹が倒れています

 北側へ回ってみます

 
 北西側から、こちらにも幹が倒れていました

 北側から

 月居山を貫けて袋田の滝への道標です


 山門です、奥には鐘楼に観音堂も見えました

 では、戻って次へ行きましょう
 
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茨城県常陸太田市、上宮河内町「 西金砂神社のサワラとイチョウ」(県指定)です!!

2023-01-12 18:29:00 | 巨樹・大木
 上宮河内町は、常陸太田市役所の北北西約20km、常陸太田市水府支所の北西約6kmのところ

 県道33号線を北へ、約800mで左(西)へ県道36号線です

 西からやがて南へそしてまた西へ向きを変えて約5.6kmで県道29号線です

 右へ又すぐに右(北)へ「西金砂そなの郷」方面へ進みます「弁天様のモミジ」前を過ぎて

 沢を登り詰めると「神社」左の看板が有ります、この看板が「西金砂神社」を表しています

 「万畑の千年カシ」の前を通って山路を進みます

 約3kmで、西金砂神社(にしかなさじんじゃ)参道入口に出ました、再訪です

 *このブログの2014年12月31日に「茨城県常陸太田市、金砂山城跡」で紹介させて頂いております(かなり昔ですが~)ので、今回は、参道入口のサワラとイチョウを詳しく紹介いたします



 駐車場前(東側)から、目的のサワラとイチョウです

 参道入口の一ノ鳥居?です

 手水舎です

 長い石段を登ると拝殿へ行くことができます、今回はここまでにしました(次に行きたい所が有るため


 縣社 西金砂神社の社號標です

 境内案内図です

 「茨城百景 西金砂山」の石柱です

 説明版です
   西金砂神社
 創建 大同元年丙戌3月11日(西806)
 祭神 大己貴命 (配祀)少彦名命 国常立神
 祭事 天下泰平、五穀豊穣、万民法楽祈願のため浜降りの祭を厳修して潮水行事と称して水木浜(日立市)の清い潮水をもって神体を浄め神の心を慰め五穀豊穣を祈り民心の安定と同時に社会平和を祈願する二大祭を行ふ
1,磯出大祭礼(大田楽)七十二未歳毎に執行(行列約600人七7日間)
  文徳天皇の仁寿元年(851)に始まり平成15年に第17回目大祭礼執行
2、小祭礼(小田楽)行列約百余人4日間)
  嵯峨天皇弘仁6年3月1日初めて執行7年目丑未年毎に行うを永例となす
  神鏡を御神体として出社中染(常陸太田市)和田(〃)馬場(〃)で田楽舞を奉奏、金砂山に戻り再び田楽を執行続いて潮水行事を実施する・・・*西金砂神社はかつての金砂郷村、中染はかつての水府村、和田も水府村、馬場はかつての太田町です
 西金砂神社田楽舞  昭和35年 県指定無形文化財指定
           昭和46年 国選択芸能無形文化財指定
 田楽の内容 四方固め、獅子舞、種子まき、一本高足
 その他県指定天然記念物 2株  西金砂のサワラ  西金砂のイチョウ
   管理者 西金砂神社宮司 中嶋又実
*磯出大祭礼は72年ごとに行われると言うことは、前回が平成15年(2003)に行われたので、次は2075年です・・・ずーーーっと未来の気がしました

 南東側から


 南側から

 案内版です
 県指定天然記念物
   西金砂のサワラ
    所在地 常陸太田市上宮川内町1915番地
    管理者 西金砂神社
    昭和44年3月20日指定
1,幹周    9.50m
1,根元   12.40m
1,樹高     約30m
1,最大枝張り14.80m
1,推定樹齢   740年
   平成22年1月
    常陸太田市教育委員会
*サワラ(椹)は、ヒノキ科ヒノキ属の1種で、日本特産の針葉樹である。
 分布は、本州の岩手県早池峰山から、九州の長崎県島原半島にかけての山地に自生し。日本海側の地域には分布しない。谷筋の湿ったところで生育し、生長が早い。
 外見はヒノキによく似るが、枝はヒノキほど茂らず、枝と枝の間隔が広くなるため、遠くからでも幹がよく目立つ。葉は十字対生し、葉の付き方をみるとヒノキよりも隙間が多い。葉の形状もヒノキの葉の先端は丸く葉裏の白い気孔腺がY字なのに対し、サワラの葉は先端が尖っていて葉裏の白い気孔腺がX字である。(以上ウィキペディアの抜粋です)


 南西側から離れて見ました

 西側から

 北西側から


 イチョウを東側から

 案内版です
 県指定天然記念物
   西金砂のイチョウ
    所在地 常陸太田市上宮川内町1915番地
    管理者 西金砂神社
    昭和44年3月20日指定
1,幹周   10.50m
1,根元   15.20m
1,樹高     約30m
1,最大枝張り   25m
1,推定樹齢   740年
   平成22年1月
    常陸太田市教育委員会

*推定樹齢が同じです、サワラと共に植えられたようですね
 


 南西側から

 西側から

 南西がわから離れて見ました


 サワラとイチョウの生える境内の西端にはスギの大木です

 *前回は、西側の日帰り温泉施設「金砂の湯」側から上って来ました、そちら側へ下ります

 では、次へ行きましょう
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茨城県常陸太田市、赤土町「 万畑の千年カシとサクラ」(市みどりの文化財)です!!

2023-01-12 06:31:00 | 巨樹・大木
 赤土町は、常陸太田市役所の北北西約14km、常陸太田市水府支所の西約3kmのところ

 県道33号線を北へ、約800mで左(西)へ県道36号線です

 西からやがて南へそしてまた西へ向きを変えて約5.6kmで県道29号線です

 右へ又すぐに右(北)へ「西金砂そなの郷」方面へ進みます「弁天様のモミジ」前を過ぎて

 沢を登り詰めると「神社」左の看板が有ります

 左に坂道を登ると右側が開けた左側の住宅のところが入口です

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 倉庫の建物の前を登って行きます

 道は落ち葉に覆われていました

 林に入ると間も無く目的にカシノキが見えて来ました


 南側から見上げました

 常陸太田市 みどりの文化財 登録樹 第0002号「関家のカシ」となっています

 説明版です
  万畑とカシの巨木
 源頼朝が金砂城攻めの折に山頂に萬本の旗(萬旗)を立てて陣を張ったことから、この地を万畑と呼ぶようになったと伝えられています。
 ここにあるカシは樹齢800年ともいわれ、現在は子・孫枝を繁らせています。
   赤土町会
*樹種はシラカシだそうです

 東側から、目通り幹囲7.5mの巨木です

 北東側から

 説明版の前まで戻って、カシノキの上側へ行ってみます

 山道を登って南側から見ました

 少し近付いて見ました


 西側から見上げました

 奥側のカシノキです

 東側から、目通り幹囲は約4.5m(目測)の大木です


 根元には祠が二つ並んでいます

 北東側から


 一番太いカシノキの、すぐ上側のカシノキです

 東側から、目通り幹囲約3.0m(目測)の大木です

 北側から


 5本の株立ちの桜の木が在ります

 常陸太田市 みどりの文化財 第0003号「関家のヤマザクラ」です


 南西側から、目通り幹囲約3.0m(目測)の大木です

 西側から

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 茨城県常陸太田市、薬谷町「薬谷町のイチョウ」です!!

2023-01-11 06:32:00 | 巨樹・大木
 薬谷町は、常陸太田市役所の西約6kmのところ

 市役所の南側の県道61号線を西へ、道成りに南西へ進みます

 県道166号線との交差点藤田町信号を右(北西)へ道成りに2.3km進みます

 県道の左手(西側)が薬屋町です、仕出し屋さんの先から左手奥にイチョウの樹冠が見えます

 押し釦式信号機のところに薬谷入口の看板が有ります

 すぐ先のクリーニング屋さんの向かいの道路を西へ入ります

 突き当りを左に曲がって鍵の手に曲がって進むと、道路右手の住宅の庭の奥に

 目的のイチョウが見えました

 ズームで撮影しました

 かなり距離が有りますので幹が見えませんね~、目通り幹囲6.2mの巨木のはずなのですが~

 南側へ移動します

 
 やはり作業小屋の陰になってしまいました

 この新型コロナウイルス過が過ぎるまでは、気軽に個人宅への訪問はできませんので諦めました

 では、次へ行きましょう
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茨城県常陸大宮市、北町「けやき窯の大けやき」(市指定)です!!

2023-01-10 18:37:00 | 巨樹・大木
 北町は、常陸大宮市役所の北約1.5kmのところ

 国道118号線の上町信号を東へ、JR水郡線の踏切を渡って上町東信号を左(北)へ

 国道293号線です、総合福祉保健センター入口信号を過ぎると

 左手に高速バスのバス停があり、ふれあいギャラリーの駐車場が有りますにで

 ここを利用させて頂きました

 目的のケヤキは国道293号線の東側にある「けやき窯」の敷地の中です


 けやき窯の窯元の店舗のようです、屋根の上にケヤキの樹冠が見えています

 南側の門の間からケヤキの幹を見る事が出来ました、目通り幹囲6.3mの巨木です


 縦に上部から大きな傷が見られます、過去に落雷があったのかもしれません

 常陸大宮市指定天然記念物「大けやき」の標柱です

 南側の塀越に見ました

 南西側からも見る事が出来ました

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茨城県常陸大宮市、下町「甲神社の御神木(スギ)」(市指定)です!!

2023-01-10 07:23:00 | 巨樹・大木
 茨城県常陸大宮市、下町「甲神社の摂社素鵞神社と末社大宮交通神社のスギ」の続きです「甲神社の御神木(スギ)」(市指定)です


 甲神社神門です、随身門のように随身像は有りませんが、門の両側手前に祠が祀られています

 右側の祠の祭神は「豊磐間戸命」です

 左側の祠の祭神は「奇磐間戸命」です

*豊磐間戸命と奇磐間戸命は、「延喜式」や「古語拾遺」などに見える門を司る神。延喜式では「豊石窓神」「櫛石窓神」、「豊磐間門命(とよいわまとのみこと)」「櫛磐間門命(くしいわまとのみこと」、古語拾遺では「豊磐間戸命」「櫛磐間戸命」という名で記載される。また「豊石窓神」「櫛岩窓神」などの名でも呼ばれる。
 神名の「トヨ」は豊穣を表す敬称、「イワ」は岩の様に堅固であること、「マト/マド」は「真の門」を表すと考えられる。「古事記」においてはともに天石門別神の別名と解されているが、古語拾遺に拠れば布刀玉命の子神であり、天照大御神の岩戸隠れにおいてともに瑞殿(みずのみあらか=天照大御神のために新しく作った新宮)の門の守衛に任じられたという。
 豊石窓神、櫛石窓神の両神は「御門神(みかどのかみ)」として皇居の四方にある御門全てを昼夜問わず守護するとされ、「御門巫祭神八座」として四方全てに両神が祀られている。

 兵庫県篠山市にある式内社「櫛石窓神社」、奈良県橿原市忌部町にある「天太玉命神社」、賀茂別雷神社の摂社である「棚尾神社」などにともに祀られている。(以上「神魔精妖名辞典」からの一部抜粋です)

 平成の境内整備事業由緒の石碑です
   平成の甲神社・素駕神社境内整備事業の由緒
 大同2年(西暦802年)の創建とされる甲神社の記念事業として何をなすべきかの声が囁かれ始めた矢先、平成22年7月26日夕刻、大宮地区に現れた猛烈な雷鳴の中、甲神社の境内を襲った突風が神門の屋根を吹き飛ばすと共に、門柱、控柱、袖壁も倒し破壊してしまった。そのため神社側としては、専門業者の好意により神門の設計・見積を得て、同年12月18日に開催の責任役員・氏子総代の合同会議に諮り「神門の再建により甲神社創建1200年を記念するにふさわしい、神社環境の整備修復を行う」ことを決定し、甲神社神門復旧奉賛会の設置を決議した。
 しかし、この奉賛会が基金活動に入る直前、平成23年3月11日に東日本大震災が発生し、みかげ石の鳥居が根元から折れて倒壊、境内の各所に設けられた記念碑の礎石が崩れて碑自身が傾き、神社の標石、灯篭も倒壊し、甲神社の本殿は石垣が崩れて本殿自体が傾き、倒壊の危険に晒されるという各部に甚大な被害を蒙った。
 中でも本殿は石垣の崩壊が進行する恐れがあり、本殿自体が倒れないうちに修復すべきとして、神社の基本財産を投じて工事を進めることになった。
 この二年連続の災害に対処するため、平成23年10月15日前年に定めた議決を改め「東日本大震災等による被害の復旧と、甲神社創建1200年を記念するにふさわしい神社環境の整備、修復・保全を行う」ことを決定し「甲神社・素鵞神社境内震災復旧奉賛会」を設置した。この奉賛会を構成する責任役員・氏子総代は、甲神社の氏子・崇敬者のもとへ走り募金活動に当った。しかし、当時は多くの人達が自身の被害を受け、出費多端の折であり、苦難の道を歩んだが、千二百余人の方々から浄財を受けることとなったのである。
 復旧工事は、本殿の石垣の緊急着手により本殿の倒壊を未然に防ぎ平成23年に完成、鳥居の再建は耐震施工法により平成24年暮に竣工、各種の記念碑、標石、灯篭等も修復を終えた。最後に神門の再建は、県内外の実績ある業者から選定、工事の監督、指導にあたったを各位の並々ならぬ努力に感謝の意を表す次第である。
 ここに、本事業の展開について述べると共に、奉賛会に各位、浄財を寄せられた各位、復旧工事に関わった各位の名をこの碑に刻し、後世に伝えるものである。
   平成27年3月吉日
     甲神社宮司 渡邊 滋 識
 *大震災から10年が過ぎて、境内が復旧し綺麗に整備されていることに、人々の力を感じました

 神門前西側にカヤの大木です

 南西側から

 南東側から

 東側神門前から見上げました

 では、神門を入ります

 境内左手に目的の御神木(スギ)です

 「常陸大宮市指定天然記念物 甲神社御神木」の標柱です、昭和51年3月19日指定です


 東側から

 北側から
 
 西側から

 南側から、目通り幹囲5.2mの巨木です



 拝殿です


 本殿です

 本殿裏側に境内社や石碑が並びます

 本殿西側の境内社は「正八幡神社」です

 「愛宕神社」です

 本殿西側のスギの大木です


 境内東側にも境内社が並びます、まず南側から「大杉神社」です

 「八龍神社」です

 「鎌倉八幡神社」です

 「奥宮」です

 「赤城神社」です

 境内社の後ろ側にもスギの大木です

 南側から

 東側から、目通り幹囲約4m(目測)の大木です

 北側から見上げました

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茨城県常陸大宮市、下町「甲神社の摂社素鵞神社と末社大宮交通神社のスギ」です!!

2023-01-09 18:39:13 | 巨樹・大木
 下町は常陸大宮市役所の北東約1.5kmのところ
 
 国道118号線の上町信号を東へ、県道21号線です

 JR水郡線の踏切を越えて、上町東信号を過ぎると国道293号線です

 間も無く左手に甲神社参道が南西向きに開いています

 鳥居脇から境内に車を入れることが出来ました


 参道入口です、二つの鳥居が並んで建っています、右が 甲神社の鳥居で、左が境内摂社である素駕神社の鳥居です


  村社 甲神社の社號標です

 説明版です
  甲(かぶと)神社
   所在地 常陸大宮市下町221番地
   祭神 武甕槌命(たけみかづちのみこと)熯速日命(ひはやびのみこと)甕速日命(みかはやひのみこと)
 創建は大同2年(807)と伝えられます。甲神社の所在する地域の旧村名「部垂(へたれ)」は、久寿年間(1154~56)の鹿島社神領目録に「辺垂」とあることが確認できる古い地名で、当社もかつては「辺垂大宮大明神甲宮」「甲明神」「辺垂大明神」、また「鹿島明神」と呼ばれていました。
 平安時代後期に佐竹郷(現 常陸太田市天神林町周辺)に来住した佐竹氏の初代昌義が、源氏の祖 源経基の兜を奉納したことが社名の由来となったという説もあり、以来、太田に本拠を構えた佐竹氏に祈願社として崇敬を受けました。
 とりわけ、近接する佐竹一族の居城 部垂城の鎮守的役割を担ったことから、部垂城主の義元(佐竹氏17代義篤実弟)は、能面、源氏系図、備州長船師景銘の刀、二股竹を奉納したと伝えられます。部垂の乱で敗れた義元父子が天文9年(1540)に討伐されると、その鎮魂のために18代義昭は甲神社の大修理を行い、その折の奉加帳が伝えられています。
 また部垂周辺の12ケ村、部垂(現 大宮旧市街)、宇留野、樫(現 富岡)小倉、塩原、辰ノ口、岩崎、上根本・横瀬(現 鷹巣)、八田、菅又(現 若林)、引田の総鎮守として、徳川光圀の命により一村一鎮守制となるまで、地域の信仰の中心となっていました。
 部垂村は天保14年(1843)に「大宮村」と改名しますが、鎮守である「甲大宮」にちなんだものです。
 毎年4月第一日曜日(もとは4月1日9)に行われる例祭は、明神ばやし(市指定無形民俗文化財)の奏楽とともに華やかな八角胴神輿が町内を巡行し、当地に本格的な春の訪れを告げる祭礼となっています。
  素駕神社
 境内にある摂社 素駕神社は、勇壮な裸神輿で名高い大宮の祇園が行われる神社として有名です。
 御祭神の素戔嗚尊は神仏習合時代から祇園天王とか牛頭天王と言われ疫病退散の神として崇められて、祭礼は夏の猛暑の時期に行われます。
 もと姥賀、高渡、東富の鎮守として姥賀の天王原に鎮座していました。坂上田村麻呂が蝦夷征伐の途上延暦21年(802)、戦勝を祈願したと伝えられ、凱旋の折も立ち寄って寄進したと伝えられる剣が社宝となっています。
  文化財
県指定文化財
 佐竹義昭奉加帳 弘治3年(1557)
 能面 室町時代
市指定文化財
 源氏系図 室町時代
 刀 銘備州長船師景 室町時代
 剣 坂上田村麻呂奉納
 木造狛犬 安土桃山時代
 二股竹
 甲神社御神木
   令和3年(2021)3月
   常陸大宮市教育委員会

 まずは、甲神社の鳥居です

 素駕神社の鳥居です

 素駕神社手水舎です

 素駕神社拝殿です


 素駕神社本殿です

 拝殿東側にスギの切株です、直ぐ後ろ側に成長している杉の木が一体となって見えています

 東側から、幹の傷跡には何故か大石が詰め込まれています

 北側から

 西側から、かつては目通り幹囲約5.0mの巨木だったようです



 甲神社への参道です

 手水舎です

 参道右手にもスギの大木です

 西向きに、常陸大宮交通神社です

 社號標もあります

 小学生の作った交通安全標語ですね、充分に気を付けて車の運転を行いましょう

 交通神社社殿です

 北側から、目通り幹囲約4.5m程(目測)の大木です

 北東側から見上げました


 交通神社の北側に並んで境内社です、右が稲田神社、左が天満神社です、また石の祠が点在します

 少し長く成りましたので、続きにさせて頂きます

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茨城県城里町、小勝「アリア城里・小勝のカヤ」(町指定)です!!

2023-01-09 06:30:45 | 巨樹・大木
 小勝地区は、城里町役場の西約10kmのところ

 町役場南の県道52号線を南へ、笠間警察署城里地区交番の南側の信号を右(西)へ道成りに進みます

 右からの県道61号線に合流して県道を南西へ、約2.3kmの信号木を斜め右(西)へ、県道51号線です

 道成りに北西に約5km進むと、県道右手に「老人ホームアリア城里」のブロック塀が見えて来ます

 敷地北側にカヤの樹冠が見えます

 県道脇に車を止めさせて頂きました

 南西側から

 西側から、根元は見えませんが目通り幹囲5.6mの巨木です

 県道脇に天然記難物標柱です、「小勝のかや 天然記念物(村指定第五)」となっています、指定年月日は、平成元年3月15日指定です。


 北西側から見ました

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