ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

愛知県新城市、作手保永「貴舩神社の杉」(市指定)です!!

2023-01-24 06:30:25 | 巨樹・大木
 ここからは、2023年1月11日取材分です

 作手保永地区は、新城市役所の北西約8km、新城市役所作手総合支所の南約6kmのところ

 新城市役所作手総合支所から、国道301号線を南へ約7km進みます

 新城警察署戸津呂警察官派出所の手前を左(北東)へ、県道435号線です

 道成りに約900mで、貴舩神社が南東向きに鎮座します

 道路向かい側(南側)に駐車スペースが有ります

 境内入口です

 貴舩神社社號標です

 鳥居です

 拝殿です、左後方に太い幹が見えます

 目的のスギです

 本殿覆い屋です

 南西側から、目通り幹囲5.8mの巨木です

 北西側から、高い所まで脇枝の無い綺麗な幹です
 
 北東側(幣殿脇)から

 では、次へ行きましょう
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愛知県新城市、門谷若宮「若宮八幡社の杉」(市指定)です!!

2023-01-23 18:29:57 | 巨樹・大木
 門谷若宮地区は、新城市役所の北東約12km、新城市役所鳳来総合支所の北北東約5kmのところ
 
 新城市役所鳳来総合支所前から国道151号線を東へ、宇連川右岸を進みます

 約1.9kmで鳳来寺山の標識に従って斜め右へ、約400mで左(北)へ県道389号線です

 約2.7kmで防獣網の間を右へ入ります、右に一軒の住宅を過ぎて進むと


 参道入口です、直ぐ先の参道右側に大きな幹が見えていますが目的のスギではなさそうです

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 若宮八幡神社 社號標です

 説明版です
  新城市指定文化財
●種別・名称(天然記念物)若三田八幡社の杉
    昭和35年6月29日指定
●所在地 新城市門谷字若宮の入3番地 若宮八幡社
●由来  東門谷地区の氏神様であるこの若宮八幡社の御神木として尊ばれ、推定樹齢700年といわれている。
●大きさ 樹高   42m90cm
     目通り周囲 5m60cm
          新城市教育委員会

 鳥居です

 手水です

 境内東側に綺麗な水が湧いています

 拝殿です、社殿の後ろに大きな幹が見えます

 本殿です 

 目的のスギです、南西側から

 南東側から、綺麗にスーッと伸びた幹には枝が有りません
 
 東側の土手の上から見ました

 では、次へ行きましょう 
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愛知県設楽町、小松下湯分沢「小松のツガ」です!!

2023-01-23 06:36:49 | 巨樹・大木
 小松下湯分沢は、設楽町役場の東北東約1kmのところ

 大田口信号を右(東)へ、田口小学校南信号を斜め左の県道427号線へ入ります

 道成りなりに約1.4km、右カーブの外側に大木が見えて来ます

 手前の道路工事現場入口脇に車を止めさせて頂きました
 
 ツガ(栂)の大木です、幹をスーッと伸ばして大きく樹幹を広げています

 南東側から、目通り幹囲4.4mの大木です

 東側から見ました
 
 道路脇のツガの大木です、谷底では、ダム工事に伴うと思われる道路工事が進んでいます、脇を通る県道も拡幅されることになると、この木もどうなるか解かりませんね~

 陽が西の山の端に沈みかけています、今日はこのくらいで取材を終わり、新城市内へ戻ります

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愛知県設楽町、川向「東堂神社のトチ(町指定)とスギ」です!!

2023-01-22 18:32:41 | 巨樹・大木
 設楽町役場の北西約3kmのところ

 国道257号線を北へ、一度下ってまた登り返すようになります

 下る附近から谷底は、設楽ダムにともなう道路工事が大規模に行われていました
 
 ここから約2.8km坂道を登って行きます
 

 東堂神社への入り口です

 すぐ先の国道脇に車を止めさせて頂きました

 神社の社叢にトチノキの枝先が見えています

 坂道(旧道?)を下ります

 杉木立の間から目的のトチノキです

 天然記念物標柱です

 もう少し下ると鳥居が見えました

 南東側からトチノキです

 南側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

 一ノ鳥居です、道路側(南東)に向いています

 ニノ鳥居は南に向いています

 境内真ん中に水盤です、上の皿が下の台から動かされています

 拝殿ですが、境内は正月だと言うのに落ち葉でいっぱい

 設楽ダム(令和6年完成予定)の湖底には沈んでしまわないようですが、移転するかどうが決まらないのだとか、管理されていませんね~

 拝殿右の大岩の上には秋葉神社等の祠が並びます

 本殿覆い屋です


 社殿の東側トチノキの根元に赤い祠が有ります、稲荷社の様です

 社殿左手の杉の大木です


 社殿脇には目通り幹囲約4.5m(目測)のスギの大木です

 西側から見ました

 では、次へ行きましょう


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愛知県設楽町、田口居立「福田寺のイヌグス」は伐られてしまいました!!

2023-01-22 06:30:44 | 文化財・樹木
 田口居立地区は、設楽町役場の直ぐ西側です

 福田寺は、西側の山の中腹に在って国道473号線に参道を南東向きに開いています

 駐車場は参道入口の北東側に第3駐車場が有りますので利用させて頂きました(第一・二駐車場は、東側から入る事ができるようです)

 参道山門です

 右手上の境内に鐘楼が見えます


 参道両側に石仏が並びます

 手水です

 六地蔵様です

 本堂前の石段です

 本堂です


 東海自然歩道の説明版です
  天竜奥三河国定
 ここ設楽町田口は江戸時代から宿場町として発展し、現在でも奥三河の玄関となっています。交通の便も良く、旅館もあります。
 自然歩道はここ福田寺の背後を回って、貴重な植物が数多く見られる名勝・岩古谷へと通じています。
 岩古谷山の手前から鞍掛山・塩津温泉までは800m級の尾根歩きで、たいへん険しいコースです。
 寺の正面の階段をおりれば、水のきれいな寒狭川に添って原生林で有名な段戸裏谷へ通じる快適なコースです。

 *脇の標柱には東京まで405kmと有りますが、これは東海自然歩道を辿っての距離の様です、浜松市に出て東海道を辿ると300km程になるようです
 


 弁財天の池です


 池の西側に信玄塚です

 手前は、馬場信房公塚です

*馬場 信房(ばば のぶふさ)は、戦国時代の武将。後代には武田四天王の一人に数えられる。文献によっては房信とも。武田信虎、信玄、勝頼の三代に渡り仕えた歴戦の重臣だったが、長篠の戦いで討ち死にした。

 奥に在るのが武田信玄公塚です

 説明版です
   武田信玄公塚
 当寺(応永9年・1402創建・臨済宗妙心寺派)は、かねてより信玄公の外護を受けていたが、天正元年(1573)野田城を攻略のとき、病におかされた公は、帰国の途次当寺においてしばし療養の後來去されたと伝えられる。
 但し、その後再三火災のため資料焼失し確実な事跡は不詳である。
 尚、当寺の記録によれば
 天正元年6月26日甲州太守武田大善大夫信玄法性院殿機山玄公大居士、当所尊体を埋む、とある。

 西側の墓地の中にイヌグスの切株が残っていました

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愛知県設楽町、神田東地「弥栄神社・田代の御葉付銀杏と姫沙羅」(町指定)です!!

2023-01-21 18:29:41 | 巨樹・大木
 1956年(昭和31年)9月30日 北設楽郡田口町、段嶺村、名倉村、振草村の一部が合併して〈旧〉設楽町が発足。上津具村、下津具村が合併して津具村が発足。2005年(平成17年)10月1日 旧設楽町と津具村が合併し、新設楽町が発足しました。

 神田東地地区はかつての振草村です、設楽町役場の南東約6kmのところ

 国道257号線の大田口信号を右(南東)へ、国道473号線です

 岩古谷トンネルを貫けて、神田簡易郵便局前の交差点を右(南西)へ、県道32号線です

 約1kmで右の杉林の中へ入ります、道成りに左に曲がると道路右手にイチョウの木が立って居ます

 少し先(南側)の道路が広くなっているところに車を止めさせて頂きました


 南東側から

 弥栄神社の鳥居と目的のオハツキイチョウです

 「田代のオハツキイチョウ」の標識です

 北側から

 南西側から、目通りは約2.17mのオハツキイチョウです

 ヒメシャラはどこでしょうか・・・

 鳥居を潜って弥栄神社へお参りしましょう、神社は南東向きに鎮座すすようです

 急な山道(参道)を進みます

 参道の中ほどに狛犬です

 木の根を登った石段の先に社殿が見えて来ました

 社殿です

 社殿の右手にはスギの大木です

 西側から

 スギの上側の社殿北側に、目的のヒメシャラです

 「田代のヒメシャラ」の標識です

 町指定天然記念物標柱です、文面には・・・幹囲2.2m、枝下約6mを測り、姿、形と共にこの樹種中では町内随一。ここ神田では、百日紅(サルスベリ)と言いますが百日紅とこの木は別で、ヒメシャラの花は白色です。

 *ヒメシャラ(姫沙羅、赤栴檀)はツバキ科ナツツバキ属の落葉高木。ナツツバキに似るが花も葉も小ぶりです。
 和名のヒメシャラは、誤って娑羅樹と伝えられたナツツバキ(別名:シャラノキ)よりも小さいことによるもので、サルナメリやアカラギ、コナツツバキ、サルタノキの別名もある。
サルスベリについて
 この木は山で見られる木の中でも特に樹皮がすべすべしているためにサルスベリと呼ばれることがある。標準和名をサルスベリとする植物は観賞用の樹木であるが、これはミソハギ科で分類学的に全く異なった植物であり、本当のサルスベリが日本の森林内に姿を見せることはない。また、同様の場所に見られる樹木ではリョウブも大きくなると樹皮がすべすべになり、サルスベリと呼ばれることがあるが、ヒメシャラの方がすべすべ感が強い。(ウィキペディア一部抜粋です)


 西側から見上げました

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愛知県新城市、池場「池之神社・池場のけやき」(市指定)です!!

2023-01-21 06:30:42 | 巨樹・大木
 池場地区は、新城市役所鳳来総合支所の北東約15kmのところ、静岡県との県境に近く成ります

 JR飯田線と共に、宇連川の谷を国道151号線で進みます

 「能登瀬の大銀杏」の前を過ぎて約6.6km、新大橋で宇連川と別れ

 支流の亀淵川に沿って約4km、国道右手に池が見えて来ます、池之神社の竜ヶ池です

 池の対岸に、目的のケヤキが見えています

 参道入口です、池之神社は北西向きに鎮座します

 参道脇に車を止めさせて頂きました 

 手水です

 鳥居です

 境内東端に目的のケヤキです


 東側から


 説明版です
  新城市指定文化財
●種別・名称(天然記念物)池場のケヤキ
   昭和46年6月12日指定
●所在地 新城市池場字池島23番地 池之神社  
●由来  池場地区の象徴である竜ヶ池の辺に古くからある大木で、池之神社の御神木として祀られている。
    この木には毎年5月ごろモリアオガエルが産卵する。
●大きさ 樹高 28m80cm、目通り周囲 6m80cm
         新城市教育委員会



 拝殿です


 本殿覆い屋です、本殿裏側にスギの大木が在ります 

 南側の竜ヶ池の脇から見ました

 国道脇から

*神社や竜ヶ池の説明版は見当たりませんでしたので、ネットで調べて見ました・・・
 池之神社は慶長元年(1596年)の創建で、祭神は天之水分命、國之水分命。 例祭日は3月21日。
 社伝によると、延宝5巳年(1677)に再建されたという。明治5年10月12日、村社に列し、明治の時代までは秋葉神社と呼ばれていたようです、昭和37年12月20日社殿造営したようです。
 竜ヶ池の伝説としては、この池の主であった竜が、土地の娘と恋に落ちたが、正体を見破られたため、諏訪湖に逃げ去ったとあるようです。・・・今は竜はいないのでしょうか

 では、次へ行きましょう
 
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愛知県新城市、能登瀬白岩「能登瀬の大銀杏」です!!

2023-01-20 18:30:54 | 巨樹・大木
 能登瀬白岩地区は、新城市役所の北東約15km、新城市役所鳳来総合支所の北東約7kmのところです

 鳳来総合支所前から国道151号線を東へ、JR飯田線と宇連川の谷を進みます

 大野橋で宇連川を左岸側に渡り、大野信号を左(北東)へ

 約3,3kmで国道左にイチョウが見えました

 直ぐ先右手の、公民館の駐車場に車を止めさせて頂きました

 北東側から

 東側から

 南東側から

 国道を渡ります、車の通りが多いので注意が必要です

 南東側から

 説明版です
  能登瀬の大銀杏
 この里の始まりは、推古天皇の御代の西暦600年頃と伝えているが、大宝年間(701~704)の頃に能登瀬と村名が付けられたが天永3年(1112)にこの村に住む善次と言う人が伊豆の国三島より銀杏の種を持ち帰り、諏訪大明神の社の境内に蒔き、生えた後にこの辻に移植して現在に至る八百数十年を経た古い巨樹である。
 目通り7mのこの巨木は「能登瀬の大銀杏」と呼ばれて遠近に知られてきた。江戸時代後期頃に落雷で損傷したが、諏訪神社の御神木として崇敬され銀杏では町内最古、最大の姿で悠然と聳え立ってこの里を守り続け、その樹下には庚申塔、巡礼供養塔、御宝前燈籠などが立ちこの里の信仰の聖地となっている。
   昭和61年10月吉日 能登瀬学区コミュニティ
   平成27年度鳳来東部地域自治活動備品整備事業


 南側根元には庚申塔(右二つ)や供養塔が並びます


 北側から見ました

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愛知県新城市、片山「片山白山神社の御神木ヒノキ」です!!

2023-01-20 06:30:42 | 巨樹・大木
 片山地区は、新城市役所の北約1,5kmのところ

 市役所から北に延びる県道439号線を真っ直ぐに進みます、徐々に高度を上げ

 JR飯田線の踏切を越え、国道151号線の交差点を過ぎ、「長篠設楽原パーキングエリア→」の看板の直ぐ先を左に入ると

 白山神社が南向き参道で鎮座します

 参道入口前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 参道入口です

 村社 白山神社の社號標です

 鳥居です

 参道を進みます


狛犬です

 拝殿前境内は、ゲートボールのコートになっています、社殿の右手に注連縄を巻かれたヒノキです

 本殿は覆い屋の中です

 説明版です
   村社白山神社(千郷村史より)
  祭神 伊牙那美命 菊理媛命
  祭日 4月1日 明治5年まで2月18日
  営造物 神殿、覆殿、渡殿、拝殿、鳥居
  178番地、境内5反5畝20歩
 創立は仁賢天皇(5世紀末)の朝6年、当地に住民の出来た時氏神に勧請し、爾来連綿奉斎し、その後人家も増加し耕土を開拓し村の産土神となった。
 天文14年(1545年)今泉興太夫が禰宜に任ぜられ以降累代奉仕した。
 永禄年代(1557年~)領主の崇敬厚く神田の寄進もあり、また元和6年(1621年)には神領地を付され、慶安元年(1648年)菅沼定實入部一層崇敬せられ、近郷250余戸の数営者が出来た。
 昔から白山妙理大権現と称したが、明治2年仏語の社号を禁ずる令に依り、白山神社と改称した。
  境内神社及び神祠
 山神社 祭神 大山祇命、祭日 1月7日・12月7日、営造物 神殿・拝殿、古来より西北隅に鎮座。
     明治24年10月27日拝殿新設許可。本社舞殿に併用する。大正8年本社覆殿内左一座に遷座。
 伊雑祠(いざわほこら)祭神 伊佐波登美命、営造物 神殿
  明和年間(1764年~)、本社覆殿内右一座に勧請。
 白鳥祠 祭神 日本武尊、営造物 神殿
  森田家の氏神で、字明神谷118番地から延享5年2月(1748年)本社覆殿内右二座に遷宮。
 稲荷祠 祭神 倉稲魂命 
  阿部家の氏神で177番地にあった。明治8年西北隅の山神社の東側に遷座し大正8年白鳥祠に合併した。
 滝神祠 祭神 瀬織津媛命 営造物 石祠
  貞享4年11月(1687年)石祠建立不動明王を勧請。明治2年仏語禁令のため滝神と改めた。

 境内南東側の石祠です、説明版の滝神祠のようです

 境内社の護国神社です

 目的の御神木ヒノキです、南側から

 案内板です
   御神木  桧
 樹齢 360年
 高さ  36m
 幹周り4.8m
    平成24年

 西側から

 東側から見上げました


 境内東端には、ナギの木です、平成2年に天皇陛下御即位記念として植えられたものです(現上皇様ですね)

 ヒトツバタゴの木も令和元年の天皇陛下御即位記念です

*ヒトツバタゴ(一つ葉タゴ、一つ葉田子)とは、モクセイ科ヒトツバタゴ属の一種。同じモクセイ科のトネリコ(別名「タゴ」)に似ており、トネリコが複葉であるのに対し、本種は小葉を持たない単葉であることから「一つ葉タゴ」の和名があるそうです。(ウィキペディア一部抜粋です)

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愛知県新城市、裏野「永住寺のクロマツ」です!!

2023-01-19 18:29:57 | 巨樹・大木
 裏野地区は、新城市役所の北北東約400mの市街地です

 市役所北側の中町信号から東へ、県道439号線です。約200mで左(北)へ入ると

 永住寺の参道です、山門前を右斜めに進むと駐車場が有りますので利用させて頂きました

 参道入口です

 曹洞宗 永住禅寺です

 説明版です
   永住寺
 正式名ー曹洞宗 延命山永住寺
 本尊ー-釈迦牟尼仏
 由緒ー-大谷城主菅沼定廣は、永正10年(1513)弟の鵬雲文翼に平井郷に永住寺を建立させしめた。
     元亀4年兵火により焼失したので作手亀山城主奥平貞能が、翌天正2年現地の拡大な寺域を定めて建立した。
     後、慶長11年水野分長の入部によりその信仰篤く水野2代、ついで菅沼11代の帰依を得た。
     その後も数多壇越の力によって今日に及んだ。
 宝物ー-〇古文書類:今川義元証文、今川氏真証文、菅沼定継証文、菅沼定実証文他
     〇仏像:大権修利菩薩椅像(木造)、達磨大師椅像(木造)、馬頭観音立像(木造)、賓頭盧尊者座像(木造)等。

 参道右側の目的のクロマツです

 西側から、目通り幹囲4.7mの大木です

 北西側から


 参道左側にも二本のクロマツの大木です

 句碑です

 説明版です
  太田白雪句碑
      新城市裏野
 白雪は寛文元(1661)年、新城(現在の新城市町並)の庄屋に生まれ、家業を継いだ。
 若くから俳諧に志し、元禄4(1691)年10月、芭蕉を鳳来寺へ案内した頃から俳諧の精進は目覚ましく、地方俳壇の中心となった。
 白雪はまた、郷土史の研究にも没頭し、数々の著書を残した。
 老後は、孤独のうちにも信仰と古典研究に生きて、享保10(1735)年6月、75才で死去した。
 句碑は、白雪の225年忌にあたる昭和35年、その菩提寺である当寺に建てたものである。
 なお、墓もこの寺の墓域のほぼ中央にある。
   山雀の 胡桃まはさん 雪の宿  白雪
     昭和61年8月1日 新城市教育委員会
*山雀は「ヤマガラ」のことです。

 山門です

 参道を進みます

 参道左手に石仏が並びます

 大きな本堂です

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愛知県新城市、屋敷「八幡神社の杉」(市指定)です!!

2023-01-19 06:29:12 | 巨樹・大木
 屋敷地区は、新城市役所の北東約600mのところの市街の中です

 市役所北側の中町信号から東へ、県道439号線です。約500mで横断歩道に手前を左(北)の細い路地へ

 左に曲がると、鳥居が見えて来ました

 鳥居の左側から境内に入ると、境内の大部分は月極駐車場になっています

 参拝者用の駐車スペースに車を止めさせて頂きました

 境内入口です

 八幡神社社號標です

 鳥居です

 手水舎です


 南側から拝殿と後方に目的のスギを見ました

 本殿です

 拝殿左の境内社は、金山社と御鍬社です

 八幡神社と境内社五社の御祭神一覧です

 説明版です
   八幡神社
◇所在地 新城市平井字地官27
 ・本社祭神は誉多別命。即ち応神天皇である。
*由緒
〇創建は天文元年(1532年)上平井の大谷城から石田に新城を築いた菅沼定継による。
 その後、寛永5年(1628年)新城城主水野元綱が社殿を新築した。
 慶安元年(1648年)入封した菅沼定実も崇敬篤く神領1石3升を寄進した。また、領主や家臣からの寄進も多く鳥居・重藤の弓1張・幕2流・狛犬唐獅子・ねりぎぬの指物・かぶら矢の根等の記録がある。
〇明治5年(1872年)村社となったが昭和20年(1945年)終戦後は社格は消滅した。
〇境内社(末社)は、金毘羅社(大物主命)、稲荷社(倉稲魂命)、秋葉社(迦具土命)、御鍬社(伊牙那美命)、金山社(金山比古命)があり、いずれも昭和4年(1929年)の創立である。また、昔は笠岩の川端に一の鳥居が達っていて神田もあったとの記録がある。
〇境内地は1600余坪と広い。
〇建造物では、改築前の本殿は寛永5年(1628年)新築され正徳3年(1713年)5月に改築されている。
 拝殿は元禄10年(1697年)8月に建立、正徳4年(1714年)9月に瓦葺替がなされた。
 現在の本殿は、昭和42年(1969年鉄筋コンクリートのものに改築されたものである。
 鳥居は天和元年(1681年)と正徳元年(1711年)12月の棟札がある。
〇氏子の区域は東新町・平井のうち沖野と八幡(西浦、田中、若杉、地官)である。
*行事
〇祭礼は、はじめ8月15日であったが、今日までたびたび変わっている。
 現在は毎年10月の第3日曜日で祭りはその前日から始まる。
〇かつて春祭は2月22日、秋祭は12月3日、祇園祭は旧6月14日と15日に開かれていたが現在は行われていない。
 月次祭は毎月第1日曜日に行われる。また、日参、出産初詣り、七五三祝等の式が行われる。
〇「立物花火」は昭和36年1月31日に市無形文化財に指定されている。
 江戸時代の中期、新城藩士が参勤交代で江戸に出府の折、両国の川開きの花火を見て持ち帰り、木の枠を組み全国の名勝の風景を模様を現して大行燈、提燈等を付け加えて現在まで傳えられている。各所で行われたが、現存するのは當東新町のみである。
   新城観光学会    平成23年12月吉日

 社殿の裏側に廻りました

 鳥居がスギの木に有ります

 「新城市天然記念物 杉」の標柱です

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愛知県新城市、日吉宮ノ腰「鳥原日吉神社の大樟」(市指定)です!!

2023-01-18 18:52:08 | 巨樹・大木
 日吉宮ノ腰地区は、新城市役所の東約3kmのところ

 市役所北側の市道を東へ、県道392号線に合流して更に東へ

 豊川を弁天橋で渡って約400mを右(南東)へ

 左からの県道392号線に合流して約300mの烏原信号をそのまま南の市道へ

 丁字路を左に進むと、左手に鳥原日吉神社が南向きに鎮座します

 境内に車を入れることが出来ました

 案内板です、鳥原日吉神社の大樟(新城市天然記念物指定)

 参道入口です

 村社 式外 日吉神社の社號標です

 参道を進みます

 左手の建物は神楽殿のようです

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 説明版です
   日吉神社
〇社格  12等級 旧指定村社
〇鎮座地 新城市日吉字宮ノ腰28番地
〇祭神  大己貴命 大山咋命
☆由緒  創建は不明。
 天正6年(1578)8月の再建と云う。
 明治5年10月12日村社に列し、同40年10月26日、指定村社となる。
 昭和22年鳥原神社(境内社)を造営。
 当村出身の英霊を祀る。
〇例大祭 10月第三日曜日
〇社殿  本殿(流造)1.00坪  覆殿 9.60坪
     幣殿 6.00坪 拝殿 13.00坪
     社務所 11.00坪 参集所 42.00坪
〇境内坪数 888.00坪
    新城観光学会   平成25年2月吉日

 拝殿東側の鳥原神社です、説明版の正和22年に造営されたものです。後ろ側に目的の大樟が有ります

 南西側から見ました

 説明版です
   新城市指定文化財
●種別・名勝 (天然記念物)大樟
●指定年月日 昭和33年4月1日
●所在地   新城市日吉字宮ノ腰
●内容    幹周:10.9m、樹高:27m、伝承樹齢:1200年(平成8年度調査)
 この大きなクスの木は、日吉神社の御神木です。
 この木には「落雷、または、ある家から出火した炎が風にあおられたことによって7日7晩燃えたが、ここより他へ燃え広がることがなかったので、その火災から集落を守ってくれた」という民話が残されています。
 焼けながらも不思議に枯れなかったこの木は、樹高約6m地点で折損した主幹の代わって大枝が主幹化し、周囲を圧倒する存在感を放っています。
 そして、火事から集落を守ってくれたことに感謝して、今でも地域の人に大切にされています。
       新城市教育委員会

 西側から、幹は枯れています

 東側から

 東北東側の大枝が、現在の主幹ですが、大きな支柱に支えられています

 北東側の樹皮が元気そうです

 北側から

 北西側から見ました

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愛知県新城市、黄柳野郷ケ平「黄柳野のかやの木」(市指定)です!!

2023-01-18 07:17:06 | 巨樹・大木
 黄柳野郷ケ平地区は、新城市役所の東南東約10kmのところ

 市役所の北側の市道を東へ、県道392号線と合流して東へ豊川を弁天橋で渡って約400mを右(南東)へ

 左からの県道392号線に合流して約300mの烏原信号を左(東)へ

 道成りに約8.3kmで県道81号線の丁字路を右(南西)へ、道成りに南へ、 約1.9kmでY字路を右へ

 約600mの左側田圃の先にカヤの樹冠が見えました

 東に入って、道路脇に車を止めさせて頂きました

 小さな公園のようになっています、北側から

 東側から

 北東側から

 説明版です
  新城市指定文化財
●種別・名勝 (天然記念物)黄柳野のかやの木
        昭和34年8月25日指定
●所在地 新城市黄柳野字郷ヶ平
●内容 昭和2年に実施された愛知県の調査によって、全国で4番目に古い「かやの木」であると評価を受ける。
    嘉永6年(1853)に法正寺から所有が移される際に「古木であるために伐採はしてはいけない」という記録が所有者宅に伝えられている。
    明治41年に火災に遭った焼痕が見られる。
  幹周: 5.6m、樹高:13.6m、推定樹齢500年(指定当時)
           新城市教育委員会


 樹下の歌碑です「いくとせを おおかやぞしる つげのさと まださんしの しらしつたえて」観山・・・でしょうか

 東側の幹です

 南側から、幹を見上げました

 南西側から

 北西側の黄柳川沿いから見上げました

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愛知県新城市、八名井宮ノ内「八名井神社のスギ」です!!

2023-01-17 18:30:21 | 巨樹・大木
 *新城市は、2005年(平成17年)10月1日 、 新城市・南設楽郡鳳来町・南設楽郡作手村が新設合併し、新しい新城市となりました

 八名井宮ノ内地区は、新城市役所の南西約6kmのところ

 市役所北側の中町信号から県道446号線を西へ、橋向信号を左(南)へ国道301号線です

 豊川を新城橋で渡り、庭野信号を斜め右(南西)へ、一鍬畠中信号で国道301号は左に曲がりますが直進します

 県道69号線です、約2.1kmで宇利川を渡って直ぐの横断歩道の交差点を左へ入ります

 突き当りを右へ道成りに約800m進むと

 八名井神社が南南西向き参道で鎮座します

 鳥居東側に駐車スペースが有ります

 村社 式外 八名井神社の社號標です

 鳥居です

 参道を進みます

 手水舎です

 拝殿の左手に大きなスギが見えました

 拝殿です


 本殿の屋根が見えました



 本殿の西側の石碑の陰に目的のスギです

 手前の石碑は天神社の碑です
  天神社之碑
 当、天満天神と斎き奉りん給ふ菅原道真朝臣命 頭世ふ成らん給へ・神功を慕い奉りて去を慶長・いひし御代の頃あに三河国八名郡八名井里ふもその神霊を鎮め奉りてやがて天神社と称へ奉れるを今年はしも汒命・・世・入り坐し・よ・一千年の周り来しを以て殊更に懇か御祭治め奉れと故それ事後世・傳へむが為に氏子の人々相議て此石文を建るかなむ
   明治35年3月25日
     熱田神宮宮司 従5位 角田忠行 記

*旧仮名遣いなどでよく分かりませんでした、(・、の部分は読めなかった文字です)


 南西側から

 西側から,目通り幹囲5.5mの巨木です

 北西側から


 境内東側から本殿と、玉垣の西側のスギを見ました

 境内社です

 石祠にも注連縄が掛けられています

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愛知県豊川市、江島町西脇「江島神社のクスノキ」(市指定)です!!

2023-01-17 06:30:23 | 巨樹・大木
 江島町西脇地区は、豊川市役所の東北東約11kmのところ

 県道5号線を南南東へ、約2.5kmの馬場町信号を左(北東)へ国道151号線です

 約5kmで一宮町豊信号を右(東)へ県道381号線です
 
 緩く東へ曲がる様に約2.1km進み金沢信号を斜め左(北東)へ県道69号線です

 約800mの信号を斜め左へ、約300mで、道路左に江島神社が南東向きに鎮座します

 境内に車を止めることが出来ました

 参道入口です

 社號標には「村社 天神社」とあります

 鳥居を潜って参道を進むと

 拝殿の右手前に目的のクスノキが見えて来ます

 拝殿の左手前にも、ほぼ同サイズのクスノキです

 目的のクスノキを南側から、目通り危機飯5.2mの巨木です

 拝殿脇(西側)から見ました


 説明版です
  豊川市指定天然記念物
   江島神社のクスノキ
     昭和63年3月28日指定
 クスノキは、昔から樟脳などがとれる木として各地に生えており、成長の早い樹木として良く知られています。
 春に黄緑色の新芽を出し、5月頃には、黄白色の小さな花をつけます。そして花が散った後に黒味がかった実をつけます。
 このクスノキの樹齢は、300年以上と考えられています。
   平成13年7月1日
   豊川市教育委員会


 拝殿です

 拝殿の軒下には「江島神社」の額です

 本殿は覆い屋の中です

 本殿北側にはカヤノキが立っています
 

 本殿覆い屋の北側には境内社です

 参道左側(拝殿南側)のクスノキを北東側から

 南東側から見ました、目通りは5m程(目測)の巨木です

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