一宮町西垣内地区は、豊川市役所の北東約6kmのところ
県道5号線を南南東へ、約2.5kmの馬場町信号を左(北東)へ国道151号線です
約3.6kmで砥鹿神社前信号を右へ直ぐ左の駐車場に入ります
西参道脇の駐車場に車を止めさせて頂きました
西参道の鳥居前に社號標です、「三河国 一之宮 砥鹿神社」です
西参道の鳥居です
説明版です
砥鹿(とが)神社西参道石鳥居
市指定文化財
平成25年1月21日指定
この石鳥居は、旧市田村(現諏訪西町二丁目)にあったもので、本宮山山頂にある砥鹿神社奥宮の遥拝所として天保13年(1842)に建てられたものです。
昭和20年(1945)8月7日の豊川海軍工廠の空襲で被災し、修理を機として昭和31年(1956)に現在地へ移転されました。鳥居に見られる数箇所の欠損は、空襲で被弾した跡です。
鳥居に刻まれた銘文によれば、天保7年(1836)に岡崎藩士の長尾興達が、砥鹿神社に石鳥居寄進のを発意し、岡崎の石工石原庄七徳褒に命じて、天保12年(1841)に完成させ、神主の草鹿砥宜輝が市田村と協議して建立の場所を決めたことが分かります。
神明鳥居の形式で、石材は花崗岩を用いており、石鳥居としては市内で二番目の大きさ(総高726cm)です。
本鳥居は、近世の本宮山信仰の遺産で、銘文から建立の詳しい経緯が分かること、また豊川海軍工廠の空襲を伝える遺構として価値のあるものです。
豊川市教育委員会
西参道を進みます
境内案内図と説明版です
三河国 一宮 砥鹿神社(里宮)
祭神 大己貴命
例祭 5月3・4・5日
特殊神事 1月3日 田遊祭
1月8日 弓始祭
2月7日 火舞祭
当神社は、太古より本宮山にお祀りされていたが、今から約1300年前の大宝年間、現在地にお遷しした。爾来、三河国一宮として、或いは、東海地方の総鎮守として、広く朝野の崇敬を寄せられてきた。
現在は、交通安全、厄除守護、家運隆昌のご神徳が仰がれている。社殿は、昭和37年に造営成った、総檜造りの荘厳な建物である。
本宮山砥鹿神社奥宮
祭神 大己貴命
例祭 2月6日
特殊神事 1月 6日 宝印祭
1月15日 粥占祭
里宮の北方に聳える秀麗なお山が、本宮山(海抜789m)である。山頂に奥宮が鎮座し、古代から信仰の山として、尊崇され、境内には大小の磐座が点在する。又、山頂附近の社叢は、神域として保護され、愛知県の天然記念物に指定されている。
山上からの眺望は素晴らしく、三河湾・アルプス連峰・富士山が一望に見渡せる。
交通・・・ 本宮山スカイラインを通り車で40分、151号線(国道)新城市千郷小学校(杉山北信号)左折
西参道は一方通行の出口ですので、南側参道に向かいます
南側参道の鳥居です(後ろの駐車場の先に表神門の屋根が見えています)
参道東側の車の出入り口脇のクスノキの巨木です(目通り目測約5m)
表神門前にはタクシーが止まっていたのでスルーしました
手水舎です
正面に拝殿です
境内東端に「日本一大きいさざれ石」が有ります。
さざれ石は、君が代に歌われているように、千代に八千代に年を経て小石が集まり、巌となった貴重な石で、永遠の平和と繁栄を象徴する神霊の宿る石で、開運石や子産み石と云われています。
子宝、安産、夫婦円満や幸福を願って石に触れて下さい。
さざれ石の直ぐ左に、目的のケヤキの案内板が有りました、正面坂下とは?とにかく東側の境内外周へ行ってみました
境内東側の崖下に大きなケヤキが見えました
表鳥居の南側道路を東へ坂道を下ります
道路左手にケヤキが見えて来ました(南側から)
東側から、目通り幹囲9.3mの巨木です
説明版です
愛知県指定天然記念物
砥鹿神社のケヤキ
昭和47年6月7日指定
古くから「みたらいのケヤキ」と呼ばれたこの大木は、神社の南東に自生したもので、です。
高さは45mにおよび、樹齢約600年と推定されていますが、樹勢は旺盛といえます。
付近には、カエデ・ヤブツバキ・サカキなどの暖地性植物も多く見られ、また、下方にはかつて湧水の神泉が流れていました。
昭和34年の伊勢湾台風によって、境内の古木の多くが倒れる被害を受けましたが、現在でも残るこのケヤキは、神社の境内をよりおごそかなものにしています。
平成7年7月 豊川市教育委員会
南東側から見上げました
南東へ離れて見ました
境内へ戻ります
境内北側から、奥宮の有る本宮山を見ました
では、次へ行きましょう
県道5号線を南南東へ、約2.5kmの馬場町信号を左(北東)へ国道151号線です
約3.6kmで砥鹿神社前信号を右へ直ぐ左の駐車場に入ります
西参道脇の駐車場に車を止めさせて頂きました
西参道の鳥居前に社號標です、「三河国 一之宮 砥鹿神社」です
西参道の鳥居です
説明版です
砥鹿(とが)神社西参道石鳥居
市指定文化財
平成25年1月21日指定
この石鳥居は、旧市田村(現諏訪西町二丁目)にあったもので、本宮山山頂にある砥鹿神社奥宮の遥拝所として天保13年(1842)に建てられたものです。
昭和20年(1945)8月7日の豊川海軍工廠の空襲で被災し、修理を機として昭和31年(1956)に現在地へ移転されました。鳥居に見られる数箇所の欠損は、空襲で被弾した跡です。
鳥居に刻まれた銘文によれば、天保7年(1836)に岡崎藩士の長尾興達が、砥鹿神社に石鳥居寄進のを発意し、岡崎の石工石原庄七徳褒に命じて、天保12年(1841)に完成させ、神主の草鹿砥宜輝が市田村と協議して建立の場所を決めたことが分かります。
神明鳥居の形式で、石材は花崗岩を用いており、石鳥居としては市内で二番目の大きさ(総高726cm)です。
本鳥居は、近世の本宮山信仰の遺産で、銘文から建立の詳しい経緯が分かること、また豊川海軍工廠の空襲を伝える遺構として価値のあるものです。
豊川市教育委員会
西参道を進みます
境内案内図と説明版です
三河国 一宮 砥鹿神社(里宮)
祭神 大己貴命
例祭 5月3・4・5日
特殊神事 1月3日 田遊祭
1月8日 弓始祭
2月7日 火舞祭
当神社は、太古より本宮山にお祀りされていたが、今から約1300年前の大宝年間、現在地にお遷しした。爾来、三河国一宮として、或いは、東海地方の総鎮守として、広く朝野の崇敬を寄せられてきた。
現在は、交通安全、厄除守護、家運隆昌のご神徳が仰がれている。社殿は、昭和37年に造営成った、総檜造りの荘厳な建物である。
本宮山砥鹿神社奥宮
祭神 大己貴命
例祭 2月6日
特殊神事 1月 6日 宝印祭
1月15日 粥占祭
里宮の北方に聳える秀麗なお山が、本宮山(海抜789m)である。山頂に奥宮が鎮座し、古代から信仰の山として、尊崇され、境内には大小の磐座が点在する。又、山頂附近の社叢は、神域として保護され、愛知県の天然記念物に指定されている。
山上からの眺望は素晴らしく、三河湾・アルプス連峰・富士山が一望に見渡せる。
交通・・・ 本宮山スカイラインを通り車で40分、151号線(国道)新城市千郷小学校(杉山北信号)左折
西参道は一方通行の出口ですので、南側参道に向かいます
南側参道の鳥居です(後ろの駐車場の先に表神門の屋根が見えています)
参道東側の車の出入り口脇のクスノキの巨木です(目通り目測約5m)
表神門前にはタクシーが止まっていたのでスルーしました
手水舎です
正面に拝殿です
境内東端に「日本一大きいさざれ石」が有ります。
さざれ石は、君が代に歌われているように、千代に八千代に年を経て小石が集まり、巌となった貴重な石で、永遠の平和と繁栄を象徴する神霊の宿る石で、開運石や子産み石と云われています。
子宝、安産、夫婦円満や幸福を願って石に触れて下さい。
さざれ石の直ぐ左に、目的のケヤキの案内板が有りました、正面坂下とは?とにかく東側の境内外周へ行ってみました
境内東側の崖下に大きなケヤキが見えました
表鳥居の南側道路を東へ坂道を下ります
道路左手にケヤキが見えて来ました(南側から)
東側から、目通り幹囲9.3mの巨木です
説明版です
愛知県指定天然記念物
砥鹿神社のケヤキ
昭和47年6月7日指定
古くから「みたらいのケヤキ」と呼ばれたこの大木は、神社の南東に自生したもので、です。
高さは45mにおよび、樹齢約600年と推定されていますが、樹勢は旺盛といえます。
付近には、カエデ・ヤブツバキ・サカキなどの暖地性植物も多く見られ、また、下方にはかつて湧水の神泉が流れていました。
昭和34年の伊勢湾台風によって、境内の古木の多くが倒れる被害を受けましたが、現在でも残るこのケヤキは、神社の境内をよりおごそかなものにしています。
平成7年7月 豊川市教育委員会
南東側から見上げました
南東へ離れて見ました
境内へ戻ります
境内北側から、奥宮の有る本宮山を見ました
では、次へ行きましょう